童顔の鬼神は、猫娘に気づいたようです。
悲鳴を上げたヴィランに、ラセツは呆気にとられた。
「どうした?」
「ふ、ふろ、蛙ゥウ……!」
目尻に涙を溜めて、ジリジリと後ろに下がっていく彼女に、ラセツはぽりぽりと頬を掻いた。
「……もしかして、苦手なのか?」
「そ、そんなことはない……! だだ、大丈夫だ!」
強がりながらグラムを引き抜いて構えたヴィランだが、刃先が揺れている。
しかし、ふー、と大きく息を吐いてからブツブツと何かをつぶやき始めると、その震えは徐々に治った。
「アレは魔物……魔物……倒すべき敵……」
「あー……まぁ、勝手に落ち着くならなんでもいいけどよ」
「い、いきなり現れたから驚いただけだ! それになんかすごく大きいし!」
と、恨めしげにこちらを睨んでくるが、先ほどの悲鳴といい、いまだに涙を溜めたままであることといい、どう考えても言い訳である。
「誰にだって苦手なもんくらいあると思うけどな……そんな強がらなくていいじゃねーか」
「に、苦手じゃない! ビックリしただけ!」
なんだか口調まで子どもみたいになっているので、だんだんめんこく思えてきた。
「じゃ、お前さんが倒すか?」
「うっ……!」
蝦蟇は、こちらを見たまま、なぜか近寄ってくる気配がない。
というよりもアレは。
「なぁ、お前さんもしかして、オオグライか?」
『ゲ、ゲコ!?』
ブンブン、と大きく両手を振って『カエル違いです!』と主張してくるが、どう考えても特徴が思い出した相手と同じである。
「お前さんがここにいる……ってことは」
ラセツは、ギラリと目を光らせた。
「ネネコが近くにいるのか……? なぁ、オオグライ」
『ゲゲゲコォ!?』
オオグライは『いないいなーい!』とでも言いたげに首を横に振る。
が、それは引っ掛けだった。
「やっぱオオグライなんじゃねーか」
『……ゲコ』
主人と同じでのんびりした気質の蝦蟇は誘導されたことに気づいたのか、ピタリと動きを止めた。
ラセツは腕を組んでアゴを撫でつつ……ニヤァ、と笑う。
「そぉか……ネネコがいるのかァ……!」
『ゲ……ゲコォ!』
オオグライは『ごめんなさーい!』とでも言いたそうな様子で天を仰ぐと、直後にボン! と煙に包まれて消えた。
そのやり取りをポカンと口を開けて眺めていたヴィランは、剣を構えたままこちらの顔を見る。
「な……何だったんだ、一体?」
「いやまぁ、知り合いだったんだけどよ」
「き、貴様はフロッグの知り合いがいるのか!?」
「まーな」
ポリポリとアゴを掻きながら、ラセツは何を説明したものか迷う。
次に向かう『蜘蛛の宿場街』は国の中でも屈指の遊興場であるため、様々な妖怪や人間が生活しているのだが……その中には多分に『カエル頭』の妖怪がいるのだ。
連中は川や湯屋、魚市場など水に関わる仕事を仕切っているので、数も多い。
ーーー連れてったら失神するんじゃねーか?
そんな風に思いつつも、今さら怯えさせても仕方がないので、ラセツは話を逸らした。
「あのオオグライは、知り合いの忍者の『式』でな」
「……シキ、というのはなんだ?」
「契約を交わして、主人と定めた相手に従う妖怪のことだ。手下とはちっと違って……まぁ、兄弟分に近ぇかな?」
基本的にそうした契約を交わすことそのものが稀で、結ぶ時はよほどの信頼関係があるか、『式』になる側が敬服した相手とだけである。
昔は悪さをする連中を無理やり呪で縛って、奴隷のように使役していたこともあるらしい。
が、今はそれがバレればお上に処罰される。
今は『式』をそんな風に使うのは、せいぜい罪人を縛っておかなければならない牢獄の役人くらいだ。
「『式』にすると、主人側の意思と呪によって望みの場所に呼び出したり、力を借りることが出来る」
「なるほど。召喚魔法のようなものか」
「西にも似たような術があるのか?」
「このグラムもある意味そうだが、認めた相手に力を貸し与える神獣や魔獣を召喚獣とも呼ぶ。あるいは、魔女がカラスやコウモリを使役したりもするな」
あの巨大な蛙も誰かが契約を交わしているのか……とヴィランは剣をしまいながら複雑そうな顔をした。
彼女自身が苦手なので、理解しがたい話なのだろう。
「大蝦蟇と犬は、忍者連中の間では一般的な『式』だぞ」
「……なんということだ……」
ありありと、こちらの忍者には会いたくない、という顔をするが、彼女には残念な事実を伝えなければいけなかった。
「今追っかけてる小鬼連中に、ネネコがついてる可能性がある。忍者どもなら足の速さも納得だ。会いたくなくても会いに行かねーとな」
それとも、小鬼を取り逃がすかい? と片目を閉じてみせると、ヴィランは眉根を寄せた。
「ぐ……」
ラセツからしてみれば他愛のない悩みなので、ニヤニヤとその切なそうな顔を眺めていたが、不意に逆襲に遭う。
「だがそれだと、村を襲っていたのは貴様の知り合いという可能性があるのか?」
ス、と目を細めたヴィランに、ラセツは素で感心した。
「言われてみりゃ、そうだな」
「……もし知り合いだったらどうするつもりだ? 逃すのか?」
「そんなわけねーだろ」
言われるまで気がつかなかったが、もしあの小鬼連中とネネコが繋がっているのなら好都合だ。
「もしネネコが犯人だったら、たっぷりおしおきしてやらねーとなァ……!」
「なんでそんなに嬉しそうなのだ」
顔が緩みまくるラセツをどう思ったのか、ヴィランが疑問を投げかけてきた。
「その忍者は何者だ?」
「ネネコは猫娘だよ」
ウキウキと気分が弾むのを抑えきれないまま返答すると、彼女はますます目を細める。
「……なるほど。女性にイタズラするのが好きな貴様らしい」
「誤解すんなよ。ただモフり倒してやるだけだ」
別に性的は意味合いは一切ないのだが、ヴィランは冷たい目をしたままだった。
「ま、とりあえず飯にしようぜ」
少し予想外の出来事と新しい事実はあったものの、当初の予定とやることが変わる訳ではない。
しかし、握り飯の包みを取り出したラセツに、なぜか不機嫌そうなヴィランが腕組みをして問いかけてくる。
「相手の足が早い、というのなら、すぐに追わなくていいのか」
「最初は街に入る前に追いつくつもりだったが、相手がネネコなら話は別だ」
もし村を襲って食料を調達するつもりだったのなら、彼女には手持ちがないはずだ。
困っているのだとしたら、ネネコがあの街で頼りそうな相手など一人しかいない。
というか『蜘蛛の宿場街』では誰に頼ったところでたった一人の女性の手のひらの上なので、彼女と知り合いならそれ以外に頼る意味がないのだ。
だとしたら足取りは楽に追えるので、急ぐ意味はますますなくなる。
「出るのは、飯食って風呂にゆっくり浸かってからだ」
「……ネネコとやらが頼る相手、というのはそんなに強大な力を持っているのか?」
岩に腰掛けて手招きすると、ヴィランはこれ見よがしにため息を吐いてからすぐ近くに腰を下ろす。
「あの街は一人の女傑が仕切ってる。裏から表まで、権力の塊みてーな強者だよ。腕っ節も強ぇしな」
「貴様がそこまで褒めるような相手か……名は?」
ヴィランが興味を持ったので、ラセツはニヤリと笑いながら答えた。
「土蜘蛛一家の女頭領ーーー女郎のビクニ、だよ」




