童顔の戦鬼は、女勇者を落ち着かせる。
「水ってのは、こういうもんなんだよ!」
水草が生い茂る中にある、小さな砂利の河原。
川の水を手ですくって飲んだラセツは、ヴィランに水面を指差して見せた。
「確かに非常に澄んだ美しい川だが……」
陽光を照り返す流水に目を向けながら、彼女は薄手のグローブを手から引き抜く。
そしてラセツと同じように水を口に含み……驚愕したように大きく目を見開いて硬直した。
「どうだ! ウマいだろうが!」
これに比べればヴィランの持っていたものは水ではない。
そう鼻息を荒くしていると、彼女はゆっくりと首を曲げてこちらを凝視してきた。
「ラセツ……」
「? なんだよ」
ゆっくり唇からアゴに伝う水滴を手で拭ったヴィランは、呆然とした様子で言った。
「これは……魔力水ではないか!? まさか、この川全てがそうなのか!?」
「まなうぉーたー?」
聞き慣れない言葉にラセツが首を傾げると、ヴィランはもどかしそうに早口で言う。
「魔力を含んだ水のことだ! 飲むだけで魔力を回復する薬水が、なぜ川になっている!?」
彼女の言う、魔力、というのは霊気のことだ。
その物言いから察するに、それを含まない水がさっきのものなのだろう。
ーーーそりゃマズいはずだ。
ラセツは納得しながら、彼女の問いかけに答えを返した。
「そもそも霊気は、ありとあらゆるモノに満ちてるもんだろ。魔力を含まねー水なんてこの国にはほとんどねーぞ」
「そんなバカなことがあってたまるか!」
「あってたまるか、って実際にあるじゃねーか」
何をそんなに焦っているのか。
ラセツは立ち上がって詰め寄ってきたヴィランの細い肩に、少し落ち着けよ、と手を置いた。
「なーろっぱにだってこの水はあるんだろ?」
「……魔導師が生成したものや神の祝福を受けた泉などはあるが、そんな気軽に口に出来るようなものでは……」
なぜか急に弱々しい口調になった彼女に、ラセツは違和感を覚えた。
彼女はチラチラと、まるで得体の知れないものに恐怖するような目を川に向けている。
「……?」
そこでラセツは、腰に下げた剣が、ぼんやりと青い気配を纏っているのを感じ取った。
ーーーなんだ?
だが意識を向けようと思った時には、その気配は消えていた。
ーーー気のせい、か?
不審に思いつつも、ついに震え始めたヴィランをそのまま放っておくわけにもいかなかったので、ラセツは目を戻して口を開く。
「なぁヴィラン。何をそんなに怯えてんだ?」
ラセツにとってこの水は、生まれた時からそこにある馴染んだものでしかない。
「俺にゃ異国のことはよく分かんねーけどよ、そもそもお前さんの言う魔力とやらは、本来、生き物が生きるための活力そのものだぞ?」
「だが、向こうでは魔力を扱える者のほうが少ないのだ! 生きるために必要ならば、全員が魔法を使えていなければおかしいだろう!」
「霊気は、全員が備えているはずだ。もしお前さんの持ってた水が本当に向こうでの『水』なら、生きる以上に使う霊気が足りてねーだけじゃねーのか?」
ヴィランはこちらの言葉を聞き入れたくないかのように、イヤイヤと首を横に振る。
「ここは……ここはおかしい……! お前のような者が存在するのも……それに神の奇跡であるはずの魔力水がなぜ……だってここは、魔の島ではないか……!」
「ヴィラン」
ラセツは話が通じていない彼女の両肩を優しく押さえて、瞳をのぞき込んだ。
紫の瞳が、潤んで揺らいでいるのが、とても綺麗だが同時に痛ましい。
どんどん自分の内にこもって恐怖を増していくその様子は、出会ってからこれまでのヴィランの様子とは明らかに違った。
ラセツは、ヴィランをなるべく刺激しないよう、ゆっくりと言葉を重ねる。
「水はただの水だ。そこに精霊が霊気を運び満たすから、俺たちが口にできるだけのものだ」
とりあえず、意識を引き戻さなければならない。
ラセツは一言ずつはっきりと、彼女に話を伝える。
「だが、この国は龍脈の上にある。もしかしたら、他の土地よりも霊気は豊富なのかもしれねー。だから、お前さんの目には異常に映るのかもな」
少しだけ彼女に沿った物言いで告げると、彼女の動きが止まる。
「ここでは、歩けるようになったばかりの子どもでも霊気を扱う。それが生き物として、本来、当たり前だからだ」
だから子どもでも〝火の玉〟を退治できる。
水で弱るのも当然『水に属する』霊気を含んでいるからだ。
この土地の者は皆、食う、歩く、というのを覚えるのと同様にその扱いを覚え、霊気を使って獲物を狩り、また土地を耕して肥やす。
天地を巡る霊気の在りようを目で見て、耳で聞き、精霊の存在を感じとる必要があるのだ。
彼らと仲良くしなければ、作物は強くも育たないし、すぐに枯れてしまう。
それが本来、自然のことなのだ。
「だからお前さんの恐怖は、俺には分からねーが」
ラセツは、ヴィランの胸元を……その服の下にある、神の秘宝とやらを指差してみせる。
「幸い、お前さんは分厚い言葉の壁を超えて、話して知ることが出来る。そうした齟齬を少しでも埋める手段を持ってる。違うか?」
「……ああ」
「得体の知れねーもんが怖ぇなら、俺が知ってることは全部教えてやる。だから落ち着けよ」
「わ、分かった……」
ヴィランの青ざめていた顔が、少しだけ血色を取り戻す。
浅い呼吸を繰り返していたのを自覚したのか、深呼吸を始めると、こわばって小刻みに震えていた肩から力が抜けていく。
「……すまない。もう大丈夫だ」
「おう」
ヴィランがひんやりとした指先をこちらの手に乗せたので、ラセツは掴んでいた肩を離した。
「聞きたいことがありゃ、聞け。他人の心が見える妖怪は、居ねーことはねーが……少なくとも俺とお前さんは、話さなきゃ分かんねーだろ」
取り乱したことに居心地の悪さを覚えたのか、ヴィランはうつむいてもじもじと指先をこすり合わせた。
「なら、一つずつ訊いていく……」
「おう」
「れ、霊気が、生きるために必要、というのは?」
「全ての源だからだ。純粋な霊気は魂の糧であり、龍脈を作り、そこから陰陽五行や森羅万象に通じている」
その言葉は通じなかったのか、ヴィランは眉根を寄せて難しそうな顔をした。
「龍脈、というのは……魔力の流れ、のことか?」
「精霊どもや全ての魂が生まれ、還っていく流れのことだ」
「精霊は分かる。魔法を使う時に存在を感じるモノたちだからな」
その説明は通じたのか、彼女は数度、うなずいた。
「つまり龍脈、というのは『世界樹の根』と私たちが呼んでいるもののことか。輪廻転生は、全世界に根を張る世界樹から始まって生まれ、死んで世界樹に還って終わる……」
「そうだな、それと似たようなもんだ」
「魔力の根源と、生命の流れが同質のものだ、というのを、私は知らなかった」
「向こうでは違うもんだと思われてんのか?」
そもそも霊気を『魂の力』だと教えられたラセツにとっては、そちらの方が不思議だったが。
「まぁつまり、精霊どもがここでは元気なんだ。だから霊気はいろんなもんから体の中に入ってくる。向こうでは、そうじゃねーんだろ?」
「ああ。一回失われた魔力は、魔力水を呑むか、あるいはぐっすりと眠らなければ回復しない」
知っている話につながったからか、彼女は完全に落ち着きを取り戻したようだった。
それを見て、ラセツは空を見上げる。
「まぁ、水も飲んだし。残りの話はまた今度にして、そろそろ行こうぜ。どーせお前さんとの賭けの結果が出るまでは、もうちょっと一緒に旅するわけだし」
遠見が出来る予言者が住んでいるのはこの先にある村ではなく、そのもっと先の大きな街だ。
話す機会はいくらでもある。
そう伝えて歩き出すと、ヴィランは少し後ろをついてきた。
しばらく道を進んで草の丈が短くなってきた頃合いで、彼女が話しかけてくる。
「……なぁ、ラセツ」
「なんだ?」
「その……あ、ありがとう……」
消え入るようなか細い声の礼に思わず振り向くと、ヴィランは片手でさっと顔を隠した。
「こ、こっちを見るな!」
どうやら、取り乱したことをまだ恥ずかしがっているようだ。
ラセツはニヤリと笑って、彼女に問いかける。
「お前さん、本当にめんこいな。賭けはやめて、今すぐ俺の嫁にならねーか?」
「ならんと言ってるだろ! いいから前を向け、この!」
近づいてきた彼女にぐいっと頬を押されて、ラセツは強制的に前を向かされた。