メッセンジャー
岩谷怜夢は、今年からこの大学に通うことになった。少し偏差値が高めのここには、同じ高校から入学した者はいない。内気で、どちらかというと人見知りな怜夢は、この場に馴染めるかどうか不安だった。緊張もしていたようで、隣から声かけられたのにも気付かなかった。
「もう。私は、小沼美鳥。よろしく」
「岩谷怜夢です。よろしくお願いします」
美鳥は、笑いながら、
「私、老けて見える? 18歳なんだけど……。どっちにしろ同級生なんだから敬語はやめようよ」
「私も18歳」
「老けて見えるのは、否定してくれないんだ。この後、時間ある? 」
「両親と一緒に食事に行くことにしてる」
「うちもそうなんだ。一緒に行こうよ。どこに行く? 」
「私、地方から出てきたばかりだから、わからない」
「じゃあ、すぐ近くにあるファミレスにしようよ。私のバイト先なんだけど、私も地方出身だから他のところを知らない」
「もうバイトしてるの? すごい」
「うちは、貧乏だからバイトでもしないと東京の大学になんて入らせてもらえなかった。何回も説得して、いろいろ条件をつけられたから」
「そうなんだ」
美鳥の提案どおり、お互いの両親も一緒にファミレスに行く。着くと美鳥は、店員さんと一言二言話して、席に案内した。そして、自分は、席に座らず、トレーで人数分の水を運び、
「注文、お決まりでしたら、お伺いします」
「それなら俺は、これ」
美鳥のお父さんは、もう決まっていたようだ。美鳥は、復唱しながら端末に打ち込む。
「早いな。みなさんは、ゆっくりお決めください」
「何が『早いな』だ。お前、まさか他のお客さんにもそういう態度をしてるんじゃないか? 」
「そんなわけないじゃない」
「わかったもんじゃないわよ。だいたいこの子は……」
お母さんもお父さんに加勢して、美鳥に何か言おうとしていたタイミングで、怜夢が注文する。知り合ったばかりでも美鳥が、両親から責められるのは、気の毒に思った。メニューをまだゆっくり見たかったが、目についたものを頼んだ。すると、みんなが次々注文する。美鳥は、聞き終えると、厨房に入って行った。それを見届けると、美鳥のお母さんが、
「ほんとうにあの子は、世間知らずで、生意気なんだから。反抗ばかりするし、素直さがまるでない。怜夢ちゃん美鳥をよろしくお願いします」
「はい。というか、美鳥さんって、私も会ったばかりでよくわからないですが、そんな感じしないんですが……」
怜夢の両親も頷く。すると、美鳥のお父さんが、
「最初だけですよ。すぐに、わがままで、怠け者だと気付きますよ。そうだ。怜夢ちゃん、美鳥の監視をお願いします。何かあれば、すぐに連絡できるようにLINEを教えてください」
怜夢は、あまり気が進まなかったが、LINEのQRコードを差し出す。美鳥の両親は、すぐにそれを読み込んだ。ちょうどその時、美鳥が、トレーにカップを6つとナイフやフォークが入ったケースを運んできた。
「ずるい。私もまだ怜夢とLINE交換してないのに」
すかさず、美鳥は、両親から罵声を浴びる。
「もう怜夢ちゃんを呼び捨てにして」
「その持ってきたものは、なんなんだ。頼んでないぞ」
まだまだ続いていたが、美鳥は、
「コーヒーでございます。私が、奢らせていただきます。みなさんの好みがわかりませんでしたので、お気に召しませんでしたらお取替えいたします」
怜夢と両親は、お礼を言っているが、美鳥の両親は、相変わらず、
「笑顔で言いなさい」
「置き方が乱暴だ」
など言っている。美鳥は、何も聞こえないかのように再び厨房に入って行った。怜夢のお父さんは、
「いくらなんでも美鳥ちゃんが、可哀想じゃないですか? 食事しにきて、店の手伝いまでやってくれてるのに……。私には、良い接客をしてくれているように見えますが……」
「そんなこと、美鳥の前では、絶対に言わないでください。すぐ調子に乗るから」
美鳥は、今度は、笑顔で料理を次々と運んでくる。最後に自分のを運んで、ようやく座って食べ始めた。雑談をしながら食べていると、美鳥の背後から、
「美鳥ちゃん、入学おめでとう。これは、俺からの入学祝い」
美鳥は、立ち上がって、
「店長。ありがとうございます」
と言うと、美鳥の両親も立ち上がって、お父さんが、
「店長さん。ありがとうございます。美鳥が、迷惑ばかりかけて、申し訳ありません」
「いいえ。美鳥ちゃんは、物覚えが早く要領も良くて、おまけに明るくて可愛い。スタッフやお客さんからの評判もいいので、ほんとうに助かっています」
「そんなお世辞ばかり言われると、美鳥はすぐ本気にして調子に乗りますよ」
「みなさんやお客さんに迷惑かけたりした時には、思いっきり叱ってやってください。引っ叩いても構いません。甘やかすのはやめてくださいね」
「かしこまりました。でも、美鳥ちゃんは、お父さんやお母さんが思っておられるより、ずっとしっかりしてますよ」
みんなが、全てを食べ終えると、店を出て、両親たちと別れ、美鳥と2人になった。後から知ったが、食事代は美鳥のバイト代から引かれたようだ。
「美鳥の両親って、衝撃的だった。自分の娘をあんなに悪く言うんだ」
「仕方ないよ。ちょっと言い過ぎじゃないかとは思うけど、私は、いい子じゃないし、みんなの期待をことごとく裏切ってきたからね」
「ふーん。ところで、このあとどうするの? 」
「とりあえず、私のアパートに帰って、大学に戻る」
「何しに? 」
「サークルに入るの」
「それなら、私は帰るね」
「何で? お願いだからついてきて」
「私は、サークルなんて入るつもりない」
「怜夢は、入らなくていいよ。ただ、証拠写真でも撮って、私の親にLINEを送ってほしいの」
「自分で送ったら? 」
「私が送って、あの親が信用してくれるわけない。お願いだから……」
「わかった。そのサークルって、何? 」
「ここ。私のアパート」
「すごい。よくこんな大学の近くに借りれたね? 」
「これも私の親の条件の一つ。バイト先からも近いでしょ。監視する人が、多くないとね。怜夢も監視役なんだからしょっちゅう来てよ」
美鳥は、部屋に入って、すぐに出てきた。おそらく、準備していたのだろう、大きなバッグを背負って、竹刀を持っている。
「剣道? 」
「そう。これも条件。剣道だけは、やめるな。だって」
「美鳥は、剣道やってたの? 」
「そう。うちの両親って、警察官で、剣道強かったみたい。母親は、私を産んだ後にやめて、剣道の道場をやっている。そんな環境だから私もお兄ちゃんも子供の頃からやってきた。でも、家族の中で、私だけ才能ないみたいで弱いの。しょっちゅう特訓とかしてもらっても。何回もやめさせてくれとお願いしたけど、やめさせてもらえなかった。頼んで頼んで、サークルでいいって言ってもらえたから続けることにした」
大学では、さまざまな部やサークルが、勧誘をしていた。美鳥は、もう決めているため、足早に進んでいく。他の学生は、次々に勧誘されているが、美鳥が竹刀を持っているためか、どこからも声をかけられない。そんな中で1人の女性の視線を感じた。剣道部のブースだ。美鳥も足を止めた。
「美鳥もここに入ったんだ。ここに名前書いて」
「未里奈。ごめんなさい。私、サークルの方に入る」
「何で? 私たち2人が、同じチームにいれば、最強でしょ」
「未里奈だけで、最強だよ。私なんて、足手まといだよ。私は、サークルで頑張るから未里奈も頑張って」
「推薦入学で、その部に入らないなんて許されるわけないじゃない」
「私、一般入学だから。もし、暇でもあれば、サークルに遊びに来て」
2人のやりとりを見ていた男性が、
「まさか、小沼さん? 」
「はい」
「あの最強女子高生と言われた水田未里奈と最大のライバル小沼美鳥が、入部してくれるなんて……。早く名前を書いて」
「私は、サークルに入ります。それと未里奈は、私なんてライバルとは思ってないです」
「水田さんの優勝を止められるのは、小沼さんだけだと言われていたでしょ。それに審判が違えば、小沼さんの勝ちだったと言われた試合もあるし……」
「それは間違いです。明らかに私の負けです。私なんかに敵う相手じゃないんです。未里奈は」
「このままでいいの? 水田さんに負けたままで」
「はい。小学生から中学、高校と未里奈にどうしても勝ちたくて、必死で練習しました。負ける度、悔しくて、また練習してそれでも負けました。才能が違うんだってことをまざまざと見せつけられましたから」
「水田さんも小沼さんの友人さんも、説得してよ」
「私にとって美鳥は、憧れの人。ライバルなんていうレベルの存在じゃない。今まで、美鳥に勝ち続けられたのは奇跡的なこと。内容では、いつも完敗だった。勝因を聞かれてもわからなかった。たまたま劣勢の中、捨て身で出した技が、当たってくれただけ。とても悔しかったと思うけど、試合が終わると美鳥は、いつも『ありがとう』と言って笑顔で握手を求めてくれた。私が、優勝すると必ず『おめでとう』と言って祝福してくれた。こんな人、私は、美鳥しか知らない。美鳥は、私の天敵というか分が悪い相手を知っているよね? 」
「うん。東京の宮田さんだよね? 未里奈が、何回か負けた」
「何回か、じゃなくて何回も。美鳥は、宮田さんには、全勝だよね? じゃんけんの法則だ。そんなことより、私も宮田さんに負けた後、美鳥のように笑顔で『ありがとう』と言いに行こうとしたことあるの。あの子が優勝した時、『おめでとう』って言おうとした。でも、無理だった。それで、美鳥が、どんなにすごい子なのかよくわかった。小学生の頃なんて、負けた後、両親から公開説教&ビンタまで喰らいながら……。神だよ。私も美鳥みたいな人になりたい。でも、毎日、同じ部でやってたら、落ち込むことばかりになりそうだから、美鳥がサークルで頑張るなら、応援する」
「ありがとう」
「水田さん、俺が頼んだこと聞いてた? じゃあ、君、お願い」
急に振られて、怜夢は戸惑う。
「どうしたらいいかわからないですが、美鳥と未里奈さんは、すごい人だってことが、よくわかりました」
「私は、全然すごくないけど、未里奈はすごいよ」
「美鳥の方が、ずっとすごいよ」
「俺は、感想なんて聞いてない。まあ、いいや。小沼さんも絶対にサークルなんかじゃ満足できなくなるだろうから、待ってみるよ」
そんなやり取りをしている間に、1人が、剣道部の入部希望に名前を書こうとしていた。そして、
「ここに名前を書けば、入部できますね? 」
4人は、その声のする方を見た。美鳥が、反応する。
「宮田さんも、ここの大学だったんだ」
「そうだよ。覚えてくれてたんだ。水田に小沼。絶対にあんたたちを倒してみせる」
「私には、何回も勝ったでしょ? 私は、同級生では、宮田さんにしか負けてないんだよ」
「でも、水田は決勝で当たった時は、勝ったじゃないか? 小沼ほどではないけど、私は、あんたたちには、屈辱を与えられたんだ。絶対に倒してみせる」
「宮田さんは、優勝だってしてるからいいじゃない。私なんて、いつも未里奈にやられていたんだ。3位止まり。だから、才能のない私は、サークルに入るから、相手しに来て」
「小沼が、優勝していないとは、意外だった。でも、サークルなんかに入るなよ。実質、引退するみたいなもんじゃないか」
「そうだね。優勝して、親に引退を認めてもらいたかったけど、叶わなかったから。一生、剣道は続けるから、たまに相手してよ」
「私には、よくわからない世界だけど、全国大会に出られるだけでもすごいじゃない。それで、3位になれるなら美鳥も才能あるんじゃない? 」
「怜夢が、私たちが出た大会を見たとしたら、私が、この2人に明らかに劣っているとすぐにわかるはず。それほど、この2人は、別格だよ」
「お前、私にいつも勝っていただろ。怒らせようとして言ったとしか思えない」
「たまたま結果は、そうだったかもしれないけど、私だって、宮田さんに勝つには、必死だった」
「私だって、必死で勝とうとしたよ。それでも勝てなかったのは、なんでだ? 才能がないってことか? 」
「宮田さんは、才能がある。私には、ない。それ以外は、わからない。もう、バイトの予定も入れてるし、誰に何と言われても部には入れない。サークルでも、コンディションは整えておくから、相手になって。お願い」
宮田さんが、何も言えずにいると、美鳥は、足早に歩き出した。
「怜夢。ごめんね。ずいぶん時間経っちゃった」
「ううん。美鳥が、すごい人だってわかって、よかった」
「私のどこがすごいのよ? あの2人なんて、全国制覇している人たちだよ」
「そのうちの1人から神って呼ばれるんだよ。なかなかそんな人はいないよ」
「あった。剣道サークル」
端っこに美鳥の求めていたブースがあった。なかなか、ここまでくる人もいなかったんだろう。そこにいたお兄さんは、居眠りしていた。美鳥が、
「すみません」
と声をかけると、慌てて目を覚まして、飛び上がるほど驚いた。
「美鳥先生」
美鳥は、しばらく考えて、
「藤島先輩。お久しぶりです。ここに名前を書けば、入会できますか? 」
「残念ですが、美鳥先生が入ろうとしておられるのは、ここではないです」
美鳥は、すでに入会届を記入していた。
「剣道サークル。間違いないです。私が、入会したかったところです」
「そりゃ、先生が入ってくれたら嬉しいですよ。私だけじゃなく……」
「剣道部は、断りました。藤島先輩、よろしくお願いします。でも、その美鳥先生って言うのは、やめていただけませんか? 」
「俺に剣道を教えてくれたのは、美鳥先生です。そして、今まで続けて来れたのも美鳥先生のおかげなんです。あっ、あなたも入会ですか? 」
「怜夢、彼女は、違います。あっ、写真」
怜夢は、言われるまま、美鳥と藤島が入会届を持っているのと、入会届のアップを撮った。
「これで、送信していい? 」
「待って。藤島先輩、稽古していただけませんか? 」
「俺は、ここにいないといけないから」
と言って、サークルが活動している場所を教えてくれた。
その場所が近づくと、
「怜夢。この中は、この世とは思えない空気が流れているけど、少し我慢して」
と言ったが、怜夢には、何のことか理解出来なかった。美鳥は、呼吸を整えて、扉を開ける。そして、一礼してから、
「失礼します。新入会員の小沼美鳥と申します。よろしくお願いします」
大きな声は、全員の視線をこっちに向けるのに充分だった。怜夢は、どうしたらいいかわからず、軽く会釈をした。1人の女性が、
「美鳥先生」
と言いながら、駆け寄ってくる。
「竹田先輩。お久しぶりです」
「ほんとうに美鳥先生が、このサークルに入ってくれたんですか? 嬉しいです」
「あの……。私、先生ではありませんので、敬語もやめていただけませんか? 」
怜夢は、この状況で、失礼ながらも、顔をしかめ、鼻を摘んだ。まさか、この人が……と思い、確認のため、鼻の手を離す。やっぱりこの人だ。もう一度、鼻を摘もうとしたが、やめた。
「美鳥先生、この方は? 」
「あっ、友人です。稽古の写真を撮ってもらおうと思いまして。証拠写真です」
「小沼先生ね。でも、サークルで、大丈夫なんですか? 」
「両親もサークルに入ることは、知っています」
「みんなに美鳥先生を紹介させてください」
「ぜひ、お願いしたいのですが、先生とは言わないでください」
美鳥は、竹田に引っ張られて、会員のところへ行く。そして、
「みなさん。ちょっと手を休めてください。このサークルにすごい人が、入会しました。私に剣道を教えてくれた小沼美鳥先生です。先生は、高校まで、毎回全国大会に出場された、地元の英雄です」
「あっ、思い出した。俺がいた道場に来て、そこで1番強かった6年生に当時3年生の女の子が、勝ったんだ。その子だよね? 」
「そうです。それは、間違いなくここにいる美鳥先生です」
「私、そんなに強くないですし、先生でもありません。着替えますので、相手していただけませんか? 」
竹田は、美鳥に更衣室を教え、ドアを開けた。稽古が再開された。しばらくして、白い道着、袴、防具を纏った美鳥が出てきた。実際は、まだ美鳥かどうか、顔を見てないのでわからない。でも、更衣室には、他に入った人はいないし、垂には小沼と書かれ、こっちに来るので、美鳥に間違いない。かっこいい。
「怜夢。写真をよろしくね。あっ、臭いね? ごめんね。剣道やっていると当たり前だから、鈍感になってしまうんだ」
準備運動しながら、そう言っていると、竹田が近づいてきて、
「美鳥先生。準備できたらお願いします。試合しましょう」
「いきなりですか? 」
「私、美鳥先生と試合したかったんです。中学も高校もそれを目標にしてたのに、私が弱いから、叶わなかったんです。全国レベルの技を間近で感じたいんです」
「そんなにすごくないですよ。でも、わかりました。お願いします」
「やった。誰か審判してくれませんか? 」
1人の男性が、名乗り出た。どうやら試合が始まるようだ。怜夢は、スマホを構える。しゃがんで、立ったと思ったら、すごい声が聞こえる。何? 美鳥の声なの? これだけで、圧倒された。そして、改めてスマホを構えた瞬間、剣道場に美鳥の声とパンという音が響いた。
「面あり」
あまりにも早くて、写真どころじゃなかった。見ていた会員さんから、どよめきと拍手が聞こえる。美鳥が、勝ったの? よくわからない。でも、まだ続きそう。今度は、立ったまま始まった。竹田が、右に動いて止まった瞬間、違う種類の音が2回、パンパンと響いた。今度は、竹田も声を出した。まさか、美鳥が負けた?
「胴あり」
さっきより、すごい歓声と拍手だ。美鳥は、勝ったようだ。何があったか、全くわからない。もちろんシャッターを切る暇などなかった。突然、怜夢の背後から声がした。
「さすが美鳥先生だね。竹田もそんなに弱くないのに、瞬殺。多分、このサークルじゃ、敵なしだね。写真、撮れた? 」
藤島だ。
「いいえ。早すぎて、無理です」
「だろうね。美鳥先生の1本を初めて見る人が、撮れるわけない」
「写真どころか、目もついてこないです」
「多分、竹田もそうだったと思う」
「でも、困りました。写真が……」
「大丈夫だよ。あの様子だと、まだやるんじゃない? 次は、俺だの私だのひっぱりだこ。今度は、動画にした方がいいよ」
次は、誰か決まったようだ。
「豊川。女子のキャプテンだ。今までは、このサークルの女子には、負けたことない」
「4年生ですか? 」
「そうだよ」
「じゃあ、美鳥が勝つところ、撮れないんですか? 」
「君は、美鳥先生が、負けると思う? 俺は、そうは思わない」
どうやら始まるようだ。動画だから今度は大丈夫だろうし、いくら美鳥が強いといっても竹田の時より手こずるだろう。立ってすぐ、豊川が、変わった技を出す。美鳥が、豊川の竹刀をパチンと弾く。
「突きって技。タイミングを測ったね。次に出すと……」
「面あり」
「ほらね。美鳥先生に同じことを2回も続けたら、やられる」
「私、美鳥の技が、わからないんです。見えないというか……」
「そうだね。速い。後で、動画をスローで見るといいよ。綺麗に決まっているよ」
2本目が始まった。
「またやった」
「小手あり」
「突きとか、だいたいの人は、いきなり出されるとビビるんだ。でも、美鳥先生には、全く通用しませんでしたってことだね」
2人のところに竹田が近づいてきた。怜夢には、匂いでわかった。
「藤島先輩。美鳥先生だよ。嬉しい」
「ああ、本当に。しかも強い」
怜夢は、疑問をぶつける。
「竹田先輩。私、剣道見るの初めてで、さっきの試合、何があったのか、よくわからなかったんですが、教えてもらえませんか? 」
「決められた技ってことかな? まず1本目は、私が面を狙ったら、先生も面を打ってきたの。私が取ったと思っていたのに、先生は寸前でかわして、私には当てているの。そして、2本目。私は、また面を狙った。当たる寸前に、今度は竹刀を払って、胴よ。すごい音がしたけど、私は打たれたからどうかわからない感覚だった」
「そうなんですね? 私には、美鳥が取られたようにしか見えませんでした」
「多分、先生は技が速いから見えないんだと思う。私も一瞬、何が起こったかわからなかった」
「ついに藤谷、キャプテンの出番だ。このサークルで、最強だ」
「大丈夫ですか? 美鳥は。男の人を相手にして」
「先生なら、大丈夫だよ。慣れているよ。今までより苦戦はするだろうけど……」
試合が始まった。体格も全然違う。まず、藤谷が面を打って、突進してきた。美鳥は、後ろに吹っ飛ばされた。
「危ない」
思わず、怜夢が叫ぶ。竹田は、
「大丈夫だよ。先生は、一回受け止めてみたんだよ。それで、また面を狙うと……」
というと、また、パチンという音が響いて、審判の手が上がった。
「胴あり」
「ほらね。やられたフリしていても、ちゃんと次を考えているんだ。さすが先生」
2本目、今度は、藤谷が変わった構えをする。
「上段の構えって言うんだ」
「あそこから打たれたら痛そう」
藤谷が、面を打って突進する。美鳥は、竹刀で受け止めてから、ヒラリと避ける。次の瞬間、藤谷の狙った胴が美鳥の右腕に当たった。
「今の、わざとじゃないですか? 痛そう」
「そうかも。でも、痛そうにしてるのは、先生の演技かも」
美鳥は、右や左に動きながら右腕を動かしている。一定の距離になったところで、藤谷の狙った胴が、また美鳥の右腕に当たったように見えたが、今までと違う音が聞こえて、藤谷の体が、後ろによろける。審判の手が上がった。
「突きあり」
「さすが先生。お手本のような完璧な突き」
試合の終わりの一礼の後、美鳥は走って藤谷のところへ行って、謝っているようだった。
「すごいな。自分は、腕を狙われたのに、突きのお詫びだよ。何から何まで先生だな」
「どうして、謝らないといけないんですか? 美鳥が、1本取ったんですよね」
「目上の人に突きをするのは、失礼だ。みたいな暗黙の了解があるの」
「打ってはいけない腕を打つのと、目上の人への突き。どっちが悪いんですか? 」
「もちろん腕だよ。俺は、先生の突きを見たのは、初めてだ。もしかしたら、危険を感じて、無意識だったかも」
どうやら、今日は、ここまでになったようだ。全員並んで、正座している。
練習が終わって、解散になった。美鳥が、
「着替えてくるから、少し待ってて」
しばらくして、美鳥は、藤島と竹田と話をしながら出てきた。
「お待たせ。うちの親に動画を送ってくれたみたいだね。ありがとう。さっき、私に試合内容を批判するLINEが届いた。今日は、疲れもあるし、内容が良くなかったのは、私自身でもわかっているから、黙っててくれたらいいのに」
「美鳥の完勝だったじゃない。何か不満なの? 」
「咄嗟に出たとはいえ、それが突きだとは……。私、ダメだな」
「仕方ないですよ。腕を狙われたんですから。あの場面で、突き以外なら、確実に先生の腕にも当たってました」
「それより、お腹すいたので、先生たちも一緒に何か食べに行きませんか? 奢ります」
「私は、バイトですので、3人で行ってください」
「今日もバイトなの? 美鳥が行かないなら、私も行きません」
「先生は、どこでバイトしているんですか? 」
「ここのすぐ近くのファミレスです」
「そこに行こう。3人で」
怜夢は、結局断れず、付き合うことになった。
「ところで、どうして美鳥は、剣道具のバッグをまだ背負っているの? 」
「道着は、洗わないといけないし、防具もメンテナンスしておかないと……。私の大事な物だから」
「それで、美鳥からは、あまりあの独特な匂いがしないんだ」
「私からは、するんだ」
「お前は、思いっきりするな。だいたい、気にしなさすぎ。俺もかもしれんけど」
「私は、アパートに寄って、シャワー浴びてから行きますので、先に行っててください」
「先生のアパートは、近いんですか? 」
「はい。すぐそこです」
「竹田。先生さえ良ければ、お前もシャワー浴びてこい」
「私は、かまいませんよ。竹田先輩もシャワー浴びましょうよ」
藤島は、竹田の背中を押した。怜夢は、藤島と2人になるのは、不安だった。恋愛経験も少ないので、話が続くだろうか。
ファミレスに入って、怜夢が座ると、藤島は隣に座った。
「美鳥先生の動画を見せて」
怜夢は、それで隣に座ったのかと安心した。カバンからスマホを取り出して、藤島の方へ向けて、動画を再生する。豊川との試合だ。改めて見ると、豊川は、怖そうな顔をしている。しかし、それ以上に美鳥の顔は恐ろしい。普段の可愛らしい笑顔が、全く別人じゃないかと思わせる。
「ちょっとだけスローにして」
怜夢は、藤島に言われたとおりにする。こうして見るとよくわかる。豊川が、美鳥の突きに当たる寸前で、見事に技を決めている。しかもスローでも速い。
「美鳥は、この一瞬で、どの技を使うか決めているんですか? 」
「多分、体が勝手に反応するんじゃないかな。俺なんかには、わからないけど」
次は、藤谷との試合を見る。藤谷は、他の男性より明らかに大きい。縦も横も。こんな人を相手にしていたのかと思うと美鳥の凄さがわかる。
「この最初の面打ちで、先生は、力で押してくるのは、悟ったみたいだね。次のぶつかられた時も上手くまともに受けないようにしているのに、後ろによろけるような演技で、相手にさらに力づくで攻めさせる。藤谷先輩の振りが、さっきより大きくなった。そこで、胴。完全に先生のシナリオどおりだ。それで、問題の2本目。多分、最初に腕に当てたのは、偶然だろうけど、先生は、実際よりも痛いふりをした。これを見て、普通なら受けが遅くなると思って、面とかを狙うところなのに、藤谷は、明らかに腕を狙ってる。ここで、もう少しスローにして」
怜夢がそうすると、藤谷の竹刀が美鳥の腕に向かって、一直線なのがよくわかった。そこで、美鳥の突き。
「藤谷先輩も練習でもここまで綺麗な突きは、受けたことないと思う」
「美鳥って、力があるんですね? あんな大きな人を後ろによろけさせるなんて」
「タイミングと当て所だよ。そこまで強さは、なかったと思う」
そこまで見ると、ちょうど竹田が来た。
「あれ、先生は? 」
「スタッフは、裏口から入らないといけないそうです。それより、先生と同じ匂い。怜夢ちゃんが、顰めっ面しなくなった」
「私、そんな顔してません」
「正直に言ってやれば良かったのに。臭いって。竹田は、気にしなさすぎなんだよ」
「だって、一生懸命稽古した証じゃない。臭いとかいう方が、おかしい」
「それは、剣道をやっている人にしか理解できないよ」
「でも、美鳥って、そんなに臭くなかったですよ。あっ、すみません」
「やっぱり、臭かったんだ。でも、私、中学生になった時、剣道部に入って、防具がこんなに臭いなんて、初めて知った。梅雨にカビが生えるなんて思いもしなかった。翌日の稽古まで、汗が乾かなくて、湿った防具をつけるのは、気持ち悪かったな。小学生の時に先生の道場にいた時には、全くなかったのが、すごく不思議」
「俺も、それ不思議だった。それで、思ったの。あれは、小沼先生か美鳥先生が、そんなことにならないように手入れしてくれてたんだと。さっき、美鳥先生が、持って帰ってメンテナンスするって言ったことで、間違いないと確信した」
「もしかしたら、稽古中にリバースした子が、翌日、防具つけるの嫌がっていたけど、跡形もなくなってたのも美鳥先生がしたんですね」
「食事の前に汚い話をするな」
「美鳥先生は、臭いからやめると言われた時が、一番悲しそうでしたもんね」
「それだけじゃなく、自分の道場生が、臭いと言われたりするのも」
「美鳥先生からは、これからもいろいろ学べそう。うれしい」
美鳥が、注文したものを運んできた。
「お待たせしました」
3人が、制服姿を見て、声を上げる。
「かわいいです」
「スゲ〜」
「似合う」
美鳥は、少し照れながら、
「ありがとうございます。でも、スカートが短いのが、恥ずかしいです」
美鳥は、それほど言って、厨房に戻っていった。周りを見ると、ほぼ満席だった。忙しい時間帯のようだ。あんなに激しい試合もしたのに、笑顔で店内を動き回っている姿を見て、怜夢は思わず、
「剣道サークルのマネージャーとかさせてもらえませんか? 」
「突然、どうしたの? 」
「臭いの耐えられないでしょ? やめておいた方がいいよ」
「美鳥が、先輩達から先生と呼ばれるぐらいすごい人から、私も学んでみたいです。監視とかじゃなく、側にいて少しでも手助けしたいです」
「俺達が、年下なのに美鳥先生と呼ぶのは、不思議かもしれないけど、本当に先生なんだ」
竹田も頷く。
「俺達は、美鳥先生のお母さん小沼先生の道場生だった。当時、小沼先生しか、いつもいる先生はいなかった。そこで、初心者は、美鳥先生が教えていた。正直、最初は、こんな小さな年下の女の子に教えられるってことに抵抗があった。怒りもあった。でも、いざ教わると、ものすごくわかりやすいの」
藤島は、時々、竹田の顔を見て、同意を求めているようだ。竹田が頷くと続けた。
「時々、教わったとおりに出来なくて、辛くさせるようなことも言ってしまったりしても、冷静に辛抱強く、きっとできるから頑張りましょう。とか言ってくれて。驚いたのが、道場で、他のところへ合同稽古に行くと、小沼先生の教え子さんは、全員、基礎がしっかりしてますね。とか言われるの。だいたい、みんなが、それからは美鳥先生って、素直に言えるようになる」
「私も最初は、半信半疑だった。でも、小沼先生は、道場生には優しいのに美鳥先生には厳しくて、ある日、道場生同士で、些細なことで喧嘩になった。小沼先生は、それも美鳥先生の責任にして、公開説教&お尻叩きをされたんだけど、そんな後でも、何事もなかったかのように、初心者の指導をした。喧嘩の当事者にも。先生って呼ばれる職業の人以上の先生だって思った。私が、美鳥先生って呼ぶようになったのは、それから」
「きっかけは、人それぞれかもしれないけど、竹田のタイミングはおかしい」
「藤島先輩だって剣道を続けた理由は、道場生がやめると、美鳥先生が小沼先生から公開説教&ビンタをされたんだけど、そのせいですよね? 」
「たしかに最初にあれを見た時は、そう思ったけど、やっぱり最終的には、楽しかったんだよ。美鳥先生の指導が良かったから」
「それは納得です。私も、美鳥先生に基礎を教えられて、どこに行っても褒めてもらえるから、自信が持てた」
「ますます、美鳥の側にいたくなりました」
「剣道をやってみる気はない? うちのサークルは、やめるのも休むのも自由だし、もちろん美鳥先生の責任にもならない」
「私、運動音痴だし、運動部に入ったことないので、体力に自信がないです。今日、美鳥の試合見て、体格差も感じました」
「私や美鳥先生より背も高いでしょ。先生なんて、私より低いよ」
「美鳥先生に相談してみたら? きっと、一番いい回答をもらえるよ」
翌日、大学で美鳥を見かけたので、呼び止めた。
「相談があるんだけど、今日、時間ある? 」
「ごめんなさい。今日は、大学からすぐにバイト入れているんだ」
「忙しいんだ。何時まで? 」
「一応、夜の10時までだけど、店の混み具合による」
「やっぱり、今日はダメだね」
「明日、サークルに出る前なら」
「わかった。そうしよう」
「アパートに来て」
美鳥は、タフだ。監視なんて、1人じゃ無理だ。そもそも、美鳥を知る人の話を聞く限り、監視しないといけないような人物じゃない。むしろ、お手本にすべきだ。ベンチに座って、いろいろ考えてみるが、ほとんど時間は過ぎないので、図書館で本を読むことにした。
美鳥のアパートに行くと、初めて中に入った。物が、ほとんどないので、広く見える。
「殺風景でしょ? 私の親って、剣道に使う物以外、何も買ってくれないの。金額的には、結構使ってくれたとは思うから感謝してるけど、娘が一人暮らしするときぐらい、剣道以外の物を買ってくれてもいいのに」
「家電品もないの? 」
「ない」
「お金は? 」
「親からはもらえなかったから、兄に借りた」
「すごく徹底した親だね」
「反対を押し切ったんだから仕方ない。それでも、防具なら買ってやるぞ。って。その分のお金をくださいってお願いしたら、恐喝する気か。だって。防具を買ってもらって、売ることも考えたけど、親に買ってもらった物をそんなことするのは、気がひける」
「それで、バイト頑張っているんだ」
「そう。じゃあ、行こうか。怜夢、悪いけど、それ持って」
「どこに行くの? 私の相談」
「わかっているよ。だから、行こう」
「どこに? 」
「サークルだよ」
「なんだ。藤島先輩か竹田先輩から聞いてたんだ」
「何を? 」
「私の相談」
「何も聞いてないよ。時間ないから、早くそれ持って」
怜夢は、剣道具が入っていると思われるバッグを背負いかけたが、
「重たい。美鳥が、軽そうに背負っているから、こんなに重いと思ってなかった」
もう一度、さっきより力を込めて持ち上げる。少しよろける。いくら近いとはいえ、これを背負って剣道場まで歩く自信がない。それなのに、美鳥は、
「早く早く」
と急かす。しかし、怜夢は、大学に入ってすぐにあるベンチに座った。
「もう。情けないな」
美鳥は、怜夢が持っていたバッグを体の前側に掛けた。相当重たいはずなのに美鳥の歩く速さは、変わらなかった。
剣道場には、まだ誰もいなかった。
「要するに、私の試合を見て、感動したので、剣道をやってみたくなった。でも、体力に自信ないし、臭いから、どうしようかな。でしょ? 」
「感動した。ぐらいまでは、正解だけど、マネージャーとかやってみたい」
美鳥は、自分が背負っていたバッグを下ろして、防具を取り出した。
「これは、私が、高校生の時に練習用で使っていた。この中で、一番臭くなるのが、この籠手っていうもの。嗅いでみて」
話が、変わっている気がするが、言われるまま恐る恐る嗅いでみる。
「どう? 私も、他人に自分の防具を嗅がせるなんて、初めてだから恥ずかしいんだけど」
「ほとんど匂わない」
「結局、手入れ次第なの。私は、自分を守ってくれる大事な道具なんだから大切に使いたいの。親が、大金使って買ってくれたものだし。それで、もう1組は、全国大会用で、縁起が悪いけど、怜夢が使って」
「ありがとう。じゃなくて、私は、剣道やるなんて言ってない」
「とりあえず、やってみよ。嫌だったら、いつでもやめられる。着替えよう」
更衣室で着替えるが、美鳥に教わらないと、着方がわからない。道着は、簡単だが、袴は初めて履く。美鳥を見ると、なんとノーパン。
「美鳥。見えてる」
「そうだよね。びっくりするよね。剣道って、道場とかによって、履かないんだ。うちの道場も。私、下着って、持ってないの。でも、怜夢は、履いてやってもいいよ」
「そうなんだ」
「変なしきたりみたいなことにいつまでもこだわらなければいいのに」
「お母さんにも言った? 」
「言えるわけない。だから、藤島先輩や竹田先輩にも、脱ぐように言った。嫌だったけど」
怜夢は、美鳥に申し訳ないが、下着は、取らなかった。
すり足を教わっていると、次々と先輩が姿を現した。藤谷が来ると、美鳥は、改めて先日のお詫びをした。藤谷は、そのことより、ここ数年の剣道雑誌で調べたと言って、美鳥の戦績を褒め称えていた。ずいぶん待たされ、怜夢の入会が、認められた。そして、美鳥に指導を任せられた。
藤谷は、藤島や竹田にも美鳥の話題を出していた。そこへ、豊川もやって来て、自分も調べたと言って、話に加わった。美鳥は、何も聞こえてないのか、怜夢の指導をしている。藤島や竹田から聞いたとおり、美鳥の指導は、わかりやすい。そして、何回失敗しても、声を荒げることもなく、丁寧に教えてくれる。
少し休憩していると、藤島と竹田が来た。
「怜夢ちゃん、結局、やることになったんだね。先生にマンツーマンで教えてもらえて、羨ましいな」
「結局、入会しました。よろしくお願いします」
「頑張ってね。先生から教われば、すぐ上手くなるよ」
「だといいんですが」
「あまり、プレッシャーかけないでください」
そこへ、他の会員も集まってきた。美鳥は、ひっぱりだこで、みんなから教えてほしいとか、稽古をつけてほしいとか言われている。
「怜夢、ごめんけど、しばらく1人でやってもらってもいい? 」
「そうするから、気にしないで」
「最初のうちは、足の裏の皮とか剥けやすいから、あまり長時間やっちゃダメだよ。休憩しながらね」
そう言って、防具をつけて、他の会員さんのところへ行った。今日は、黒で統一している。これはこれで、かっこいいし、強く見える。高校の時の練習用って言っていたけど、ほんとうに大切にしていたようで、新品のように光っている。先輩達の中に入っても、体は小さいのに大きく見えた。
いつまでたっても、美鳥は、怜夢のところへは、帰ってこない。すると、藤島と竹田が嬉しそうにやって来て、
「怜夢ちゃん、俺らが、先生から指名されて、指導をお願いされた。とても代わりにはなれないけど、よろしく」
「一応、私達、先生から基本が崩れてないって、褒めてもらえたんだよ」
「よろしくお願いします」
「それにしても、先生は大人気」
「だって、あんなに強いのに、全然、偉そうにしたり、上から目線なんてないんだよ。ほんとうに神だよ」
竹刀の握りや構え方を教えてもらって、振るようになったあたりで、足の裏が痛くなった。見ると、いつのまにか皮が捲れて、汁が出ていた。
「うわ、痛そう。今日は、もうやめて、先生の見学でもしよう。ちょうど、試合になりそうだし」
「今は、先生のだけを見てね。他の人は、一本を取りたいから、基本から外れたこともするけど、先生は、どんな激しい試合でも、ほとんど崩さないから。もう少し近くに行こう」
みんなが、集まっているところに行く。藤谷が、みんなを見回して、
「今から試合をする。小沼。ちょっと」
「はい」
美鳥は、返事をして、藤谷の近くへ行く。
「今日は、この小沼にかかって行ってもらいたい。すでに知っている者もいるとは思うが、小沼は、これまでの実績も素晴らしい。実際にやるのも、観ているだけでも勉強になる」
「とはいえ、私だけが、ここを独占するようなことは……」
「いいんだ。体力的には、問題ないだろ? もっと強い相手と何試合もしてきたんだ。百戦錬磨だろ」
「わかりました。やります。よろしくお願いします」
「よし。やりたい者、集まれ。順番決めるぞ」
ほとんどの人が、名乗り出る。
「俺も、もちろん行ってくる」
「私も」
怜夢の周りから、誰もいなくなった。そこへ、美鳥が来て、
「上手に打ってたね? 先輩達に任せて良かった」
「言われたことを必死でやっている感じ。そうしたら、足の裏が……」
そう言って、美鳥に見せると、
「大変。ちょっと待ってて」
と言って、救急箱を持ってきた。慣れた手つきで、手当てをする。
「遅かれ早かれ、これは、経験するから。何回も」
「何回も? 」
「そう。それを繰り返すと、足の裏、固くなって、厚くなるの。私なんて、それで身長が10センチ高くなった」
その時、順番決めが終わったようだ。
「小沼。いいか? 」
藤谷の声が響く。
「はい。大丈夫です」
「よし。始めるぞ」
気づくと、ほとんどの会員は、怜夢とは反対側にいた。怜夢は、圧倒された。こっちには、藤島と竹田だけだ。こんな大勢の人を美鳥は、相手にするんだ。無理だ。この中でも、小柄な方の美鳥が、男の人の方が多いのに。怜夢は、不安だった。そこへ竹田が、
「あっ、怜夢ちゃん、足の手当てしたんだ。ごめんね。気がつかなくて」
「美鳥が、してくれました。それより、先輩も美鳥と対戦するんですよね? 」
「うん。8番目。半分より、ちょっと前ぐらい」
「そんなに嬉しそうに言わないでください。無理です。こんなのいじめです。美鳥が、死んじゃう。そうだ。先輩だけでも、あっさり負けてください」
「嫌よ。私も勝ちに行くよ。でも、安心して観てて大丈夫よ。そりゃ、普通の人なら、こんな大勢を相手にしたら死なないまでも、相当なダメージだよ。先生は、ここにいる人なんて、あっさり勝っちゃうよ」
怜夢には、そうであって欲しいとは思っても、不安は拭えない。そして、始まってしまった。
「面あり」
本当に、立ってすぐだった。相手は、信じられないという表情を見せる。
「怜夢ちゃん。よく見ていてね。多分、今日の先生は、怜夢ちゃんのために基本に忠実な面打ちをたくさん見せてくれるよ。だから、目を背けるのだけは、やめてね」
「ひどい。先輩は、美鳥のそんなことまで知ってて、本気で勝ちに行くんですか? 」
「そうだよ。勝負だもん。私だって、先生には特に勝ちたい」
そんな話をしていると、もう2人目だった。藤谷が、相手だった。今度は、最初から上段の構えだ。
「もう藤谷先輩なんですか? お願いします。この試合、中止にする方法を教えてください」
「そんなのない。さすがに藤谷先輩には、お手本の面は無理かも」
「面あり」
「ウソ。何なの。さすが先生。あんな綺麗に決めれるんだ。見てた? 」
「一応」
美鳥は、次もお手本の面を決めてみせた。
「信じられない。何か癖でも見抜いたのかなぁ。そうじゃないと、あんなの絶対決められない」
怜夢は、少し安心したが、まだ、たった2人だ。終わりの礼のあと、美鳥がタイムをかけた。何かあったのかと思ったら、
「怜夢。そこの水を取って」
美鳥は、水筒を受け取り、一口二口飲むと、
「ありがとう」
と言って、戻っていった。
「先生の様子は、どうだった? 」
「特に変わった様子は、なかったです」
「普通の人は、2試合もすれば、多少は疲れるの。おそらく呼吸も普段どおりだったでしょ? 先生は、モンスターなの。だから、私は、モンスター退治をしてくるの」
竹田は、美鳥の敵か味方か、わからない。試合は、あっと言う間に竹田の番になった。その前に美鳥は、水を要求する。
「怜夢の先生と対戦だ。勝ってもいいかな? 」
怜夢が頷くと、
「よし」
と言って戻る。その時も美鳥の呼吸は、ほとんど乱れていない。試合は、今、怜夢が練習しているような、振りかぶっての面を美鳥が決めた。それはまるで、竹田が、美鳥に打たせてやったかのようだった。さすがに、そうではなく、終わった後、竹田は、
「悔しい。面打ちの練習台みたいなやられ方。怜夢ちゃん、これでもまだ、先生をいじめているとか言える? 」
「でも、今までで一番長い試合でしたよ」
「あの面を出すための隙を、ずっと待たれただけだよ。試合前、何て言われた? 」
「私の先生に勝っていいかって」
「まだまだ余裕ってことじゃない。だから、剣道の試合で、先生の心配なんて、する必要ないんだ。怜夢ちゃんも安心したでしょ? 」
「はい。でも、さすがにここまで強いなんて思いませんよ。あの体で」
その後も、美鳥は、余裕で勝った。藤谷もさすがに、ここまで全員から圧勝するのは、想定外だったようで、時間が余ったようだ。
「とりあえず、今日は、少し早いが、終わりにする。残りの時間、自主練習をしてもいい」
最後の礼が終わり、隣に座っていた美鳥のところへ藤谷が来る。
「小沼、さすがだな。全員から面だけで勝ってしまうなんて」
「そうだったんですか? だとしたら、たまたまです」
「やっぱり、小沼は、ここじゃなくて、部に入るべきだろ」
「嫌です。私は、ここにいたいです。いさせてください。それより、掃除して帰りますので、鍵を貸してもらえませんか? 」
「俺は、ここにいたいって言ってくれたら嬉しいが、部の連中とか、黙ってないだろう」
そう言いながら、鍵を差し出して、
「これが、剣道場の鍵だ」
「もし、私達が、入ってよければ、男子更衣室も掃除しますよ」
「それは助かる」
「私は、部には行きません。バイトして、お金を稼がないと大学自体を辞めないといけなくなるんです。よろしくお願いします」
怜夢は、藤谷が更衣室に向かって行くのを待って、
「美鳥って、ものすごく強いんだね。でも、やっぱり、本当にここにいていいの? 」
「お願い。初めて、親に反抗して、やっとここに入れたの。私の居場所は、ここ。いつか、理由を話せる時が来ればいいな」
そう言って、美鳥は立ち上がり、
「モップかけるけど、足痛かったら座ってて」
「大丈夫。これぐらいで、私より、もっと疲れてる美鳥だけにやらせるわけにいかない」
2人で、更衣室の掃除まで終えた。
「終わった。帰ろう」
「いいよ。先に帰って」
「まだ、何かあるの? 」
美鳥は、答えずにバッグからタオルを何枚も取り出す。そして、他人の防具を拭き始めた。
「やっぱり美鳥だったんだ。藤島先輩と竹田先輩が、言ってた。美鳥の家の道場に通っていた時には、防具の匂いとか、気にならなかった。美鳥が、きっと何かしてくれていたんだ。って」
「私は、臭いから剣道をやめると言われるのが、すごく悲しかった。それ以上に、剣道やっている人が、やっていない人から、臭いって言われるのは、もっと悲しかった。汗かくから、臭くなるのは、仕方がない。でも、他のスポーツでも、それは同じでしょ。剣道だけ特別みたいに思われたくない」
「ごめんなさい。私、竹田先輩に言ってしまった」
「だったら、竹田先輩のは、お願い」
美鳥は、やり方を教える。怜夢は、教わったようにやってみる。初めてなので、ぎこちない。美鳥は、慣れているだけに手際がいい。女子の全員のが終わった。
「終わったね」
「まだだよ。うちのサークルは、女子だけじゃない」
「えっ、男子のもやるの? 」
「帰ってもいいよ。私だけでやるから」
「美鳥って、あんなにたくさんの人と試合して、疲れてないの? 」
「少しね。トータルの時間だと、大したことないじゃない」
「私、あんなに大勢で、しかも大半が、体が大きい男の人でしょ? 竹田先輩に、美鳥が死ぬ。やめさせてくださいって、お願いしていたんだよ」
「ありがとう。死の淵から蘇りました」
「もう。ほんとうに心配していたのに。美鳥は、やっぱりレベルが違うんだ」
「そんなことないよ。私は、今まで、半端ない時間を剣道に費やしてきたんだもん。ただ、それだけ」
「それだけじゃ、勝てないでしょ? 」
「だから、私は、未里奈に勝てなかった。レベルが違うとか言えるのは、彼女しかいない」
そんな話をしながらも美鳥は、手を休めなかった。そして、全員のを終えた。美鳥は、この後、またバイトに行くと言った。サークルがある時には、この前より、もう1時間遅くしてもらったそうだ。
4月も終わりが近くなった頃、サークルの歓迎会があった。今年は、ここまでは、怜夢と美鳥だけしか入会していない。美鳥は、できれば、バイトしたいし、家族に警察官がいるので、飲めないと言って欠席の予定だったが、
飲まなくていいから、どうしてもと誘われて、出席した。
その頃、怜夢は、防具をつけるようになっていた。竹田が、
「怜夢ちゃんの防具って、まさか先生の? 」
「そうです。曰く付きらしいです」
「全国大会で使っていたのだよね? 何で、そんなこと言うかなぁ」
「えっ、知ってたんですか? 」
「実は、私、昨年の全国大会は、見に行ったんです。藤島先輩と」
「声かけてくださいよ。全くわかりませんでした。あっ、私の応援じゃなかったんですね。まさか、未里奈」
「もちろん先生の応援ですよ。未里奈って、誰ですか? 」
「水田未里奈。昨年の全国大会で優勝した子です」
「あっ、いつも先生に勝った、憎きやつ」
「憎くはないです。同じ大学の後輩ですから、応援してください」
「うちの大学にいるの? さすが先生ですね。心が広い」
「多分、いつか自信をつけるために、うちのサークルに来ると思いますので、よろしくお願いします」
「何だって。水田と小沼の最強対決が、うちのサークルで見れるのか? 」
「藤谷先輩。昔の雑誌の記事を信用しないでください」
「昔って、昨年じゃないか」
「あれは、私を過大に書きすぎなんです。未里奈は、おそらく、何で私との対談なんだと思ったはずです」
「俺は、小沼の味方だから、審判任されたら、勝たしてやる」
「それは、よくないです。それに多分、私とは試合はしません。するなら、怜夢です」
「私は、ようやく防具つけてやるようになったばかりだから、そんな強い人と試合なんて、できるわけないじゃない」
「別に、勝ってくれって言っているわけじゃない。練習の一環よ。未里奈は、どんな状況でも、強引な技とか使わない。安心して」
「それに、相手にも失礼でしょ。初心者なんかじゃ。やっぱり美鳥が、相手になるべきよ」
「私じゃダメなんだ。私と未里奈って、過去に何回も試合したけど、お互いに試合の内容って、全く覚えてない。わかっているのは、結果だけ。それじゃ、やる意味ない」
「そんなことあるの? どんな技を決めたとか、決められたとか」
「記録に残っているから、わかるけど、そうでなかったら、わからない」
「誰とやっても、そうなの? 」
「だいたい覚えている。でも、不思議なことに未里奈との対戦だけは、終わった直後でも思い出せない」
一次会が終わって、怜夢と美鳥は、帰ろうとしていたが、みんなに引き留められ、二次会のスナックに行くことになった。他にも大学生らしい団体が、2組ほどいた。まずは、新入生から歌うのが、慣例らしい。
「それなら、高校でコーラス部だった怜夢からだね」
「岩谷は、コーラス部だったのか。じゃあ、トップバッターだ」
「コーラス部だったからと言っても、うまいとは限りません」
「もったいぶらなくていいから、早く歌え」
藤谷に急かされ、怜夢は、曲を入れた。コーラス部で、最後の大会で歌った歌。好きな曲だし、少し自信もあった。イントロが流れて、みんなから歓声が上がる。そして、歌い出す。うまく入れた。こうなれば、大丈夫。自分でも、まずまずの出来だった。
「さすが怜夢。綺麗な歌声」
「小沼。人のこと褒めるより、次はお前だろ。選曲はしたのか? 」
「えっ、私も歌うんですか? 」
「当たり前だ」
「怜夢の後じゃ、歌いづらいよ」
美鳥は、女性ロックバンドのバラードを入れた。いい曲だけど、お世辞にも流行ったとは言えない歌。怜夢もサビは知っているが、フルでは聞いたことがあるかどうか、わからない。歌が始まった。怜夢は、衝撃を受けた。決して技術的にはうまいとは言えないが、音程は外れない。そして、不思議なことに歌詞の一言一言が、胸に響く。初めての感覚。店内にいる全員が、聞き惚れていた。終わると、みんなが、拍手や歓声を上げる。怜夢は、いつのまにか涙を流していた。
「美鳥。最高」
「怜夢、何で泣いているの? 」
「だって、美鳥、最高なんだもん」
他のグループにいた、3人が、美鳥の元に来た。
「私は、小崎美月」
「私は、岡川亜鈴」
「私は、山瀬気空」
「私達、ロックバンドやっているけど、ボーカルやってくれませんか? 」
「すみませんが、私、そんなことができるような歌唱力ありません」
「歌唱力とか、そんなんじゃなくて、他人を惹きつける歌声です」
「そんなにいい声していません」
「この店にいたみんなが、あなたの歌声を聴いていたわ。なかなかそんなに他人を惹きつけられるような人、いないんです。お願いします」
美鳥が、救いを求めるような顔をする。
「美鳥は、サークルやバイトで忙しいんです」
「小沼は、うちのサークルの至宝なんだ。諦めてくれ」
藤谷も援護した。
「サークルって、何のですか? 活動は、毎日ではないですよね」
「俺らは、剣道サークルだ。毎日ではないが、活動日以外は、小沼はバイトがある」
「バイトも、1日に何時間もしませんよね? 空いた時間だけでいいんです」
「無理です。諦めてください。怜夢、この店、居心地悪いし、出よう」
3人は、まだ何か言っていたが、怜夢と美鳥は、サークルのみんなにお礼などを言って、店を出た。美鳥は、アパートまで、無言だった。よほど、気に食わなかったのだろう。
翌日のサークルでは、美鳥は、普段と変わらない表情だった。怜夢の練習を見た後、全員の相手をした。終わってからは、掃除と防具の手入れ。そして、バイトに行った。次のときもその次も……。
ゴールデンウィークになり、サークル活動は、休みになった。しかし、美鳥は、自主練がしたいと言って、藤谷に許可を得ていた。なんとなく、美鳥がいそうな時間を狙って、剣道場に行ってみる。するといた。防具もつけている。
「やった。なんとなく、この時間に美鳥がいそうな気がした」
「今日は、サークル休みの日だよ。何しに来たの? 」
「多分、美鳥は、毎日来るだろうと思って」
「毎日は、しないよ。そうするぐらいなら、部に入る。せめて、サークルが活動している曜日は、竹刀を振っておきたい」
「美鳥って、そんなに強いのに、まだ練習して、いったい何を目指しているの? ますます相手になる人が、いなくなってしまうよ」
「相手は、誰でもいい。別に強い人じゃなくても、小学生でも構わない」
「私でもいい? 私、まだ、他人からの技を受けたことない。少し怖いけど、美鳥のを受けてみたい」
「いいよ。防具つけてきて」
怜夢は、更衣室で着替えた。今日は、内緒だけど、美鳥と同じようにノーパンにしてみた。慣れないせいか、なんだかスースーして落ち着かない。しかし、防具をつけてみると、余計に気合いが入った気がした。
「美鳥、お待たせ」
「じゃあ、まずはこの前の練習の続き。打ってみて」
美鳥は、修正すべきことをわかりやすく説明した。直ると「うまい」と言いながら。
「良くなったよ。じゃあ次は、打てると思ったところにどんどん打ち込んできて」
そういって、面を打ちやすくしたり、小手を打ちやすくした。美鳥は、だんだん隙を小さくしていく。そして、怜夢の足が止まってきた時だった。美鳥が、
「面」
と声を上げて、怜夢に打ち込んだ。すごい迫力だ。その音は、剣道場に響きわたるのに、痛くも痒くもない。
「怜夢、まだまだ。どんどん打ち込んで」
怜夢は、美鳥に打ち込もうとするが、すでに足が思うように動かない。
「小手」
また、美鳥が打ってきた。これも音はすごいのに、打たれたのかどうかわからないような感覚。
「怜夢、打たれた後も相手に向かって、構えないと。胴」
パチンと胴が、壊れてしまうような音なのに体に心地よい振動が、伝わってきた。
「休憩しよう」
「すごい迫力。でも、打たれるのって、快感だね。癖になりそう」
「練習で、受ける側の時は、いいけど、そんなの癖になっちゃダメ。それに、例えば、打ち手が、外したり、受け手が、怖がったりすると痛いよ」
「美鳥、ついでに突きも受けてみたい」
「悪いもの見せちゃったね。私は、突きなんて、しないよ。あんな危険で、暗黙の了解があるような技は。反則ばかりするような相手とかじゃないと」
「そうなんだ。美鳥には、怒りの一撃なんだ」
「そんなつもりはない。できれば、そういう相手にも使いたくないけど、私が、未熟だから出てしまう」
その後、少しだけやって、終わった。更衣室で、一緒に着替える。怜夢は、いつもと同じように袴を脱いで、しまったと思った。
「あれ? 怜夢が、ノーパンだ」
「どんな感じなのかと思って、試してみた」
「それで、どうだった? 」
「最初は、違和感があったけど、悪くないかなぁ」
「怜夢って、変態」
「下着を持っていない人に言われたくない」
着替え終わって、いつものように防具の手入れをする。美鳥が、言いにくそうに、
「この前、うちの店に小崎さんたちが来た」
「小崎さん? 」
「あのスナックで、バンドのボーカルをやってくれって言った人たち」
「どうやって、店を知ったの? 」
「偶然だったみたい。それで、また誘われた。その日、サークルもあったし、バイトが1時までだったのに、そんな時間まで、私が出てくるのを待っていた」
「すごい熱意だ」
「そう。私もあの場では、ただの冷やかしだと思っていた」
「私は、そうは思わなかったけど」
「あんなに熱心に誘われたら断れないよね? 」
「入ったの? 」
「正式には、もう少ししてからだけど、OKした」
「サークルやバイトは? 」
「もちろん続けるよ。そっちを優先してもいいと言ってくれるし、新たなことにも挑戦してみたかったし」
「それならいいと思う。私も美鳥の歌には、衝撃を受けた。こんなに他人の心に突き刺さる歌い方が、あるんだって。でも、無理しないようにしてね」
ゴールデンウィークが終わり、何回かその間に美鳥と練習して、怜夢は、ある程度形になってきた。そんな時、サークルに参加するため、2人で歩いていると、
「美鳥。今日、サークルやっているの? 」
と言う声がした。未里奈だった。
「やっているよ」
「行っていい? 」
「いいけど、今日は部の方は? 」
「休む。剣道をやるためだから、誰も文句言わないでしょ」
「何かあったの? 」
「私、この大学の剣道部って、監督も有名だし、もっと強いと思っていたのに、大したことない。美鳥が、正解だった」
「宮田さんは? 」
「あの子、ムラが、激しいわ。強い時は、手強いけど、そうでないと相手にならない。その上、拗ねたりする。どっちかというと苦手」
「そうなんだ」
「それと、美鳥、この大会に出てみない? 私も出るけど」
未里奈は、スマホを見せる。美鳥だけでなく怜夢にも。
「私は、そんなの見せられても」
「あなたも出ればいいじゃない。美鳥に教わっているんでしょ? おそらく初心者とは思われないくらいには、仕上げてくれるよ」
「変なプレッシャーかけないで。あと、自分が出る大会に私を誘うってことは、相手にされてないってこと? 」
「私は、美鳥がサークルに入るって聞いた時、より強くなるための選択だと思った。ここに入るまで、毎日、何時間も練習して、さらに道場生のことも考える。それだけじゃなくて、家族からのプレッシャー。潰れる寸前だったんだよね? 」
「そうか、未里奈には、バレてたのか。私、出るよ。その大会。怜夢も出よう」
「私は、まだ、そんなレベルじゃない」
「じゃあ、どのレベルになったら、出られるの? 何ごとも経験よ」
「私と稽古してみない? それで、大会で負けたら私のせいにして。勝ったら美鳥のおかげ」
「そんな勝敗が、誰のせいとか、どうでもいい。未里奈が、教えてくれるなんて、最高じゃない。ぜひ、お願いします」
「私は、怜夢ちゃんに聞いたんだけど」
「よろしくお願いします」
3人は、防具をつけて、剣道場で、練習を始める。他の会員さんは、まだ、時間が早いので、誰もいない。美鳥は、
「未里奈との練習だ。嬉しいな」
とテンションが上がっていた。基本打ちを3人でする。そして、一通りを終えて、休憩すると、
「さすが美鳥ね。怜夢ちゃん、すごく上手」
「そんなんじゃなくて、指導してくれるのを期待しているのに」
「だって、本当に上手なんだもん」
「やったね、怜夢。頑張った甲斐がある」
「美鳥が、わかりやすく、根気よく教えてくれたからだよ」
「でも、これからだよ。未里奈、地稽古お願い。怜夢、恐れずにどんどん打ち込んでいってね。未里奈は、力技とか強引な技は、使わないから」
礼をして、怜夢の構える前に未里奈が、相対す。美鳥と同じくらい隙がなく、打ち込めない。
「怜夢、ただ、立っているだけでは隙なんてないよ。打たれても仕方ないから動いて、打ち込んでいけ」
怜夢は、言われたとおり、動いて打ち込むが、未里奈は、それを待っていたかのように、返し技を鮮やかに決める。何回やっても同じ。全然、怜夢の技は、当たらない。
「同じように打つんじゃなくて、タイミングをずらしたり、フェイントを入れてみよう」
それもやってみるが、未里奈には、当たらない。だんだん息も上がってきた。もう体力も残っていない。一か八かで、打ち込むと当たった。それも綺麗に。逆にびっくりして、立ち止まってしまう。
「怜夢、何やっているの。立ち止まったらダメだよ」
未里奈は、怜夢にぶつかってくるようにして、
「さっきと同じように打ってきて。今度は、ちゃんと私にぶつかるか、通り抜けてね」
言われたとおりにすると、また綺麗に面を決めた。というより決めさせて、もらえた。今度は、未里奈の横を抜けた。
「終わろう」
未里奈が、そう言って、礼をして終わる。
「怜夢、よく頑張った」
美鳥が、抱き締めるようにしてきた。
「未里奈、次は、私とお願い。少し休む? 」
「水分補給だけさせて」
未里奈は、飲み物を一口二口飲んで、
「いいよ、美鳥」
と言って、ついに美鳥と未里奈が、稽古する。怜夢は、2人の少しの動きも見逃すまいと目を凝らして、見ていた。そこへ、他の会員も次々とやってくる。誰もが、その雰囲気に静かに見守っている。意外にも、2人とも積極的に技を出し合い、駆け引きなどしているように見えない。ノーガードの打ち合いだ。藤島が、小声で、
「試合の時には、この2人は、お互い読み合いで、いつもなかなか勝負が、つかないのに」
10分くらい経った頃、どちらが、言い出したかわからないが、礼をして終わった。美鳥は、みんなが来ていることに気づいて、
「すみませんでした。お待たせしてしまいました」
藤谷が、
「おいおい、小沼。いつものお前の試合展開とずいぶん違ったような気がする。相手が、水田だからなのか? 」
「そうかもしれません。なんとなく未里奈が、こういう展開を望んでいるような気がして」
「私は、美鳥が、こういうのを望んだと思ったけど」
「これは、私の感だけど、美鳥と未里奈ちゃんって、剣道に関しては、とてもよく似てるんじゃない? 打ち方も性格も。基本打ちでも、打ち方も当たった感覚も同じだった」
「私は、初めて未里奈を知った時から、お手本にしてきたからね」
「私も、美鳥は、ずっと憧れだったから」
「さっきも、何も打ち合わせなしで、あんな稽古になったのか? 」
「打ち合わせなんかしませんよ。ただ、久しぶりの未里奈との稽古なので、たくさん打ちたいし、打ってもらいたかったです」
「私も、そう思いました」
「この2人は、すごいなぁ。次元が違う」
この後の練習は、美鳥と未里奈にかかっていき、指導を受けるというスタイルになった。2人とも地稽古を参加した全員と1時間以上は、やっている。それでも、繰り出す技は、キレがある。2人とやると、同じようなタイミングで、大体同じような技が、返ってくる。アドバイスも同じ。まるで、同じ人が2人いるような感じだ。最後の相手とを終え、今日の練習は、終了した。最後に全員が、並ぶと藤谷は、
「今日は全員が、非常に良い練習になったと思う。水田、最後にみんなに一言頼む」
「私は、憧れの美鳥が、サークルに入るって聞いた時、間違った選択は、していないはずだと信じていた。今日、ここにきて、確信しました。剣道部は、中途半端な成績しか残してないのにプライドが高くて、素直にアドバイスを聞き入れる人は、ごく僅かです。しかし、ここの人は、私や美鳥のような1年生の女が言うことを真剣に耳を傾けている。みなさんは、きっと強くなります。私も可能なら、こっちに移りたいです。また、必ず来ますので、よろしくお願いします。今日は、ありがとうございました」
練習を終えると未里奈は、怜夢と美鳥の掃除を手伝った。そして、更衣室で一緒に着替える。
「美鳥が、そうなのは知っていたけど、怜夢ちゃんもノーパンなんだ。そんなの強制しなくていいのに」
美鳥も驚いて、怜夢を見る。
「あっ、別に強制されてはないよ。美鳥が、そうしているから試してみたら意外に快適だったし、トイレも楽だったから、悪くないと思って」
「へー」
着替え終わると美鳥は、いつものように全員の防具を拭き始めた。
「まさか美鳥って、いつもこんなことしてるの? しかも他人のまで」
「そうだよ」
「さすが美鳥。本当にいい人だね」
美鳥は、未里奈のも拭き始めた。
「えっ、私のまで。ありがとう。でも、自分でする」
「じゃあ、お願い」
と言って、男子更衣室に向かう。
「男子のまでやるの? 美鳥は、尊敬に値する」
全員のを終えて、ようやく帰り支度をする。未里奈は、
「お腹すいた。何か食べに行こうよ」
と誘った。美鳥は、案の定、
「私は、バイトだから、2人で行って」
そう言って、断った。
「どこで、バイトしているの? 」
「大学を出てすぐのファミレス」
「そこに行こう。怜夢ちゃん」
「とりあえず、私は、アパートに帰って、シャワー浴びるけど2人もそうしたら」
怜夢は、未里奈と美鳥のアパートを出て、鍵をかけた。そして、美鳥が、バイトしているファミレスを目指す。美鳥は、すでに制服姿で、怜夢たちを迎えた。
「かわいい。美鳥、すごく似合ってる」
未里奈が、あまりにもそう言うので、美鳥は、照れ臭そうに怜夢たちを席に案内した。怜夢は、メニューをめくりながら食べるものを決め、未里奈に渡す。しかし、未里奈はそれを見ようとせずに、
「美鳥、本当にかわいい。怜夢ちゃんは、毎日ここにきて、かわいい美鳥を見てるんだ。私も毎日ここにこようかな」
「ところで、未里奈ちゃんは、何にするか決めた? 」
「ごめん。まだ」
そう言って、メニューに目を通すが、隣の席から美鳥の声が聞こえて、未里奈の視線は、そっちに向く。
「美鳥、見た目だけじゃなくて、声までかわいい。剣道してる時とまるで違う」
剣道してる時みたいな声で、接客されたらみんな引くでしょ。そう思いながら、もう一度、食べるものを選ぶように言おうと思ったら、美鳥が、
「注文は、お決まりでしょうか? 」
と言ったあと、小声で、未里奈に、
「私のことばかり見て、あれこれ言わないで。早く注文してよ」
「決まった。怜夢ちゃんと同じのにする」
「まだ、怜夢からも注文聞いてないのに」
怜夢は、決めた内容を美鳥に伝える。美鳥は、注文を復唱して、再び小声で、
「未里奈、同じでいいの? 」
未里奈は、うなづいた。美鳥は、注文を復唱して、マニュアル通りのセリフを笑顔で言った。2人で、ドリンクバーに行って、戻るとすぐに料理が運ばれた。
「美鳥のおかげで、この店、繁盛しているんだろうね? もうベテランって感じじゃない」
「店長さんも、覚えるの早いし要領もいいって、べた褒めしてた」
「おまけにかわいいし礼儀正しいし根性ある」
「そこまでは、言ってなかったけど、思っているかもね。入学式の日なんて、スイーツをサービスしていただいたし……」
「入学式の日にバイトしていたの? 」
「入学前からやっていたみたい。さすがにその日は、休みにしていた」
「誰と来たの? 」
「私と美鳥とお互いの両親」
「美鳥の両親は、衝撃的だったでしょ? 怜夢ちゃんは、何かお願いされたわけだ」
「監視役をお願いされたけど、むしろ自分の方が、落ち込んでしまう」
「私も結構、周りから、お利口だのいい子だと言われて育ったから、そう思っていた。美鳥と出会うまでは。でも美鳥の両親って、美鳥のことボロカス言うじゃない。どれほどの悪い子なのかと思っていたのに、私よりずっといい子だった。どれだけ自分の娘に厳しいんだろうね? 全国大会みたいな場所でも大声で怒鳴って、ビンタして。今なら虐待と言われても仕方ない。それでも美鳥が、両親のことを悪く言うのを聞いたことない。高校生の時の全国大会の最中なんて、両親から練習相手を紹介されたと言って、喜んでいたけど、警察官の中でも強い人ばかり集められた場所だったの。少し見てたけど、それこそボコボコにやられてた。翌日、傷だらけの体なのにそれでもいい稽古ができたって両親に感謝していた。私の親が、あんなだったら、私は、絶対逃げ出す」
「そうだよね。そんなに大きい体でもないのにタフだよね」
出場する大会が、近くなってきた。美鳥は、最近は、怜夢にほぼつきっきりで、指導をしていた。
「ちょっと、今日からは、より実戦に近い練習にするよ」
「というと? 」
「案外、痛みを伴うかもしれない。実際、ラフプレーをしてきたり徹底して、突きを狙ってくる人もいる。私たちは、1年生だから余計に」
怜夢は、恐怖心が、湧いてきた。今までのように安心して攻めることが出来なかった。
「怜夢、最初からビビったらダメ。今まで通り攻めればいいの。相手が、おかしな動きをしたらそこを狙えばいいの」
もう、どうなってもいいや。そんな気持ちで、いつも通り打ち込んでみると当たった。次もその次も。なんだ、美鳥もいつも通り打たせてくれるんだ。と安心した時、美鳥の竹刀が、怜夢の上腕部に当たった。
「痛っ」
「怜夢、痛いだろうけど、耐えるの。声なんか出しちゃダメ。次々攻めなきゃ」
怜夢は、言われた通りまた攻める。すると、今度は、肘を打たれた。思わず右手から竹刀が離れる。そして、そこへ突きを決められる。あまりにも一瞬で、わけがわからないまま後ろによろめく。美鳥は、すぐに駆け寄って、怜夢を抱きしめた。
「ごめんね。やっぱり、こんな練習は、やめよう。私も嫌だ。でも、こんなことを平気でしてくる人が必ずいる。そういう人と当たったら、痛いなんて言ったり竹刀を離したら、さらに狙われる」
「わかった。我慢する」
その夜、怜夢は、今日の練習のことを思い出して、なかなか眠れなかった。たしかに、ああいうラフプレーをする人もいるだろう。美鳥と初めて戦った時の藤谷や豊川が、そうだった。藤島に見せてもらった、高校の時の美鳥の相手も何人かは、そうだった。しかし、多分、美鳥は、それらよりずっと弱い力で、打ったと思う。それでも、痛かった。でも、それは、一瞬で、その後は、どこに当たったのかわからないくらいなんともなかった。美鳥は、
そういう場所を知っていて、あえて、そこを狙ったのだろうか。百戦錬磨だし、どこに当てたらどんな痛みか知っていても不思議じゃない。ラフプレーをする相手なら、こういう場所で受けたらいいということなのか。
翌日、昨夜の疑問などを聞こうとしたが、
「昨日は、ごめんね。今日は、今からバイトで、終わってからバンドの初練習なんだ。みんな、私の声に合う曲を作ったって、張り切っていた」
とか言って、嬉しそうに帰っていった。このままでは、また眠れない気がしたので、未里奈に連絡した。
「今から剣道部は、練習で、18時過ぎには、終わるかな」
「その後、私と稽古しない? 」
「いいけど、こっちが練習している剣道場は、部外者立入禁止だから、終わり次第サークルの方へいくわ」
時間は、たっぷりあるので、怜夢は、図書館に行って、本を読んでいた。半分くらい読んだところで、時計を見ると18時になろうとしていた。慌てて、剣道場へ向かう。まだ、未里奈は、きていなかった。着替えて、防具をつける。素振りをしたりしながら未里奈を待つ。
「ごめん、怜夢おまたせ。うちの先輩達、今日は、説教なんか始めるから遅くなってしまった」
先日、2人で、食事してからちゃん付けはやめた。
「お疲れのところありがとう」
「美鳥と何かあった? 」
怜夢は、昨日の練習のことを話した。未里奈は、防具をつけながら聞いていた。
「今、怜夢に変なこと言うと美鳥から怒られそうだけど、たしかに実戦向きね。実際、そういう人もいる。ただ、私の印象では、そんな人は、弱い。あっ、そういうことか。そんな弱い人には、臆せず打ち込めば、勝てるって事か」
「私なんて、まだ勝ち負けを考える段階じゃないでしょ? 」
「美鳥は、昔から自分が、指導した人には楽しんでもらいたいって、言っていた。そのためには、なんとか1勝はしてもらいたい。それが、出来なかった時には、落ち込んでいた」
「私にも、勝利を期待しているのかなぁ? 」
「多分。でも、普段通りどんどん攻めていけばいいんじゃない。結果を出すには、それが一番近道」
2人で、稽古を始める。怜夢は、その間に何度も未里奈の姿が、美鳥と重なった。背丈は、未里奈が、少し大きいが、構えや打たせ方、打ってくるタイミングから当たる場所、当たった時の感覚まで、ほとんど同じだ。ふと、時計を見ると、30分近くやっている。怜夢が、気持ちよく打ったところで、未里奈が、
「そろそろ終わろう」
と言った。この終わるタイミングも同じだ。なぜか、怜夢は、吹っ切れた気がした。
試合当日、会場に到着すると、
「怜夢。ワクワクするでしょ? 」
「そんな気持ちには、ならない。強そうな人ばかりいて、不安」
「大丈夫だよ。怜夢だって、強そうだよ」
「美鳥は、実際に強いから、落ち着いていられるんだよ」
「私より強いよ、みんな。怜夢だって。でも、その強い人に勝てたら嬉しいでしょ。負けても、何か得られるものがある」
「美鳥でも、まだ何か得られるの? 」
「未里奈以外なら」
会場に入り、トーナメント表を見る。
「ひどい。5回勝ったら怜夢と対戦だよ」
「私が、そんなに勝てるわけないでしょ」
「そうだね。私もだ」
「どっちでもいいから、決勝で対戦できるように頑張ろう」
声のする方を見ると、未里奈だった。
「不思議なことに初めてだよね? 美鳥と決勝で戦える可能性があるのって」
「そうだね」
開会式が終わり、試合が始まった。3人の中で、最初に試合を迎えたのは、美鳥だった。相手は、ほかの大学の3年生だった。立ち上がり美鳥は、隙のない構えで、どっしりとしている。相手が、何かを狙って、動いた瞬間だった。美鳥が、1本取った。そして、2本目も同じような展開で、美鳥が取って、勝利。しかし、
「変な目つきで、不穏な動きしてたわ」
「そうだったね。でも、さすが美鳥ね。相手に何もさせなかった」
「怜夢、ああいう相手だったら、さっさと決めてしまうのよ」
「うん。でも、そんな相手だと思ってなかった。見分けがつかないよ」
「それは、それでいいかな」
「じゃあ、次は、私が行ってくる」
未里奈が、立ち上がった。相手は、2年生だ。さすがに1学年しか離れていないと、真っ向勝負のようだ。相手が、打ってくるタイミングで、綺麗な返し技を2本決めてきた。
「どうだった? 結構、いい技を出せたような気がする」
「上手かったよ。未里奈の技、キレッキレッ」
怜夢は、2人の会話に入っていく余裕はない。もうすぐ出番だ。
「怜夢、未里奈の試合なんて、参考にするな。綺麗に勝とうとか思わなくていい。思い切りやればいいんだよ」
怜夢は、少し落ち着いた。そうだ、自分には、あの2人のように圧倒的な試合など、できるわけない。思い切りやろう。結果なんて気にせず。覚悟を決めて、立ち上がり試合に臨む。相手は、2年生だ。ラフプレーは、おそらくしてこない。となると、相手が、動いたらどんどん攻めていくしかない。しかし、打っても打ってもなかなか相手は、技を食らわない。それでも、何回も何回も打ち続ける。すると、当たった。1本取れた。でも、安心したらダメ。まだまだ、打ち続けなければ……。しかし、落ち着いてきたのか、相手の動きも見えるようになった。今まで、打ち続けたタイミングで、一呼吸置いた。すると、相手が、面を竹刀で防ごうとする。ここぞとばかり胴を打つと、2本目も取れた。勝った。気づくと呼吸は、かなり乱れていた。試合後の礼を終えて、2人の待つところへ戻ろうとすると、
「怜夢、やった。勝ったんだよ。いい試合だった」
美鳥は、自分のことのように喜んだ。
「もう少し勝利の余韻に浸っていたいけど、もう私の試合なんだ。行ってくる」
美鳥の相手は、4年生だったが、一瞬で、勝利を収めた。そして、未里奈も順当に勝ち上がる。一方、怜夢は、2回戦で、惜しくも敗れた。相手は、3年生で、反則ばかりだった。まず、足を踏まれ、引っ掛けて倒す。倒れると、腕を狙った。あちこちに痛みが走る。それでも、果敢に攻めていくが、足や腕が、思うように動いてくれず、
2本決められた。
「怜夢、よく頑張った。痛かったよね? 私、必ず、あの人に勝ってみせる」
「美鳥、その前に次の相手には、絶対に勝って。石原由美、女子剣道部のキャプテンよ。そんなに強くもないのに威張って、後輩いじめが、ひどいの」
「もう、うちのサークルは、私しか残ってないから、代表して、頑張る」
試合は、由美が、反則を仕掛けようとするが、美鳥は、それを読み切っているかのように寸前でかわす。そして由美の怒りが、頂点に達したタイミングで、1本取った。そして、2本目は、始めから由美が、怒りに任せて、突進してくる。美鳥は、それを冷静にいなすと、由美は、会場中に響くほど大きな音を立てて、倒れた。美鳥が、そこに大きく振りかぶって、面を打つ振りをした。由美は、よほど悔しかったのか、床に竹刀を叩きつける。改めて始まるとすぐに美鳥が、決めてみせた。
「あんな感じで、良かった? 」
「美鳥、最高。剣道の試合で、一番笑った」
「ちょっと、2人とも、あっち」
怜夢が、指を指す方を2人も見る。由美がこっちに向かってやってきた。そして美鳥を強引に振り向かせて、
「お前は、剣道部では、見かけないな」
「はい。サークルで、活動してます。よろしくお願いします」
「サークルだと。ふざけるな。なんだ、さっきの試合は? 人をおちょくるのもいい加減にしろ」
「美鳥は、普通に試合をして、勝った。それだけじゃないですか。石原先輩こそ足を踏もうとしたり、引っ掛けようとしたりしているのが、見え見えでした。恥ずかしい試合をしないでください」
「石原先輩は、強そうでしたので、まともに受けないようにしながら隙を探していましたので、あのような試合になってしまいました。気分を害したのでしたら、申し訳ありませんでした」
由美は、口をつぐんだ。そして、怒りの矛先を未里奈に変えた。
「水田。お前は、剣道部なのに、なんでサークルのやつの肩を持つんだ。明日から覚悟しておけ」
「肩を持つとかではなく、昔からの戦友で、強い人をお手本にすることは、悪いことですか? 」
「うるさい。お前ら、いい気になっていると許さないからな」
そう言って、去っていった。
美鳥と未里奈は、勝利を重ね、ついに決勝戦で対戦することになった。これにより2人は全国大会の切符を掴んだ。
「怜夢、ありがとう。おかげで、ここまで来れた」
美鳥は、試合前にお礼を言って、握手を求めた。怜夢はなぜお礼など言われるかわからなかったが握手に応じ、
「頑張ってね」
とだけ言った。怜夢は、どっちが勝っても嬉しいけど、同時に悲しさもやってくる。できるなら両方とも優勝してほしい。とりあえず、スマホで、録画する。ついに決勝戦が、始まった。2人とも探り合って、なかなか技が出ない。しかし、何がきっかけになったのか、突然2人とも技を出し合う。どちらも決められず、再び探り合いになった。まるで、2人だけに見える時計でもあるかのように、10秒くらいで、この展開が繰り返される。そして、タイムアップ寸前に未里奈の放った小手が、外れて美鳥の道着の袖に入り、美鳥の面を防ぐことが出来なかった。
試合が終わると美鳥は、怜夢のところへきた。
「美鳥、おめでとう」
「私が、未里奈に勝ったの? 」
美鳥は、あまり嬉しそうじゃない。未里奈が、美鳥のところに笑顔でやって来て、
「美鳥、ありがとう。そして、おめでとう。わかったよ。ほんとうに強くて、尊敬できる人には、言えるんだ」
と言った。その言葉には、全く嘘はないようで、表彰式の間の未里奈は、ずっと笑顔だった。一方、美鳥は、ずっと信じられないというような表情だった。怜夢は、美鳥の両親に結果と決勝戦の動画をLINEで、送信した。すると「誤審だ。どう見ても未里奈ちゃんの勝ちだ」とか「どうせ未里奈ちゃんに勝たせろとか言って、脅迫したに違いない」と返信があった。なんて親なんだろう。しかも美鳥にも非難するLINEが送られたようだった。
翌日のサークルでは、みんなが、美鳥の優勝と怜夢の初勝利を祝ってくれた。一方、剣道部では、未里奈が決勝で敗れて美鳥に優勝させたと責められたとサークルにやってきた。それも由美は、準決勝までに美鳥に敗れた者には、お咎めなし。未里奈だけ罰としてケツ竹刀を何発もされたとのことだった。しかも、そんな理不尽な罰を誰も止めずに笑っていたらしい。
「私、剣道部やめます。ここに入らせてください」
みんな、大歓迎だ。藤谷が、
「今日は、歓迎会をしよう」
と提案したが、
「せっかくですが、私は、今日はバイトなので欠席します」
「小沼。今日くらいなんとかならないか? 」
「すみません。昨日も無理言って、休ませてもらいましたので」
「じゃあ、小沼が、バイトしているファミレスにしよう」
「みんなに、私の制服姿を見られるのは、恥ずかしいです」
「すごく可愛いですよ。男性必見」
「未里奈、何言ってくれるのよ。余計に恥ずかしくなるでしょ」
結局、美鳥が、バイトするファミレスに行くことになった。美鳥は、いつものようにシャワーを浴びてから向かう。他にも何人か、美鳥のアパートでシャワーを浴びる。美鳥以外は、正面から入る。通された席の近くに4人組がいた。そのうちの1人は、由美だった。怜夢は、気づかれないように、下を向く。小声で、
「未里奈、石原先輩がいる」
「マジ。しかも、一緒にいる連中、ガラ悪そう」
「美鳥、大丈夫かな? 」
そう言った時に、そのテーブルで、チャイムが鳴らされた。美鳥、来ないで。怜夢の願い虚しく美鳥がきた。絶望感に襲われる。美鳥は、マニュアル通りのセリフを言おうとして、
「あっ」
と大きな声で、言った。そして、
「申し訳ありませんでした。石原先輩、いらっしゃいませ。みなさんご注文は、お決まりですか? 」
由美以外も美鳥の知り合いなのか、1言2言会話している。そういえば、どこかで、見たことある気がする。誰だったかなぁ。思わず、4人のテーブルに目が、釘付けになってしまった。すると、4人が立ち上がって、こっちにくる。やばい。慌てて目を逸らすが、怜夢の前にきた。
「昨日は、この石原が、申し訳ありませんでした。あっ、私は、美鳥様と同じバンドの小崎です」
「同じく岡川です」
「同じく山瀬です」
「お前も早く謝れ。よりによって、美鳥様の友人に失礼なことしやがって」
3人は、由美の頭を叩く。由美は、悔しそうな顔で、
「すみませんでした」
と言った。
「いえ、私は、特に何かされたわけではありませんので」
「許してもらえたんだから、お礼を言うんだよ」
再び、由美は、3人から叩かれ、お礼を言った。
「ほら、次だろ」
今度は、未里奈の前で、謝るが、
「私は、許せない。今日だって、何10発もお尻を叩かれたんだから」
「お前、何やってんだ。わかりました。今から気がすむまで、こいつのお尻叩かれますか? お前からも頼むんだよ」
由美は、何も言わない。3人の叩く強さが、だんだん強くなって、ビンタもされ始めると、
「言いますので、叩くのやめてください。すみませんでした。私のお尻を叩いてください」
「私は、叩きませんので、お任せします」
「いい人ばかりで、よかったな。さすが、美鳥様の友人だ。じゃあ、私たちが叩いてやる」
由美は、外に連れ出された。戻ってきたのは、怜夢たちが、食べ終えた頃だった。
「こんなもんで、よろしいでしょうか? 」
3人は、未里奈の前に由美を後ろ向きで、立たせる。
「何やってんだよ。お尻が、どんな風になったか、見てもらうんだよ」
そう言われても由美は、何もしない。ついに3人は、由美を押さえつけ、スカートを捲り上げパンティを下ろした。お尻は、赤というより紫に近い色になっていた。
「ありがとうございました。十分です」
未里奈の言葉を聞くと4人は、自分達のテーブルに戻って食べ始めた。しかし由美は、お尻が痛いようでスクワットのような状態だった。それを見て、思わず未里奈と一緒に笑ってしまった。
怜夢は、とりあえず先日は、紳士的な人たちだったけど、バンドのメンバーが、怖そうだったので美鳥を心配していた。忙しそうな美鳥を引き留め、バイトに向かう最中に話をした。
「バンドのことなんだけど」
「どうしたの? 」
「この前は、石原先輩のことで、紳士的だったけど怖そうな人だから美鳥が心配」
「見た目のこと? だったら、みんな喜ぶよ。ロックバンドは、舐められたらいけないとか言って、髪はウィッグだしカラコン入れて、派手なメークしているんだよ。すっぴんだと、みんな可愛いよ」
「石原先輩との関係は? 」
「石原先輩の先輩なんだって。中学時代、小崎さんたちも剣道部だったんだって。高校では、3人ともロックに目覚めて、帰宅部でロックバンドを始めたんだって。石原先輩って、あんな性格だから、周りに味方いなくて、とりあえず、バックに怖い人いると思わせるためにうちのバンドのメンバーが、ちょくちょく登場するんだって。だから、別に石原先輩のことなんて、どうでもいいらしい」
「美鳥に対しては? 」
「恐縮しちゃうくらい、良くしてもらっているよ。この前なんて3人から優勝祝いをもらった」
「バンドの活動は、どうなの? 」
「なんか、私が入ってから、私をイメージして、曲がどんどんできるって言って覚えるの大変。でも、メンバーの作る曲も音もすごくいい。私次第で、案外すごいバンドかも。近いうちにライブやるから来て」
「ロックか」
「好きじゃない? そんな人も多いから、バラード中心にする予定。ところで、一般の人は、ここの入り口からは入れないんだ。どうせなら、なんか食べて帰ってよ。奢るから。さっき話したお祝いは、練習相手になってくれた怜夢にも受け取る権利ある」
「そんなことないけど、お腹すいたし食べて帰る」
怜夢は、ファミレスの椅子に座って、メニューに目を通しながら、反省していた。美鳥が、間違った選択をするわけないと思いながらも、疑って質問責めしてしまった。それでも、美鳥は、怒ることもなく、嫌な顔一つせずに答えてくれた。私も、見た目だけじゃなく、他人を見分けるようにしなければ。
「怜夢ちゃんだよね? 小沼さんの剣道着姿の写真ないかな」
「店長、やめてください。恥ずかしいです」
「スマホには、あります」
「実は、この前の小沼さんが、優勝した大会の新聞記事を探したんだけど、結果しか載ってなかったの。仕方ないから、こんなの作ってみたの」
そう言って、見せられたのは、美鳥の写真の下に新聞記事があり、その横に『当店アルバイト 小沼美鳥優勝』と書かれたものだった。
「店内のあちこちに貼ろうとしたら、せめてここの制服姿ではなく、剣道着姿がいいんじゃないかとスタッフに言われたので」
美鳥は、何か言いたそうだったが、チャイムが鳴った。
「お客さんからお呼びだぞ」
不満そうな顔で、美鳥はお客さんのところへ向かった。
「どうしても、貼ろうとされているんですか? 」
「スタッフ全員が、名誉なことだから何か貼ろうと言った」
「じゃあ、この賞状を持っているのなんて、どうですか? 」
「それいいね。これ、ここのプリンターに飛ばしてよ」
「ただ、美鳥が、嫌だと言ったら、使わないでください」
店長が、店の奥に入って行ったのを確認して、注文のため、チャイムを押した。美鳥が来る。とりあえず、マニュアルのセリフを言ってから、
「写真、渡してないよね? 」
「ごめん。プリンターに飛ばした。でも、絶対に貼ると言っておられたので、ここの制服姿よりは、いいんじゃないかな。それと、美鳥が嫌だと言ったら、使わないように言っておいた」
「おそらく、嫌だと言っても、使われる。パワハラだよ」
美鳥は、注文を聞いて、厨房に入った。怜夢が、ドリンクバーで、何にしようか迷ってから戻ると、すぐに美鳥が、料理を持ってきた。
「あれ? 注文と違うよ」
「申し訳ありませんが、お客様が、注文されたもので間違いありません」
と言ってから、耳元で、
「ワンランク上のにしておいた。セットも全部つけておいた」
「そんなの」
「いいから。それより、今、割と時間あるけど、他に質問はある? 」
怜夢は、まだ、聞きたいこともあったような気がするが、すぐに思い出せない。
「ごめん。何か疑ったように聞いてしまって」
「そんなの別にいいよ。私の両親に報告するんでしょ? なるべくいい報告にしてね。どうせボロカス言われるけど」
「報告なんて、するとしても美鳥が、頑張っているくらいしかできない。実際、そうだし私こそ、もっと頑張らなきゃ」
「頑張っているじゃない。もう初勝利もしちゃったしね」
美鳥は、またチャイムが鳴って「ごめん」と言って、お客さんのところへ行った。いつのまにか、お客さんが、増えていた。美鳥は、合間に、もうなかなか相手できそうにないから、食べ終わったら、そのまま帰るように言った。怜夢は、食べ終えると、美鳥が、近くにきたタイミングで礼を言って、店を出た。
美鳥は、翌日のサークルの練習前、来る人全員に、
「私のバンドのライブが、決まりました。よかったら、チケット買ってください」
怜夢はもちろん、他の会員もほとんどの人が買った。未里奈が、スマホのカレンダーに登録しようとして、
「美鳥、この日って、全国大会の翌日だけど、大丈夫? 」
「そうなんだけど、アマチュアバンドには、日程なんて、自分達では決められないから」
「前日に練習できないじゃない」
「するよ」
「美鳥が、タフなのは知っているけど流石に全国大会の日は」
「いろいろなバンドとかが、30分くらいやるだけだから、そんなに何曲も歌えない。それに私のバンドは、私の歌を前面に出してないし」
「そうなの? 」
「私以外は、みんな上手いよ。どっちかというとそこを見てほしい」
「バンドの名前は? 」
「M's message」
「Mは、美鳥? 」
「私が、入る前からだから、美月のM」
美鳥は、剣道の練習も以前にも増して、気合い入れてやっていた。それについては、未里奈もそうであった。しかし、美鳥は、その上にバンドの練習も遅くまで、やっているようだった。怜夢と未里奈は、様子見にバイトしている店にも、食事に行くことが、増えた。いつも通り笑顔で、精力的に動き回っているのを見て、安心して帰る。
全国大会の日が、いよいよやってきた。怜夢は、美鳥と未里奈の応援にきた。2人は、普段と変わらない様子で喋っている。怜夢は、自分のことのように、緊張していたが、この2人は、そうならないのだろうか。しかも、勝ち上がれば、必ず対戦するのに。
「怜夢。なんで、ずっと黙っているの? せっかくの休みに試合に付き合わせたから怒っているの」
「別に、誘われたからきたんじゃない。誘われなくても見に行こうと思っていた。それに、怒ってなんていない。2人は、緊張したりしないの? 」
「まだ、会場にもついてないのに? 今から緊張していたら、試合始まる頃には、倒れてしまう」
「私は、試合始まる頃には、死んでしまう」
「また、2人が、対戦するかもしれないでしょ」
「未里奈に勝ったら、嬉しいけど、不思議なことに、負けても仕方がないって思ってしまう」
「美鳥以外に負けるのは、悔しい。でも、美鳥に負けても、スッキリした気持ちになることが、わかった」
「でも、勝ちたいでしょ? 」
「もちろん」
2人は、声を揃える。
「なんか、2人にしかわからない感覚だね。どっちも頑張って」
会場に到着して、トーナメント表を確認する。美鳥と未里奈は、反対の山だった。つまり、決勝戦まで当たらない。それを確認して、2人は、着替えた。そして、会場の空いたところで、基本打ちを始めた。一通り終えると、お互いに次々と打ち込む。試合前に、こんなに激しい打ち合いをして、大丈夫だろうかと思うくらいだ。5分くらい経った頃、2人とも怜夢のところへ戻って、飲み物を飲んだ。
「疲れた。未里奈、なかなかやめようとしない」
「美鳥が、やめようとしないから、付き合ったんだよ」
開会式が、終わり試合開始になった。2人とも順調に勝ち上がるが、流石に全国大会なので地区大会のように圧勝できない。
「やばい。私、そろそろ負けそうだから未里奈は、頑張って」
「私は、次あたりで、終わりだな」
2人は、そんなことを言いながらも、勝ち続けついに決勝戦になった。お互いに頑張ろうというように2人は、握手して、肩をぽんぽん叩き合う。
「2人とも、頑張って」
怜夢の声に2人とも頷く。そして、会場の真ん中で、2人が向き合う。いつからいたのかテレビカメラや報道の腕章をつけて大きなカメラを持った人もいる。同じ大学の1年生同士の決勝ということで、どこからか駆けつけたかもしれない。怜夢は、普段仲良くしている2人が、こんなにも注目されていることに、感動した。
「怜夢」
振り向くと、サークルのみんながいた。
「来てたんですか? 」
「まさか、この2人の決勝が、見れるとは」
「でも、なんか複雑だね」
試合が、始まった。たくさんの人が見てるのに、すごく静かで会場中に2人の声が、響いている。お互いに相手の仕掛けを待っているのか、ほとんど動いてない。それを嫌ったのか未里奈が、打ち込んでいった。これを機に美鳥も打ち込む。2人とも、試合前の練習の時のように、どんどん打ち込むが、受けてかわすそして読みもあるため決定打にはならない。激しい打ち合いのまま、終了時間が迫る。ここで、未里奈の足が、滑ってしまったのか、美鳥の綺麗な面が当たった。2人とも、びっくりしたような表情に見えた。結局、これで美鳥の優勝が、決まった。試合後、未里奈は、
「美鳥、おめでとう。それと、ありがとう」
と言ったが、美鳥は、戸惑ったような表情で、
「私が、未里奈に勝ったの? 何で」
「決勝戦だからでしょ。私、今までも、美鳥と決勝戦で当たったら絶対に勝てない相手だと思っていた。それと、美鳥の選択は、正しかった。高校まで、毎日毎日剣道やって、その上道場の人のことまで考えなきゃいけない。頭と体が、限界だった。だから、サークルで、たまにある練習日の短時間に集中して、練習したかった。美鳥の計画が、全てうまくいったじゃない」
「未里奈には、そんなことまで読まれていたんだ。でも、こんなのおかしい。未里奈に負け続けて、これが現実なんだと思い知らされる。それを覚悟していたのに」
「2人とも、表彰式だよ。美鳥、優勝したんだから、笑顔で」
怜夢は、昨日の興奮が、覚めやらぬまま、ライブ会場に向かっていた。未里奈がいる前では、冷静さを保っていたが、アパートに帰ると、美鳥の優勝が、とても嬉しかった。何度も自分で撮った動画を見た。何回見ても小さな体から大きな相手に真っ向から立ち向かって、華麗な技を打ち込んでいく姿には、感動させられた。今日は、果たして、どんな姿を見せてくれるのか。会場の入口では、未里奈が待っていた。
「未里奈、早かったね。疲れているだろうに」
「私は、たっぷり寝たし、今日は見るだけだから。美鳥なんて、昨日も今日も主役なんだよ。とても、真似できない」
入場すると、人はまばらだった。しかし、サークルの人は、すでに何人かは来ていて、怜夢たちが、入場してからも次々とやってきた。そして、美鳥のバンドのメンバーが、誘ったのか美鳥が登場する頃には、会場が狭くなった。小崎が、美鳥を新しいボーカルだと紹介し、それを受けて、美鳥が、
「よろしくお願いします」
と言うと、ロックサウンドが、始まった。それに負けない声で、美鳥が歌い始める。しかし、不思議なのだ。美鳥の声だから、はっきり聞こえるのだが、パイナップルとかマンゴスチンと歌っているが、前後の歌詞をどう聞いてもつながらない。頭の中にクエスチョンマークが、いっぱい浮かんだところへサビの強烈なメッセージが、入ってくる。曲自体も転調が多く、美鳥も歌い方をいろいろ変えた。今までに聞いたことない歌詞や曲に最初は、戸惑いながらも、だんだん惹き込まれてしまった。それは、怜夢だけでなく、観客みんなが、そんな感じだった。
「今日は、ありがとうございました」
美鳥が、そう言って、メンバーと一緒に手を振ると、
「美鳥様、最高」
など、観客の声が、ステージから見えなくなるまで、叫ばれた。そして、次のバンドが、ステージに上がると、ほとんどの人は、会場から出た。怜夢と未里奈も外に出た。すると、美鳥から着信があった。
「もしもし」
「怜夢、もう少し待ってて。ご飯食べに行こうよ。奢るから」
「いいけど、未里奈もいていい? 」
「もちろん。後で、未里奈にも電話しようと思っていた」
1分も待たずに、美鳥はメンバーと一緒に出てきた。
「お待たせ。今日くらい、どこか他の店に行きたかったのに、いつものファミレスで、打ち上げ兼ファンミーティングだって」
「えっ、3人だけじゃないんだ」
「そう。私、まだファンなんていないし、そういう体で、付き合ってよ」
「どのくらいの人が、来るの? 」
「知らない。初めてだもん」
メンバーの少し後ろを3人で、話しながら歩いていると、
「美鳥様ってさ、やっぱり、他のメンバーとは、仲悪いの? 明らかに1人だけ見た目も違うし」
「仲良いですよ。見た目は、アイドルみたいに可愛くしてくれと言われてます。顔が、可愛く無くて、申し訳ないですが」
「ほんとうに? いじめられてない」
「そんなことないです。あの、私は、このバンドに必要ないですか? 」
「今日だけじゃ、なんとも言えない」
そう言って、怜夢たちより前に行った。
「美鳥、気にしなくていいよ」
怜夢は、もう少し気の利いたことを言おうと思って、考えを巡らせたが、すぐに浮かばなかった。
「私、あの人に認めてもらえるよう、がんばるね」
やっぱり、美鳥は、強いと怜夢は、改めて思った。ファミレスに着くと、メンバーが、店に貼られた新聞記事を見ていた。
「すごいなぁ、美鳥様。全国大会で、優勝していたのか」
美鳥は、メンバーに抱きしめられた。美鳥は、新聞記事を見て、店員に、
「店長いますか? 」
「おられるけど、新聞記事が、貼ってある件? いいかじゃない。名誉なことだし」
「そうだよ。じゃ、今日は、いろんなお祝いだ。座ろう」
そう言って、席に座らせられた。みんなが、座ったのを確認すると、
「リーダーの小崎です。今日は、うちのバンドが、新メンバーでボーカルの美鳥様を迎えての初ライブに来ていただき、ありがとうございました。美鳥様、一言」
「今日は、ありがとうございました。頑張りますので、よろしくお願いします」
「とりあえず、食べながら意見や感想を聞かせてください」
全部で、20人くらいいる。次々とチャイムが鳴るので、美鳥は、いてもたってもいられず厨房に行って手伝うことにした。注文された料理をほぼ配り終えると、ようやく落ち着いて座った。メンバーは、
「美鳥様、ごめんね。この店に大勢でくると、どうしても、そうなるよね」
「いいえ。ご来店ありがとうございます。それより、今日のライブ、どうでしたか? 率直に答えてください」
「合格だよ。すごいよ、美鳥様は。練習では、間違いだらけだったのに。本番に強いんだな」
「だいたい、歌詞が、ほとんど言葉の羅列だから、難しいんですよ。あんなの、なかなか覚えられません」
「だから、美鳥様にも、歌詞の一部を作ってもらったんだよ。覚えやすいように」
「私が、喋った言葉を、歌詞に使われただけだから、作詞をしたという意識は、ないです」
5人ほどが、美鳥のところへ、ビールを持ってやってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。私、まだ未成年なので、申し訳ありませんが、他のメンバーにお願いします」
「うわー。真面目。よく、ロックバンドのボーカルを引き受けたね」
「いろんなことに、チャレンジしてみたかったんです。いかがでしたか? 」
「すごくよかった。正直なところボーカルは、美月のままでもいいのに、なんで新メンバーなんか入れて、ボーカルをさせるのかと思っていたけど、度肝を抜かれた」
「そうだよな。最初、登場した時に、見た目がロックって感じじゃないし、期待できないと思ったのに、あまりにもすごくて、驚いた」
「サビのメッセージが、すごく伝わる。心にストレートに届く感じで、よかった」
など、絶賛された。この後、さっきの人。
「やっぱり、ここにいても違和感しかない。せっかく、いいバンドだから応援してたのに、歌詞も意味わからなくなったし、曲も変わってしまった」
「すみません。もっと頑張りますので、応援お願いします」
「応援するためには、お金を払わないといけないんだ。今日だって、入場券を買っているんだよ。アイドル崩れみたいなのじゃなく、ロックンロールを聞きたいんだ」
美鳥に近い席にいた、怜夢と未里奈には、よく聞こえる。未里奈は、立ち上がり、
「ちょっと、あんた。さっきから美鳥にいろいろ、因縁つけて。美鳥の何が、悪かったのよ。お金って言っても、たかが、1,000円でしょ。私は、あまりロックは、聞かないけど、かっこよかったし、感動した。もう少し払っても損したなんて、思わない」
そう言い放った。
「どこかで見た顔だと思ったら、この女の新聞の写真にいる、準優勝のやつか。剣道やっているようなやつは、野蛮だな」
「私も、中学生までは、剣道やっていたんだ。美鳥様が、気に入らないなら、もう来ないでくれ。私たちは、ずっと3人でやってきたけど、限界を感じていたんだ。いつまでも、今日ぐらいのライブハウスから抜け出せないなら続けられない。私たちは、美鳥様の可能性に賭けたんだ」
美月が、そう言って、静めた。亜鈴や気空も、
「美鳥様は、うちのバンドのアイドルなんだ。アイドルのかっこして、何が悪い」
「歌詞や曲に関しても、今までいろんなことをやってきた。美鳥様の加入で、ようやく方向性が、決まったんだ。それに、私たち、美鳥様が加入してからの方が、仲も良くなった」
というので、すっかり黙って、自分の席に戻って行った。それからは、和やかに歓談した。
先日のライブは、誰かがYouTubeに上げて、ネットで話題になっていた。そして、誰かが美鳥のバイト先が、バレるような書き込みをしたため、ファミレスは、お客さんが以前より増えた。さらに、店に貼られた新聞記事で、剣道の大会の動画も再生数が急増していた。美鳥は、雑誌の取材やライブハウスからも出演依頼も増えていた。バイトに行ける時間が、減ったと嘆いていたが、サークルは、休まなかった。怜夢は、ずっと聞こうと思っていたことを聞いた。
「美鳥って、全国大会で優勝したら両親から剣道をやめさせてもらえるって、言っていたよね。こんなに忙しくても、続けているのは、なんで? 」
「怜夢は、やめた方がいいって、思っている? 私、本気でやめれるなんて、思ったことない。全国大会で、優勝したりすれば、例え両親が認めてくれても、そうなれば、周りが認めてくれるわけない」
「それを、知っているのに、なんで両親にそんなことを言っていたの? 」
「少しでいいから、自由が、欲しかった。剣道だけやっているのに今まで未里奈に勝てなかった。もし、剣道以外のことで、気分転換ができれば、いい結果が出せるかもしれないと、ずっと思っていた。両親は、こんな事を言っても、稽古が足りないって言うだろうし、そう言って結果が出せないとどうしようもないから、素直に話せなかった」
「未里奈は、美鳥から聞かされなくてもわかってたんだ」
「そうみたい」
「今日は、バイトなの? 」
「そうなんだけど、今夜は、少し早めに帰って、その後、ついにテレビに出るんだ。深夜の生放送。恥ずかしいけど、気が向いたら見て」
「すごい。やったね。見るよ」
怜夢は、眠い目を擦りながら、テレビを見ていた。その番組は、まだ駆け出しの男性芸人コンビと若手の女子アナが、司会をする、注目のアーティストを紹介するものだ。まず、3人がM's messageの紹介をして、4人が、登場した。いきなり、芸人が、美鳥をいじる。
「ちょっと、君。出る順番間違えているよ」
美鳥は、キョロキョロ見回して、自分を指差す。すかさず、芸人が、
「当たり前や、お前しかおらんやろ」
「いいえ。彼女は、ボーカルの小沼美鳥さんです。なんと彼女、現役の女子大生で、先日、大学生の剣道の全国大会で、1年生ながら、優勝したんです」
「ほんまかいな。こんな可愛らしいのに」
「実は、その映像が、こちらです」
と女子アナが言うと、大会の決勝戦で取った1本と表彰式のシーンが、流された。
「すごいなぁ。でも、全然、嬉しそうじゃないじゃないかい」
「嬉しいんですが、この時は、信じられないって気持ちの方が、強かったです」
初めて、美鳥が喋った。何か、台本通りに進んでいるという感じだ。メンバー全員の紹介が終わると、曲紹介をされて、歌が始まる。テロップ付きなので、意味ないと思われる単語が、たくさん並ぶ。そして、一転サビでは、強烈なメッセージになり、美鳥の声も他人の心に突き刺さるものに変わった。時間の都合なのだろう。1回のサビまでで、終わった。芸人も女子アナも拍手して、
「なんか、すごいなぁ。ギャップが。強烈だったわ」
「私たちの曲のサビとそれ以外のところ、それから、美鳥様の見た目と声、そういったギャップを楽しんでいただけたらと思っています。応援よろしくお願いします」
リーダーの美月が、そう言うと、出番は終わった。しかし、相当インパクトがあったようで、芸人は、その後もちょくちょく美鳥の名前を出した。
深夜の視聴率も高くはない番組でも、テレビの力は、偉大だった。ライブも毎回大盛況で、鮨詰め状態だった。そして、少し前に惜しまれつつ解散したバンドのボーカルをしていた方の目に留まり、所属事務所やレコード会社も決まった。美鳥は、ますます多忙を極めたが、サークル活動の時間は、仕事を入れないで欲しいとの要望も、剣道での実績があるため、事務所も認めたようだ。
今夜は、ラジオ番組のゲストとして、美月と出演するらしい。そこそこ有名な芸人がパーソナリティをしている。世間で、話題になっていることを本人たちから聞き出す番組だ。どうやら、先日のテレビを見て、美鳥とほかのメンバーとの違和感に、興味を持ち番組冒頭から、
「今夜は、M's messageの闇を暴いて見せます」
と言う。美月が、すぐに、
「闇ですか? 何もないですよ」
「この前のテレビを見て、あまりにも美鳥ちゃんが、浮いてるんだよね。3人で、虐めたりしてるでしょ? 」
「それは、全くないです。期待はずれでしょうけど」
「虐めている側の意見ばかり聞いてもいけないので、美鳥ちゃん、どうなの? 」
「まさか、私が、いじめを受けていると思ってらっしゃるのですか? 全くないです。ほんとうにみなさんいい人で、どうして、そんな印象になるか、わかりません」
「見た目だよ。美鳥ちゃん自身は、他のメンバーと服装や髪、メーク、何から何まで、違うと思ったことはないの? 」
「それは、わかっています。でも、美月さんや入った事務所のリクエスト通りです」
「美鳥様は、可愛くてロックっぽくないから、それならいっそのことアイドルっぽくしてもらった方が、より多くの人に興味を持ってもらえるかと」
「なるほど、戦略なんだ。じゃあ、その美鳥様って呼び方もマスコミ向けなんだ」
「普段から、美鳥様です」
「それが、少し怪しいな。普通、様をつけて呼んだりしないでしょ。馬鹿にしてるんじゃない? 」
「美鳥様は、私たちのバンドに、入ってくれたら成功に導いてくれると思っていたのに、最初に誘った時には、断られたんです。諦めかけていた時、偶然会って何回目かでOKもらって、最初は、ありがとうという気持ちを込めて、様をつけて呼ぶようになりました。その後、美鳥様ってすごく尊敬できるんです。剣道の全国大会で、優勝したり、練習やライブの時、みなさんは大切な、商売道具を持たないといけないのでと言って、それ以外のものは、持ってくれるんです」
「無理矢理、持たせているんじゃない? 」
「いいえ。いつのまにか、持ってくれるんです」
「私は、マイクを持ち歩くわけじゃないので、自分のものだけなので」
「これは、闇の部分はないかもしれないけど、美鳥ちゃんは、剣道の全国大会で、優勝したんだよね? おめでとう」
「ありがとうございます」
「美鳥ちゃんは、剣道が強いんだね? 」
「いいえ。私は、今までに1回でも自分が、強いなんて思ったことないです」
「スタッフが、大会関係者の方に電話取材したところ、美鳥ちゃんは決勝以外は、圧勝だった。小学生の頃から全国大会の常連で、優勝候補だったが、強敵揃いの学年だったためか、なかなか果たせなかった。それが、今回ようやく叶い、私どもも嬉しく思っております。とのことでしたが、このコメントを聞いて、いかがですか? 」
「大会関係者で、私なんかに注目していた方が、いたのかという疑問はありますが、ありがとうございます」
曲が流れて、CMが入る。この間に怜夢は、番組にコメントを送った。それは、番組宛てというより、美鳥への感謝のメッセージだ。そして、再び番組に戻った。
「はい。これからは、リスナーさんからの質問に答えてもらいます。今まで以上に、答え難いものもあるかもしれませんが、引き続き、本音でお願いします。まずは、歌について、歌詞が、意味不明ですが、誰が書いているんですか? 」
「これは、私と美鳥様です。意味がわからないですか? 聞いた方が、頭の中で、想像をしていただければと思います」
「美鳥ちゃんは? 」
「私は、歌詞を書いた覚えは、ないです。メンバー同士の会話中に美月さんが、それいただき、とか言って歌詞に使われています。もしかしたら、この番組で、喋ったことが後々歌詞になっているかもしれません」
「結構、いいこと言うんですよ。美鳥様は」
「それをいろいろ繋げるから、こんな歌詞になる、ってことのようです。続いて、これは本音で答えてもらえるのか、給料は、どのくらいですか? とのことです」
「私たち、未だにバイトしているんですが、それで、一番稼いだ時の倍くらい振り込まれてました。まだ、事務所と契約してから1回しかもらってませんが」
「えっ」
「美鳥ちゃん、どうしたの? まさか美月ちゃんより多い? 」
「いいえ。私、未成年だし大学生なので、親の口座に振り込まれるので、わからないんです。ちなみに親から振り込まれたのは、バイト代の半分くらいです。バイトもなかなか出られなくなって、厳しいんです。だから、メンバーさんにたかっています」
「バイト代を基準にされても、わかりにくいですが」
「1,000円前後の時給で、1日8時間を20日ちょっと出たら、いくらぐらいかわかるかと」
「なるほど。次は、美月ちゃんが、ボーカルで人気もだんだん出てきていたのに、どうして新メンバーを入れて、ボーカルにしたのですか? 僕が、言ったんじゃないからね。あくまでも、リスナーさんの質問ですから、美鳥ちゃん、悪く思わないでね」
「いいえ。たしかに私なんかが、3人でもうまく行きかけているところに入って以前からのファンの方には気に入らないと思います。それも、私は美月さんみたいに歌もうまくないし。とにかく、認めていただけるよう頑張りますので、よろしくお願いします」
「私たちは、美鳥様の魅力にかけたんです。実際、今までテレビやラジオにも呼ばれたことなかったです。事務所と契約もしたことなかったです。それが、美鳥様の加入で、確実に私たちのバンドはいい意味で変わったんです。みんなに、美鳥様の魅力を感じて欲しいです」
「うーむ。このバンドは、絶対に闇が多いと思っていたのに、美鳥ちゃんが神なんだね。番組的には、何も面白くないです。そのついでに、美鳥ちゃんの大学の同級生から番組に寄せられた、コメント。『美鳥とは、同じ剣道サークルに入っています。初心者で、運動神経の悪い私に丁寧に教えてくれて、初めて出た大会で、勝つことができました。それを、美鳥は、自分のことのように、喜んでくれました。心が、まっすぐで、綺麗な美鳥だから、他人の心に突き刺さるメッセージを届けられると思います。これからも、応援させてください』とのことです。誰からか、美鳥ちゃんわかる? 」
「わかります。大学に入学以来、一番一緒にいる時間が長い親友です。ありがとうございます」
怜夢は、自分が送ったコメントが紹介され、美鳥がそれに応えてくれたことに、感動した。なぜか、涙も溢れてくる。番組を聴いている、スマホに向かって、つぶやいた。
「美鳥、ありがとう。無理しすぎないように、頑張ってね」
美鳥と美月は、先日のラジオ番組で、パーソナリティをはじめ、スタッフにも気に入られたようだ。そのラジオ局の系列のテレビ番組にも、度々呼ばれるようになった。毎晩のように、バンドの仕事が入るので剣道の試合の話もあったが、怜夢と未里奈は、美鳥に教えなかった。しかし、どこから情報を仕入れたのだろう。美鳥は、
「今度、大会あるよね? また3人で、出ようよ」
「うん、私と未里奈は、出るよ。でも、美鳥は今回は、休もうよ。バンドの仕事が、忙しいでしょ? 」
「大したことないよ。ファミレスで、バイトするのと、時間的には、変わらないよ」
「時間の問題じゃなく、慣れないことで、緊張するでしょ? もっと自分の体を、大切にしてよ」
「なんで、そんなに私を、試合に出させないようにするの? もしかしたら、私の両親に、美鳥は、試合を怠けて出ませんでした。とか、LINEするつもりじゃない」
「そんなことしないよ。私は、本当に美鳥のことが、心配なの」
「心配してくれて、ありがとう。でも、私は出るよ」
未里奈も、説得したが、結局、美鳥は、エントリーしてしまった。未里奈は、
「こうなったら、すごく難しいけど、美鳥に勝つしかない。怜夢も、もし美鳥と当たったら、とにかく長引かせるようにして。また、全国大会まで行かせたら、いくら美鳥でも、体力もたない」
「私には、長引かせるなんて、無理よ。全国大会でも、ほぼ圧勝しちゃうんだよ」
「たしかに、簡単じゃないよ。怜夢さえ、よかったら、大会まで毎日練習しよう」
「美鳥のため、未里奈に期待を込めて、付き合う」
こうして、美鳥包囲網のため、毎日、練習するが、美鳥はそれを見抜いた。相変わらず、サークルの日は休まず出ていた美鳥は、怜夢との稽古中、
「なんか、今の動き、誰かに似てた。誰だったかな」
「美鳥じゃないかな。私、美鳥に教わることが、一番多いし、お手本にしてるから」
「私は、そんな動きは、しないよ。これだけ思い出せないのは、他にいない。未里奈ね? 未里奈と一緒に練習しているんだ。私も混ぜてよ」
「私、そこまで、練習熱心じゃないよ。未里奈のをみて、覚えたのかな」
「そうかな。多分、未里奈でも滅多に見せない動きだよ。私との対戦だけじゃないかな。何て言って、教えられたの? 」
「未里奈は、私に変なこと教えると美鳥に怒られると言って教えてくれない」
「ふーん」
疑っているような目だったが、それ以上は聞かれなかった。
大会当日、美鳥は、試合開始の直前に姿を見せた。昨夜、テレビ番組の収録が、朝方まであり、ほとんど寝てないらしい。それなら、来なくていいのにと未里奈と話した。美鳥は、
「やばい。いつ寝ても不思議じゃない。試合中に寝てしまったらどうしよう」
と言って、テンションも低めだったが、テレビ出演する有名人だけあって、ファンも会場に結構入ったようだ。
「美鳥様」
大きな声が、あちこちから聞こえる。美鳥の顔は、一転して笑顔に変わり、声援がする方に頭を下げたり、手を振ったりした。そして、試合になると、冷静に勝ち上がる。そして、3回戦。いよいよ怜夢が、美鳥と対戦する。
その前に、美鳥は、
「せっかくの対戦だから、じっくり楽しもう」
と言った。労せずして、作戦が果たせると思ったが、未里奈は、
「作戦変更。一気に攻めて、さっさと勝ってしまおう」
と言う。怜夢は、開始と同時にどんどん攻めるが、決めさせてはくれない。そして、攻め疲れたころ美鳥が、1発で決めてみせた。2本目も、やはり同じように決められた。まだまだ甘い。そんな感じだった。終わってから、
「じっくり、楽しもうって言ったのに、怜夢があんなに攻めてくると思わなかった。ありがとう。楽しめた」
なんて言うから、一応、
「こちらこそ、ありがとう」
と言ったものの、未里奈には、
「ごめん。美鳥、全然疲れてない」
と謝った。
「いいよ。想定内。やっぱり、美鳥は強い」
試合は、順調に進んで、美鳥と未里奈の決勝戦になった。美鳥のファンは、徐々に増えていて、この頃には、会場中を埋め尽くしていた。美鳥は、それに比例して、元気になっていた。
「でも、朝の様子からすると、確実に体力は、落ちてるはず」
未里奈は、そう言って美鳥に相対する。開始と同時にお互い、壮絶な打ち合いをする。どちらが、そういう展開に持ち込んだかわからないが、美鳥には、相当きついと怜夢は思った。しかし、3分近く続いた頃、先に体力が消耗したのは、未里奈だった。呼吸を整えるため、間を取ろうとしたところで、美鳥が、決めた。2本目も打ち合いになるが、お互い決めきれず、時間切れになり、美鳥の優勝が決まった。会場は、割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。試合後のインタビューで、未里奈は美鳥を、モンスターだと言って、祝福した。
翌日から、美鳥はバンド活動、テレビなどに加えて、雑誌のインタビューも入り、多忙を極めていた。近々、ファーストアルバムも発売されることが、決まったらしい。
「だいたい、アルバムをリリースしたりすると、ツアーとかやるバンドが、多いよね? 」
「うん、やるよ。まあ、まだ売れてない新人バンドだし、全国8会場ぐらいだけど」
「それでも、心配なんだけど。全国大会もあるでしょ? 最近、眠そうにしていることが、増えた」
「そんなこともあるかもしれないけど、ちゃんと、事務所も、仕事をセーブしてくれているよ。だから、サークルだって、休まず出ているでしょ」
「そうだ。たまには、サークルを休んでも、いいんじゃない? 別に、少しぐらい休んでも誰も文句言わないし、美鳥は、強い」
「私、怠け者だから、1回休むとずっとそうなってしまう。それに、私はそんなに強くない。強いなんて言えるのは、未里奈レベルの人だけ。大丈夫だから。テレビやラジオでもギリギリまで寝てたりしてるから」
「美鳥は、強いじゃない。その未里奈に、モンスターと呼ばせるぐらい」
「未里奈は、自分のレベルを知らないんだよ」
「たしかに、未里奈は強いよ。でも、美鳥だって、相当強いよ」
「未里奈に聞かれたら、怒られるよ。あんなのと、一緒にするなって」
怜夢は、否定したかったが、黙ることにした。以前、未里奈とした会話と同じだったからだ。怜夢は、2人のお互いをリスペクトする関係を羨ましく思った。
全国大会には、剣道の大会とは思えないほど、多くの観客や報道陣が集まった。もちろん、美鳥目当てだ。怜夢の隣を歩く美鳥に、
「美鳥様、頑張って」
と、声援が飛ぶ。美鳥は、それに、
「ありがとうございます」
と、笑顔で応える。怜夢は、美鳥と未里奈以外には、少し腹を立てていた。おそらく、その原因は、美鳥の周りをうろちょろしている男のせいだ。怖そうなその男は、バンドのマネージャーらしいが、怜夢や未里奈が、美鳥に話しかけても、睨んでくる。美鳥から話しかけても、
「ペチャクチャ喋ってないで、さっさと歩け」
などと言う。どうやら、直接関係ない仕事なので、気に食わないようだ。ぶつぶつ言っていた。しかし、美鳥がすすんでそうしているとは思うが、その男の荷物は、美鳥が持っていた。美鳥は、昨夜も遅くまで、仕事をして、さらに、今から試合をするんだから、美鳥にあたるな。美鳥は、重い防具を持っているんだから、荷物ぐらい自分で持て。その男に対しての怒りは、いつ爆発しても、おかしくなかった。着替えを終え、更衣室から出ると、
「いつまで、待たせるんだ。着替えぐらい、さっさとしろ」
と怒る。怜夢と未里奈が、抗議しようとすると、それを察した美鳥は、
「ごめんね。私が、トロトロしていたから、2人にも不快な思いをさせて。怜夢は、未里奈についててあげて」
と言って、マネージャーに、
「すみませんでした」
と謝って、2人で怜夢と未里奈がいる場所から離れていった。当然のように、2人でマネージャーの悪口を言い合う。
「なんで、美鳥のマネージャーがあんなやつなの」
「美鳥が、かわいそう。美鳥の人の良さにつけ込んで」
この日の、怜夢と未里奈の会話は、ほとんどこう言った内容だった。さらに、怜夢と未里奈を怒らせたのは美鳥が、決勝で、未里奈を破って優勝した後だ。いつものように、美鳥と未里奈が、検討を讃えあってハグしたりしている時だった。
「おい、美鳥。いつまで、こんな臭い遊びに付き合わせるつもりだ。さっさと帰るぞ」
さすがに、怜夢と未里奈も、黙っていられなくなった。
「美鳥は、優勝したんだよ。おめでとうとか、言ってもいいんじゃない」
「あんた、全国大会の優勝が、どれだけすごいことか、わからないの? 」
マネージャーは、一瞬で怒った顔に変わった。美鳥は、2人に、
「ごめんね。ちょっと、あっちへ行ってくれない」
と言って、マネージャーに向き直り、
「申し訳ありませんでした。汗臭くなってしまいました。この後、表彰式がありますので、もうしばらくお待ちください」
と、何度も頭を下げて言った。美鳥は、表彰式で賞状やトロフィーを受け取ってインタビューを受けようとすると、マネージャーに、怒られていた。美鳥は、申し訳無さそうにそそくさとその場を後にした。
次のサークルの時、美鳥は、怜夢と未里奈に謝った。
「なんなのよ。あのマネージャーは? 」
「ごめんね。私が、試合に出たりしたから。怜夢と未里奈の言う通りでなければよかった」
「美鳥が、悪いんじゃなくて、あのマネージャーよ」
「どうして、美鳥はあんなやつまで、庇うのよ」
美鳥は、事務所の事務員さんから、聞いたことを、話し始めた。マネージャーの大岡彰郎は、もともとロックシンガーだったが、売れなくてマネージャーに、転身した。最初に担当した、アイドル歌手と結婚して、夫婦で独立したが、その直後に妻が、出演した映画の監督と、いい関係になって、別れてしまった。それ以来、自分の事務所に所属していたアイドルに、当たるようになってしまって、逃げられて、倒産した。心を入れ替えて、今美鳥がいる事務所に拾ってもらい、何人かの有名女優を育てた。そして、久しぶりに、アイドルの担当になったところ、わがままに振り回されて、挙句に少し売れると、移籍されてしまう。それも、何人も、そういうのが続いたため、社長とも話し合って、事務所全体が、アイドルには、甘やかさないという方針になった。新人アイドルには、必ず、大岡が担当マネージャーになって、厳しく接する。それが、うちの事務所の方針だ。剣道の大会など、美鳥の個人の活動で、事務所は関係ないはずだった。しかし、マスコミの何社かが、美鳥の取材を申し入れ、事務所は、断ったが、アポなしで、来るところもあるだろうと、大岡も、休みを返事して、出勤になってしまったのだから、余計に、機嫌が、悪かった。
「美鳥は、アイドルじゃないでしょ? 」
「バンドの中で、私はアイドルみたいだから、大岡さんをつけられたみたい」
「でも、美鳥は、わがままじゃない」
「わからないよ。私だって、大岡さんが、マネージャーじゃなかったらわがまま言っていたかも」
「そんな美鳥は、想像できない」
「まあ、この大会に出ると言ったのも、私のわがままだから。怜夢、私の両親にもLINEで報告しておいて」
「何て? 優勝の報告は、したよ」
「それは、両親からのLINEで、知っていた。だから、わがまま言って試合に出てたくさんの人に迷惑をかけたことよ」
「そんなこと、できない。実際、迷惑かけてなんかないでしょ」
「私たちが、美鳥にこの大会を休むように、勧めたのは忙しいから、からだを心配してのことだからね。まさか、あんな状況で、優勝するなんて思わなかったし」
サークルのみんなが、次々やって来る時間になった。みんなが、美鳥と未里奈に祝福の言葉をかけた。
その日も、美鳥は雑誌のインタビューと、テレビの収録だと言った。テレビは、美鳥が以前からおもしろいと言って、配信で、見ていた番組。
「実際は、いつやるか、知らないけど、見てね」
と言って、帰っていった。翌日には、珍しく前日の仕事を、話してくれた。司会者の芸人さんは、おもしろいだけでなく、機転がきく。アナウンサーは、局の看板みたいな存在なのに、すごく気にかけてくれた。コメンテーターの方は、偉い先生なのに、私がゲストってことで、M's messageの曲をあらかじめ聴いて、よかったと言ってもらった。スタッフもみんな親切だった。だから、あんなに、おもしろい番組が作れるんだ。怜夢は、美鳥からテレビや出演者の話を聞くのは、初めてだったので、時折質問しながら聞いた。美鳥は、とても楽しそうに、話していたが、
「しまった。昼休憩は、少しでも寝ようと思っていたのに」
「昨夜は、遅くまで、収録だったの? 」
「収録自体は、早く終わった。でも、その後、大岡さんに事務所に連れて行かれて『浮かれ過ぎだ』と朝方まで説教された。私、ダメだよね。テンション上がりすぎたみたい」
「マネージャーの言いがかりじゃない? 美鳥ならいくらテンション上がっても、気づかれないようにこなしていたでしょ」
「多分、そうじゃなかったんでしょ」
後日、放送を見た怜夢には美鳥が浮かれているようには、見えなかった。
ツアーを終えたM’s messageの人気は、さらに加速していた。怜夢と未里奈も、ツアー最終日に見に行った。ネットでも、見に行った人からの絶賛する書き込みが、多かった。それは、終わった後に、納得した。まず、今までのライブハウスより、大きな会場なので音がいい。美月を始め、3人の技術の高さが、よくわかる。そして、華やかな衣装で、ステージ中を動き回りながらも、楽器に負けない美鳥の声。サビのメッセージが心まで伝わる。怜夢や未里奈だけじゃなく、涙を流してる人も、たくさんいた。そんな中、MCでは、アイドルっぽい声で4人で楽しい掛け合いをする。まだ、リリースした曲が、少ないこともあり、2時間にも、満たなかったが、満足できる内容だった。美鳥は、チケットが、今までより高いことを気にしていたが、損したとは、全く思わなかった。しかし美鳥の事務所やマネージャーは、とても厳しい評価だったらしい。その翌日は、メンバー全員、休みをもらえるとのことで、怜夢は久しぶりに美鳥と、食事に行く予定だったのに、
「ごめん。今日、事務所に行かないといけなくなった」
「なんかあったの? 」
「よくわからないけど、マネージャーから電話で『ライブでの失敗の反省や謝罪を未だに言ってこないが、どういうつもりだ』って」
「何が、いけなかったの? 大成功だったと思うけど」
「歌詞は、何回か間違えた。あとはリハーサル通りだった気がするけどな」
「歌詞の間違いは、私も1回は、気がついた。どうでもいいところで、順番が、入れ替わった」
「バレた。でもね、あれってどうでもいい歌詞のようだけど、じつは深い意味が、隠されているの。表向きには、どうでもいい歌詞って、言っているけど」
「そうだったんだ。全然、気づかなかった」
「美月さん、すごいよね。あんな歌詞書けるなんて」
「その、表向きには、どうでもいい歌詞って、美鳥の言葉も入っているんだったよね? 」
「そうだよ。最近は、サビにも入っている」
「どの部分? 」
「それは、教えられない。恥ずかしいし」
と言ってから、美鳥と別れた。
大岡と社長は、歌詞の間違いよりも、マイクスタンドを壊したことや衣装に穴が開いていたことを怒っていたらしい。たしかに、マイクスタンドからマイクを持った時に、それが倒れた。衣装は、あれだけ動き回れば多少の穴は、仕方ないだろう。しかし、謝っても謝ってもなかなか許してもらえず、朝方まで、弁償を迫られたそうだ。両方合わせて、20万円。美鳥は、お金がないから払えないと断り続けると、新たなライブを提案され、泣く泣く呑んだ。それが、武道館でのブルマーライブだ。それに加えて、その前にある剣道の大会の予選にもエントリーさせられた。美鳥のことだから、予選敗退など考えられない。試合会場として、訪れた場所でブルマーを穿いてライブなど屈辱的だろう。その予選が、迫ってきた。怜夢は、
「この大会は、あんまり頑張らないようにしようよ」
と言ったが、美鳥は、
「武道館は、剣道をやっている人にも、バンドをやっている人にも特別な場所。頑張るしかない」
と答えた。その言葉の通り、圧倒的な強さで、武道館での試合に駒を進めた。未里奈は、
「事務所の人たち、こんなマイナーな大会、よく調べたね。しかも、参加料がぼったくりみたいに高い。さらに、私たちは、美鳥の関係者ということで、無料だけど、一般の観覧者は、有料だって」
と変なところに感心していた。そんな大会だから、美鳥の敵はいなかった。大岡も、この大会は美鳥を応援していた。美鳥が、インタビューを受けるのも、歓迎した。それまでは、未里奈に勝っての優勝だったこともあり、あまり、笑顔を見せなかったが、この日は終始笑顔だった。
「それにしても、払わせるお金は、高いのにケチ臭いトロフィー。なんなの、この大会」
未里奈が、悪態をついていたが、美鳥の賞状を見て納得した。ある国会議員の主催だったのだ。
「政治資金集めか」
怜夢と未里奈の声が、揃った。
大会の翌日から、美鳥は、ブルマーを穿いていた。大岡から、1万人を超える人の前で披露するんだから慣れておけと、剣道の時以外は、ブルマーを穿くよう、言われたらしい。
「マネージャーさんが、いないところでは、穿かなくていいんじゃない? 」
「今は、SNSのせいで、どこでもカメラで、見張られてるようなものだから」
そう言って、頑なに守っていた。幸いにも、その間は、ラジオや雑誌のインタビューという仕事だけだったようだ。雑誌では、写真も撮られたようだが、全身写真は、少なく、カラーはなかった。美月たちも、
「いくら何でも、美鳥様がかわいそう」
と、大岡に抗議したらしいが、聞き入れられなかった。そして、ついにライブ当日。ステージに上がった時には恥ずかしそうにしていた美鳥だったが、音楽が始まるといつものように、ところ狭しと駆け回りながら、歌った。MCでは、
「やっぱり、数日前に剣道の大会で優勝したこの場所で、こんな格好をして歌うのは、恥ずかしいです。でも、超満員のこの場所で、歌うのは最高です。ありがとうございます」
と、感想とお礼を言った。その後は、バラードからノリのいい曲へと、加速していき終わった。アンコールではブルマーが、ハイレグのものに変わった。最初の登場よりも、さらに恥ずかしそうにして、
「アンコール、ありがとうございます。こんなの穿くとは、思っていなかったですが、ブルマーって、動きやすくて案外いいかも。もう少し、やらせてください」
再び、音楽が流れて、美鳥は、今までより激しく動く。3曲歌うと、
「ありがとうございました」
と、メンバー全員が手を振りながら、ステージを降りた。それからすぐ、美鳥からLINEが入った。『打ち上げに行こう。外で、まってて』
怜夢は、メジャーデビュー後は、打ち上げを禁止されていたのにどうしたことだろうと思いながら未里奈と待っていた。メンバーと大岡が、一緒に出てきた。美鳥は、相変わらず体操服とブルマーの格好をしている。まだ、美鳥への辱めは、続いているんだと、怜夢は知った。ファンのうち、何人かが、美鳥にスマホを向けた。
「あっ、写真は、やめてやってくれ」
美月たちが、そう言うと、大岡は、
「別に構わん。好きなほど撮ってやってくれ。ただ、どうせ明るいところへ行くからそこですればいい」
「嫌です。お願いします。反省しましたので、写真撮影は、禁止にしてください」
「マネージャーさん、私たちからも、お願いします。美鳥様が、あまりにもかわいそうです」
メンバーも、懇願するが、大岡は、
「どうせ、今日のライブは、DVDも発売されるんだ。写真ぐらいで、騒ぐな。打ち上げは、特典映像になる」
怜夢と未里奈、そしてメンバーは、唖然とした。特に美鳥の顔は、落胆した表情だった。会場の食堂では、6人用のテーブルに、怜夢と未里奈とメンバーが、座った。すかさず、大岡が、
「美鳥。お前は、今日の主役なんだ。こっちに出てこい」
美鳥は、隣にいた美月に、
「美鳥様、出なくていい」
と言って、制されている。大岡は、美月越しに美鳥を掴んでひっぱり出そうとする。
「早く。お前が、いつまでもそこにいると、終わらないんだ。他人の迷惑になるってこともわからないのか? 」
美鳥は、諦めたように、
「わかりました。どうすればいいんですか? 」
そう言いながら、会場の真ん中辺りに出る。
「じゃあ、今から撮影会をします。こんなやつとでも、一緒に撮りたい方はいますか? 」
ほとんどの人が、手を挙げた。
「へー、意外といるんだ。じゃあ、順番に並んで。1人5分で、お願いします」
美鳥は、嫌そうな顔をしていたが、カメラを向けられると、笑顔になった。半分くらい終わった頃に、藤島と竹田の順番になった。
「先輩達、きてくれてたんですか? ありがとうございます」
「マネージャーさん、俺たちの時間を、美鳥先生が食事するために、使わせてください」
「美鳥先生、お腹すいたでしょ? かわいそうに」
「勝手にしてくれ」
「先輩達、ありがとうございます」
美鳥は、この時間で、食事を食べた。怜夢達も、少しだけ救われた気分になった。
しばらく、美鳥は、単独の仕事が続いて、メンバーとも、LINEでのやり取りしかしていなかった。その分、怜夢や未里奈に会うと、いろんな話をした。
「あの、ブルマーライブ以来、美月さん達、しょっちゅう今の事務所から移籍しようと言ってくるの。最悪、インディーズに戻っても、仕方ないって」
「よかったね? 私もその方が、いいと思う」
「渡りに船って感じだね」
「怜夢達も、本気でその方が、いいって思っているの? せっかく、メジャーデビューして少しずつ人気も出てきたのに」
「まさか、美鳥は、反対しているの? あんなに、ひどい扱いされているのに」
「やっぱり、美月さん達は、演奏とか作曲も、上手い。私が、ダメなんだよね。でも、事務所や大岡さんは諦めずに、指導してくれる。仕事だって、適度に入れてもらえるし、ありがたいよね」
「何が、ありがたいのよ? 大岡さん達は、美鳥にいじめや嫌がらせをしているとしか、思えない」
「それでも、大岡さん達は、事務所のアイドルを、育てたんだよ」
「美鳥は、同じ事務所のアイドルを、すごいように言うけど、体を張ったり、セクシーで売ったりとてもアイドルとして、成功したとは、言えないでしょ? 」
「私は、どんな形でもいい。バンドをそして、曲を聴いてほしい」
「もったいないよ。美鳥は、才能ある。それで、ファンも増えているのに」
「私は、歌の技術なんて、ない。美月さん達の作った曲を、必死で歌っているだけ。その上、大学やサークルを優先させてもらって。どう考えても、足引っ張っているんだから、メンバーや、事務所の方針には、逆らえない」
「忙しいだろうけど、美月さん達に会って、ゆっくり話してみたら? 」
ちょうど、このタイミングで、美鳥にLINEが入った音がした。
「メンバーからだ。今日、時間ないか? って」
「ちょうどいいタイミングだね。私たちとの食事は、またにしていいよ」
「今は、そっちの方がずっと大事だから、いってらっしゃい」
美鳥は、残念そうだったが、メンバーに会いに行った。やはり、美月たちメンバーも、怜夢や未里奈と同じ考え方だった。美鳥は、説得されて移籍に合意したようだ。しかし、美鳥は、インディーズになることは、合意できないので、新しい事務所が見つかるまでは今のままでと言う条件にした。
ライブ終了後、怜夢と未里奈は、美鳥を待っていた。しかし、美鳥は、大岡に引っ張られるようにどこかへ連れて行かれた。2人を見つけると、
「ごめん。今日は、無理だった」
そう言い残した。仕方なく、帰ろうとすると、
「私たちとでよかったら、食事につきあってくれない? 」
と声がした。美月だった。怜夢達も、どうせ食事に行くことだから、快諾した。高級そうな料亭に行く。個室に通され、怜夢は、未里奈と所持金の確認をする。
「金の心配は、しなくていいよ。奢るから」
「そんなわけには、いきません。払います」
「遠慮しなくていいよ。私たち、美鳥様のおかげで、結構儲けさせてもらっているんだ」
そう言って、差し出されたメニューを見ると、大学生が、1食に使うには贅沢すぎる値段だった。
「私たちでも、こんな店に入れるようになった。ほとんど、美鳥様の稼ぎなんだろうけど、メンバー全員、同じにしてくれと言うから、なるべく還元したいと思う。でも、美鳥様、忙しすぎるから、なかなか一緒になれる時がない」
「結構、新曲とかも、出されているじゃないですか? 」
「そう。よくできるよな、美鳥様。ほとんど、動画を見ただけで、レコーディングの日に初めて合わすのに私たちが、思っている以上に仕上げてしまう」
「ほんとうに、すごいよ。何回も練習している、私たちさえライブで初めてやる時は不安なのに完璧に歌い切る」
「ライブ初披露だったかどうかも、忘れさせられる」
「見ていても、すごいと思います。でも、どうして大岡さんは、美鳥に冷たくするんですか? 」
「知らない。なんか、事務所の方針が、アイドルは、甘やかさないらしいけど、美鳥様はアーティストだって言っても、聞き入れてくれない。しかも、自分らの育て方がいいから、美鳥様が売れたとか言っている」
「自分たちは、何もしていないのにね。テレビやラジオだってほとんど美鳥様が、司会者やスタッフに気に入られて、掴んだ仕事なのに」
「大岡さんだって、素直に、美鳥様の力を認めたらいいのに。そんなことだから、移籍されてしまうのに」
気空は、ハッとして、口を押さえた。
「移籍の話は、美鳥から聞いています。私たちも、賛成だと言っているんですが」
「やっぱり、美鳥様は、良く思ってない? 」
「そうみたいです。今の事務所や大岡さんのおかげで、メジャーデビューしてテレビやラジオにも出させてもらえるようになったって。洗脳されているんですかね? 」
「とにかく、今は少しだけ、仕事をセーブさせてくれと、事務所には言っている。移籍の話も、まだ正式ではないけど、いい条件を出してもらっているところもある」
怜夢は、よかったと心から思った。
仕事をセーブしていると言っても、美鳥は、忙しかった。以前のライブDVDの発売日が、迫っていたからだ。すでに、放送されたラジオ番組では、
「やっぱり、何回でも見られてしまうので、恥ずかしい。でも、発売が決まったのでぜひ見て欲しいです」
と言っていた。CDショップに、貼られたポスターは、まるで、グラビアアイドルのイメージビデオと変わらなかった。怜夢は、そのポスターの下に『美鳥来店。購入者にサインプレゼント』と書かれているのを発見した。よりによって、大学から一番近い大きなデパートのCDショップとは、美鳥にとってさらに恥ずかしい状況だろう。 当日は、すごい人だった。催し物をする場所に用意された椅子は、全く足りていなかった。時間になり、司会者がステージに上がると、歓声や拍手が、起こる。司会者が、注意事項を読み上げる。撮影は、禁止と言ったが、誰かと話して、
「マネージャーさんから、撮影は許可していただきました」
と訂正された。そして、美鳥が登壇する。ライブの時と同じ、体操服にブルマー姿だった。恥ずかしそうにしている美鳥は、大岡に押され、司会者に引っ張られ、ステージの真ん中に行く。美鳥にカメラやスマホが、向けられた。美鳥は、顔を赤らめていたが、司会者から促され、あいさつをしてから椅子に座ってインタビューを受けた。それが、終わると美鳥は、ステージの真ん中で、撮影用のポーズを取らされた。あの司会者ドSなのか。と思うほど、インタビューでは、ブルマーについてが多いし、ポーズはお尻を突き出させるようにしたり、セクシーなのが多かった。それが、終わると、テーブルが用意されて、その上にDVDが積み上げられた。美鳥は、大岡と司会者に挟まれ、その前に、購入者が、たくさん並んだ。1人目のサインを書いて、
「ありがとうございました」
と握手すると、
「おい、美鳥。お前、買ってもらった人にそれだけか? 写真くらい、撮らせたらどうなんだ」
そう言って、司会者が、美鳥を購入者の近くに連れてきて、どんな写真がいいか、聞いて美鳥にポーズを取らせる。しかも、要望より、さらに過激に。人によっては、頬が触れていたり、肩を組まれた。怜夢は、美鳥がかわいそうで、見ていられなかった。だから、DVDを購入しただけで、写真はやめた。後から聞いたところ、美鳥の事務所の役員で、元アイドルだそうで、自分は売れなかったが、どうすれば売れるかは、わかっていると豪語して、今のポジションになった。ああいった、イベントになると、出てくるが、これまでに何度も、イベント中にアイドルを泣かせたこともあり、逆にコアなファンから人気らしい。
そのイベントを最後に、M's messageの移籍が決まった。メンバーを始め、ほとんどのファンも、これを喜んでいたが、やはり美鳥は良いこととは、思っていなかった。
「私の仕事ぶりが、悪いから無理しているように見えて、メンバーに移籍の決断をさせてしまったんだ。せっかく前の事務所には、チャンスをたくさんもらったのに、私が、それを潰してしまった」
誰から聞かれても、そう言って反省していた。新しい事務所は、美鳥の大学活動にも、今までより理解があり、特に、剣道では日本の至宝と言って、大きい大会の前には、仕事の負担を減らしてくれた。それでも、単価の高い仕事を優先するため、メンバーの収入も増え、喜んでいることから、徐々に美鳥の罪悪感も減った。そして、剣道でも、仕事でも結果を出し続けた。しかし、怜夢には、理解できないことがあった。美鳥は、多少の余裕ができたからと、ファミレスのバイトまで復帰したのだ。美鳥の人気とともに、このファミレスも、本人がいなくても、聖地として、大人気なのに本人がいればSNSでバズり、長蛇の列ができた。
「あそこは、私にとって東京での家なの。その手伝いを時々させてもらっているだけだから、気にしないで」
そう言われても、怜夢も気軽に食事に行ける状況じゃなくなったのは、困っている。
「予約すればいいのに」
そう言って、教えられたLINEは、店長のだった。何日の何時に何人で行くと入れておけば席が取ってあった。久しぶりに、美鳥に誘われて、未里奈と一緒に行く。しかし、美鳥が付き合えるのは1時間だけ。その後は、バイトをするそうだ。美鳥は、今の事務所になって、自分の口座に振り込まれる額も増えたし、時間に余裕ができたが、テレビやラジオの出演が、少なくなり人気がなくなるのを心配していた。しかし、人気に翳りは、見受けられずライブDVDや、新曲も売り上げは、好調だった。
美鳥は、3年生になった。M's messageは、順調に新譜を発売し、ついに年末の賞レースにも、ノミネートされた。メンバー全員、それに関しては、喜んでいたが、賞自体には興味がなく、事務所からお金を注ぎ込む提案もされたが、断った。それでも、年明けから始まったツアーでは、それまでよりも大きい会場にもかかわらず、チケットは、入手困難だった。そのツアーが、終盤に差し掛かった頃の東京公演。怜夢と未里奈は、美鳥から招待された。
「よかった。行きたいと思っていたのにチケット取れなかった」
「そうみたいだね。終わった後、楽屋にもよってよ。食事でも行こう」
言われた通り、終了後、楽屋へ行くと、いつもと違う重苦しい雰囲気だった。
「美鳥様。連絡取れた? 」
「電話は、繋がらないし、LINEも未読のまま」
「とりあえず、明日は延期にしてもらおう」
「それは、ダメ。せっかく楽しみにしているファンもいるのに。私の個人的な理由で、そんなことできない」
怜夢には、全く状況が、理解できない。メンバーに存在も気づいてもらえない。ただ、こっちから話しかけられる雰囲気じゃない。その場に立ち尽くしていると、美月が気づいた。
「美鳥様。怜夢ちゃんたちきてるよ」
ようやく、美鳥が顔を上げた。怜夢と未里奈に笑顔で、
「こっちにきて、座って」
美鳥は、2人に空いていた椅子をすすめて、
「2人とも、ライブ中だったから知らないと思うけど、地震があった。私の地元で、震度6だって。アンコール前に楽屋に入って、スマホ見て知ったんだけど。で、親とも、まだ連絡が、取れないんだ」
「そんな状況で、よく、アンコールでもあんなパフォーマンスが、できたね? 」
「私たちは、アンコールは、中止にしようって言ったんだ」
「それなのに、美鳥様は『やる』って」
「しかも、普段以上のパフォーマンス。美鳥様は、プロ中のプロだ」
「そんなお世辞は、いいから。美月さん、このツアーもあと2会場だけ。中止や延期には、絶対しない。マネージャーに、そう伝えて」
「わかった。美鳥様に従うよ」
「さあ、食事に行こう。お腹すいた」
結局、その日は美鳥の両親からの連絡は、なかった。
美鳥が、両親と連絡が取れたのは、地震発生から3日後、ツアーの最終日の前日だった。美鳥は、嬉しそうに両親からのLINEも見せたが、内容は決して喜べるものではなかった。「お前みたいな親不孝者が、こんな地震を引き起こした」「道場が、壊れて、怪我人も出た。お前のせいだ」
「なんで、美鳥のせいなの? こんなのおかしい」
「そんなことは、どうでもいいよ。とにかく無事で、よかった」
「で、明日はどうするの? 」
「明日、ライブが終わったらそのまま実家に帰る」
「一緒に行こうか? 」
「断る。多分、うちの親、私に対して、言いたいことが山ほどあるだろうけど、怜夢がいると半分も話せないと思う」
「でも、美鳥が悪いわけじゃないことまで、叱られるでしょ? 」
「そうだろうけど、久しぶりに自分を見つめ直す、いい機会だから」
怜夢に美鳥から連絡があったのは、翌々日だった。かなり遅い時間だった。交通機関が、あまり戻っておらず、実家に着いたのは、昼過ぎだった。父が、夕方から仕事で、昼食がまだだと言うので、冷蔵庫に入っていた食材で適当な物を作って、一緒に食べた。その間も、ずっと説教されて、皿洗いが終わると、正座させられた。結局、仕事に出る直前まで、続いた。作った料理に、美味しかったとは、言わせる事が、できなかった。そして、母が入院している病院に、1時間以上かけて、歩いて行った。父に送ってくれと頼んだが、断られた。母は、地震の時に、道場にいて、天井板が、頭の上に落ちてきて、負傷したが、防具をつけていたため、軽症で済んだ。他にも7人が同じ被害を受けたが、同様に軽症だった。美鳥は、母に連れられ、その患者の病室で、謝罪した。終わると母の病室で、正座させられ、面会時間終了まで説教された。病室は、個室じゃなく、他の患者さんにも聞かれて、ものすごく、恥ずかしい思いをした。そして、ようやく帰ったところだった。
「いろいろ、大変だったね。それで、いつまでそっちにいるの? 」
「母が、退院するまでは、いようかな。父は、料理とかしないし、あと2、3日で帰ってくると思う」
「わかった。お大事に」
美鳥は、1週間ぶりに東京に戻ってきた。この日は、珍しく何も予定がないとのことなので、未里奈も誘い食事に行った。
「美鳥、お疲れ様」
「ありがとう」
「それで、被害とか、どうだった? 」
「さすがに、自分が、生まれ育った場所の、よく知っている建物とかが崩れたりしているのはショックだった。うちの道場も、屋根が、ほとんど落ちかけてた。私、いつまでもバンドとかやっていたらいけないと思った」
「やめるの? 」
「大学にいる間、あと1年で、脱退しようと思う。地元に帰って、役所に勤めて、子供に剣道を教えようかな」
「もったいないよ。バンドも、すごく人気なのに」
「メンバーにも言ったの? 」
「まだ。近いうちに言おうと思う」
「考え直そうよ。メンバーも、きっと反対するよ」
「そうかもしれない。でも、決めたんだ。地元が、復興するためのお手伝いをしたいんだ。私が、バンドで歌を歌うことなんて、親はもちろん、地元の人も喜んでくれない」
「そうかなぁ」
それ以降、美鳥は、楽しく話して飲みたいと言うのでその話題から離れた。
翌日のサークルを終えると、美鳥はバンドのメンバーと会う予定になっていると、帰って行った。
「昨夜、言っていたことを話すつもりだよね? 」
「おそらく、そうでしょ」
「美鳥、両親からバンドやっていること、叱られたのかな? 」
「美鳥の両親って、美鳥が何をやっても怒っている印象だけど」
「たしかに。メンバーは、きっと反対してくれるよね? 」
「すんなり、認めてくれるとは、思わない。でも、美鳥の心情も、わからなくはないし」
「それはね。剣道の大会とかは、どうするんだろう? 美鳥は、ほとんどの大会で、4連覇が、かかってくるけどそんなの、あっさり捨てそうだよね」
「私も、美鳥には、バンドも続けてほしいし、剣道の大会も出てほしい。でも、未里奈にとっては美鳥が大会に出ないと、優勝できるじゃない? 」
「怜夢は、見たことないだろうけど、私は、美鳥との対戦成績では今でも大きく勝ち越してるの。できれば、美鳥が、出る大会で、優勝したい。まさか、美鳥が、あそこまで最強になるとは思わなかった。大学生になってから、1度も負けてないんだよ」
「すごいよね。しかも、あんなに忙しいのに」
翌日の夜、怜夢と未里奈は、美鳥に誘われて、高級料亭に行った。そこには、M's messageのメンバーとマネージャーもいた。美鳥が、座ると、美月が色紙とサインペンを渡した。
「店に頼まれた」
美鳥は、慣れた手つきで、サインすると美月に渡した。美月は、店員を呼びそれを渡すと飲み物の注文をした。全員の飲み物が、運ばれると、美月が乾杯の音頭を取った。そして、美月と美鳥とマネージャーとで誰が話すかを決めようとしている。それは、譲り合うのではなくむしろ自分が、というように感じられた。結局、美月が、
「今日、集まってもらったのは、もうすでにわかっていると思いますが、美鳥様の件です。話を知っているのは、ここにいる人だけのはずなので、せめて、この中から情報が漏れることがないように。全員が、美鳥様から話を聞いて、さまざまな感情を持ったと思います。私も、ショックだったけど美鳥様の優しさや、責任感を考えたら、らしい選択ではあるなと。でも、結論としては、先送りにします。まだ1年あるし、もしかしたら、その間に復興も進むかもしれない。かと言って、就職試験は始まるから、それは、受けてもらう。それから、復興ボランティアが募集されたら、週1日ぐらいは、参加したいとのことだから、バンドメンバーも一緒に参加する」
「美月さん、私は、そんなの望んでない。みんなは、曲作りや、休養の時間にして」
「これは、3人で、話し合って決めたことだから」
「私たちにも、美鳥様の手伝いを、させてよ」
「もしかしたらのあと1年。美鳥様の役に立ちたい」
「ありがとう。私も、みんなが、いてくれたら心強い」
「そんなところで、いいかな? 」
美月が、美鳥とマネージャーに同意を求める。2人が、うなづくのを確認すると、
「何か、質問とかは? 」
「剣道の大会は、どうするの? 4連覇が、かかっているよ」
怜夢は、この場で聞かなくてもと、未里奈をつつく。
「時間があれば、出たい。でも、今の優先順位は、低い。4連覇ね。私、そんなものより国体で地元の代表で出てみたい」
「そうか。美鳥って、国体に地元で出たことなかったね」
これには、みんなが、
「そうなの? 」
みたいな反応をする。
「私の地元の監督とか、コーチって、私の親なの。今まで、1度も選手になったことない」
「そんなに、レベルの高いところなの? 」
「私、国体で、美鳥の地元と当たったことあって、美鳥を抑えて出てくるぐらいだからどんな強い人かと思っていたら、全然だった。美鳥のお父さんは『やっぱり、未里奈ちゃんは強いな』なんて言っていたけど、完全な人選ミスよ」
「未里奈、そんな言い方しないで。多分、その時、私が出ていても同じ結果だったはず」
「そんなわけないでしょ? 」
「未里奈、今はその話はやめよう。できるだけ、剣道の大会も出場できるように調整する。それと、親に認めさせて、国体に出る」
怜夢は、美鳥の体が、心配だったが、とりあえずそのやりとりが収まったのでよかったと思った。一通りのコースが、運ばれた頃、
「怜夢ちゃんも未里奈ちゃんも、一応コースだけど食べたいものがあったら注文して。私たち、美鳥様のお陰で、事務所の稼ぎ頭だから、支払いは、気にしなくていいから」
「まだ、稼ぎ頭ではないかな。でも、かなり貢献してもらっているから、支払いは事務所がする」
「せっかくですが、もうお腹いっぱいです」
と断った。
ゴールデンウィークには、ボランティアの募集がされていた。M's messageのメンバーは、早速被災地へ駆けつけ、ニュースで取り上げられた。怜夢は、美鳥以外の素顔に近い姿を見るのは、初めてだった。おそらく、このテレビを見た、ほとんどの人がそうだったと思う。以前、美鳥が『みんな、素顔は、かわいい』と言っていたのを思い出し、確かにと、納得した。始まる前に受けた、美鳥と美月のインタビューは、
「私たちは、まだ駆け出しのバンドなので、寄付金は、少ないかもしれませんが美鳥様の地元のために、頑張りたいです」
「地元の復興に、少しでも役に立ちたいと駆けつけました。よろしくお願いします」
その後、メンバーが、汗をかきながら瓦礫を運び出す映像が流れ、年輩の方が、インタビューで、
「ロックバンドやっている人たちなの? 知らないけど、綺麗なお姉さんたちが、汗まみれ泥まみれになって、よく働いてくれてた」
と言い、40代ぐらいの方は、
「正直、こういうところへくる芸能人って、売名行為って思っていました。でも、M's messageさんは、違いました。私たちより、一生懸命に働いていて、ファンになりました」
と言っていた。その日の作業終了後、美鳥が、全身泥まみれの格好で、それでも笑顔で、
「今日は、ありがとうございました。また来ます。絶対に来ます。ちょくちょく来ます。よろしくお願いします」
と言って、スタジオの映像に切り替わった。男女のアナウンサーが、メンバーの行為を賞賛していた。怜夢は、気づくと、目から涙が出ていた。
美鳥の地元では、知名度が低いM's messageではあったが、ボランティア活動で一生懸命に作業する姿が度々ニュースで取り上げられて、話題になった。ローカル番組にも、ゲスト出演する機会も増え着実に知名度がアップしていた。それと共に『ライブをしてほしい』『生で、歌を聴きたい』との声を、聞くようになった。メンバーで話し合い、事務所の許可や、ローカル局の協力を得て『M's message被災地限定無料ライブ』を開催することにした。
美鳥は、地元の県、市などの採用試験も受けていた。どうせ、落とされるからと言って、警察も受けたようだ。気づいた人もいたようで、SNSで、美鳥が試験会場に入っていく姿が、挙げられていた。怜夢にも、週刊誌の取材があった。
「一応、4年生だから試験ぐらい受けてみる。というようなことは、言っていました。バンドが、人気が出てきたので、やめるつもりは、ないと思います」
そう答えた。しかし、数日後にコンビニで、表紙に『M's message解散』と書かれた週刊誌を見つけた。立ち読みも、気がひけるので、1冊だけ買った。帰って、読んでいると友人談として怜夢が言った内容とは違うものだった。でも、そうだとすると、誰? 未里奈? その時、電話が鳴った。美鳥だ。
「もしもし」
「怜夢、もしかしたら、取材とか受けた? 」
「うん。でも、私が言った内容とは、違う」
「そうだろうね。多分、未里奈もこんなこと言わない。迷惑かけて、ごめんね」
「私より、美鳥の方が、迷惑を受けているでしょ? 」
「私は、週刊誌に載るくらいの少しだけ有名人だから、仕方がないけど怜夢は一般人だからね。取材とか、しないでほしいの。どうせ、聞いたとおりに書かないし」
「それは、言える」
「もし、売上が、よかったりしたら、第2、第3弾があるかもしれない」
「しまった。表紙に騙されて、売上に貢献した」
「真実を知る人が、そんなのに騙されないで。正式に決定した時には、隠さず言うから。それと、記者はいろんなことを、聞き出すプロだから、怜夢や未里奈が、本当のことを喋ってしまっても、仕方ない。それからのことは、こっちが、対処しないといけないから」
「わかった。ありがとう」
「私、これから、未里奈に謝罪の電話するから。またね」
怜夢も、別れの挨拶をしようとしたが、もう切られていた。
美鳥は、4連覇を目指して出場する大会と、地元でのライブのために製作したミニアルバムの発売日が、重なってしまったことを、悔やんでいた。
「まさか、こんな大事な大会を、怠けるつもりじゃないでしょうね? 美鳥が、4連覇するか私が阻止するか注目されてる大会なのよ」
「わかっているよ。でも、今回のミニアルバムは、初めて全曲の作詞をしたんだよ。発売イベントだって、行きたかったのに」
「未里奈も、少しは美鳥の気持ちも考えてよ。初めての、地元ライブだから忙しい中でも時間を割いていたんだから。サークルも、毎回参加してたし」
「怜夢は、大会の日は、私たちのマネージャーだから、迷惑かけないようにしよう。ね、未里奈」
未里奈は、教えてくれないけど、剣道に関係ある仕事が、決まっている。そのためにも、1つでも多く、優勝したいようだ。それも、美鳥を倒して。
大会当日まで、未里奈は、美鳥に対して、焚き付けるようなことを言う場面が多かった。これも、未里奈が美鳥に勝つための、作戦のように思えた。しかし、美鳥の4連覇が決まると2人は何度も握手して、ハグして、そして讃えあった。2人の圧倒的な試合を含めて、4回とも、全く同じ光景を見た気がした。怜夢は、美鳥が、気にしていた発売イベントを検索すると、まだギリギリ間に合う時間だった。
「美鳥。急いで、タクシーに乗れば、間に合うかも」
「私も行く」
美鳥と未里奈は、更衣室に向かった。怜夢は、その間にタクシーを呼ぶ。2人が、着替えて怜夢の前に現れたタイミングで、タクシーが、到着した。
「さすが、怜夢マネージャー」
「だいたい、さっきのインタビューでも、宣伝してたのにまだ足りないの? 」
「マネージャー。未里奈は、この辺で降ろそう」
口では、そんなことを言っているが、手を繋いで、戯れている。ほんとうに仲良いな。会場には、すぐ到着した。美鳥は
「ごめん、怜夢。領収書もらってね」
と言って、荷物を背負って、走っていった。支払いをして、未里奈とゆっくり歩くと人集りがあった。美鳥が、姿を見せたことで、より盛り上がったところだった。すでに、この会場にも美鳥の4連覇を知っている人も多く『おめでとう』の声も聞こえた。美鳥が、インタビューされているが、この場所からでは他人の頭しか見えない。すると、M's messageのマネージャーが、怜夢たちに近づいて、
「向こうへ、行きましょう」
と、ステージ脇に連れて行かれた。椅子を勧められて、座る。タクシーの領収書を渡すと、多めにもらった。
「今回のミニアルバムは、美鳥のさまざまな想いが、込められていたので、どうしても来てほしかった。ありがとう」
『M's message 被災地限定無料ライブ』の前日、メンバーは機材と共に車に乗って現地へ向かった。このライブは、現地だけでなく他からの反響も大きかったため、無料配信も決まった。だいたい、いつもそうだが、メンバーは、機材と一緒かそれより前に現地入りしそれを降ろすのも、やるそうだ。そして、セッティング、リハーサルをして、夕方からローカル番組に出演する。そして、当日はボランティア活動をして、本番を迎えると聞いた。タフなグループだなぁと、感心した。
怜夢は、無料配信の開始を待っていた。18時ちょうどに、始まった。6曲のミニアルバムの順番通りに3曲やったところで、MCになった。
「みなさん、こんばんは。M's messageです。いきなりですが、私たちのライブ、みられたことある方いらっしゃいますか? 」
会場の様子を見て、
「2人。しかも、私の大学の先輩ですね。恥ずかしい。でも、仕方ないんです。ここは、私の出身地なんですが、初めてのライブです。普段は、バラードは、ほとんどやらないんですが、先日発売したミニアルバムは、ほとんど今日のために製作しました。初めてみる人のため、そして被災地になってしまった、私の大好きなここや、ここに住む人に、今はわからなくても、いつか届いてほしいと思って、書いたメッセージソングです。無料ライブだから手を抜いた、とか言われないためにも、残りの3曲は後に回して、ここからは普段やっているような曲を、続けてやります」
一転して、ロックンロールサウンドになり美鳥がステージを駆け巡る。無料配信だから文句は言えないが、カメラが、固定だから、ちょくちょく画面から美鳥が消えた。5曲続けたところで、美鳥と美月が何か喋っている。美月が、
「美鳥様、地元ではしゃぎ過ぎてメンバー紹介ができないっていうんで」
美鳥は、声が出なくなった。メンバー紹介できない。美月さんお願いします。身振り手振りで、そんなことをしている。美月が、喋り出すと美鳥は、水を飲みながら眺めて、最後に自分が紹介される番になると、水を置いて、ステージの真ん中に立って、観客を煽った。すると、
「ボーカルは、地元のスーパースターなので、紹介は、いりませんね? 」
と言って、次の曲の演奏が、始まった。美鳥は、悲しそうな表情を浮かべながら、いつも通り歌い出した。また5曲歌って、美鳥が紙を取り出して、MC。
「みなさん。いかがですか? 賑やかなサウンドの中から聞こえる、私の下手な歌。じゃなくて、誰だよこのカンペ書いたの」
美鳥が、メンバーを1人ずつみる。みんな、自分じゃないと言うように手を振る。美鳥は、紙を丸めてステージの後方へ投げた。
「私は、歌っていうより、メッセージを届けています。ミニアルバムの残り3曲やります。私の歌が、下手なのがバレる、バラードです」
また、一気に雰囲気が、変わる。美鳥は、歌によって声も変える。まるで、どんな歌い方をすれば他人の心に届くか、知っているかのように。多分、会場中、涙しているはずだ。その3曲が、終わるとメンバー全員画面から消えていった。
5分ほど待つと、再びメンバーが現れた。美鳥が、
「アンコールありがとうございます。実は、アンコールしてもらえないだろうと思って、用意していません。私たちも、生活が掛かっているので有料の会場にお越しください」
「つまんないこと言ってないで、始めるぞ」
美月の一言で、演奏が始まる。美鳥も、それまで以上にステージを駆け巡る。最後に昨年末に賞レース争いをした曲で、締めた。怜夢は、すぐに、美鳥にLINEを送った。『最高のライブだった。無料配信でみたのが、後ろめたい気分にさせた』返信は、すぐにあった。『ありがとう。これからグッズ販売で、儲けるよ』さすが。
ライブの反響は、すごかった。検索ワードでも、何日間かは、上位だったため、ニュースやワイドショーでも、取り上げられた。併せて、美鳥の脱退も、再び脚光を浴びた。その後の、ボランティア活動でも「やめないで」「歌で、勇気や希望を与えて」と言われることが、多くなった。ローカル番組でも、ゲスト出演するとそんなことを視聴者や、スタッフなどから聞くようになった。美鳥は、どうすべきか、正直悩んでいると、電話で打ち明けた。
「私は、やっぱりバンドを、続けてほしいな。地方職になって、地元の復興、っていうのは、誰がなっても、できる。歌って、メッセージを届けられるのは、美鳥しかいない」
「実際、バンドの、コンセプトでもあるから、そんなこと言っているけど、ほんとうに届いているのかなぁ」
「今まで、ライブに行って、帰る頃にはほとんどの人は、泣いてるよ。届いてると思う」
「私の歌詞、どうだった? 今回は、思い入れが強すぎて、喋り過ぎてしまった」
「よかったよ。今も、これからも、胸に残る、素敵なメッセージだった」
「ありがとう」
「私、美鳥には、陽の当たる場所にいてほしい。私だけじゃなく、みんなの憧れであり続けてほしい。実は、まだ決まってないから、はっきり言えないけど美鳥を支えられるような、仕事を探して、試験を受けているんだ」
「そうなんだ。って、まだ私がどうするか決めてないのに」
「多分、美鳥が、こっちを選ぶだろうと、思っていたから」
「私、天邪鬼だからなぁ」
怜夢が、何と言っても美鳥は、結局自分で決めるだろうと思っていた。
「それより、この前のライブのドキュメント番組が、明日放送されるみたい。ローカル局に、キー局から映像が欲しいと、かなり連絡があったらしいから、結構いろんな番組でも映るかも」
「ニュースやワイドショーでは、映っているよ」
「そうなんだ。とりあえず、明日は、私たちも出演するから、みてね。じゃあ、またね」
そう言って、切られた。