第55話 深層からの使者
(三人称視点)
「アルちゃん、やっぱり引き返そうよぉ……」
前人未踏の地。時と時の狭間にて。
ダンジョンという場に似つかわしくない、幼なげな少女の声が響く。
「なんじゃレヴィ。もう怖気付いたのか? それでも魔王かお前は!」
「だって、見るからに怪しいよぉ……下層へ上がる通路の結界が、いきなり解除されてるなんてぇ……」
レヴィと呼ばれた緑髪の幼女は、目に涙を浮かべながら傍の少女に縋り付いた。
真っ黒なフードで小さな身体を覆い隠しているが、不安からくる震えは隠し切れていない。
「バカじゃの〜、そんなの、結界の主が倒されたからに決まっておるじゃろ。そんな事も分からんのか?」
対して、アルと呼ばれた幼女……その幼い体つきに見合わぬ、尊大な口調の黒髪幼女は、レヴィの発言を鼻で笑った。
「そ、そうじゃなくてぇ……今まで誰も破れなかった結界なんだよ? なのに何の前触れもなく、いきなり無くなるなんておかしいよぉ……」
「何を言っとるんじゃお前は? 結界の主を倒せば結界は消える。当たり前の話じゃろう。深層と下層を隔てる結界の主が、誰かに倒された。それだけ分かれば十分じゃ」
「じゃあ、なんで倒した人は深層に降りてこないの……? 向こう側、下層側の誰かが結界の主を倒したのなら、普通深層に降りてくるんじゃないの?」
「知らんわ。大方相打ちになったか、深手を負って引き返したとか、そんな所じゃろ。いずれにせよ、これはまたとない機会じゃ」
黒髪の幼女は、金色の瞳を爛々と輝かせる。
「今なら深層と下層の行き来は自由。今の内に儂等が下層へ上がれば、人間共を好き勝手できるという訳じゃ! こんな機会は二度とないかもしれんぞ?」
「そ、そもそも人間なんて美味しいの……? 倒しても大した糧にならないし、人間に会う為にわざわざ下層に向かう必要あるのかなぁ……?」
「さっきも言ったじゃろ。別に人間そのものに大した興味はない。ちょっとした観光気分じゃ。この機会を逃したら、次はいつ下層に行けるかわからんし……それにほら、ムカムカした時に地を這う蟻を潰して憂さ晴らししたくなる時、あるじゃろ?」
見た目は人間とさほど変わらない。しかし絶対に人間には真似できない残酷な表情で、アルは嗤う。
「ただの憂さ晴らしじゃ、憂さ晴らし。深層に閉じ込められていた分と、他の魔王に領土を乗っ取られた腹いせに、ちょっと暴れてやるだけじゃ」
「アルちゃん、ここ最近負け続きだったもんね」
「う、うっさいわ! そもそもレヴィが不甲斐ないせいで負けたんじゃ! せっかく同盟を組んでいるというのに、なんで碌に戦わんのじゃお前は!」
「えぇ……戦いなんて怖いし、やりたくないよぉ……」
レヴィは蒼い瞳に涙を浮かべながら、隣を歩くアルの細腕にしがみ付く。
本人の下層へ向かう足取りは重かったが、アルの歩調に引きずられるような形で、嫌々ながらも下層への入り口に辿り着いてしまった。
「そもそも下層の存在が、私達深層の存在の侵入を阻める時点でおかしいよぉ……絶対あれ、ただの結界じゃないよぉ……」
「グダグダうっさいぞレヴィ。ほれ、着いたぞ」
螺旋階段の様に上空へ伸びる、下層への唯一の道。
その階段は途中で、靄に覆われたように見えなくなっている。
時間のズレが引き起こす事象だ。靄の先は、文字通り別の世界であることを意味している。
「あとは階段を上るだけ。さーて、下層はどんな所なんじゃろうなー? 美味しい食べ物でもあれば嬉しいんじゃが」
「や、やっぱりやめようよぉ! もしかしたら罠かもしれないし……」
「じゃあレヴィはここでお留守番じゃな。儂は下層に遊びに行くから」
「え、えぇ〜〜!?」
レヴィを置いて一人で階段を上り始めるアルを見て、レヴィは悩んだが……結局慌てて、アルの後を追いかけ始めた。
◆
「ほ〜ん、ここが下層か……予想はしとったが、やっぱり魔力濃度が薄いの」
階段を上り切り、漆黒の空間――下層最後ボスの間に辿り着いたアルは、白けた様子でそんな事を呟いた。
「なんじゃこの真っ黒な部屋は。これがボス部屋というやつかの? こんな暗い所に住むボスなんて、さぞかし陰気で根暗な奴に違いないわ」
「確か、ここに居るボスはシャドウマスターっていう魔物らしいけど……私たちの他には、誰も居ないね」
遅れて到着したレヴィが、辺りを観察する。
通常、ボス部屋には各階層の最終ボスが常駐している。
しかしこの部屋には、ボスであるシャドウマスターの気配は微塵も感じられなかった。
「ま、居ないなら居ないで別に構わん。大方どこぞの人類に倒されたばかりで、再出現しとらんのじゃろ」
「やっぱりおかしいよぉ。戦闘の痕跡が全然ない……結界の主、シャドウマスターの身に何が……?」
「どうでも良い。重要なのはこうして、無事に下層に来れたという事実じゃ。ほれ、さっさと探索するぞ。意外と面白い物が転がっておるかもしれん」
「うーん……」
さっさと先に進もうとするアルをよそに、ペタペタと壁や床を触るレヴィ。
そしてレヴィは、些細な違和感に気づく。
「これ……外部から補強されてる……?」
「ん?」
「ううん、補強じゃない……強制的な変形? 何か、別のところからボス部屋に魔力が送り込まれてる……それがこのボス部屋を外側から、地形操作みたいに無理やり変形させて、深層への入り口を塞いでた……?」
「おーい、いつまでやっとるんじゃー。そんなもんどうでも良いじゃろうが。シャドウマスターがリポップする前に、さっさと――」
アルの言葉は途中で止まった。
背後に、何者かの気配を感じ取ったからだ。
「ッ! なんじゃ!?」
それは手だった。
人間の右手。手首から先の部分だけを切り取ったかの様に、手だけが宙に浮いている。
「なんじゃこれ……こんな魔物いたかの?」
「!? アルちゃん、それ魔物じゃない!! 離れ――」
『遅ぇよ。――【時間掌握】』
虚空から男の声が響く。
直後、アルとレヴィ、二人の動きが停止する。
まるで標本にでもされたかのように、瞬き一つせずピタリと固まってしまった。
『人型の魔王種かあ……可食部位が殆ど無いから、食材アイテムもドロップしてくれないんだよね。ホムラちゃんへのご馳走を用意しようと思ってたけど、宛が外れたなあ。残念』
声に失望を滲ませながらも、宙に浮く右手は二人を亜空間に収納していく。
やがて誰もいなくなり、下層最終ボスの間はいつもの静寂を取り戻した。
『まあ罠には引っ掛かってくれたし、後で色々と尋問させてもらおう』
◆
(一人称視点)
そして、止まり木亭に来客が訪れる。
開店以来、お迎えなしでやってきた初めてのお客様だ。
「――こんにちは! 約束通り来ました、トオルさん!」
やってきたのはホムラちゃん。
以前に手巻き寿司パーティーで再会した時、来店の予約を承っていたのだ。
実際、彼女の実力ならばもう、一人で来店するくらいなら問題はないと判断した。
そして期待通り、彼女は予約時間ぴったりにやってきた。
「時間通りだね、いらっしゃいホムラちゃん」
「やっと……やっと辿り着きました。自分一人の力だけでの来店。これでもう、いつでも好きな時にお店に来れます……! そう、毎日だって!」
小さくガッツポーズを繰り返すホムラちゃん。
目標を達成して、余程嬉しかったのだろう。
「しかしまだです。自力来店はあくまで中間目標。次のステップに進むためには、下層の完全攻略が必要です」
「ん?」
「今日はその景気付け、戦前の腹ごしらえに来ました!! トオルさん、今日はいっぱい食べるつもりなので、何卒よろしくお願いします!」
やっべ、シャドウマスターまだリポップしてないんだよな……
なんて言い訳しよう。




