森に採集に行こう1
早朝、私は花村に蹴り起こされ、眠たい目をこすりながら、昨日支度を済ませた装備品を手に森へ向かう準備を整えた。支度を調えながら、私は花村に蹴られたスネをたびたびさする羽目になっていた。
「もう少し穏便な起こし方ってものを知らないんですか?」
「何度も穏便に起こそうとした。それでも起きなかったのはあんただ。いい歳して他人に起こされといて文句言ってんじゃねぇ」
ぐうの音も出ない反論をされてふてくされるしかなかったけれど、急所を蹴るのはさすがにひどいと思う。普段は女らしさなど完全に放棄している私だけれど、男は女を殴ってはいけないという通説を私にも適用してくれと、こういう時ばかりは声高に女を主張してやりたい気分である。
「支度は出来たな、行くぞ」
「まあ、はい。でもこんなもの何に使うんですか?」
花村は他の旅行客達のトランクの荷物の中から、採集に使えそうな道具を集めていたらしいけれど、どう見てもガラクタばかりで何に使うのかさっぱり分からなかった。
花村に説明を促したものの、面倒くさそうに「使うときになれば分かる」とだけ言われてしまった。
日の出が近づいているようで、周囲が徐々に明るくなって来ていた。今日は本当に何が起こるか分からないのだ。少しでも時間が惜しい気持ちはさすがの私にも分かるのでそれ以上の質問は飲み込んで、花村に渡された乾パンを1枚だけ口に放り込みながら忘れ物がないか手荷物の再確認を始めた。
「菅井さんはまだ寝てますよね。どうしましょうか?」
「そうだな、置手紙でもおいていくか」
私たちは昨日菅井さんの話を聞いたあとすぐに、菅井さんの拘束を解いた。
菅井さんが赤子を殺したわけではないことが分かり、私は拘束したことを丁寧に詫びた。けれど例の独白から一転、どういうわけかすぐに泥酔状態に戻ってしまった彼女の耳に謝罪がきちんと届いていたかどうかは微妙なところだ。
森から帰るころにはさすがに起きているだろうから、その時にまた改めてきちんと謝らなければならないだろう。
「昨日あんなに謝ったのに、手紙でまた謝るのか?」
「昨日は菅井さん酔ってたじゃないですか。わが身可愛さに疑いだけで手錠まで付けさせてしまったんですから、これぐらい謝っても足らないぐらいですよ」
私たちは謝罪の言葉と食材の採集に行くということ、荷物番をお願いしたいということをメモ書きしてさっそく森へと向かった。
―――――
「ねぇ、花村さん。私たち森に採集に入ったんですよね?」
「あぁ、そういえばそうだったな」
「だったら、どうしてまだ出発地点からほとんど動いてないんですかね?」
飛行機のある拠点を出てはや1時間。私たちは拠点からほんの50メートルほど先にある森の入り口で立ち止まっていた。
理由はこの植物学者男、花村が道端の木にまるでカブトムシのようにへばりついて、動かなくなってしまったからである。
「私、眠たいところをスネを蹴られながらも頑張って起きてきたのに、なんでこんなところで止まらなきゃいけないんですか?」
「馬鹿を言うな、これはキカデオイデアに似ているが新種だぞ!」
「キカデ……え?なんですか?」
「裸子植物でありながら被子植物の性質を持つ植物……つまり被子植物の祖先のひとつかもしれない植物にこんなところで出会うことが出来たっていうのに、素通り出来るわけがないだろうが!!!」
「いや、そんなことより食料早く探しに行きましょうよ」
「お前もごちゃごちゃ言ってないでちゃんと調査しろ。……そうだな、こうなると根の方が気になるな。このシャベルで掘り返してくれ。あ、幹を傷つけるなよ」
「こんな太い木の幹なんて掘ってたら採集する体力なんて無くなっちゃいますよ!!」
飛行機事故からここまでの言動からして、私はこの花村という男を、冷静すぎるほど冷静な頭の回る人物だと判断していた。そして、頭の固いところもあるけれど、キチンと話せばそれなりに話の通る人間だと思っていた。
しかし、それは大きな間違いだったらしい。
全く状況が見えていないし、人の話も全然聞いていない。そして未だに痛む私のスネが、この男への苛立ちを増幅させていた。
「ほんっっとうに、いい加減にしてください!!!私たち遭難中なんですよ?食糧難で大人3人食べていかなきゃいけないんです!そんな食べられなさそうな木なんかほっといて先に行きましょうよ!」
「そんなに行きたいならお前1人で行ってこい。見慣れた食べられそうな葉っぱを適当に集めてきたら後で俺が仕分けしてやる」
「なんで私が1人で野草なんか取らなきゃいけないんですか!!」
昨日、猪が出るかもしれないなんて話をしたばかりの森に1人で入れだなんて、どう考えても無謀すぎる。それに素人が野草を取るなと言ったのもこの男である。
「いや待て、今お前、この木を食べられないと言ったな?」
「え、言いましたけど……逆に食べられるんですかそれ」
男が調べている植物はシダのような葉っぱを持った裸子植物だということしか素人には分からないけれど、どう見ても美味しそうではない。こういう植物にしては珍しく、綺麗な花がいくつか咲いているけれど、それだって食べられそうな様子もない。
「まさか、実は根っこがごぼうみたいな味とか、そういうことですか?」
「そんなわけあるか。来てみろ」
そう言うと花村は慣れた足取りで木から少し降りて、私に安定した足場を譲った。譲られた場所に何かあるようで、私は花村の介助を受けながら新種だという木によじ登った。
「いくつかの植物は発熱機能を持っている。そうした発熱機能は植物たちがその熱を使って効率的に繁殖を行うためにあると考えられている」
「はぁ……」
「そこが発熱している場所だ。見てみろ」
「ここのつぼみみたいなところの中がですか?食べられるってことですか?って……ギョアアアアアアア!!!!」
花びらの中心部には小さな穴のようなものが空いていて、その中にはびっしりと黒い幼虫がうごめいていた。
「気持ち悪い!気持ち悪い!気持ち悪い!!なんってものを見せるんですか!!!」
「あんたが食料に固執するからだろうが」
「はい!?これを食べろって言うんですか⁉」
「野草がダメで猪がダメなら昆虫を食うしかないだろう。幼虫は森の貴重なタンパク元だ。サバイバルにはもってこいの食料だぞ!?」
「虫なんて食べたいわけないでしょうが!!」
「なんだ、遭難中なのにわがままだな。この偉大な送粉者達を食料にしていいと言っているのに……」
誰がわがままだというのか。少なくとも遭難中に植物研究を始める人には絶対に言われたくはない。苛立ちを通り越して呆れて頭を抱えたい気分になってきた。
花村は私に構わずブルードサイなんとかという解説を始めたがそれを適当に聞き流しながら、虫を食べるという事について考えていた。食料を探しに行くと言われて虫を取れと言われるとは全くの予想外だった。
しかし、よく見返してみると、昨日何に使うのかと思いながら用意させられた道具(ペットボトルに穴をあけたものだったり、口を閉じても中の空気が入れ替え出来るようになっている袋だったり)も虫を取ることを前提にした準備だったのだと今さらながら気づいてしまった。
命の危機に瀕したからといって私はあの虫を食べられるだろうか。答えはノーだ。たとえ飢えて死ぬ事になったとしてもあれを口に入れる事なく、私は私の尊厳を保ったままで死にたい。日本にもイナゴや蜂の子を食べる文化があるのは知っているけれど、私にとっては受け入れられないことなのだから仕方ない。
虫を食べることを思えばまだ森の獣と戦った方がマシだったかもしれない。もっと早く気づいていたら菅井さんと代わってもらったり、むしろ菅井さんに獣を取ってもらうための準備をしておいたのにとつい思ってしまう。
「花村さん、お願いです。別の食べ物を……できれば虫以外のものを探しに行きましょう。今日の分探し終わった後ならいくらでも調べてもらって構いませんから。……餓死したくないんです。このとおりです、お願いします」
私は立った姿勢で出来る限り深いお願いの礼をした。多分今の私は二つ折り携帯のような姿をしていることだろう。
どうしてここまで下手に出なければならないのかとは思う。けれど、今この時こそが虫を食べなければならなくなるかどうかの瀬戸際なのだと考えると、私のプライドなんてどうでもいいから、どうにかして花村を止めなければという危機感が真っ先に働いていた。
花村は作業の手を止めてじっとこちらを見ている様子ではあったけれど、何の返答もなく、私はサバ折りの姿勢になったまま祈るような気持で花村の言葉を待った。
数秒の沈黙のあと、少しバツが悪そうに「悪かった」と言った花村は、母親に怒られた小学生のような顔をしていたけれど、なんとか森にちゃんとした食べられるものをとりに行くことに賛成してくれることになって心の底からホッとした。
「じゃあ改めて、森に出発しましょうか」
地平線に隠れていた太陽はいつの間にか高く登り始め、すでに強い光を放っていた。今日は気温がかなり上がりそうだ。
「そうだな。じゃあこの根だけ採取したら森に入ろう」
「あはは、いい加減にしろよこのクソ自由人がッ!」
私は再び木にへばりつこうとする花村のスネをツッコミの要領で強かに蹴り飛ばしながら、可能な限りさわやかな笑顔を作って、猛烈に痛がる花村の首根っこを引っ掴んだまま森への一歩を踏み出した。
「さぁ、森に採集に行きましょう!」
森に採集に行こうのタイトルなのに採集には行けませんでした。