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もう一人の生存者2

「どうなったんですかね?これ」



 学者男が迂闊にも、実は食料があるという話をしてしまったせいで、私達は女を再び発狂させてしまった。


 私達は大慌てで再び扉を閉めてコックピットに立て籠ったものの、女は何度も無理矢理扉をこじ開けようと大暴れしている様子だった。何分もコックピットの扉を叩く音が鳴り止まず、生きた心地がしなかった。


 ようやく音が止み、ようやく落ち着いてくれたかと安堵した直後、飛行機が大揺れするほどの衝撃が起きたのだった。



────



「これは憶測だが、多分あの女が出入り口の扉を開けたんじゃないかと思う」

「出入り口って、開かないんじゃなかったんですか!?」



 男によると、小さく空いている換気口から空気が徐々に出入りして気圧差を小さくしたことで、先ほどよりも少ない力で扉を開けることが出来たのではないかということだった。



「でも、これだけの揺れが起きたってことは、まだ気圧差が残ってたのを無理矢理こじ開けたわけですよね?あの女の人、華奢に見えて一体どんな馬鹿力してるんだか……」

「全くだ。だがこれでひとまず憂いはひとつ晴れたな」

「いや、そもそも、あなたがあの人の前で食べ物の話をするなんていう迂闊なことをしたのが悪いんですからね?っていうか、本当に食べられる食料なんて持ってるんですか?私たちに話したってことは、ちゃんと山分けしてくれるんですよね?」



 私がギリギリと睨んで詰め寄ると、男は降参したというように両手をあげながら今度こそ食べ物について白状した。

 どうやら彼はトランクの中に、サバイバルフードなるものを持って来ているらしい。サバイバルフードがどんなものなのかは正直よく知らなかったけれど、通常の缶詰以上に手間をかけて中の菌を死滅させるため、理論上は缶が損傷しなければ50年は保存しておけるという代物らしい。



 その他にも、栓のされているアルコール類はおおよそ飲んでも問題ないということだった。

 機内で飲める酒と言えば、渡航の最大の楽しみだと大学の先生が話していたことがあった気がする。今日はサバイバルフードを肴に酒盛りが出来そうだ。



 あまり聞いていなかったけれど、こうして酒盛りのことを考えている間も学者男は気圧の問題について現状の考察をごちゃごちゃと口にしていた。

 けれど私はうっすら気が付いている。多分この男は、あの女の人よりも力が無くて扉が開かなかったわけではないという言い訳がしたいだけなのだ。小さい男である。



「そんなことより、扉が開いたならその缶詰さっさと取りにいきましょうよ。あの女の人が先に色々見つけて食べちゃってるかもしれませんよ?」

「缶詰はトランクの中だぞ?そう簡単に取られるとは思えんが、衝撃が起きてから女の気配が無いのが気になるな」



 私達が急いで外へ出ると、案の定扉は開き、空気で膨らんだ滑り台が外へ安全に降りられるように展開されていた。



「くそ、酷い匂いだな」

「何ですか、この排泄物みたいな臭いは」



 どうやら女はあたりを破壊して回った際、先程ギャレーで見つけた分離しきった腐った牛乳も破壊してしまったらしい。

 小学生の時、真夏の給食室に誰かが溢したまま放置されていた牛乳を片付けさせられた時の事が頭をよぎったけれど、あの時の匂いの100倍はキツい。この空間にいるだけで吐きそうなほどの強烈な匂いだ。



「うぇえ……多分、この匂いから逃げようとして、扉をこじ開けたんでしょうね」

「それで慌てて外に飛び出して、転んで滑り落ちてあそこで伸びてるわけだな」

「あれ、大丈夫でしょうか。何だか私、可哀想になってきました」



 突然発狂しながら襲って来たり、物を壊して暴れ回ったり、赤子関連の妄言が怖いのは確かだけれど、決して悪い人というわけではないのだ。

 私たちの間にある大きな誤解を解いてから、きちんと話し合って拘束してしまったことを謝れば、まだ関係の修復は可能かもしれない。


 何より今は少しでも情報が欲しいのだ。この訳の分からない現状に対して、知っていることがあったら情報を共有し合いたいし、せっかく助かった3人で敵対し合っている場合では無いのだ。


  一刻も早く機内の悪臭の元から脱出したかった私は、まだ機内でやることがあるという男と別れて女性の介抱のためにシューターを降った。



────



 結局、私たちが食事にありつけたのは日が暮れてからかなり経ってからのことだった。私の腹時計では、おそらく日本時間で21時を回ったころだと思う。


こんなにも食事が遅くなってしまったのは、学者男と発狂女の性格がやはりどうにも合わず、ただでさえ手探りの荷物の取り出し作業が難航してしまったからである。


 荷物は通常、筒状のジェット機の下半分に収納されており、そこに通じる外部扉を開けるのに一番時間がかかってしまった。開けること自体に時間がかかったというよりは、扉を開ける方法を調べてから正規の方法で開けるべきか、壊して取り出すかで2人が揉めたという方が正しいかもしれない。




 飛行機の機内をクラッシュしまくっただけのことはあり、女はかなりの破壊思考のようで、どこからか見つけてきたバールのような物でこじ開けると言って聞かなかった。


 しかし、飛行機を壊すことに難色を示した男がこれに反対したことで、大揉めすることになってしまったのである。


 最終的に決定権を投げられた私は、どちらの味方をしたと思われるのも嫌で答えに困窮したけれど、分厚いマニュアル本を読む気にはなれなかったため、手っ取り早い破壊に一票を投じた。


 結果、男には愚か者扱いされたが、女の方は私を味方だと認識したようで、とりあえず女に暴れて殴られる心配はなくなったという点で良い判断だったようだ。




 荷物扉をこじ開け、荷物の入っているコンテナを交代で破壊する間、女は色々なことを話してくれた。


 私は彼女が目を覚ますまでの間に目にした外の光景についてはあまり考えないようにしようと決めていた。

 飛行機が本当に森の中に不時着していることも、それなのに木の一本も倒さず、土をえぐり取ることもなく、まるでふわりと置かれたかのように着陸していることも、考えれば考える程訳が分からなくて恐ろしかったからである。

 


 姿が変わった時点で理解できない事が起きているというのは間違いないのだろうけれど、これ以上答えの出ないことをあまり考えたくないという一心で、私は彼女のどうでもいい話に真剣に聞き入って気を紛らわせることにした。



 シューターから転げ落ちた女を介抱したことで、女の私への評価は上方修正されたらしい。私が女をカーテンの端切れで縛り上げたことも、あの男の指示だと解釈したようで、「一緒にあの男を打ち殺しましょう!」と言われてしまった。 やはりかなり物騒な脳みその持ち主のようである。


 私もあの学者男の事は面倒くさそうで好きでは無いのだけれど、聞いてもいない家庭事情や、学生時代のモテ自慢、歴代の交際相手の与太話などを絶え間なく話し続ける女の方もかなり面倒だった。

 ちなみに彼女は、名を菅井小夜さんというらしい。菅井さんと呼ぼうとしたけれど、小夜さんと呼ぶように厳しい口調で指定されてしまった。


 そして、小夜さんはやはりかなりの怪力だった。頑丈に作られた、とんでもなく高価な飛行機を何の躊躇いもなくどんどん破壊していく彼女は恐ろしいけれど、食料に近づくためだと考えると逞しさで眩しいほどだった。



―――――



そんな小夜さんの活躍のお陰で、私達はようやく食事をとることが出来た。食事の支度が整うと、男はあれだけ飛行機の破壊に反対していたにも関わらず、今回の功労者である小夜さんに自ら一番良い酒を注いで彼女を労った。



「ただの水煮の鯖缶がこんなに美味しく感じるなんて思ってもみませんでした」

「あんたが素直に食料を分けてくれるとは思ってなかったわ。酒まで勧めてくるなんて、正直気味が悪いけど」


 水煮缶を平等に三等分するため、男は食事の取り分けを小夜さんに任せた。そこまでして私達に敵意がないことを示すというのは確かに少し気味が悪い。どう考えても何か企んでいる。



「ここで独り占めするより、あんたらに恩を売る方が得策だと考えただけだ。明日もよく働いて貰うぞ」



 男がぶっきらぼうながらも3人で協力し合う道を選んでくれたことに、私はかなり安堵していた。3人で分け合った水煮の魚は大した量ではなかったけれど、苦労して手に入れた分満足感だけはひとしおだった。何より、同じものを分け合って食べた事で、陳腐だけれど、この訳の分からない状況に一緒に立ち向かう仲間意識のようなものも生まれていた。


 水煮缶だけでは膨れななった腹を誤魔化そうとワインを数本開けたところで、小夜さんは日中の疲れからかあっさり眠ってしまった。



「もう、明日からのこと話し合うつもりが、あんなに飲ませるから小夜さん寝ちゃったじゃないですか!」

「わざと寝かせたに決まってるだろう。計画通り、随分仲良くなったようだな。女から聞き出した話を報告してくれ」

「そんな計画聞いてませんけど?」



 どうやら私一人を介抱に向かわせたのは、同性の私を味方だと思わせることで情報を引き出しやすくするためだったらしい。さっきは小夜さんに歩み寄ってくれたことで、少しだけ男のことを見直したが、それは間違いだったようだ。


 少し腹は立つけれど、小夜さんの事を聞き出すには一番良い方法だったのは確かだ。私は小夜さんの要領を得ない話を頭の中で必死に繋げながら彼女のことを報告した。



「彼女は菅井小夜さん。飛行機は最後列の右の窓側の席でした。浮気相手であるバイト先の副店長の子供を産んだことで仕事と家庭を失ったのが数日前。浮気相手には子供を認知してもらえず逃げられてしまい、行く宛もなく公園のベンチで酒を飲んで寝ていたはずが、気がついたらエレスネシア行きのチケットを片手に空港に居たそうです。」

「訳がわからんな。男女関係の話はカットして他に聞き出せたことを教えてくれ」

「男女関係の話を省くと今日小夜さんと話したことの8割は割愛することになりそうですが……?」



 私は小夜さんが館山出身であることや、スーツケース一つで家を追い出されたこと。そのスーツケースに首の座らない赤ちゃんを乗せて空港へ電車で来た記憶がうっすらあること。離陸してすぐに酒を飲んで気持ちが悪くなったけれど、トイレが使用中だったため、故障中になっていたトイレをCAさんが見ていない隙にこじ開けて中に入ったことなど、小夜さんから聞いた話をかいつまんで話した。



「トイレって、一般の乗客に勝手に開けられるようなものなんですかね?」

「中で人が倒れた時のために空けられるようになっているはずだ。特別な鍵など無くても通常の鍵の上の蓋を外してレバーをスライドさせれば、簡単に開けられるぞ」

「それって使用中に勝手に誰かに開けられるかもしれないってことじゃないですか!」

「そんなことより、赤子の件が気になるな」



トイレの中に一緒にいたはずの赤ちゃんが他の乗客と一緒に居なくなってしまったことが疑問だったけれど、鍵が外からでも開閉出来るのであれば、誰かが連れ去った可能性もある。赤ちゃんが本当に、小夜さんと一緒に飛行機に搭乗していればの話だけれども。



「私、嫌な予感がしてきました」

「あぁ、俺もだ。この渡航が突発的なものだったという時点であの女は黒だ」

「……どういうことですか?」

「パスポートの申請には何日もかかる。首も座らない赤子のパスポートを取っているとは到底思えない。手荷物に赤子を入れて検査を通れる訳がない」

「えっと……つまり、赤ちゃんの存在自体、小夜さんの妄言?」



 私はそうであってくれと半分祈るような気持ちでそう口にしたけれど、男は確かめると言って小夜さんのトランクの方へ歩いて行った。



「やめましょうよ。このトランク、鍵を無くしたらしくてまだ開けられてないみたいですし、もう何も見たくありません」

「鍵なら持っている。あんたに介抱してもらっている間にあの女の手荷物から回収しておいた」



男の準備の良さからは、私の話を聞く前からこうなるだろうと考えていた事が窺えた。周到なのは結構だが、和解して協力関係を築いた気でいただけに、裏でここまで考えていたことがショックだった。



「何も無ければそれでいい。ただし、俺達は明日からもあの女と行動を共にする上で、知らなくちゃならない。あの女が赤子を、自分の子供を、スーツケースに入れて殺したかそうで無いのかを」



 私の中でもしかしてと思っていたことを、男がハッキリと口にした事で、もはや逃れようのないことになってしまった。赤子を本当に連れているとしたらもはやスーツケースの中以外あり得ないのだ。

 少し前に、執行猶予中の人が荷物に紛れて国外逃亡したというニュースがあったけれど、赤子がこんな密閉されたトランクの中でまだ生きているとは到底思えなかった。


 男が言っている事が正しいのだということは理解している。この三人で明日を迎えるためには知らなければならないことだ。けれど、今日一日、一緒に過ごして、多少でも情のわいてしまっている人がしたことを暴くというのは最低の気分だった。



「……赤子の死体が見たくないなら下がっていればいい。俺が開ける」



 男がトランクを開けると「なるほど、そういうことか」と小さく呟くのが聞こえた。男の背中越しに恐る恐る左右に開かれたトランクの中を覗くと、はみ出しそうなほどぎゅうぎゅうに荷物の詰め込まれた左側に対して、右側には毛布とおくるみだけがぽつんと入っているのが見えた。

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