童顔の鬼神は、女勇者と結界を破る。
「……貴様は」
ヴィランがじっとりとした目で睨みつけてくるのに、ラセツは笑みを返した。
「ん? どうした?」
「毎度毎度、そういう話の持って行き方をするクセはどうにかならないのか!?」
「あん?」
ラセツが大きく片眉をあげると、ヴィランは頭痛を覚えたように右手の指を額に当てる。
「裏稼業の元締めで、冒険者ギルドを作った人物で、その上呪術師でもあるだと?」
「そう言われると多才だな、あの女」
「出てくる情報が盛られすぎていてついていけん……魔の島め……」
「別に盛ってねーぞ。事実だ」
「そういう意味ではない!」
ピシャリ、とヴィランが言ったところで、ラセツはふと足を止めた。
「あれ?」
「今度は何だ……」
もう疲れたぞ、とでも言いたげにどよーんと肩を落としてこちらを見るヴィランだが、勝手に怒って勝手に疲れているだけである。
しかしラセツは周りの景色を見回して、頭の後ろに回していた手を前で組んで、突き出したアゴを指先でトントン、と叩いた。
周りの景色は、温泉から街へ下る山道、である。
だが、山の位置や周りの草木の様子、それに街までの距離、などに違和感があった。
時間的に脇にそれるための隠れ道がある辺りに来ていてもおかしくないのに、その道がちっとも見えないのだ。
それどころか。
「俺らはさっきから山道を下りてるつもりだったが……これ、周りの景色がちっとも変わってねーんじゃねーか?」
「何だと……?」
ラセツは、霊気の流れを探ってみた。
すると普段よりもどこか木の精霊が息を潜めている感じがある。
そしてクスクスと、からかうように笑っているような感じもあった。
「……なぁ、ヴィラン。お前さん、呪術破りなんかは出来るか?」
「解呪のことか? 出来るが……何に対する解呪を行えばいい?」
少し声の調子を落とすと、ヴィランはラセツがふざけている訳ではないことに気づいたのか真剣な顔になる。
ラセツは軽く腰を落として、目を閉じた。
そのまま右手を前に掲げ、世界の息遣いに耳を澄ませる。
流れる風の向き、木々や下生えのざわめき、虫の鳴く声。
それらの音が、寄せては返す波のように一定の拍子を刻んでいる。
整い過ぎた音の向きを探りながら手を伸ばしていくと、柔らかい壁のような、何かの圧を手のひらに感じた。
そこで足先を伸ばし、ザッと線を引く。
「ここだ」
目を開けてヴィランを見ると、ラセツは足で引いた線を指差した。
「ここに結界がある。どういう類いのもんかは分からねーが、解けるか?」
「自分では出来んのか?」
「俺は呪術の才能がからっきしでな」
力技でも破れないことはないが、ラセツに使えるのは火や風の気である。
今ここで全力で気配を放出したら下手すると山火事になるし、風を使えば木々が押し潰れてしまう。
「下手に壊すと街から人が飛んでくるし、何より迷惑だからな」
「全く……」
ヴィランは呆れた顔をするが、術に引っかかっていることに自分も気づいていなかったことを指摘してもいいのだろうか。
ーーーまぁ、それでヘソ曲げられても困るしやめとくか。
ラセツは黙って、彼女を手で促すに留めた。
ヴィランは足元の線に目を向ける。
美しい顔を眺めていると、彼女は呼吸を整えて手に魔力を集め始めた。
「ーーー《解除魔法》!」
精霊が嫌いそうな、不協和音に似た気配が広がり、ザッ! と周りを囲っていた精霊の気配が遠ざかる。
すると不意に空が暗くなり、周りの空気が冷えた。
「は?」
「こいつは……やられたなぁ」
解呪と同時に、周りが夜になっていたのだ。
「ネネコのやつ、いつの間にこんな呪術を覚えたんだ?」
あまりにも大規模な呪術にいっそ感心していると、ヴィランが混乱した様子で空を見上げていた。
「どういうことだ……? なぜいきなり夜になった?」
「多分、夜になったんじゃねーよ。温泉周りが結界によって封じられてたんだ。その間に、外では時間が経ってたんだろうよ」
どういう呪法かは分からねーな、とラセツが言うと、不意に空腹を覚える。
先ほど飯を食ったばかり、という感覚だったが、どうやらきっちり時間は経っているようだ。
「危なかったな。もうちょっと気づかなかったら、飢えて死んでたかも死んねーぞ」
水袋に口をつけながらラセツが言った時、ヴィランの腰に下がってグラムが青い光を放った。
何かを言われたのか、彼女は剣に目を向けて眉をひそめる。
「時魔法、だと? 空間を……!?」
「なんて言ってんだ?」
秘宝に触れていないため、ラセツには声が聞こえない。
すると話を聞き終えたヴィランがグラムの言葉を通訳してくれた。
「時魔法による結界が張られていたらしい。なんでも空間を封じ込めて時の流れから切り離すもので、中にいる者を惑わす類いの幻惑魔法と併用されていた、と」
時の流れを切り離して、というのは、時間の経過を感じさせなかったことだろう。
中にいる者を惑わす、というのは、さっきから少しも先に進んでいなかったことを指しているに違いない。
ちらりと来た方向に目を向ければ、だいぶ下に降ったはずだったのに温泉がまだ見えている。
「なるほど……〝竜宮の夢〟か」
「なんだ、それは」
「大昔の言い伝えだよ。海の中で夢のような景色と暮らしをさせてくれるが、故郷に戻ったら時間が経ちすぎていて住んでいた村が朽ちていた男の話があるのさ」
それが竜宮の夢、である。
「さて、こっからどうするかな……」
「どういう意味だ?」
「夜道だぜ。今から降っても宿場街の門は閉まってる上に、罠がこれ一つとも限らねーだろ?」
「まぁ、その通りだな……」
ヴィランは腕を組むと、眉根を寄せる。
「ここで野宿、か」
「それしかねーだろうな」
幸い温泉のそばであり、あまり冷えることもない。
「焚き火して、飯にしようぜ。明日の朝飯は、宿場街で食おう」
ラセツの提案に、ヴィランは力なくうなずいた。
「……カエルだけでなく、まんまと嵌められた、ということか」




