第32話 狗雷美香
クライは最初、自分の舌が弾け飛んだのかと思った。
白いクリーム状の感情エネルギーが伝えてくるのは、砂糖菓子のような甘い信号。
しかし甘すぎずしつこすぎず、舌上で溶けてすぐになくなる。
続けてやってくるのはオリーブオイルとローズマリーの香りと、塩とニンニクのパンチの効いた辛味だ。
ラム肉に似た風味のアビスデーモンの肉と、塩辛い刺激が組み合わさり、肉料理としての美味しさを最大限に引き出していた。
「――ッ! 〜〜これ美味しい!!?」
それをクライの脳が認識した後は、先ほどのユダと同じような反応だった。
フォークとナイフの動きを早め、夢中になって肉を口に含む。
「これっ、クリームの部分が甘くて、でもしつこくなくて! なのに不思議ともっともっと食べたくなる……舌が欲しがっちゃう! そこに容赦なくスパイスの効いた辛味が襲いかかってくるの! こんなのズルいよ〜!!」
「うわ……めっちゃ美味しそうに食べてる、俺もこんな感じだったの……?」
:うまそおおおお
:こんな美味しそうに物食べてるミカちゃん初めて見たかも
:人間の欲望って甘いのか!
:肉汁もクリームもすごい、絵面だけで涎が出てくる
「肉の方は見た目通り羊の肉に近いかな、それを香辛料がちゃんと味を引き立ててて、噛むと口一杯に肉汁と辛味の信号が広がるの! で、ヒリヒリする口内を落ち着かせたくて、甘いクリームが食べたくなっちゃう……でもクリームは一瞬で溶けて、すぐにスパイシーな刺激が襲ってくるの! もうその繰り返し! こんなのフォークが止まんないよー!」
「良かった良かった。一杯あるから好きなだけ食べてって!」
「はーい! あ、良かったらユキヤくんもたべる?」
「(ファンに刺されそうなので)遠慮しておきます」
:じゃあ俺が代わりに食べる
:ユダ君謙虚だなぁ……好感もてそう
:俺も一回くらい女性と食事したい
:お前はまずそのコミュ障を治せ
「精神エネルギーって元々実体がないせいか、綿菓子みたいにすぐ溶けてなくなっちゃうんだよね。でもその甘さは印象に残っちゃうから、もっともっと、って食べたくなるんだよ。これを食べると、悪魔が人の精神を啜る気持ちも分かる気がするね」
「トオルさん、一応聞くんですけど、あれって害とかはないんですよね……? なんか中毒性があったりとか、肉体が悪魔に近づいちゃうとか」
「…………。食べ過ぎなければ平気だよ?」
:おいなんだ今の間は
:まぁハチミツとかも食べすぎたら中毒になるっていうし……
:辛いものに甘いものかけたら最強に決まってるわな
:ピリ辛羊肉にクリームチーズかけた感じに見える
:どっちにしろ美味すぎ確定じゃん
探索者という職業は肉体が資本だ。体調やスペックを維持するために、大量のエネルギーを必要とする。
Aランク探索者のクライミカも例外ではない。探索者らしく健啖家でもある彼女が、丸焼きを食べ尽くすのにそう時間は掛からなかった。
「――ふぅ。ご馳走様でした!! いやー本当に美味しかったぁー!」
「そう言ってもらえたら、料理人としてはもちろん嬉しいな」
「いや、お世辞抜きにめっちゃ美味しかったよ……プライベートでもまた来たいって本気で思うくらい。ウチ一人ではちょっとこれない場所だけど!」
「アハハ……」
:俺もやっぱりこの店行きたい!!!
:次の抽選はいつだ!? 今度は俺も応募する
:Cランク探索者でもチャンスはあるんだよな、今度知り合いも誘って応募してみるよ
:海外の人が飯テロされて絶叫してる。今回国内だけの抽選だったからな……
:時差もあるのに、海外からこれだけ人気っていうのは凄いな
:またXXでトレンド入りしてる。ランキング一位だ
「……人気が出てくれて何よりだよ。近いうちにまた抽選招待はやるつもりだから、リスナーさん達は期待して待っててほしい。今度はもうちょっと枠を広げてもいいかもね?」
トオルのその一言で、コメント欄の勢いは更に加熱していく。
今日この日の配信は、一般の探索者でもこの魔物料理店に来れるチャンスがあると、世界中に認知させる十分な配信となった。
――その後、お腹の調子を取り戻したユダがお代わりを注文したり。
それに触発されてクライがデザートを注文して、また動画がバズったりする一幕もあったが。
結果として、初日の招待配信は大成功に終わったのだった。
◆
(まじで美味しかったな、あの店)
帰還したユダは、しばらく時間が経ってもあの味の事を思い出していた。
間も無く夕食の時間だというのに、衝撃が強すぎて食欲がしばらく湧かない程だ。
(急激に舌が肥えてしまった感覚がある……しばらくはまともに食事できんかもな、俺)
そう考えて、ユダは一つの考えに至った。
そもそも、自分はどういった動機で抽選に応募したのか。
「ダンジョン食材……練習すれば、俺にもいつかあんな料理が再現できるんだろうか?」
ダンジョンには魔物のドロップ、自生する植物など含め、多種多様な食材が存在する。
しかしその大半は地上に持ち帰られることはない。
重い、嵩張る、傷みやすい。殆どの食材はこの三拍子が揃っており、持ち帰る労力に対する対価が見合わないのだ。
トオルの様に無尽蔵に素材を収納できるなら別だが、大半の探索者はそうではない。どの素材を持ち帰るか、どこまで持ち運べるか、天秤にかける必要がある。
それに金を稼ぐだけなら、他に効率の良い素材はいくらでもある。故に食材は一般にはハズレ扱い。その場で捨て置かれる事が殆どだ。
「食材を捨てるのが勿体無くて、前はその場で調理してみたんだよな……前回は失敗したけど、次はもう少し上手くやれる気がする」
もし食材をダンジョンで自給自足できるようになれば、探索者としての活動にもっと幅が生まれるだろう。
少なくとも味気ない携帯食ばかりの生活よりはマシだと考えた。
「……待てよ。俺と同じ考えの人間、実は一杯いるのでは? 食材系アイテムの需要、結構高くなってるのか……?」
ユダの考察は正しい。
トオルの料理配信が世界中でバズった結果、ダンジョン料理を食べてみたいという人間が急激に増加し、ダンジョン食材に対して特需ともいえる事象が発生しつつあった。
しかし、前述した通り食材を持ち帰るのは至難の技だ。それを安定的に仕入れられる探索者など、世界中を見渡してもそうはいない。
「……ちょっとモチベ出てきたな。明日、ダンジョンに潜ってみるか」
自分で料理するか、地上に持ち帰って売り捌くか。
どちらにせよ、ハズレと思っていた食材に新たな使い道が生まれたのは喜ぶべきことだ。
ユダは久しく心を躍らせながら、明日の探索の準備に取り掛かった。
◆
「――いや〜、ホントに美味しかったよ。ウチにもっと実力があれば、毎日通っちゃうくらいには気に入っちゃった。プライベートでまた行きたいってのも嘘じゃないよ?」
クライミカは、気分良さげに食事の感想を述べていた。
地上に帰還した彼女は今、カメラにも晒されていない。配信者としての仮面を被る必要も、ない。
『食事の感想はいい。どうだった』
「ん〜、とりあえず最低限の目的は果たせたよ。電池も充電させてもらったしね」
『止まり木亭』で充電したスマホ片手に、クライは電話越しの相手にそう伝えた。
髪先を弄るもう片手の指からは、バチバチと電撃が走っている。
「店内の電力は、自家発電機と外部電力を併用したものだね。発電機の方は多分魔力を流して発電してるんだろうけど、それだけじゃオーブンとか動かすのはしんどいもんね〜。……あ、ちょっと電池やばいかも」
クライは少し慌てて、スマホの充電口に指先をあてた。
すると指先から電撃が放たれ、スマホのバッテリーがみるみる回復していく。
「ふぅ。そろそろバッテリーの寿命かなぁ、買い替えないと……で、どこまで話したっけ?」
『例の店の、電力源についてだ』
「ああ、そうだったそうだった。で、外部電力の方だけど……これ、国内じゃないね。電圧とかは日本向けに変換されてるけど、魔力の味が違う。大元は国外から送電されてるよ」
……万物には魔力が宿る。
水、空気、固体、そして電気。
人類にとって欠かせないエネルギーにも、微量ながら魔力が含まれている。
そして狗雷美香は、その微弱な魔力を認識できる。
ユダが自身のスキルで、お粥の水の違和感に気づいた様に。
クライは自身の『電気を操るスキル』の力で、電気そのもの、または電気に含まれた魔力から様々な情報を読み取り、操作できるのだ。
例えば、充電された電力がどこから来たのか逆探知したり。例えば、ネットワーク越しに電子機器に介入して、超高倍率の抽選結果を操作したり。
『……国外か。奴に支援者が居る事は予想できていたが、やはり国外の者である線が濃厚か』
「まだ確定ではないけどね、私もその可能性は高いと思うよ? ……店長さん、戸籍ないみたいだしね、パラレルワールドから来たっていう話が本当なら、仕方ない話だと思うけど」
『戸籍の無い人物は、国内では様々な制約がかかる。我々日本政府に察知されず、インフラや設備を提供した支援者が居るのはほぼ確実だな』
一般には知られていないが、クライミカは探索者の他にもう一つの顔を持つ。
日本政府の要請に応じて、様々な任務をこなすエージェントとしての顔だ。
『クライ。逆川透を、奴を間近に見てどう思った』
「勝てないね。彼が本気になったら、日本どころか世界が滅ぶ。それくらいの実力差を感じたよ。手荒な真似はやめた方がいいと思うなー」
『……個人でそれだけの戦力を保有しているとなると、やはり監視は継続する必要があるな』
「えー、勘弁してよもうー。今回の介入もだいぶ無茶したんだからね? 流石にあんな抽選でたまたまAランク探索者に当たりましたーなんて出来過ぎだって! ウチめっちゃ反対したの覚えてる?」
『仕方がない、事態は一刻を争う。奴の正体、目的、また奴の矛先がこちらに向く心配がないか。政府としては迅速に確認する必要があった。日本以外から支援を受けているとなれば、尚更だ』
ぷりぷりと可愛らしく怒ってみせるクライだが、電話の相手はどこ吹く風だった。
『……それで、念の為確認だが。奴にお前の正体はバレてはいないよな?』
「いやごめん、多分バレてる」
『はぁ!?』
電話の相手の冷静な声が、一瞬でかなぐり捨てられた。
『な、おま……どういう事態か理解してるのか!? お前を使ってスパイの真似事をしたと知られたら、奴がどういう態度をとるか――』
「あー多分大丈夫だよ。なんか見逃してくれてるような雰囲気だったし。終始普通のお客さんとして対応してもらえたし。それに店長さんには、多分世界をどうこうしようって気はないと思うなー」
Aランク探索者としての、クライミカの感覚は本物だ。
トオルに初めてあった時から、その視線をクライはずっと感じ取っていた。
トオルは客の挙動をよく見ている。それがユダであっても、クライであっても。
『……お前は大丈夫だというが、根拠はあるのか?』
「ないよ? 探索者としての勘」
『……』
「ちょっとは信用してよー、ウチこれでも日本を代表する探索者なんだよー? その直感もあながち捨てたもんじゃないと思うけどなー」
『……まぁいい。奴が何もアクションを起こさないのであれば、こちらも現状を維持するまでだ。引き続き奴の動向に気を配り続けろ』
「はーい。といっても、私じゃあの店まで自力で行けないし、監視にも限界はあると思うけどね?」
『そこは問題ない。こちらで協力者を用意した。近々お前にはもう一度渋谷ダンジョンに潜ってもらう』
「……はい?」
『奴に注意を向けているのは、日本だけではないという事だ』




