第31話 『アビスデーモンの丸焼き』
「――――」
嗅ぎ慣れた米の風味、するりと抜ける草の芳香。
お粥の優しい味わいを壊さない程度に、控えめに主張する卵と塩。
とこしえ草の風味は、強いて言うならよもぎ草に近いだろうか? すっきりとした心地よい感覚は、回復薬の材料と言われて納得できるものだった。
「美味い……」
自然と言葉が溢れる。
これまで食べてきたどのお粥より美味しい。ユダは掛け値なしにそう思えた。
身体の芯にじんわりと熱が伝わっていって、身体の調子を整えてくれる感覚。
その暖かな感覚に目を細めつつ、自然と手は次の一杯を匙にすくっていた。
(俺の身体がじんわり暖かくなっていくのが分かる。辛いものを食べた時の、チリチリと炙られるように熱を帯びるのとは違う、全身の血管を内側からマッサージされてるように、柔らかく解してくる)
一滴足りともこぼさないようゆっくりと、しかしユダは正確に匙を運ぶ。
脇目も振らず、言葉を発することもなく、しばらく匙が皿に当たる音だけが続いていた。
ユダは料理に夢中になっていた。
緊張による腹痛も、配信中に無言になってしまう事への罪悪感も、この瞬間だけは全てが消え失せていた。
――皿の中身はあっという間に空になった。
その事実を認識したユダは、幸福感と喪失感を同時に抱きながら、ある疑問を脳裏に膨らませていた。
(何が違う)
今まで食べたお粥の中で、最も美味しいものであったことは断言できる。
しかしユダはその理由を知りたかった。只のお粥が、なぜこれほどまで完成された料理へと昇華されたのか。
(米や卵なんかはスーパーでも売ってるものだ。ダンジョン食材を入れるだけで、果たしてここまで変わるものなんだろうか?)
探索者として養われたユダの直感が、それだけではないと否定している。
とこしえ草以外の要因。配信の様子を思い返して、ユダはある事に気づいた。
「……水」
「うん?」
トオルが素っ頓狂な声を出す。
勘違いしたのかグラスの水が手品の様に一瞬で満たされたが。それは問題じゃない。
「米を炊いた時の水……あれは、多分普通の水じゃなかった。トオルさん、一体何を使ったんですか?」
ユダがその事実に気づいたのは、自身が宿すスキルによる要因が大きい。
人類に約八割の確率で宿る超常現象。彼は液体を操るスキルの所持者であった。
故に、ユダの胃袋から血管へと巡る熱。その流れがあまりにもスムーズである事に違和感を覚えたのだ。
「あー、よく気づいたね? 確かにちょっと水に細工はしたけれども」
果たしてユダの疑念は的中していた。
トオルは少し罰の悪そうな顔で、渋々と白状する。
「水自体は普通の軟水だよ。けど魔力濃度を弄った。ユダさん、ちょっと具合悪そうだったから」
万物には魔力が宿る。地上、あるいはダンジョンに流れる水も例外ではない。
魔力は少なからず人体に影響を及ぼす。それが薄すすぎても、その逆であっても。
「下層の魔力の濃さに当てられて酔ってるんだと思った。ユダさん、下層にきた経験なさそうだったから。だから水の魔力をユダさんの魔力の性質に近づけて、とこしえ草の効能を少し早く、強めに出るように調節したんだよ。……わざわざ言う事でもないだろうから、黙ってたんだけどね?」
「……あぁ」
ユダの口から、呆れとも感嘆ともつかない声が零れ落ちた。
トオルは配信をしながらも、きちんとユダの事を見ていたのだ。
一人一人に合わせた細やかな気配り。それを形にする技術。結果としてそれが、お粥をユダにとって極上の料理へと昇華せしめた。
(この人は、俺みたいな陰気な人間もちゃんと見てくれるんだな)
普段は人の視線を気にするユダだが、この時ばかりは不快には感じなかった。
そしてトオルに対して、自分が今言うべき事は分かりきっていた。
「――ご馳走様でした」
◆
:ユダくん、めっちゃ美味そうに食べてたな……
:わかる。人って本当に美味しいものに出会うと無言になるのよ
:俺らもつい食べてる様子を見守ってしまった。
:派手なリアクションがなくても美味しさって伝わるもんなんだね……お粥食べたい
緩やかだったコメントの流れが調子を取り戻していく。
カメラの前では、トオルがクライの注文した料理を運んでくるところであった。
「――お待たせしました。『アビスデーモンの丸焼き』です」
「わーっ、来たーっ♡」
大皿にどん、と鎮座するのは、全身こんがりと狐色に焼き上がった、アビスデーモンの丸焼きであった。
特徴的な悪魔の首や鋭い爪は取り除かれているので、何も知らない人が見れば仔牛か山羊の丸焼きに見えるだろう。
ただし、異様に膨らんだその腹部を除いては。
:でっけぇ!
:遠目に見ると思ったより小さいと思ったがやっぱでかいわ
:そりゃ、仔牛丸ごと一頭くらいの大きさはあるし……
:なんかお腹がカエルみたいに膨らんでるんですが
:ミカちゃんこんな量食べれるの!?
「ウチもこう見えて探索者だし、このくらいの量平気だよ〜! ……それよりウチは、この風船みたいなお腹が気になるな。店長さん、これ何?」
「うん、それは“夢袋"だよ。吸い取った悪夢や欲望を溜め込んでおく為の部位なんだ。ぶっちゃけ一番美味しい部位」
:夢袋……?
:あ、それは聞いた事ある。悪魔系のモンスターの一部が持ってる器官だ
:それ人間が食べて大丈夫なものなの???
:いくら店長でも流石に有害なものをメニューには載せないでしょ……多分。
「へ、へぇ〜……思ったより凄いの出てきちゃったな。じゃあ早速食べて見ちゃおう! 頂きます!」
百戦錬磨のAランク探索者は、未知の食材へと果敢に挑む。
膨らんだ腹部にクライがナイフを入れると、中からクリームチーズの様な白い液体が溢れ出した。
「わぁ……人の感情って、こんな風になるんだ。なんだかフローラルな香りもして、いい匂い」
「人の感情って悪魔の大好物だからね。一度食べたら癖になるよ」
(俺は逆に危ない気がしてきたなぁ……)
:これ、傍目から見たらとんでもないセリフに聞こえる
:ゾワゾワってきた。
:悪魔系女子クライミカ?
:女子って年齢じゃないだろあれ
:おっとミカちゃんの年齢の話はそこまでだ
とろみのある白い液体状に見えるものは、熟成された人の感情エネルギーが具現化したものである。
断面から溢れ出る肉汁と香辛料、それに感情エネルギーが放つフローラルな香りが混じり合って、クライの本能的な食欲を刺激する。
その欲望に抗うことなく、クライは禁断の果実を口にした。




