童顔の鬼神は、女勇者の足をちょんちょんする。
一方その頃。
村から少し離れた草むらの陰から、小鬼たちを退けて村に戻っていくラセツたちの背中を、見つめる者がいた。
「あ……アレは、ラセツにゃ……!?」
プルプルと震えているのは、黒い忍者装束に身を包んだ小柄な少女。
猫耳と尻尾が生えており、ラセツを見て冷や汗を流している。
彼女の名は、猫又のネネコ。
とある男に仕えるくノ一である。
「マズいにゃ……マズいことになったにゃ……!」
まさかアイツがこんな所にいるなんて、と彼女は頭を抱える。
ネネコはこの村で食料を調達するつもりだった。
のだが、それは失敗に終わった。
ーーーこ、この状況から、奴がいるところにノコノコ向かうなんて冗談じゃないにゃ!
しかし、ここで補給が出来ないとなると少々主人に不便を強いることになる。
任務失敗をどう報告するべきか……とグルグル考えながら、ネネコは、にゃにゃー、と唸る。
「にゃ〜……そのまま言うしかないかにゃぁ……」
どんな理由をつけるより、それを正直に言った方が怒られないだろう。
多分。
「別に、考えるのがめんどくさくなったわけじゃないのにゃ……」
ボソボソと、別に誰にともなく言い訳をしながら。
彼女はひっそりとその場から動き出し、小鬼たちが消えた方向に向かった。
※※※
「はぁ……美味かった……!」
ラセツはふくれた腹を抱えて、けぷっ、と喉を鳴らしてから、その場に寝転がる。
村長の家で提供された夕飯は、魚料理だった。
香りの良い鮎を炭火で焼いたものだ。
ともに出された麦飯を、その柔らかく香ばしい身や、エノキダケと山菜の味噌汁でかき込み、仕上げに塩で揉んだキュウリの浅漬けで口を潤した。
シンプルだが最高の食事である。
「行儀が悪いぞ」
村長の家にある板の間で、囲炉裏を囲む家人とともに正座をしたまま茶を飲んでいたヴィランが眉をしかめる。
「ハシも使えねー奴に行儀が悪いとか言われたくねーな」
「こ、こんな食器は私の住んでいた場所にはなかったのだ!」
「不便な国だな」
ハシほど使い勝手のいい食器は中々ないのだが。
結局上手く握ることも出来なかったヴィランは、サジと自分の小刀で飯を食っていた。
「見ていろ……今に使えるようになって貴様を驚かせてやるからな……!」
こんなところでも負けず嫌いを発揮した彼女は、悔しそうにギリギリと歯を噛み締める。
それを見て、村長が快活に笑った。
「仲が良いな」
「そ、そんなことはないが……」
飯を提供されたせいか、村長には強く出られない様子のヴィランが歯切れ悪く言う。
味そのものは美味かったようで、悪戦苦闘しながらも綺麗に平らげていた。
胃袋を掴む、というのは強い。
そんなことをつらつらと考えていたラセツは、ふと気づいてヴィランに呼びかけた。
「お前さんも、足を崩してもうちょっとくつろげよ」
「……遠慮しておく」
彼女はピン、と背筋を伸ばして正座の形で座っている。
靴を脱いで家に上がる、という習慣すら知らなかったヴィランだが、姿勢が美しいのは鍛え上げた体幹があるからだろう。
しかし。
「ははーん」
「……なんだ」
ラセツがニヤァ、と口もとを緩めると、ヴィランが冷めた目を向けてくる。
ごろりと彼女のほうに向けて床を転がり、うつぶせになったラセツはーーー彼女の爪先を、ちょん、と指先でつついた。
「ひゃん!」
「ヒヒヒ」
可愛らしい悲鳴を上げるヴィランに、ラセツは含み笑いを漏らす。
「き、貴様ァ!」
「澄ました顔してんじゃねーよ。足が痺れて動けねーんだろ?」
「そ、そんなことはない!」
「だったらさっきの悲鳴はなんだよ?」
「……!」
涙目で頬を紅潮させたヴィランが、ブン、と拳を振り下ろしてくるのをするりとまた転がって避けたラセツは、体を起こした。
股を大きく開いた爪先立ちの姿勢になって膝に両肘を乗せると、ちょいちょい、と右手の人差し指で彼女を挑発する。
「痺れてねーってんならここまで来てみろよ、ほれほれ」
「この悪ガキ……!」
「お前さんより年上だって言ってるだろ?」
「その態度のど・こ・が・年長者の態度だ!?」
この、と目尻を吊り上げて動こうとしたヴィランだが。
「きゃふっ……!」
片膝を立てた途端、動きを止めてプルプルと震え始める。
ヴィランの、うつむいた顔の口もとが震えていた。
「……お前さん、本当にめんこいなぁ」
「うるさい! 黙れ! こっちへ来い!」
「やなこった」
彼女はなんとか四つん這いになってその場でブンブンと手を振るが、当然届くはずもなく、ラセツはわざとらしくあくびをして見せる。
その様子を眺めていた村長が、笑いをこらえている自分の女房にボソッとささやいた。
「……先ほど会ったばかりとは思えんほど似合いだな、この二人」
「ケンカするほど仲が良いと言いますからねぇ」
しかし痺れに耐えるのに必死なヴィランは、それに気付いていなかった。
「こっちへ来いと言ってるだろう!」
「いや、お前さんが来いよ、ヴィラン。そんなに遠くねーんだからよー」
ラセツは、彼女にバレないように村長に向けて片目を閉じてみせる。
結局その後、見かねた女房が痺れを散らす方法……『正座の姿勢のまま膝立ちになって、爪先を地面について伸ばす』ことを教えてやるまで。
ヴィランは、震えたままめんこい動きを続けたのだった。
※※※
その日の夜遅く。
小さい一人部屋を割り当てられたヴィランは、落とし板を開けた小さな窓から、夜空を眺めていた。
海で見るよりも美しく感じられる星々を見上げていると、ここが魔の国だというのが嘘であるかのように感じられる。
ーーーしかし、妙なことになったな。
この島国に来たのは、今朝方のことだ。
戦極の島国ジパング、と呼ばれる大魔王の支配する場所。
この地までヴィランを運んでくれた船の者たちは、よそよそしかった。
物腰こそ丁寧だったが、道中もヴィランを恐れていることがありありと伝わってきた。
そして砂浜に自分を下ろすと、別れの挨拶もそこそこに逃げるように去って行ったのだ。
一抹の寂しさを覚えながら山を登って、そこでラセツに出会った。
「……」
たった一日の間に様々なことがあったが、引っかかることが一つだけある。
ーーー追放された。
ラセツのその一言は、妙に胸をざわつかせていた。
「何をバカな……」
軽く首を横に振ったヴィランは、共に過ごした仲間たちの顔を思い返す。
反りが合わないことも多く、ケンカも絶えなかったが、それでも信頼し合い、戦い抜き、魔王を討ったのだ。
この島に一人で来たのも、王女とのご成婚が決まった者や、今までままならなかった研究に没頭する者など、彼らはそれぞれに幸せを見つけていたからだ。
旅立つ時には、見送ってくれた。
ーーー決して、一人追い出されたのではない。
ヴィランが自分から、王に望んだのだ。
ラセツは小憎らしいが気の良い者なので、悪意をもって虚言を吐いたわけではないだろう。
ーーーだが、その推測だけは間違いだ。
褐色の肌に、好奇心に輝く赤い瞳と同じ色の髪を持つ、それこそ鬼神のように強い少年。
……本人の弁によれば年上だが。
悪戯小僧の笑みとともにチラリと覗く八重歯や、どこまでも楽しげな様子、達観したかと思えばくだらない行動もする振れ幅の大きな振る舞いなど。
どう見ても好奇心旺盛な、年下の少年にしか見えない。
ーーー悪ガキめ。
先ほど痺れを切らした足をつつかれた恨みを思い出し、ヴィランは舌打ちした。
口も立てば、頭もよく回るし、面倒見のいいところも、ないではないが。
やはり補ってあまりある小憎らしさだ。
「最初に会ったのが、奴で良かったのか、悪かったのか……どう思う?」
一人物思いにふけっていたヴィランは、ふと胸元に下がる〝バベルの秘宝〟を指先でいじりながら、手元にある剣に問いかけた。
青い宝玉を柄に埋め込んだ、両刃で細身の片手剣。
神銀で出来たそれは【グラム・ブリンガー】と呼ばれる勇者の剣の一振りだった。
『……我には、どうとも言えぬ』
意思を持つ剣は問いかけに対し、しゃがれた老人の声でそう応えた。
『だが、気を許さぬほうがいいだろう、とは思う。かの者は魔の国の住人にして、鬼の眷属。会って一日も経たぬうちに信頼すべき者ではない』
「……そうだな」
神の試練に打ち勝ち、手にした時から相棒であるグラムの言葉に、ヴィランはうなずいた。
が、念のために耐毒の魔法をしていたが、食事にも毒は含まれておらず、ラセツだけでなく村の者たちも普通の人間に見える。
疑っておくべきだ、というグラムの言葉は当然なのだが、どこか納得していない自分がいた。
これだから、人が良い、などと言われてしまうのだ。
しかしヴィランは言い合うことはなく、別のことをグラムに問いかける。
「なぜ今日は黙っていた?」
『信の置けぬ者のそばにあって、我の存在は秘匿すべきもの。いざという時に、切り札たることが我の役目なれば』
自分と違って常に冷静なグラムはそう言い、ヴィランが言葉を続けようとしたところで。
「ーーーへっへ、やっぱその剣、付喪神か」
唐突に、背後から軽い声が聞こえてきた。