SかMか
私にとって人間は二種類しかいない。
サドかマゾか。
「ドッエッム・エッスニーモナッレエル! 俺は、お前との婚約を破棄する!」
私、ドッエッム・エッスニーモナッレエル公爵に指を突きつけ、そう宣うのは、このエイスエイム王国の第一王子ボンクラでM、違ったヴォンクウラデームだ。見かけだけは王子に相応しい金髪碧眼の美形だ。
王子の隣に寄りそうように立っているのは、私の半年違いの異母妹、ルーイことズウルーイモートだ。ストレートのストロベリーブロンド、青い瞳、小柄ながらグラマラスな肢体、可憐な美少女だ。
グラマラスな肢体こそ同じだが、女性にしては長身で黒髪の縦ロールに翡翠の瞳で、きつい顔立ちの絶世の美人の私とは全く似ていない。
王立エイスエイム学園高等部の卒業パーティーという公式の場で突然婚約破棄宣言した馬鹿王子に私は内心溜息を吐いた。まさか前世で読み漁ったネット小説での定番中の定番、卒業パーティーでの婚約破棄宣言を本当にやるとは思わなかった。
なごやかに歓談していた周囲の人々も突然の王子の婚約破棄宣言に静まり返ってしまった。皆、固唾をのんでこちらを見ている。
「婚約破棄ですか? 理由を伺っても?」
理由は分かっているが形式(?)として訊いてやる。
「お前は俺がお前の妹ズウルーイモートに心を奪われた事を許せず、妹を苛めていただろう!?」
「……公衆の面前で堂々と浮気発言かよ」
私は思わず素の口調でツッコミを入れた。小声だったので王子やルーイには聞こえなかったようだが。
「わたくしは、そんな事していません」
むしろ妹に苛められていたのは私のほうだ。
「ひどい! お姉様! わたくしのお気に入りのドレスや宝石やぬいぐるみを取り上げたり、教科書を破いたり、学園内で、わたくしの悪い噂を流したりしていたのに!」
(それ、全部、あんたが私にしてきた事だけど?)
今度は脳内でツッコミを入れた。
ルーイは王子に抱きついて泣き出した。彼女の豊かな胸が王子の上腕に当たっているのは絶対わざとだろう。
やに下がった王子に気づかれないように、ルーイは私にだけ見えるように、にやりと笑っている。当然ながら今のは嘘泣きだ。私には無理な芸当だが彼女は涙を自在に流せたり止めたりできるのだ。
「自らの罪を認めないとは、何て女だ! そんなあくどい女は、この俺に、将来の王妃に相応しくない! 俺は、お前と婚約破棄し、俺が真に愛するルーイと結婚する!」
「嬉しいです! ヴォン様!」
「はあ、そうですか」
私は白けた目で抱き合う二人を見つめ気の抜けた声で言った。
周囲も私同様、白けた目で二人を見ている。
一応、将来の公爵として、王子の婚約者として、外面だけは完璧な公爵令嬢を演じていた。そんな私だから妹がどれだけ私を貶めようと私に瑕瑾がない事くらい誰だって分かっている。もし仮に私に瑕瑾があったにしても、こんな公衆の面前で婚約破棄宣言するほうが非常識なのだ。
周囲がこんな反応では馬鹿馬鹿しくて、やってられない。蔑んだ視線を向けられたのなら大喜びだったのだけれど。
私の三年前に亡くなった今生の母はエッスニーモナッレエル公爵家の一人娘アイサレーナイだ。
母は従妹ママーハッハの婚約者だった外見だけは美しい父クウズチッチを一方的に見初め公爵家の権力で無理矢理婿にしたのだ。
そういう経緯で結婚したので父は当然ながら母を愛さなかった。
母を妊娠させると役目を果たしたんだからいいだろうと元婚約者を愛人にし彼女との間にも子供、私の半年違いの弟妹(双子の兄妹)を作ったのだ。しかも、彼らはエッスニーモナッレエル公爵家の別邸で暮らし、その生活費やら遊興費やらも公爵家から出ている。
父を愛していた母は何も言わなかったが、愛人やその子供達の元に入り浸る父の行動に段々母は荒れていった。
そんな母が私には不思議だった。
家の権力で相愛の婚約者から引き離し無理矢理婿にしたのだ。まず愛されないのは当然だろうに。
幼い頃は夫に愛されない自分に酔っているのだと思っていた。
だが、そうではないらしいと最近気づいた。
母がどんな理由で荒れているにせよ、罵倒はドMな私にはご褒美だった。
だから、荒れた母に付き合っていたのだが、罵倒だけでなく暴力行為に及びようになったので「駄目だこいつ! 早く何とかしないと!」と前世で読んだ漫画の主人公と同じ事を思い始めた。
私はドMではあるが肉体の苦痛ではなく罵倒で悦ぶタイプだ。
言葉の暴力という言葉があるが、私には肉体への暴力のほうが遙かに痛いのだ。
どれだけ言葉の刃を振るわれてもドMな私にはご褒美だが、肉体で受ける打撃は痛みと傷が残るので、ごめん被りたい。
転生者で精神年齢が大人な私は幼い頃から荒れた母の代わりに公爵の仕事を熟していたし、部下達は有能なので母を「排除」しても何の問題もない。
前世から家族に恵まれなかったからか、ドMな性質故か、肉親だろうと邪魔だと思えば手を掛ける事も厭わないし罪悪感など抱かない。
こんな私を「理解できなくても否定しないし受け入れる」と言ってくれた「彼」だけが私には特別なのだ。
けれど、この世界でも親殺しは最大の禁忌だ。できれば、直接手を下す事は避けたかった。
だから、まず母の心を折る事にした。心を折れば大抵の人間は自殺してくれるからだ。
無理なら暗殺者を雇って殺そうと決意した。前世でも邪魔な人間は、そうやって始末してきた。今更ためらったりはしない。
私の十五の誕生日、中等部の卒業式だった。
この日も荒れて暴力を振るう母に、私は母の心を折る前に幼い頃からの疑問をぶつけた。
「幼い頃は夫に愛されない自分に酔って悲劇のヒロインごっこを楽しんでいたと思っていたのですが、どうして本気で相愛の婚約者から引き離して無理矢理結婚した自分がお父様に愛されると思い込めたのですか?」
これは純粋な疑問で、母の心を折るための言葉ではなかったのに。
母は化物を見るような目で私を見た後、三階の自室のバルコニーから飛び降りた。
「計画通り」ではなかったが呆気ないほど簡単に母は死んだ。
私は労せず邪魔者を始末できたが疑問に答えてもらえなかったのは少しだけもやもやする。
だから、母が亡くなった後、何気なく家令に疑問をぶつけると彼は苦い顔で「推測ですが」と前置きして話してくれた。
母は美しく聡明な自分に自信を持っていた。まして、父の婚約者は自分がずっと見下していた従妹。無理矢理の結婚だろうと簡単に父の心を得られると思い込んでいたのだ。
誰もが美人に恋する訳ではないのに。
おそらくは家令の推測通りだと思う。生前の母の性格からして。
母の葬儀が済んだ翌日、一年の喪に服す事なく父が愛人とその子供達(私の弟妹)を連れて本邸に乗り込んで来た。
それからの日々は母と過ごした頃と変わらない。
むしろ、自分を虐げる人間が増えただけ他の人間には地獄だっただろうが私には天国だった。
母の家の金で生きている事を棚に上げ相愛の自分達を引き離した母を憎み、その母が亡くなっても外見が母に酷似した私も憎んでいる父と継母。
「お姉様、ズルイ」が口癖で私の物を何でも奪い取り、挙句、私の婚約者まで奪い取った異母妹ズウルーイモート。
まあ、元々物に執着していなかったから奪われても悲しくはないし、何より王命で王家の不良物件を押し付けられて嫌で嫌でたまらなかったから、あの馬鹿を奪ってくれた事は感謝しているけどね。
唯一、異母弟イッケンマットモーナシイスコオンことマットだけが私を姉として慕ってくれたが、ドMな私は私を苛めない弟には興味ない。
第一王子の婚約破棄宣言の後、続きそうな王子の戯言が始まる前に衛兵から騒ぎを聞きつけた国王からの命令で、私、馬鹿王子、ルーイ、マットは国王の執務室に連れて来られた。マットは婚約破棄の当事者ではないが私とルーイの身内なので。
国王の執務室には、国王だけでなく私の父クウズチッチと異母弟妹の実母である私の継母ママーハッハもいた。あらかじめ国王に父と継母を連れて来るように頼んでおいたのだ。
王子やルーイがあちこちに言い触らしていたので今日の卒業式で私に婚約破棄を突きつけるのは知っていた。そのついでに、飽きた玩具、両親を「片付け」ようと思ったのだ。
「……本当に、こんな愚行を犯すとはな」
一人掛けのソファに座っている国王が疲れたように言った。容姿だけは第一王子に似ているが、彼にはない怜悧さや威厳に満ちている。
「……父親としての最後の情けでドッエッム嬢には申し訳ないが、馬鹿なお前との婚約を王命を使ってまで整えてやったというのに」
国王に第一王子への愛情がないのは少し見ていれば誰だって分かる。
政略結婚とはいえ国王と王妃は相愛だ。王妃と結婚して三年経っても子ができなかったから周囲の勧めで仕方なく国王は伯爵令嬢タカヴィーシャを妾妃に迎えて第一王子を生ませたのだ。けれど、皮肉な事に妾妃が第一王子ヴォンクウラデームを産んだ一年後に、王妃は第二王子ユーシュを、さらにその一年後に王女チョーポジティーヴを産んだのだ。
国王が愛しているのは、王妃と彼女との間に儲けた王子と王女だけだ。妾妃とその息子には関心すらないのだ。
「父上! ルーイを新たな婚約者に! この女は妹を苛めていた性悪なのです! 将来国王となる私に相応しくありません!」
「黙れ!」
空気が震えるような怒声だった。
怒鳴られた馬鹿王子と彼の隣に座っていた妹は「ヒッ!」と悲鳴を上げ、父と継母とマットですらビクリと体を震わせた。
平然としているのは私だけだ。自分にかけられた罵倒でないなら、どれだけ迫力があってもスルーできるのだ。
「何を寝ぼけた事を言っている! 弟以外の家族に虐げられていたのはドッエッム嬢だ! それくらい調べれば、すぐ分かる事だのに姉の婚約者にすり寄るアバズレの言葉だけ鵜呑みにしおって!」
国王が私が家族に虐げられている事を知っていても私を助けなかったのは一臣下の家に肩入れする訳にはいかなかったからだろう。いくら将来息子の妻、義理の娘となる女の事でもだ。私の家のような事は貴族ならば、いくらでもある。それに一々首を突っ込んでいては大変だ。まして、彼は国王という最高権力者。だからこそ権力は私事ではなく公に使うべきなのだ。
それに、まあ虐げられていたのは、死んで生まれ変わってもドMな性質が変わらなかったこの私だ。他の人間であれば死にたくなっただろうが私にこの環境は、むしろご褒美だった。
だがそれも家族(弟以外)の苛めがワンパターンなので飽きてきた。
なので、これから弟以外の家族を「片付ける」と決めたのだ。
「それに、たとえ、お前が王妃との息子だとしても、お前のような愚か者を次期国王にするはずないだろうが!」
このエイスエイム王国の慣習で、家を継げるのは正妻の長男だ。正妻に娘だけしかいなければ正妻の長女が婿をとって家を継ぐ。正妻に子がいない場合だけ妾との子が家を継げるのだ。
なぜか馬鹿な王子は自分こそが次期国王だと思い込んでいたようだが。
国王の怒気に当てられ何も言えずにいる王子を無視して、国王は左のソファに一人で座っている私に向き直った。
「……ドッエッム嬢、いや、エッスニーモナッレエル公爵、王命で無理矢理承諾させた婚約だというのに、愚息がとんだ失礼をしてしまって、本当に申し訳ない」
言葉だけであるが、国王が私のような小娘に謝罪をしてきた。
それに少しだけ驚いた後、私は穏やかな口調で言った。
「いえ。わたくしの提案に頷いてくださっただけで充分ですから」
元々第一王子を私に、いやエッスニーモナッレエル公爵家に押しつけた事で負い目があった国王だ。さらに公衆の面前で愚息が婚約者である私の妹との浮気をばらした上、婚約破棄宣言までするという愚行までしてくれたのだ。どれだけ私が無茶な要求をしようと頷かざらるを得なかっただろうが。まあ頷かなくても勝手にやるけどね。
「陛下、エッスニーモナッレエル公爵となるのはマットです。コレではありません」
国王陛下の発言でも訂正せずにいられなかったのだろう。馬鹿なお父様が口を挟んできた。
……それにしても、国王陛下相手でも娘を「コレ」呼ばわりとは。
まあ、今更気にしないけど。
「何言っているんですか。父上。エッスニーモナッレエル公爵となるのは、いえ今日襲爵したのは、姉上ですよ」
さすがにマットは分かっている。
私が今日、エッスニーモナッレエル公爵に襲爵したのだと。
「お前こそ何言っているんだ? マット。コレが今日、エッスニーモナッレエル公爵に襲爵しただと?」
怪訝そうに同じ顔の息子を見返すお父様。
お父様の人格は最低だが見かけだけは三十六の今でも完璧な美しさを誇っている。だからこそ、今は亡きお母様は彼に心奪われ従妹の婚約者であっても公爵家の権力を使ってまで奪い取ったのだが。
短い銀髪、翡翠の瞳、白磁の肌、均整の取れた長身、中性的な美貌。
同じ顔でも性格の違いが雰囲気や表情に現われて父は傲慢だがマットには知性と優しさがある。
その表情や雰囲気から窺い知れる性格通り、私を冷遇する家族の中で異母弟だけが唯一私に優しくしてくれる。……まともな人間なら彼に感謝し肉親の情を抱くのだろうが、生憎、私はまともでないので彼を生物学上の弟としか認識していない。
「わたくしに興味ないお父様は、お忘れのようですが、今日はわたくしの十八歳の誕生日ですわ。これは当然ご存知でしょうが十八歳は、この世界の成人年齢。エッスニーモナッレエル公爵家を継ぐ事ができました」
懇切丁寧に馬鹿なお父様に教えてやる。
「あっ!?」
ようやくお父様も、それに思い至ったようだ。
「だから、飽きた玩具……いえ、何の役にも立たないあなた方を『片付ける』事にしましたの」
私は父と継母と異母妹に目を向けると、にっこりと微笑みかけた。
ドMでも悪女面な私は「にっこり」でも父と継母と異母妹には「にやり」に見えたようで睨みつけられてしまった。まあ怖くないけど。
「『片付ける』だと? 陛下の御前で、お前は何を言い出すつもりだ?」
蔑んでいた娘が公爵になった所で何もできないと高を括っているようで、お父様は何とも余裕綽々だ。
「何度も何度も、わたくしに刺客を送ってきたでしょう。肉親殺しは大罪なのですよ。お父様」
娘への虐待も罪に問えるが、それはいい。他の人間には耐えられなかっただろうが、私は、なかなか楽しめたので。
「は、何を言うかと思えば。どこにそんな証拠がある?」
「証拠があろうとなかろうと、わたくしには、どうでものいいのですよ、お父様。法で裁く気は毛頭ないので。そんな事しても、わたくしには何の得にもなりませんからね」
怪訝そうな顔のお父様に私は彼にとって衝撃的な事を告げた。
「陛下との話し合いで、ボンクラでM王子とルーイはデアードエッス帝国の後宮、お父様とお継母様はビイデイ王国の後宮に行く事が決まりましたの。ご安心なさって。相愛のお二方を引き離す事はしませんから。王家や皇家の方々も夫婦共で構わないと仰ってくださったし。ただし、後宮の女達と間違いを犯さないように王子とお父様はアレをちょん切る事になっていますわ」
ビイデイ王国やデアードエッス帝国の国民は性に奔放だ。特に王侯貴族となると、この私ですら眉をひそめるような趣味嗜好なのだ。
それでも、どちらの国も資源が豊富で公人としては有能な人間が多い。
その二国に貢ぎ者として外見だけは美しい両親と妹と元婚約者を差し出す事を国王に提案したのは私だ。
国王は一瞬の逡巡もなく第一王子さえ差し出す私の提案に頷いた。負い目のある私の提案というだけでなく国王としても愚息を「始末」したかったからだろう。
エッスニーモナッレエル公爵家の財産を食いつぶすだけの私の家族と無能な王子と引き替えに豊かな二国の資源を手に入れられるのなら安いものだ。
「はあ!? 何を言っているんだ!?」
「「はあ!? 何を言っているのよ!?」」
さすがは家族というべきか父と継母と妹は同時に同義の科白を叫んだ。
「馬鹿な事を言うな! 父上がそのような事を承知するはずないだろう!」
なぜ先程だけでなく普段の自分への国王の言動で、そう思えるのか心底不思議だ。
「残念ながら、陛下は拍子抜けするほど、あっさりとわたくしの提案に頷いてくださいましたわよ。ボンクラでM王子殿下」
「ヴォンクウラデームだ! 貴様、婚約者だのに、何度も何度も俺の名前を間違えやがって!」
「婚約破棄したでしょう。それも忘れたんですか? 本当に記憶力もない馬鹿でボンクラで実はMで生きている価値もないモノですね」
冷たい視線を向けると予想通り王子の顔は真っ赤になった。外見だけは私はSの女王様のような艶麗な美女なので、Mっ気のある男には私の蔑んだ視線はご褒美なのだ。
わざわざ喜ばせるのが馬鹿馬鹿しいので今まで王子と視線を合わせた事はなかったが(どうしても蔑んだ視線を向けてしまうから)会うのがこれで最後なので元婚約者として特別サービスしてやった。
「最後なので言っておきますが『俺が妹に心奪われた事を許せず』とほざいていましたが、わたくし、あなたに惚れてなどいませんよ。むしろ、わたくしにとって、あなたは生きている価値などないモノです」
私は、ハイスペックなイケメンや美女に罵倒されて悦ぶドMだ。勉学でも剣術でも何もかも私より劣るボンクラに罵倒されてもむかつくだけで萌えないのだ。
「はあ!? 何言ってるんだ! 公爵家の力で無理矢理、俺と婚約したんだろうが!」
怒鳴ってくる王子に、私はこれみよがしに溜息を吐いた。
「……誰に何を吹き込まれたか知りませんが、わたくしとあなたの婚約は先程陛下自身が仰ったように王命ですよ。自分で決めていいのなら、あなたのような顔がいいだけのボンクラでMな男は絶対に選ばない。むしろ、王家の不良物件を押しつけられていい迷惑でした」
仮に今日、婚約破棄などという愚行をしなくても、ボンクラでMな男など私にとっては勿論、国や領民にとっても生きる価値などない。結婚しても表向きは病死か事故死してもらって権力のある変態に売りつけて多少我が家の役に立ってもらうつもりだった。それくらいしか、このボンクラでMな馬鹿は使い道がないのだから。
「陛下! 嘘ですよね!? コレに何を吹き込まれたか知りませんが、こんな馬鹿な事がまかり通るはずありませんよね!?」
往生際悪く国王に詰め寄ろうとする父に私は冷たく先程と同じ言葉を繰り返した。
「肉親殺しは大罪なのですよ。お父様。命があるだけ感謝してくださいな」
まあ言葉の通じない他国でアレをちょん切られて尊厳を踏みにじられる人生が待っているけど。
「今日までエッスニーモナッレエル公爵家のお金で贅沢できたでしょう? 公爵家の特権を享受してきただけで義務や責任を果たさなかったのです」
欲望に忠実な私ですら今生で公爵家という高位貴族に生まれ、その恩恵を享受してきた以上、その責任を果たさなければという理性くらいはあるのだ。
だから、貴族としての特権を享受するだけで義務や責任から逃れるなど絶対に許さない。
「唯一の取り柄であるその見かけで国や民の役に立ってくださいな。それしか、あなた方の使い道はないのですから」
「貴様、実の父親に向かって!」
今度は私に詰め寄ってきた父に私は心底呆れた。
「はあ? 刺客に実の娘を犯した上で殺せと命じたクズが、それ言います?」
私の科白に、それを知っていた継母とルーイは平然としていたが、国王と王子とマットは信じられないと言いたげな視線を父に向けた。
父は公爵家の権力で相愛の婚約者から自分を無理矢理婿にした母を憎んでいた。その母に外見だけは酷似した私の事も憎んでいる。
その娘をあっさり殺したくなかったようで、クズな父は刺客達に私の尊厳を踏みにじった上で殺すように命じたのだ。
生きていても結婚前に身を穢されたら貴族女性にとって致命的だ。私以外の女性ならば生きていく事もできないほどのトラウマになるだろう。
刺客達が私を楽しませてくれるのなら純潔を散らされても全く構わなかったのだが、奴らは、いきなり突っ込もうとしてきやがったのだ。
よく考えなくても命じられた強姦だ。私を楽しませる義理などないのだが、あの時の私は、とにかく頭にきて、のしかかっていた刺客の横っ面を隠し持っていた短剣(鞘付き)で、ぶん殴って罵倒した。
「いきなり突っ込もうとするな! この体では初めてなんだから痛いだけでしょうが! 私はドMだけど肉体の苦痛ではなく罵倒で悦ぶタイプなんだからね!」
その時の刺客達の顔は何ともいえないものだった。
すっかり犯す気が失せた彼らは、どういう訳か、お父様ではなく私に従うと言い、新たに父が雇いそうな者達を説得したりして私の味方を増やしてくれたりした。刺客達にしても公爵家の財産をただ食い潰す父達より正当な公爵家の跡取りで実際に財産を生み出す私についているほうが報酬をとりっぱぐれる事がないという打算があったのだろう。
まあとにかく彼らのお陰で今も私は生きていられるので感謝しているけどね。
「そんな証拠がどこにある?」
馬鹿にしたように言い放つ父に、私は醒めた眼差しを向けた。
「言ったでしょう? 証拠があろうがなかろうが、どうでもいいと。あなた達を『片付ける』と決めたから、そうするだけだと」
「実の父親にそんな事して許される訳ないだろう!?」
「許しなど必要ない。なぜなら、私がそうすると決めたのだから」
喚く父に私は淡々と言った。
最後だから馬鹿なお父様に自分がした事が無駄だったのだと絶望に叩き込む事にした。
「刺客など送らなくてもマットが十八になったらエッスニーモナッレエル公爵家を譲るつもりだったのですよ。お父様」
マットが驚いた顔になったが、これは本当に考えていた事だ。
エッスニーモナッレエル公爵家の直系は私だが、マットもその血を引いているので私がいなければ継ぐ資格はあるのだ。だからこそ父は私に刺客を送り続けたのだ。憎んでいる娘ではなく愛する息子にエッスニーモナッレエル公爵家を継がせたかったから。
父の思惑とは関係なく私もマットであればエッスニーモナッレエル公爵家を任せられると考えたのだ。最後の手段として自分の死を偽装してでも有能な異母弟に譲るつもりだった。私に公爵は荷が重い。私はただドMな性癖を満たされれば、それでいいのだから。
「だったら、なぜ、それを言わなかった!?」
「なぜ、あなたを喜ばせる事を言わなければいけませんの?」
心底不思議だった。実の娘を散々虐げた挙句、刺客に尊厳を踏みにじった上で殺せと命じたクズな父親を喜ばせてあげる娘など普通はいないと、なぜ分からないのだろう?
確かに、私は普通の娘ではないが、だからといって、わざわざ今生の父親だというだけの男を喜ばせる事に労力など使いたくはない。
かの国々に連行する前に逃げないように、両親と異母妹と王子は離宮で軟禁する事になった。
衛兵達に執務室から連れ出され喚いていた彼らがいなくなると途端に静かになった。
「姉上、先程の話は本気なのですか?」
気になっていたのか、うるさい彼らが連れ出されると早速マットが尋ねてきた。
「あなたにエッスニーモナッレエル公爵家を譲る話なら本気よ。陛下の了承も頂いているわ」
マットは驚いた顔で国王を振り返った。
「ですが、私は貴女を虐げ刺客を送り続けた者達の身内です。貴女がエッスニーモナッレエル公爵を襲爵したら私もまた断罪されるものだと覚悟していました」
家族の中で唯一弟だけが私に優しかった。自分の目の前で家族が私を虐げていると見て見ぬふりなどせず身を挺してでも守ってくれた(ドMな私には余計なお世話だったが)。
普通ならば、それを恩に着せ自分だけは見逃せと言い出すものだが、この弟は、そんな事は言わず、自分も彼らの身内だから断罪される対象なのだと覚悟していたようだ。
「ただ単に権力のある変態に売りつけるより、あなたには使い道があるからね」
「……姉上のご期待にそえるか分かりませんが」
役に立たないと私が判断すれば家族の二の舞だと分かったようでマットの顔色が悪くなった。
「公爵になれば王女殿下を娶れるわよ」
私がまさかそんな事を言いだすとは思わなかったようでマットは虚を衝かれた顔になった。
「え?」
「あなたと王女殿下が想い合っているのは知ってる。それもあってエッスニーモナッレエル公爵家を譲ろうと思ったのよ」
同い年の第二王子ユーシュとマットはクラスメイトで親友だ。その関係で第二王子の妹である王女チョーポジティーヴとも親しくなり互いに憎からず想うようになったのだと噂されている。
別に弟の恋を成就させようとか思っている訳ではない。私は、とにかく有能な弟に家を継がせたい。そのために王女との事を持ち出しただけだ。
「……私がエッスニーモナッレエル公爵家を継いだら姉上はどうなさるのですか?」
「わたくしの事は気にしなくていい。自分一人で生きていけるくらい稼いでいるし、これから夫となる方を物色するわ」
ボンクラでM王子が婚約者でなくなっても貴族の女である以上、家のために結婚する義務がある。
だったら、せめて私好みのドSなイケメンを夫にしたい。
私が本当に結婚したい「彼」は、この世界にいないのだから――。
久しぶりに前世を夢に見た。
前世の両親もクズだった。
幼い頃から美しかった娘を金持ちの変態に売りつけて金を稼いでいたのだ。
これがまともな神経の人間であれば、精神に異常をきたすか死にたくなっただろうが、幸い(?)私はドMだった。
物心ついた頃からそういう生活だったから順応するように、そういう性質になったのかもしれない。
どちらにしろ、ドMだから前世でも私は絶望せずに生きていられたのだけれど。
売られては買われ、また売られて、そうやって変態共の間を転々とし、最後に私を買ったのは初老の男だった。
何を思ったのか、彼は買った私を妻にした。
彼の前に私を所有していた変態は彼の商売の取引相手だった。彼にとっては、はした金だっただろうが気が遠くなるほどの金額で私を買ったのだ。
私が知る限り、社会的地位のある世間的には立派に見える人間ほど人格が破綻している。
今まで私を所有していた変態共が生温く思えるほど、この時の私の所有者は、やばかった。
罵倒は私にはご褒美だったが肉体への責め苦だけはつらかった。この私ですら口にするのもおぞましい行為の数々で死にかけた私を最後のご主人様、夫となった初老の男が救ってくれたのだ。
救ってくれた恩がある。余程ひどくない限り肉体への責め苦も受け入れるつもりだった。
けれど、夫は私に何もしなった。
SM行為どころか、夫婦としての営みすらも。
「どうして私に何もしないのですか?」
尋ねた私に、旦那様は優しい顔で言ったのだ。
「そんなつもりで君を助けたのではない。ただ君を救いたかった。君に傍にいてほしかった」
取引相手、前の私のご主人様の傍にいた私を一目見て好きになったのだという。確かに、前世でも私の容姿は男の目を惹く絶世の美女だったが。
この時の私は十七歳で旦那様とは祖父と孫ほどの年齢差だ。今までのご主人様達も祖父や父ほどの年齢だったので今更気にしないけれど。
「それに年齢のせいか、私はもう男として機能しない。だから、私に隠れてなら浮気も許すよ」
「言質はとりました。後で文句言わないでくださいね」
妻のこの間髪入れずの切り返しは予想外だったようで旦那様は微妙な顔になった。
この時は、なぜ旦那様がそんな顔をするのか分からなかったし、そもそも旦那様の感情など私には、どうでもいい。
旦那様が浮気を許さなくても彼が私を満足させてくれないのなら他を当たるつもりだった。
その結果、追い出されても構わない。
私を満足させてくれる新たなご主人様を見つければいいのだから。
わざわざ探すまでもなく旦那様の傍に私の理想そのもののドSでハイスペックなイケメンがいた。イケメンという言葉では到底足りない超絶美形だ。
彼は旦那様の姉の孫で旦那様の養子、私の義理の息子だ。私より十歳年上だったけれど。
私の祖父ほどの年齢だった旦那様は当然ながら以前にも妻がいたが、十年程前に亡くなった彼女との間に子はできず一族の中で一番優秀な彼を後継者に決め養子にしたという。
私が誘惑するまでもなく彼は旦那様の留守中に私に手を出してきた。
私の容姿は充分、彼に劣情を催してくれたようだ。
相手は義理の息子で、いきなり押し倒してきたので他の女性であれば抵抗しただろうが私はしなかった。
だって……気持ちよかったのだ。
確かに、彼はいきなり押し倒してきたが、今まで相手をさせられた変態共から味わわされた行為に比べれば、ずっと優しかったし、何より巧みだった。
これがブサメンでヘタクソなら周囲や旦那様に訴えたが。
それからは、旦那様に隠れて彼と睦み合う日々だった。
すぐに私がドMだと気づいた彼は私の理想通りのドSになってくれた。優れた頭脳から放たれる罵倒だけでも満足だったが、閨も巧みで毎回意識が飛びそうになるのもよかった。
別に私を満足させてくれるドSなイケメンなら「彼」でなくてもよかった。
彼だって見かけが好みで肉欲を満たしてくれる女なら「私」でなくてもよかっただろうから、お互い様だ。
前世で最高に幸福な日々だった。
けれど、それも終わりを迎えた。
旦那様に買われて半年後、私の十八歳の誕生日だった。
この日は、旦那様のベッドで彼と睦み合っていた。
白い結婚なので当然ながら旦那様とは寝室は別だ。
いくら旦那様に浮気を許されても、さすがに旦那様のベッドで行為に及ぶのは最初は躊躇した。けれど、私の体を知り尽くした彼に愛撫されているうちに、どうでもよくなってきた。
けれど、出かけたはずの旦那様が、なぜか戻ってきて妻と義理の息子の不貞行為を見てしまったのだ。
最初は驚いたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
確かに、義理の息子と、よりによって夫のベッドで不貞行為をするのは世間的には到底許されないが旦那様は「隠れてなら浮気を許す」と言ったのだ。
ばれてしまったが、浮気自体は容認していたのだ。すぐに笑って許してくれると思っていたのに。
旦那様は、どういう訳か、烈火のごとく怒り始めた。
訳が分からなかった。
本当に理解できなかった。
「どうして怒るのですか? 浮気しても許すと仰ったでしょう?」
純粋に疑問だから尋ねたのだが、それは火に油を注ぐように旦那様の怒りを増したらしい。
「妻の浮気を本気で容認する夫がいると思っているのか!? しかも、あの劣悪な境遇から助けた私を本当に裏切ると誰が思う!? しかも、相手は義理とはいえ息子だ!」
「……格好つけで言っただけですのね」
旦那様は本気で私の浮気を容認していたのではない。だから、あの時、微妙な顔になったのだと納得した。
「では、私を売ればいい」
浮気を詰られて責められようと暴力がない罵倒は私にはご褒美だ。ある程度聞いて満足するとエンドレスになりそうな旦那様の恨み言を遮った。
「……何?」
頭に血が上っているからか、私の冷静な切り返しが意外だったのか、旦那様は眉をひそめた。
「私を許せないなら、とびっきりの変態に私を売ればいい」
旦那様にとって私を買った代金など、はした金で補填などどうでもいいだろうが、裏切った妻が許せないなら、そうすればいいだけだ。
今までと同じだ。
「そうやって生きてきたわ。売られて買われて飽きられれば、また売られて。それ以外の生き方を私は知らないもの」
別に旦那様の同情を買うつもりで言ったのではない。事実なのだ。
「では、俺が買おう」
私の隣で黙って成り行きを見守っていた彼が初めて口を開いた。
「あなたが彼女を買った代金の二倍、いや、あなたが望むだけ払う。だから、彼女をくれ」
彼は後継者として旦那様の養子となり会社では旦那様の部下だが、今は亡き祖父母や両親から受け継いだ財産を元手に独自に稼いでいる。実の所、わざわざ旦那様の会社や財産を受け継がなくても今でさえ彼は旦那様以上の金持ちなのだ。
口だけでなく旦那様が私を買った以上の代金を即座に払えるだろう。
「……お前、それが目的で私が家を出てすぐに『今、あなたの寝室に行けば、面白いものが見られれますよ』などと電話してきたのか?」
出かけた旦那様がすぐに戻ってきたのは、それが理由か。
何が目的かは分からないが、彼は旦那様に妻と義理の息子との不貞行為をばらしたかったようだ。
別に彼を責める気はない。彼がばらさなくても、いずれ知られただろうし、浮気を容認されていても(口だけだったけど)命の恩人である夫を裏切るのだ。しかも相手は義理とはいえ息子だ。最初から全てを失う覚悟もなしに浮気などしない。
「ええ。どうしても欲しかったので」
今の話の流れからして彼が「欲しいもの」は自惚れではなく「私」だろう。
「よろしいのですか? 多大な無駄使いにしかなりませんよ」
今は若く美しい外見をしているし体の相性も最高だ。けれど、容姿など加齢でいずれ衰える。そうなれば、体の相性など無意味だ。若くもなく美しくもなくなった女を抱きたがる男など、そうそういないだろうからだ。
「飽きれば売ればいいだけだろう?」
「まあ、そうですね。あなたが払った代金を補填できるかまでは分かりませんが」
事もなげに言う彼に私は納得した。彼にとっても私を買う金など、はした金だろう。失っても惜しくないのだ。
「……お前ら」
旦那様は地の底から響いてくるような低く重い声を出した。
「私を裏切った申し訳なさとかないのか!?」
「全然」
「いや全く」
私と彼の答えは同時で同義だった。
「金で若く美しい女を妻にしたんだ。こうなる事くらい予想できただろう?」
「浮気を容認すると仰ったでしょう? ばれてしまったのは私の不手際で申し訳ありませんでしたが」
彼に続いて私が言った。
「半年一緒にいて分からないのか? 彼女は、あなたの手の負える女ではない。手放すべきだ。あなた自身のためにも」
確かに、旦那様のようなまともな男性には私のような女は毒でしかない。
「あの変態、いえ前のご主人様から救い出してくださった事は本当に感謝しています」
周囲の男を色仕掛けで篭絡して、前のご主人様を殺すように仕向けていたけれど、それより早く旦那様は私を救い出してくれたのだ。
「ですが、私を楽しませてくれないなら夫は要らない。ただ夫に愛されて守られる生活など、この私には意味がないのだから」
普通の女性であれば悲惨な境遇から助けてくれた夫に感謝して浮気などせず夫に尽くすだろう。
けれど、残念ながら私は普通の女ではない。
ハイスペックなイケメンや美女に罵倒されて悦ぶドMなのだ。
「……君は、あんな人としての尊厳を踏みにじられる生活のほうがいいというのか?」
「あなのたような方には理解できないでしょうね」
信じられないと言いたげな旦那様に私は微苦笑した。
別に旦那様に私を理解してほしいとは思ってない。私自身、旦那様を理解したいと思っていないからだ。
「幸福か不幸かは本人が決める事だ。他人が口を出す事じゃない」
彼の言葉は不思議とストンと私の胸に落ちた。
人から見れば私は最低最悪な人生だっただろう。
けれど、私自身は自分を不幸だと思った事はなかった。
余程ひどい肉体の責め苦でなければ構わなかったし、他の人であれば死にたくなるような罵倒も私には、ご褒美だ。
充分この人生を楽しんでいたのだ。
「あなたには彼女を理解できない。まあ、俺だって理解できないけど。そもそも自分自身の事さえ完全に理解できないのに他人を理解できるはずがないからな。それでも――」
彼は突然私を背後から抱きしめた。
「――それでも、俺は彼女を否定しない。あなたにも誰にも彼女という人間を理解できなくて受け入れられなくても、俺だけは彼女を否定しないし受け入れる」
私は目を瞠った。
私という女を知れば、旦那様のような反応が普通だろう。
誰も私という女を、人間を、理解できない。
私のような境遇に生まれたなら大抵の人間は嘆くだろう、死にたくなるだろう。
けれど、私は、この人生を受け入れ楽しんで生きてきた。
そうでなければ生きていけなかったから、かもしれない。
何にしろ、理解できないから受け入れられない。
だのに、彼は「理解できなくても否定しないし受け入れる」と言ってくれた。
初めてだった。
そんな言葉を言ってもらえたのは。
そして、それを嬉しいと思ったのも。
「私を楽しませてくれるのなら『貴方』でなくてもよかった。けれど、今は『貴方』がいい。『貴方』でなくては駄目だわ」
無意識に言葉にしていた。
気がついて慌てたが、彼はただ「そうか」と嬉しそうに微笑んでいるだけだった。
彼にとっては「私」でなくてもいいのかもしれない。それでも私にとっては、初めて、そして、この先もきっと誰も理解できず受け入れてくれないだろう私を否定せず受け入れてくれた「彼」は特別だから。
「という訳だ。後日、言い値で払うが、取りあえず彼女は貰っていく」
彼は私の肩を抱いて寝室を出ようとした。
「待て! 私の妻だ! 誰にもやらん!」
その言葉の後、パンッと乾いた音がし私は胸に激痛が走った。
「……あ?」
左胸から血が出ていた。
振り返って見ると、いつの間にか旦那様の手には拳銃が握られていた。
撃たれたのだと遅れて気づいた。
呆然と立ち尽くす旦那様。
いつも飄々としていた彼が必死な形相で前世の私の名を叫んでいた。
それが、前世の私の最期の記憶だった。
ぱちっと目を開けると、イケメンという言葉では到底足りない超絶美形が映った。
漆黒の短髪が映える雪花石膏のごとき肌、雪の日の空のような淡い灰色の瞳、均整の取れた長身。
マットは中性的だが、彼は優美でありながら精悍な印象だ。前世の彼と同じように。
「……まだ起きてたの?」
キングサイズのベッドに私と彼は一緒に横たわっている。窓から入る外灯の明かりで何とか顔が分かる。まだ夜は明けていないのだ。
「寝られない。寝たら夢のような気がしてね」
今日、私は目の前の彼、デアードエッス帝国のドナティアン・ドーサッド侯爵と結婚した。今生でも彼は私より十歳年上だ。
で、まあ、初夜を済ませて私はそのまま寝てしまったのだが、どうやら彼は、ずっと起きていて私の寝顔を見ていたようだ。
「夢じゃないわ。夢だったら困る」
私は彼に抱きついた。
弟が十八になると私は宣言通り、エッスニーモナッレエル公爵家を譲り、ドナティアンと結婚しデアードエッス帝国のドーサッド侯爵領の領主館で暮らす事になった。
元々、弟にエッスニーモナッレエル公爵家を譲るつもりだったので、家とは関係ない私好みのドSでイケメンな夫候補を探していた。見つからなければ最終的には私好みのイケメンに限定するが前世のように身売りするつもりだった。
そんな時に、ある夜会で出会ったのが、デアードエッス帝国のドナティアン・ドーサッド侯爵だ。
彼は普段領地に籠っていて自らが行っている商売絡みでない限り自国の社交にすら参加しない事で有名な侯爵だった。
私も自らが行っている商売絡みの社交でない限り夜会には参加しないので今生で出会う事はなかった。
受ける印象は同じでも前世とは容姿が違う。
それでも一目で気づいた。
「彼」だと。
前世の私の義理の息子。
「理解できなくても否定しないし受け入れる」と言ってくれた私の唯一で特別な人。
だから、容姿がどれだけ変わっても「彼」ならば分かる。
彼もどういう訳か、一目で「私」だと気づいた。
私も彼も人目を惹く立場と容姿なので誰もいない庭の木立で話す事になったのだが、そこで、なぜか彼は私に求婚してきたのだ。
「婚約破棄したボンクラでMじゃないヴォンクウラデーム王子は我が国に売られ君は今フリーだ。俺の求婚を受けても支障ない立場だろう?」
出会ってすぐの求婚に戸惑っているだけだが、すぐに了承しない私に彼は苛立っている様子だ。
「え、でもプロボーズだなんて。出会ったばかりで」
プロポーズ自体は嬉しい。前世から愛している男性からなのだから当然だ。
けれど、彼が求婚してくる理由が分からないから戸惑うし受け入れられないのだ。
「君にも前世の記憶があるだろう? だったら、『出会ったばかり』というのは違うと思うが?」
彼は呆れ顔になった。
「……そうだけど、何で私と結婚したいの?」
今生の私もだが彼の家も裕福な高位貴族だ。財産や権力目当ての求婚というのではないだろう。
「前世から惚れていた女と結婚したいと思うのは当然だろう?」
「はい?」
彼は今さらっと、とんでもない科白を言った気がする。
「……やっぱり気づいてなかったんだな」
彼は苦笑した。
「惚れてなきゃ、義母に手を出したり、大金を払ってまで自分のものにしようとはしないよ」
確かに、言われてみれば彼ほどの男性であれば、若く美しい外見だけが取り柄のドMな義母に手を出したり買ったりしなくても簡単に心身共に美しい女性を手に入れられる。
「あの堅物な義父が大金を払ってまで妻にした女だ。最初は興味本位だったよ」
興味本位で義母に手を出した結果、体の相性が最高だった。さらには、私がドMだと知っても、それごと受け入れようという気になったので体だけでななく私自身を手に入れたいという自分の恋心に気づいたのだという。
「前世の最期に言ってくれただろう? 『俺』でなければ駄目だと。その気持ちは変わってしまったか?」
前世では飄々としていた彼が不安そうな顔をしている。私への恋心故だと思うと失望などしない。むしろ嬉しかった。
「いいえ。『貴方』であれば、外見が余程のブサメンでない限り抱かれてもいいと思っていたわ」
幸い彼は今生でも完璧に美しいが。
「私は生まれ変わっても『私』のままよ。他人が理解できず到底受け入れられない女だわ。それでも、結婚してくれるの?」
彼は私を抱きしめた。
「理解できなくても否定しないし受け入れる。その気持ちは今生でも変わらない」
私も彼を抱きしめた。
「愛しているわ。今度は夫婦として共に生きましょう」
生まれ変わっても、私は「私」のまま変わらなかった。
誰もが受け入れられないだろう私を受け入れてくれた唯一の人と、今生は愛人や義理の母子としてではなく相愛の夫婦として生きていきたい。
私にとって人間は二種類しかいない。
サドかマゾか。
それでも私を理解できなくても否定せず受け入れてくれた「彼」だけは、そんなの関係なく唯一で特別だ。
今生を共に生きる私の愛する夫。
貴方が私を否定しない限り、私も貴方を否定しないし受け入れて愛していくわ。
読んでくださり、ありがとうございました!
ドナティアンはサディズムの由来になったサド侯爵の名前からとりました。