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軟禁終了のための交渉

『もおおおう無理!私はいつまでこんなとこに閉じこもってなきゃいけないの⁉』



 限界が来た。旅好きの私にしては我慢した方だろう。



 この部屋に軟禁され、エレスネシア語をほぼ不自由なく話せるようになってはや2週間。私の軟禁は未だ継続中だった。

 エレスネシア語を覚えたら出してくれるという言葉は嘘だったのか。別の理由があるなら説明求む!というやつだ。



(これじゃ日本にいたころと変わらないよ……) 



 言葉を覚えるということはその国を知るということだ。言葉を覚えれば覚えるほど、この言葉が使われている国を知りたくなる。

 それは、狭い世界に閉じこもっているだけでは絶対に出来ないことだ。


 衣食住は?芸術は?郷土史は?どんな会話をしてどんなことが流行っていて、どんな暮らしをしてるの?……そんな疑問を自分の目で見て、足で探して、体細胞すべてで感じてこそその国を知ることが出来るというものなのだ。

(……いや、私は海外に行ったこともなく、留学もコロナで断念したから本当のところは知らないけれど、とにかくそういうものなのだ)



 そんなわけで「こんなところにいる場合じゃない」という気持ちが膨らみ、弾けたのだった。



『だから、何度も言ってるでしょう?合格はエレスネシア語をマスターしてからだって。まだ読み書きは苦手だって聞いてるけど?』

『それ、2週間前の話じゃないですか!もうとっくに読み書きできてますし!会話もよっぽどの専門用語以外ほとんど分かります!いい加減この軟禁解除してくれたっていいじゃないですか!!』



 私は言いつけを破って里の外に出ようとして隣の里の使者に姿を見られ、隣の里に敵視されるきっかけを作ってしまった。エレスネシア語を覚えるまでは再び使者に遭遇しないよう、罰としてここに閉じ込められることになっていた。


 閉じ込められる原因は自分にあったのでこの処分に文句はないけれど、エレスネシア語を覚えた今なら使者に遭遇しても自分で適当に言い訳することも出来るし、これだけ話せればトゴからの来訪者だと思われることもないだろう。


 つまり私には、これ以上ここに無理に閉じ込められる理由は無いはずなのだ。



「サヨ、私もハヅはもう合格と言っていいと思うわ。出してあげられないの?私も正直、これ以上ハヅに何を教えていいか分からないわ」



 助け舟を出してくれたのはグノちゃんだ。三ヶ月半ミッチリ指導をしてくれたグノちゃんにそう言ってもらえるのはなかなかに嬉しい。後ろでロヴェとシャンクさんが大きくうなづいたので、二人もわたしのエレスネシア語を認めてくれているようだ。

 ほんとうなら飛び上がって小躍りしたい気分だけれど、今は目の前の菅井さんだ。


『お願いします。軟禁終了にしてください!』

『それじゃ私があの男に怒られるじゃないのよ』

『え?今何か言いましたか?』

『……何も言ってないわよ』



 菅井さんの言葉は小さく、何を言っていたのか分からなかったけれど、菅井さんには菅井さんの考えがなにかあるようだ。



『私じゃエレスネシア語が分からないから、初穂ちゃんが本当に言葉を覚えたのか、三人を懐柔しただけなのか分からないわ』



 ケロッと懐柔なんて言ってのけるあたりがなんとも菅井さんらしい疑念だ。



『でもそれじゃ菅井さんがエレスネシア語をマスターするまで出られないってことになっちゃいませんか⁉』

『あぁ、それならかなり時間がかかりそうねぇ』

『かかりそうねぇ……じゃないですよ!私が手取り足取り覚えさせてあげますから!二ヶ月で覚えてください!いいえ、覚えさせてみせます!』

『じょ…ッ!冗談じゃないわよ!なんで私が初穂ちゃんの為に!それに無理よ二ヶ月でなんて!恐ろしいコト言わないで頂戴!』

『何が冗談なものですか!私をこんなところに閉じ込めておいて死ぬ気で勉強させておいて何ヌルいこと言ってるんですか。たとえここに菅井さんが来れなくたって、毎日毎日生き霊になってでも枕もとでエレスネシア語の基本語を囁いてあげますから!』

『いや、怖いわ!』



 生き霊になれるかは知らないが、気分はそんな感じだ。正直、このままの状況が続いたら、ストレスと怒りが溜まってそれぐらいのことは出来てしまいそうだ。



『はぁ……分かったわよ。でも初穂ちゃんの軟禁は私と長老さんで決めた事よ。私一人じゃ決められないわ』

『ってことは、長老さんがOKすれば……?』

『まぁ、合格ってことになるわね』

『いやほーーーーーーい!』



 今度こそ本当に飛び上がって小躍りした。ダンスが得意であれば今頃ブレイクダンスで部屋中を駆け回っていたところだ。



「やったわね、ハヅ!」

「ありがとうグノちゃん、ロヴェ、シャンクさんも……!」



 私は自分の事のように喜んでくれる今日まで勉強を支えてくれた三人と肩を抱き合いながら菅井さんから合格の条件をもぎ取ることが出来たことを喜んだ。




 ひとしきり喜んだあと、シャンクさんが運んできてくれた今日の昼食のミーツサンドを手に取りながらロヴェが口を開いた。



「そういえば、樹神巫女としてこの部屋にいてもらう必要があるって言ったのも長老様だったわね」

「あぁそれ、どういう意味だったんだろうね」



 樹神巫女として成長すればもう一度境界に行けるようになる。そのためにもこの部屋で樹神巫女としての修行をする必要があると聞いていた。

 けれど、エレスネシア語の習得の方ばかりに気がいって、すっかりそちらの方の事が頭から抜けてしまっていたのだ。



「ロヴェはどんな修行か聞いてないの?」

「うん。エレスネシア語の勉強になるべく協力してくれって言われてただけ」

「そもそも樹神巫女の修行ってどんなことなの?」



 樹神に祝言を唱えるのが修行だとは聞いている。けれど、その祝言(のりと)は大樹神の最上階の天狗の巣に書かれている。この密室で出来ることはそうないように思えてならなかった。



「大樹神様とお心を通わすためには天狗の巣にある祝言を唱えて捧げるのが一番とは聞いているし、私もそうして樹神巫女になったけれど、正直よく分からないわ」

「もしかしたら、エレスネシア語の次は樹神巫女の修行が終わるまで外に出ちゃダメー!とか?」

「あはは、それはさすがに……。例えそうだとしても、もうハヅは霧も出せるからほとんど樹神巫女みたいなものだし、祝言のヘブライ語も読めるんだから修行なんてすぐ終わりそうな気がするけど?」

「うーん嫌な予感がするなぁ」



 もし大した理由も告げられずまだ軟禁継続!なんてことになったら、今度こそ、それこそコロナ禍で留学を断念して結婚を強要されたあの時のように、なりふり構わず飛び出して行きたくなってしまうかもしれない。



「グノちゃんはそのあたりの話分かることある?」

「うーん、思うところはあるけど、長老様の真意は分からないから私からは何とも。とりあえず合格をもらって外に出る権利をさっさと貰いに行きましょ」

「そうだね!」



 長老の予定を伺って、数日中にエレスネシア語のテストが実施できるようロヴェが取り計らってくれることになって、その日は早めのお開きとなった。




「こんな早めにお開きになるぐらいなら菅井さんのエレスネシア語講座の時間にしたらいいのに」



 私がそう言う気配を察知していたのか、菅井さんは鍵をシャンクさんに預け、早々に帰宅していたので結局今日も菅井さんのエレスネシア語の勉強は進展しなかった。

 ここで生きて行くことに決めたのなら、もうちょっと勉強しようよと思ってしまうけれど、菅井さんにその考えは無いらしい。日本語の話せる私がいつまでここにいられるかも分からないのにだ。



「エレスネシア語は覚えた。あとはよくわからないけど樹神巫女としての腕を磨いて、大樹神に認めて貰って、境界に行って花村さんのところに行くだけか。花村さん、死んでないよね……?」



 私の呟きは誰もいない資料室に小さくこだましただけで答えが返ってくることはなかった。自分で口にしておいて「花村」と「死」というワードが私の鼓動を早め、胃から酸っぱいものが迫り上がってきた。



 この頃はエレスネシア語の習得で頭がいっぱいで、と言うより、エレスネシア語で頭をいっぱいにすることでなんとか花村の生死について考えないようにしていた。

 けれど、ひと通りのエレスネシア語を習得した今、再びその不安が心に押し寄せていた。



 グノちゃんやロヴェ達と解散したあとは、ひとりで今日の勉強のメモを見て復習するか、資料室の本を読んで過ごすのが常だ。

 資料室の本はエレスネシアやラスの里の歴史が書いてあったり、イハードが聖人と呼ばれていた頃のナルヴァの樹神伝説のような伝記や伝承が書かれたものも多く、読み書きを会得してからはこれらを読むことが楽しみの一つになっていた。


 けれど、今日はどうも集中できなかった。一度花村の生死について考えてしまうと、どんなに興味深い本を開いても内容が頭に入ってこなかった。



「大丈夫大丈夫。花村さんは若年寄だから殺しても楽しくないし、サバイバルも出来るから生きてる。大丈夫、大丈夫……」




 少し早いけれど今日はもう休もう。そう思い、資料室のろうそくの火を消すと、寝室へ向かった。

 寝室は資料室の壁に架けられた梯子を登った先にあるロフトのような小さな部屋だ。四畳ほどのスペースにベッドとテーブルセットが置いてあるだけの小さな部屋だけれど、寝泊まりするだけの私には十分な部屋だった。


 強いて文句を言うのなら、小さな小さな窓しかないのでほとんど外を見ることが出来ないということと、縄梯子を登らなくてはならないのであまり荷物が持ち込めないことぐらいだろうか。



 エレスネシア語を覚えはじめた頃は自分で書いたメモをここに持ち込んで、寝る前に暗唱したりして復習していたけれど、私は基本的に横になればすぐに寝れてしまうタチなので、眠くなるギリギリまで下で勉強して、ここに来れば布団にダイブするだけの生活になっていた。



「なんで寝れないかなぁ……」



 いつもは3秒もかからずに寝られるというのに、今日に限ってなかなか眠りにつくことが出来なかった。



「もう念仏みたいに唱えようかな、花村さんは若年寄だから大丈夫。花村さんは若年寄だから大丈夫……うーん、逆効果」



 唱えれば唱えるほど花村が心配になってきた。花村は所々記憶が飛んでいると言っていた。もしかしたら大事なところで記憶が抜けていてピンチになってしまっているかもしれない。銀色から助けてくれたけれど、戦闘力はそんなに高くないし、銀色にやられてしまっているかもしれない。


 これは最近聞いて知ったことだが、私は菅井さんとグノちゃんが銀色を倒すところしか見たことが無かったので、力さえあれば誰でも簡単に銀色を倒せるものと思っていたのだけれど、筋肉隆々の村の討伐隊員達を持ってしても、あんな風に簡単に銀色を倒すことが出来るのはあの2人ぐらいなのだそうだ。


 そして、私が今までに遭遇したのは「愛してる」というメモを持った銀色と、境界で簀巻きにして私を運んだ銀色の他に、里を脱走しようとした日に見たちっこい銀色だけだけれど、巨大で厄介な個体もいるのだそうだ。

 そういえばあの多ヶ国語の命令書には滅殺やら抹殺やら物騒なものも所々混ざっていた。あの命令書を持っていた個体がどんな姿だったのかは正直あまり考えたくないところだ。



 部屋はしんと静まり返っていた。時々潮騒のように大樹の葉がこすれ合う音がするのを普段は心地よく感じていたけれど、今日はむしろざわざわと心を逆撫でされているようで落ち着かなかった。



「עֶזרָה」

「ん?」



 誰かの声がした気がした。けれど、この時間の大樹はトラブルでもない限り誰もいないはずだ。多分、風の音を人の声と勘違いしただけだろう。



「まぁ、明日考えればいっか」



 そう一言呟くと、私はあっさりと深い眠りに落ちていった。

 



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