森に採集に行こう2
「なぁあんた、これはどこに向かってるんだ?」
「えーっと……」
「まさか、適当に歩いてるんじゃないだろうな?」
「あーもう、うるさいですね!適当に決まってるじゃないですか!私たちは遭難してるんですよ?ここがどこかも分からなくて、地図もないまま食べ物を探して歩いてるんですから適当に歩いているに決まってるじゃないですか!!」
「いや、まあそれはそうなんだが……」
花村のスネを蹴り飛ばし、威勢よく連れ回したものの、どこにどう進んでいいか分からず、とりあえず真っ直ぐ真っ直ぐ、30分ほど歩いた頃だろうか。歩いてきた獣道が無くなり、どう進もうかと内心途方に暮れていたところだった。
「とりあえず真っ直ぐ進んでみて、川にぶつかったら上流にでも行って水を汲もうと思ってたんですけど、そんなに上手くはいかないですね」
「水なら昨日の雨を集めておいたから必要ないぞ」
「はい?」
昨日は菅井さんのことであれだけゴタゴタしていたというのにいつの間に雨なんて集めていたのだろうか。そう疑問に思ったけれど、単にトランクの入っていたコンテナの蓋をいくつか開けて、中に雨水がはいるようにしておいただけらしい。
私たちは菅井さんの独白の後も、あれこれと準備に忙しくしていて今日のことを細かく打ち合わせする時間がなかったとはいえ、そういうライフラインに関わる重要なことはあらかじめ教えておいて欲しいものである。
ちなみに菅井さんが眠ったあと、こっそり菅井さんのスマホを調べたけれど、やはり通信圏外になっていて、国際電話等を使う事は出来なかった。菅井さんのやっていた赤ちゃん育成ゲームもオフラインで起動できるものだったらしく、ネット回線を使ってどこかに救助を求めることができるかもしれないという期待も外れてしまっていた。
「とりあえず、ここがどこか調べるのが先か。地球かどうかも含めて、な」
「ははは、地球外って、笑えない冗談ですね」
「本当に冗談だと思うか?あんたはこの状況どう思う?」
「どうって言われても……」
夢かもしれないと思うぐらいにありえないことがたくさん起きているというのは、もはや目を逸らすことの出来ない事実だ。昨日の発言からして、この森を見て何かに気づいている様子だった花村はすでにここがどういう場所なのか、どういう状況なのか、ある程度の予想ができているのかもしれない。
花村はこの質問で、何か私なりの考察のようなものを求めているのだろうけれど、菅井さんのゴタゴタでそれどころではなかったし、今だって食料の心配で頭がいっぱいでまだそんなところまで考えていられないというのが本音である。
なにせ昨日の晩ご飯はひとつの鯖缶を3人で分けて梅干しを一粒ずつ食べただけだったし、朝だって乾パンを一枚齧っただけなのだ。こんな空きっ腹では頭が回らなくても何もおかしくはないはずだ。
「一昨日も言いましたけど、謎解きはお腹が膨れてからで十分です」
「はぁ、仕方ない。ここからは採集をしながら先に進む事にしよう」
そう言うと、花村は懐からB5サイズの古びたリングノートを取り出した。そこにはいつの間に描いたのか、ここまでの簡易的な地図が記してあった。
「うわー、こんなのよく書けますね」
簡易的とは言っても、すでに方眼の入った紙にさらに細かく目盛りを入れてから書き込んでいるあたりに花村の無駄な几帳面さを感じる緻密な地図だった。
「これぐらいでいちいち驚くな。それより今はジェット機のある拠点から真南に1キロの地点にいるんだが……」
「なんでこんな森の中で南なんてわかるんですか!?」
「いちいち話を遮るな。苔の生えてる方が北だとでも覚えておけ。まずは拠点を中心にこの半径1キロを保ったまま周囲を一周してみようと思う」
「半径が1キロで、3.14だと……7キロも歩くってことですか?うーん、今日中に周りきるのは難しそうですね」
「バカ言うな。これは今日絶対に行うべき最低条件だ」
「最低条件って今日の分の食料調達じゃないんですか?拠点を一周するのがそんなに急いですべきことだって言うんですか?」
花村は呆れたと言わんばかりの盛大な溜息を洩らしながら、今日中に拠点の周囲を捜索する必要性を話し始めた。
「いいか?神経図太いあんたには分からないだろうが、俺はあんな見晴らしの悪い場所で無警戒に寝られるほどイカレてないんだ」
「はい?飛行機の中の一体どこが無警戒だって言うんですか?」
私たちは日中外で作業をしたり、食事の為に外で火をおこすことはあっても、基本的に機内で寝泊まりをしていた。菅井さんがぶちまけたとんでもなく臭い牛乳はいつの間にか花村が片づけてくれていたので、ベッドほどとは言えないけれど、シート何席分かを独占して寝られる機内は割と快適と言える空間になっていた。
花村は無警戒だと言うけれど、もちろん寝る時は扉を閉めている。見晴らしが悪いと言うけれど、飛行機のまわりはちょっとした空き地のようになっていて、むしろ森の中と比べればよっぽど見晴らしが良いように思えた。
しかし花村に言わせると、少しだけ凹地のような地形になっているらしく、集団で何かに襲われたらひとたまりもないのだそうだ。何かって一体なんだろうか。
花村に尋ねると、その何かがあるのか無いのか、あるなら一体何なのかを調べるための探索なのだそうだ。
「あんな場所、何もかもが無警戒だ。第一、俺が機内に戻れるようにはしごを作って架けてなかったら今頃どうなっていたか覚えていないのか?」
「今はその話は良いじゃないですか!」
確かにシューターを下って菅井さんを介抱に向かった私は、飛行機に戻る方法を全く考えていなかった。なので、たまたま飛行機に残っていた花村に、お手製の縄梯子をかけてもらわなければ外で野宿する羽目になっていたはずだ。
けれどそれがなんだと言うのか。おかげで今は快適に飛行機内で暮らせているのだから良いじゃないかと思ってしまう。
「あんた、面倒で歩きたくないだけなんじゃないのか?」
「そんなこと言ってないじゃないですか!そりゃあんまり体力無いですし、この足元の悪さですから自信もないですけど……」
広い範囲を探索するうちに村を見つけたり、なにか助かる方法を見つけられるかもしれないという意味でも広範囲の探索が必要だというのは理解出来たけれど、実際歩けるかどうかと言われると話は別である。
「採集しながら探索するためにこんな朝早くに出てきたんだぞ?たった数キロ程度歩けなくてどうする」
「スタート地点で新種の植物に飛びついてた人がそれを言います?」
スタート地点のことに関してはどう考えても花村が悪いというのに、花村は私の嫌味に顔色ひとつ変えず淡々と採取する植物の解説を始めた。
「手始めに、このシュロの近縁種の木の幹の上の方についている繊維質の部分を集めてくれ。ちょうど葉の下に隠れる部分だから大丈夫だとは思うが、なるべく雨に濡れたり湿ったりしていないものを毟っておいてくれ」
「この黄土色のモジャモジャのタワシみたいやつですか?……確かにちょっと切り干し大根みたいですけど、硬すぎて消化が大変そうですね」
この状況ではむしろ腹持ちがいいと考えるべきなのだろうか。青臭い野菜は嫌いだけれど、乾燥させた野菜ならまだ苦手意識は少ないので、これもなんとか食べられるかもしれない。
「おいおい、間違っても口に入れるなよ。これはあんたが言う通りタワシとしても使われてるようなもんだ。食えるなんて話は聞いたことがないぞ」
「ちょっ!なんでそんな食べられないものを真っ先に集めなきゃならないんですか!」
食べ物を集めようと散々説得して、ようやく集めだしたものがタワシというのはいかがなものだろうか。私のお腹の空き具合もかなり限界が近くなってきているせいか、そろそろこの男のおふざけに付き合うのも嫌になってきた。
「勘違いするな。というか、自分でも少しは頭を使え。濡れたり湿ったりしていないこうした木の繊維は着火剤として使うことができる。野草はアク抜きが必要だったり、生食に向かないものが多いからな。重い物でもないし、昼飯を食べるのに使う分だけじゃなく、何回分か余分に集めておいてくれよ」
「はぁい、分かりましたよ」
花村のいう通り、少し頭が回らなくなっていたようだ。お腹が空きすぎてイライラしすぎているのかもしれない。花村が基本的に説明不足なのは今に始まったことではないのだから、いちいち目鯨を立てていてはこの先やっていられないだろう。
シュロの近縁種と言っていたこの木は、ヤシの木にすこし似ていた。もじゃもじゃとした部分は樹脂の一部になっていて、手で取るには意外と力が必要で難しかった。
私がもじゃもじゃと格闘している間、花村は私から離れすぎない範囲をちょこちょこと動き回って何やらあちらも別のものを採集をしているようだった。
また新種だなんだと言ってサボっているのではないかと思い、少し作業が進むたびに監視していたら、逆に「作業が遅い、サボるな」と怒られてしまった。理不尽である。
「このもじゃもじゃ、上の方についてるし堅いし、なかなか取るのが難しいんですよ。私にもその切りやすそうなハサミを使わせてください」
「これは俺の採集用だ。刃物ならあんたにも渡しておいただろう?」
そういえば昨日の準備中に、誰かのトランクに入っていたサバイバルナイフを持っているように言われた気がする。サバイバルナイフなんて呼ぶと聞こえはいいけれど、要は中学生が持つような数種類の刃物が折りたためるようになっているあれだ。
切れ味もあまり鋭くないおもちゃと呼んでも差し支えないような物なので、本物のサバイバルではあまり使えなさそうだなと思っていた。なんなら重いのでこっそり置いてこようかとも思っていた。
「このナイフあんまり切れ味良くないですよ?ハサミもちっこいですし……」
「あー違う違う、使うのはこっちだ」
花村が出したのはサバイバルナイフのおしりの側についている缶切りだった。
「こんなのどうやって使うんですか⁉」
「返しが付いているだろう?そこをひっかけてみろ」
花村の指示に従って繊維を缶切りの尾に引っかけてみると、驚くほど少ない力で繊維を取ることが出来た。引きちぎるのではなく、繊維に沿って裂いているので力があまり必要ないのか、簡単に作業が進められそうだった。
シュロの樹脂を必要数集め終わった後は、花村に言われた通りの草をいくつか集めた。ほとんどが知らない植物だったけれど、中にはタンポポやタラの芽など春の野草の代表格と言えるようなものもあった。
なんとしてでも食べ物を集めなければと勢い勇んで森に入ったせいですっかり意識から外れていたけれど、森には春の陽気があふれていた。
コロナで家の外に出ることもほとんどなく、寒い寒いと言ってこたつに包まってばかりいた数日前が、随分昔のことのように思えた。
―――――
「花村さん来てください!海です!海がありましたよ!」
採集を行いながらさらに1kmほど歩いたころだろうか。花村と違い、植物を自分で区別できない私は教えられた植物がないか探し回るうちに、花村よりかなり先に進んでしまっていた。
平坦で砂の多かった道が岩がちになり、長く続いた藪が抜けると唐突に海が現われたのである。
「やりましたね!これで食糧難ともサヨナラですよ!魚が食べられるなんて最高じゃないですか!」
「そうか、もうそんなとこまで来たか」
「海ですよ?嬉しくないんですか?魚ですよ?」
「ちょうど拠点の東あたりか、まぁだいたい予想通りだな」
「はい?」
ここまでの、どの情報をどうつなぎ合わせたらここに海があることを予想できたというのだろうか。でたらめを言って格好つけているだけなのではないか。そもそもそんな重大な予測をしていたのなら教えておいて欲しかったものである。
「いや……あんた、こういう謎解き話は腹が膨れてからって言って聞かなかっただろうが」
まだ何も言っていないのに不満が顔に出てしまっていただろうか。だとしたらいちいち口に出す手間が減って助かったというものだ。
ここ2時間ほどはずっと藪の中を進んでいたので、こんなに日が高くなっていることにも気づかなかった。太陽がちょうど真上に来て、足元の影がほとんどなくなっている。お昼ごはんの時間だ。
昼時だと思った途端、私のお腹がぐるぐると音を立てて空腹を主張してきた。
「さすがに疲れたな。あんたの腹も限界みたいだし、この辺りで昼食にするとしよう」




