女勇者は、童顔の鬼神に秘密を明かす。
ヴィランはとっさにグラムを取り上げて、振り向きながら構えた。
すると、いつの間にそこにいたのか。
気配を一切感じさせぬまま、入り口の木枠に背をもたれて腕を組んだラセツが立っていた。
「川で一瞬、そいつから霊気を感じた時から、妙だとは思ってたんだが。なるほど、秘宝とやらは剣と意思疎通するためのもんか」
片目を閉じながら、相変わらず鋭い洞察を見せたラセツはおどけた様子で指を立てる。
「なぁ、その秘宝を使って、ちょっとだけソイツと話をさせろよ、ヴィラン」
「貴様……!」
『ぬかったな……破格の手練れであることを失念していた』
グラム自身も一切の気配を感じなかったのだろう、苦い声で言いながら青い魔力を纏い始める。
ヴィランは、剣と同調して戦意を高揚し始めたが……。
「おっと。今さらそいつは無しだ」
ラセツは、柱から、ゆらり、と身を起こしたと思った時にはもう目の前にいた。
「ーーー!?」
「まぁ、一回剣から手を離せよ」
軽く手首を握られると、痛みもないのに力が抜け、グラムがカラン、と床に落ちる。
「ぐっ……」
グラムは、ヴィランから離れれば神威を発揮できない。
剣の魔力が霧散すると同時に、高揚していた戦意が沈んでいく。
「は、離せ!」
「なぁヴィラン。俺はお前さんに危害を加えるつもりはねーよ」
ニッ、といつもの快活な笑みを浮かべたラセツは、さらに言い足した。
「少し落ち着けよ。なんで俺とまた戦う必要がある? ちょっと剣の秘密を知っただけだぜ?」
言われてみれば、と。
ヴィランは違和感とともに、ハッと我に返ったような感じを覚えた。
「……私は、何を?」
彼には一度、圧倒的な敗北を喫している。
今さら逆らったところで無駄だと、頭では理解していたはずなのに、気づけば剣を向けようとしていたのだ。
「今お前さん、その剣の情念に引っ張られてたぜ。そいつは妖刀か?」
「ジョウネンやヨウトウ、というのはなんだ?」
ラセツからは、聞き慣れない言葉が出て来ることが多い。
彼は少し目を泳がせると、先と同じように言い直してくれた。
「あー……意思を持ち、人を支配して殺意を高める存在か? って話だ」
「支配されるのかどうかは分からんが、秘宝を持つ者に同調の魔法を使い、力を高めてくれると聞いている」
ヴィランがそう説明すると、ラセツの目が細まった。
普段は子どものような彼だが、時折こうした表情を見せた時は大人びた、達観した様子を見せる。
自分のパーティーのリーダーだった青年もたまに見せていたそうした表情は、先陣を切って修羅場をくぐり抜けて来た者特有にものなのだろうか。
「なるほどな。わりにあっさり解放されたのは、手から離れたからだよな……どう考えても妖刀なんだが」
ヴィランから手を離したラセツは、どかっとあぐらを掻いて膝を片手で包み、もう片方で頬杖をつく。
そのまま指先でトントン、と顎の横を叩いていたラセツは、一つうなずいてまた問いかけて来た。
「その剣は秘宝と一緒に手に入れたんだよな?」
「ああ。神から賜った聖剣だ」
「俺にゃそいつは陰の性質を持つもんに見えるが」
「イン?」
それはなんだ、と首を傾げる。
知らないことが多すぎて申し訳なくなるが、話が通じないのだ。
しかしラセツは毎度のごとく、怒ることもなく説明してくれた。
「この世には陰と陽がある。暗い性質を持つもんと、明るい性質を持つもんだ」
「光と闇、のような話か?」
「そうだ」
ヴィランの認識では、それらは相反する性質を持つものだ。
敵対する者同士である、と言っても過言ではない。
そう伝えると、ラセツは首を横に振った。
「いんや。陰陽は表と裏だよ。陽は陰に転じるし、陰は陽に転じる。人の気分もそんな類いのもんだろ? 喜怒哀楽の感情は、大体の人間が持ってるもんだ」
「そう……なのか?」
言っていることは分かったが、ヴィランは戸惑った。
ナーロッパにあった教会の教義でも、また魔導書に記されている理論にも、そんなことは書いていなかったのだ。
魔力を霊気と呼び、その在り方が違うのと同じく、まさか光と闇にまで違いがあるのだろうか。
「闇は滅すもの、と、私は教えられた。魔王を殺したのも、その存在そのものが邪悪であり、非道であるからだ、と」
「魔が差す、ってぇ言葉がこっちにはある。どんな善人でも、ふとした時に過ちを犯すってな。それまでの行いがどれほど良くてもそいつは悪だが」
ラセツは、頬を叩いていた指をこちらに向けた。
「それまでそいつが行って来た全ての善行をも、そのたった一つで偽りだと思うか?」
「それは……思わないが」
「そいつが陰陽の考え方だ。どんな悪人でも仲間にゃ優しいこともあるだろう。お前さんの言う光と闇の考えは、そいつを否定するもんだ」
ラセツの言葉には、説得力があった。
彼は口調こそ乱暴だが、語る内容にはいつも筋道がある。
だが、心のどこかで納得できなかった。
したくない、というほうが正しいのかも知れないが。
「それでは……魔族にも、善がある、と言っているように聞こえる……」
「お前さんがそいつを気に病んでることは知ってる。が、今は置いとこう」
ラセツはきっぱりとそれを遮った。
「何が正しいか、なんて話じゃねーし、過ぎたことは悩んでも仕方ねぇ。俺はな、ヴィラン。その剣のことが気になってるんだ」
「グラムが……闇のものだ、という話か」
「そうだ」
ヴィランは、手を離れて力を失い、秘宝を介して話しかけてもこない剣に目を向ける。
まるでこちらの話を伺っているような様子に、不意に不気味さを覚えた。
ーーー話すべきか、否か。
「ヴィラン」
自分が悩んでいることを察したのだろうラセツが、名前を呼ぶ。
ちらりと上目遣いに見ると、彼は八重歯を見せて強い笑みを浮かべていた。
「いいか。俺はそいつをお前さんから取り上げようってわけでも、壊しちまおうってわけでもない。陰陽は表裏だと言っただろ? 俺は、ぐらむとやらのことが知りたいだけだ」
そう告げられて、ヴィランは深く息を吸い込む。
彼の笑みには人を安心させる力があるように思えた。
強さに対する自信、とは、またどこか違うようにも思えるが、その正体は察せられない。
だが、話してみよう、という気持ちになった。
「この剣は【グラム・ブリンガー】……〝影の勇者の剣〟と、呼ばれているものだ」




