もう一人の生存者
「なんなんだこれは……」
「これは予想外でしたね……どうしましょうか」
私たちはもう一度機内に人がいないか確認に回った後、ギャレーに集まって機内食の入っている作業台の下の保存箱を空けていた。
本来であれば機内にいた10人分の晩御飯と夜食と朝食が入っていたはずなのであるが、どういうわけか全ての皿の上には黒くて醜い塊が乗せられていた。
「何ですかこれ。もしかしてこれがエレスネシアってところの伝統料理ってことですか?」
「そんなわけあるか。よく見てみろ、所々に虫が湧いた跡がある」
「うひぃ……」
「そしてその虫も全部死んでかなり時間が経っている。一般的に食品は放っておくと徐々に酸化するがこれらの食品は……」
「酸っぱい匂いもしないし、もはや化石と呼びたい感じですね。口に入れたいとはとても思えません」
学者によると、ここまでの状態になるには条件を揃えても10年はかかるらしい。用意されていた食事の中には日本のコンビニで売られているような既製品もいくらかあった。
中でも見慣れたガラス容器に入ったままの分離している牛乳瓶は衝撃だった。密閉されているはずなのに明らかに量が減っているなんて、いったい何年放置したらこんなことになるんだろうか。なにがおきているんだろうか。本当に訳がわからない。
「どうしましょう、このままじゃ私たち餓死しちゃいますよ!とりあえず飴でも舐めておきますか?これなら賞味期限あんまり無さそうですし」
「やめておけ。糖は湿気で腐る」
「じゃあやっぱりこの扉こじ開けて外の森でなにか食べるもの探すしかなさそうですね」
扉の外には広大な森が広がっていた。やったことはないけれど、動物が食べているきのみを調べて、同じものをゆがいて食べれば毒にはならないし、とりあえず腹ぐらいは満たせるのではないだろうか。
「ちょっと待て、お前はこのわけわからない現象の数々が気にならないのか?姿が変わり、持ってきた食べ物が何十年分も腐り、同乗者が何人も消えたんだぞ?外に出て食べ物を探すなんて正気か?」
「正気が疑わしいのはそっちです!分かんないものは分かんないし、ほっといても空腹で死ぬだけです。今は本当にお腹に入れるものを探さないとこの3人が何日生きれるかも分からないんですよ?疑問解消はお腹が膨れてからで十分です!」
学者は「数食抜いたところで死にはしない」と反論したけれど、かなり小声の反論だったので、ひとまず私の提案は採用されたらしい。
学者のようなタイプは気になることがあるとご飯が後回しになりがちなイメージがあるけれど、私には三度の飯より大事なものなど無いのだ。
「んん、んー!!!」
どうやらさっき拘束した発狂女が目を覚ましたらしい。痩せ型の女ではあるけれど、さすがに成人を担ぐ腕力はなかったのでカーテンで縛ったままコックピットの床に転がしておいたのだ。
「目が覚めたみたいですね!おはようございます。すぐ縛ってる紐を解きますね」
「待て、せっかく縛ったのに解いてどうする。尋問するのが先だ」
機内の人間を殺しているかどうか、飛行機が事故にあった時どうしていたか、何か覚えていることはないか、こうなった原因に何か心当たりはないかを尋ねておきたいらしい。
「あれ?待ってください。私にもだいたい同じ質問して来ましたけど、私には殺したか聞いて来ませんでしたよね?なんで疑ってこなかったんですか?」
「人を殺しておいて、涎を垂らして寝るようなやつはいない。それに疑ってなかったわけじゃない。あんたの声が最初にした時、こいつと同じように襲ってくると考えてコックピットで控えていたが来なかった」
「そういえば暗くてよく分からなかったし、夢かと思ってもう一回寝たんですよね」
「来ないと思って探しに来たら寝ていた。この状況で大口開けて涎を垂らして寝られる度胸があるなんて、むしろ本物の殺人鬼なんじゃないかとも思ったがな」
「どっからどう見てもそんなわけ無いです!」
私を起こしに来た時、何やら懐中電灯の他に重そうなものを持っているなとは思ってはいたが、どうやら私が襲いかかって来た時のためにあの極厚鈍器マニュアルを構えていたらしい。しかし、私があまりにも起きないので、こんな呑気な奴が殺人犯な訳がないと考えを改めたのだそうだ。
男の言う事は腹立たしいが、あれで殴られていたかもしれないぐらいなら、むしろ寝ていて正解だったと言えるだろう。
「……あんたたち、何ごちゃごちゃ言ってるわけ?私に質問するんじゃなかったの?」
「あ、すみません!今度は冷静に話せるようですね」
「あんたが落ち着いていられる方が不思議だわ。だって、そうよね?みんなを殺したのはあんたの隣にいるその男なんだもの」
「えええ!そうなんですか!?」
「違う。違うが、そう考えるのが普通だろうな」
学者の男は冷静に答えたけれど、一瞬でもその疑いを持たなかった自分が恐ろしい。なんとなく、飛行機が事故にあったと聞いただけで生存者同士という仲間意識を感じていたけれど、殺人という可能性が浮かんだ時点で真っ先に疑うべきだったのは、一番最初に目を覚ましていたこの男である。
「私の赤ちゃんをどこにやったの?あんたが殺したんでしょう?返してよ!」
「赤ちゃん、ですか?」
「そうよ。私は赤ちゃんと一緒にこの飛行機に乗ったの。夜泣きがひどくて一緒にトイレに行ったんだけど、疲れて二人ともそのまま寝ちゃったの。気づいたら赤ちゃんがいなくなってるし、私の姿も醜く変わってしまっていて、鏡を見て本当に驚いたわ」
「あー、それは取り乱しますね」
私の場合は寝て起きてすぐには姿が変わっていることに気づかず、何か事故が起こったらしいと気づいて学者と合流し、少し状況を把握してから姿の変化に気づいたので、まだすべてを飲み込めてはいないけど、なんとか正気は保っていられている。
けれどこの女の人の場合は、目が覚めてすぐに守るべき赤ちゃんがいなくなったことや、姿が変わったこと、飛行機の様子がおかしいことを一気に悟ったのだろう。発狂しない方が無理な話である。
「それに、聞いてたわ。機内食が変だったって。それだって一番最初に目を覚ましたあんたならいくらでも細工できたはずよ!あんたが全部食べ物を隠しているんだわ!私の子をどうしたのよ!全部あなたのせいよ!!!」
「そうなんですか!?」
「そんなわけあるか!チッ、冷静に話せそうに無いな。そもそも、赤子なんて……」
「ちょっと待った!!」
絶対に言ってはいけないことを学者が口にするのを察して、急いで男をコックピットに引き連れて後ろ手に鍵を閉めた。今からする話は、あまりあの女には聞かれたく無い。
「お前、話さない気か?」
「話せるわけないじゃないですか!赤ちゃんなんて最初から居ませんなんて!また発狂させる気ですか!?」
私たちが乗った飛行機はたった10人の乗客しかいなかった。いつからどうやって故障中のトイレの中に居たのかは知らないけれど、赤子を連れた女なんていたら空港の時点で気づいているはずである。何より、女は赤子が泣き続けて困っていたと言っていたが、そんな鳴き声は狭い機内の中で一度だって聞いた覚えがないのだ。
乗客の手荷物も、さっき一通り確認して乗客の顔と名前は確認している。しかし、赤子のパスポートはどの手荷物にもなかった。赤子なんて最初からこの飛行機に乗っていなかったのである。
その事実を話すのは簡単だけれど、これ以上あの女を刺激したらどうなるかわからない。
「とりあえず、他にも居なくなった人は沢山いるんです。その人達と一緒にどこかに消えてしまったと説明するほかありません」
「……分かった。ただ、拘束は解かない。それでいいな?」
ギャレーに戻ろうと鍵を開けたところで再び私のお腹が盛大に鳴った。もう今は陽が出てからだいぶ時間が経っている。遅めの朝ごはんか早めの昼ごはんか、なんでもいいから何か食べないとそろそろツラくなってきた。
私の腹が鳴ったことで、学者が品がないとでも言いたそうな白い目をむけてくるが、生理現象なのでどうしようもない。むしろ私の腹ばかり鳴るのは不公平である。
「はぁ…とりあえずここに居ても埒が明きませんね。どんな方法でもいいから外に出ましょうよ。あなただってそろそろお腹減ってるはずですよね?なんでそんな余裕そうなのかは分かりませんが……あ、もしかして実は、何か食べ物を隠してるんじゃないですか?」
「……実はある」
男がコックピットの扉を開けながら白状を始めた刹那、拘束を力ずくで解いた様子の女と扉越しに目があった。
「は……?たべ、食べ物……キエエエェェェェイ!!やっぱり持ってたんじゃないのよこのクソ男!!!」