女勇者は、西で起こったことの真相を知る。
ラセツが問いかけた瞬間。
部屋の中の空気が、ピン、と張り詰めたように、ヴィランには感じられた。
ゆらり、と彼の体から立ち上る魔力……ラセツが言うには、火の霊気……は、笑みを浮かべながらも真剣な目をしている彼の荒ぶる内心を表わしているかのようだった。
ネネコという少女が緊張した様子で息を呑むが、正面からラセツの視線を受け止めたダイジャは、静かに首を横に振った。
「いいや、あれは我々ではない」
「ほぉ?」
「ネネコが『村に食材を分けて貰う』と私のそばを離れていたのは本当だが。そこでお前の姿を見かけて引き返したのだ」
その後の流れは、ラセツが違和感を感じていた通りのものだった。
先行していたダイジャと、今は雑木林の中に潜ませている彼の配下連が隠していた抜け道を先に行き、ネネコがそれを追った。
ヴィランたちが追い払った小鬼はそのまま宿場街に向かう正規のルートを歩き、ネネコはそれに少し細工を加えて自分たちの足取りを隠すのに利用したのだ。
ーーー結局ラセツには見抜かれていたが。
「足跡や違和感の理由は、それか」
「だが、お前さんたちじゃねぇならあいつらは一体なんだ?」
ラセツはただ疑問を口にしている風な様子だったが、火の気配は収まっていない。
しかしダイジャは、特に詰まることもなく言葉を発する。
「お前たちの他に、我々を追っていた連中だろう」
ダイジャが、そこでふと疲れたような気配を見せた気がしたが、ヴィランがまばたきする間にその様子は消えていた。
背筋をまっすぐに伸ばし、質問に答える彼は紛れもなく憎い魔王だったが、魔王城で対峙した時のような強烈な覇気は感じない。
「誰かに追われてんのか?」
「盗賊のムカデだ。昔領地で散々手を焼かされた〝竜喰い〟の悪妖……まだ生きていたらしい」
「それは、貴様が追われるほどの魔物なのか?」
ヴィランの疑問に、ダイジャはかすかに苦い表情を浮かべた。
「ムカデには、竜気が通じぬ。妖怪大百足は竜族の天敵。中でも奴は、好んで知恵ある竜を喰らうのだ」
この国では、人と魔物がともに住むことは、ラセツの説明やこの宿場街の様子を見て理解していた。
ヴィランはその中で、鬼やそれに類する魔物たちも、意思あれば人と変わらず物を想い、日々の暮らしをしているのだと気付かされた。
ーーーならば、そのムカデとやらがしているのは。
「人食いと同じではないか」
「その通りだ、闇の勇者よ。奴はそれゆえに、多くの者から疎まれている。……ネネコですら俺を逃すまでの間、時間を稼ぐのがやっとだったのだ」
そこでダイジャは、ちらりとラセツに目を向けた。
「下手をすれば魔の国最強と言われる〝六大魔性〟でなければ倒せないだろうほどに、奴は強い」
「そこで死ねば良かったではないか。殺されるのを本望と思うのであれば」
ヴィランの言葉に、ダイジャは皮肉そうな笑みを浮かべた。
「お前たちにもらった傷は重かった。ここまで回復したのは、この国の水を飲んでからだ。担架によって担がれていなければ、お前の言うようにしただろう」
前合わせの着物の胸元には包帯がのぞいている。
救われた、といっても全くの無傷というわけではなかった、ということだ。
ネネコがダイジャを救ったのは、本当にギリギリだったのだろう。
「他にも聞きたいことがあるか?」
「いんや。村を襲ってないことが分かりゃ良かった。だから、俺からはねーが……ヴィラン」
声をかけられて、深く息を吐く。
聞きたいことなど本当はいくらでもあった。
しかし、その中でも一番聞きたかったことを、ヴィランは口にした。
「なぜ貴様は、我が故郷を……エルフの森を焼き、眷属を殺したのだ」
エルフは亜人族だった。
それも人間の陣営にも、魔王の陣営にも与しない中立の立場で森の中に暮らしていたのだ。
突如として火に巻かれ、何もわからないまま襲われ、全てを失い。
そこでヴィランは、救援に現れた人族の王に救われた。
自分の憎悪と悲嘆の原点。
それを生み出した相手……ダイジャは、ヴィランの目をまっすぐに見て、ボソリと呟いた。
「ーーーエルフの森を焼いたのは、俺ではない」
「何だと……!?」
予想もしていなかった返答に、ヴィランは頭を殴られたような衝撃を覚えた。
「それどころか、俺は森が焼かれた時にはその場にいなかった。後に赴いた時には、すでに焼き払われていたのだ」
「嘘をつくな!」
思わず、ヴィランは叫んで腰を浮かせた。
「では一体、誰が森を焼いたというのだ!! 私は、魔物がエルフの両親を襲うのを見た! 逃げろと言われて、必死になって逃げている間にも何匹も見かけた! 貴様以外に、誰がそれを為すというのだッ!!」
今更、罪を逃れようというのか、と激昂するヴィランに、ネネコがくないに手を添えるのが見える。
「この、大嘘つきがッ!」
「嘘ではない」
対するダイジャは、それだけで憎悪が増しそうなほどに冷静だった。
「それどころか、俺はかの地のエルフと同盟を結ぼうとしていたのだ」
ダイジャは言う。
ーーー人は、己の欲望のために大地を、他者を食い荒らしすぎる、と。
「あの地の人間は、亜人を下に見ていた。お前自身もそれは感じていたのではないのか」
「……」
言われて、ヴィランは言葉に詰まった。
以前ならば、違うと否定していただろう。
しかしヴィランは自分が島に発った後の王や仲間たちの様子を……その本音を、見てしまっている。
ーーー嘘だ……。
ぐらり、と視界が揺らいだ気がした。
ーーーそれでは……私は。
ストン、ともう一度腰を下ろしたヴィランに、ダイジャは淡々と続ける。
「そうして一方的に襲われ続けていた亜人たちや竜は、ついに住処を追われた。そこでオークやゴブリンなどの種族が団結し、島まで助けを求めに来たのだ。……俺はそれを引き受けた」
兄には反対されたがな、と自分の現状を鑑みたのか、皮肉そうな顔でダイジャは告げる。
しかし最終的にはノブナガの許しを受けて、ネネコを護衛に西の大陸に赴いたらしい。
そして【対人間軍】の大将……魔王として立つことになったのだ、と。
「……同盟しようとしてたっていう、証拠はあるのかい?」
何もかもの印象が裏返っていく。
言葉の出ないヴィランの代わりに、黙っていたラセツがそう問いかけると、ダイジャは一枚の紙を胸元から取り出した。
古ぼけているが、何かの魔法の加護を受けているらしい紙片。
「そいつぁ、『誓の書』か」
「ああ。向こうでは『悪魔の誓約書』と呼ばれるものだ」
その存在は、ヴィランも知っていた。
『洗脳されていない魂』を持つ者同士でしか署名できず、もし害の及ぶ呪いを仕掛けられば全てを弾く効果を発揮すると言われる魔導具だ。
その代わりに、書に記された契約を反故にすれば即座に命を奪われるという。
「ここに書かれている名前は、俺と、当時のエルフの長のものだ」
ダイジャが見せた書面に、ヴィランはのろのろと目を向けた。
そこには紛れもなく、ダイジャと故郷の長の名、そして『お互いに相手種族の命を奪うことなく共闘する』と誓う旨が記されている。
「この契約を結んだ、すぐ後のことだ。……エルフの森が焼かれ、闇の勇者として一人の少女が現れたのはな」




