童顔の戦鬼は、女勇者を嫁にしたい。
―――大魔王の島にある、海が見える小山のてっぺんにて。
「く、殺せ……!」
ラセツは、目の前で膝をついている女勇者が悔しげに口にした言葉に、首を横に振った。
「イヤだね。―――それよりお前さん、俺の嫁になれよ」
「…………………… は?」
何を言われたのか分からない様子で、彼女は剣を支えにポカンとした顔でこちらを見上げる。
日差しを照り返す美しい銀髪が、心地よい風にさらりと流れた。
気の強そうな切れ長の目もとに紫の瞳と、白い肌。
西の大陸から来たらしい女勇者は、かなり好みの顔立ちをしていた。
「お前さん今、俺に『殺せ』と言っただろ? そいつは命をこっちにあずけたのと一緒だ。ならどう扱おうと俺の自由じゃねーか?」
よく『悪戯小僧が悪だくみをしているような』と言われる笑顔のまま、彼女にもう一度告げる。
「だから、勝者の権利だ。俺の嫁になれ」
「ふ、ふざけるな!」
すると彼女は驚きから覚めたのか、頬を赤くして怒鳴りつけてきた。
「殺せと言ったら、それは普通、そのままの意味だけだ!」
「どーしてもって言うなら殺してやってもいーけど、お前さん死にたいのか?」
「そんなわけがないだろう!」
「言ってることに筋が通ってねーぞ」
ラセツは『怒った顔もめちゃくちゃいいなぁ……』と思いつつ、ヴィランに対して軽く首をかしげる。
彼女は自分が昼寝をしていたところに、いきなり名乗りを上げて挑みかかってきたのだ。
『我が名は勇者ヴィラン! 邪悪なる者よ、いざ尋常に勝負!』
ラセツは強い相手と戦うのが好きなので、外国から来た、という彼女に少し期待しつつその誘いに乗ったのだが。
ーーーなんだ、ノブナガより弱ぇな。
戦い始めてすぐに、今のところ勝ち越しているケンカ仲間……『第六天魔王』としてこの国に君臨する友人の顔を思い浮かべながらそう思った。
あいつに比べるとヴィランの剣は、絶技《斬魔一閃》とかいう攻撃だけはそこそこ速かったものの、余裕で見切れる程度でしかなかったのだ。
少しがっかりしながら、彼女が山頂に深く長大な斬痕を刻むのを隙と見て、軽くカブトを拳で叩くとあっさりと割れた。
同時に戦闘も終わり、兜の中から現れたのがこの美貌だった、というわけだ。
ーーー見れば見るほど、可愛いなぁ。
ここまで好みドンピシャの女はなかなかいない。
それで、自分の都合のいいように解釈して求婚してみたのだが、彼女は残念ながら乗ってこなかった。
負けたくせにワガママな女だ、と思いつつ、ラセツは自分の赤い髪を掻き上げる。
「つーか、たかがケンカに負けたくらいで死んでたら、命がいくつあっても足りねーと思うがな」
「お前のような小僧に、私の何が分かる!」
「いや、俺はこれでも数えで二十四なんだけどな」
慣れっこになっている言い草を聞いていつも通りに返すと、ヴィランはまたしても大きく目を見開く。
「五つも年上だと!? その外見で!?」
「よく言われるが、こんな外見なのは俺のせいじゃないしな。生まれ持った体だ」
ラセツは童顔で、普通の大人より頭一つ分背が低い。
10代前半にしか見えない顔立ちはバカにされることもあるが、自由気ままに、国中を一人旅して回るのに苦労があるわけでもなかった。
「まさか不老の秘術か何かか……? 貴様、ただの魔族ではないな?」
「いんや、ただの鬼の子だよ」
「嘘をつけ! ツノのない鬼族などいるか!」
ヴィランの言葉に、ラセツは軽く肩をすくめた。
「そりゃ、俺の生まれは人間だからな」
「う、生まれ?!?」
「そうだよ。物心つく前に鬼の両親に拾われて、育ててもらった」
だから『鬼の子』だと言ったのである。
「な、なぜ人間が魔の島に住んでいる!?」
人間だと知った途端に混乱した様子を見せた彼女に、逆にラセツは問いかける。
「普通に人間も住んでるし、人間の村もあるよ。何かおかしいか?」
確かにこの島は魔王に支配されているが、別に人間が迫害されているというわけではない。
「し、信じないぞ! 魔族め、私を騙そうとしているのだろう!」
「してねーよ」
そんなことして何の得があるんだ? と思いながら、ラセツは彼女にニッ、と笑みを浮かべて見せる。
「ま、ツノはねーけど牙はあるぜ? ただの八重歯だけど」
「ふざけたことを……!」
どうやら冗談はお気に召さなかったようで、不機嫌そうに顔をしかめられてしまった。
「大体、貴様が本当に普通の人間だというのなら、なぜそんなに強いのだ!」
「俺が強いんじゃなくて、お前さんが大したことねーんだよ」
ラセツと彼女の違いは肌や髪、瞳の色くらいしかないはずである。
そもそも素手の自分より、鎧を着て片手剣を持っているヴィランのほうが本来有利なのだ。
「ぶっちゃけ、単なる実力の差だ」
「そんなはずがない! 魔の支配する島国に住んでいて、それだけの強さ……東の大魔王に魂を売った裏切り者に違いないッ!」
「よく分かんねーんだけど」
東の大魔王、というのは、ノブナガのことだろうか。
別にラセツはあいつに兵として仕えているわけではないし、魂を売った覚えもなかった。
「その東の大魔王とやらが、さっきお前さんが『殺せ』って言ったこととなんか関係あんのか?」
「……」
「だんまりやめろよ。一応お前さん、俺に負けたんだぜ? それに『私の何が分かる』って会ったばっかで分かるわけねーだろ」
「むぅ……」
「知って欲しけりゃ、話せよ」
ラセツがヴィランと目線を合わせるように腰を落とすと、彼女は嫌そうに唇をとがらせつつも、剣から手を離して意外と素直に話し始めた。
彼女は西にある大陸の『なーろっぱ』という土地で勇者と呼ばれていたらしい。
仲間とともに向かうところ敵なしで旅をして、いくつもの国を滅ぼした西の魔王を倒したのだという。
しかし魔王討伐を祝う席で、ヴィランは王から直々に『東の果てにも大魔王、と呼ばれる存在がまだ残っている』と告げられたのだそうだ。
そして一人で、この国に乗り込んできたのだと。
「他の仲間はどうしたんだ?」
「ともに旅した者たちにはそれぞれに大切なものがある。私は、住んでいた街を西の魔王に焼き払われて家族も失ったからな」
失うものが何もない者が来るべきだと思った、と口にした彼女に、ラセツは笑みを消す。
ようやく事情を理解して少し考えていると、ヴィランがさらに話を続けた。
「西の魔王を倒し、私は調子に乗っていたようだ。……船を降りてすぐに出会った『ただの鬼の子』に手も足も出ないのでは、この先もないだろう」
しょんぼりとうつむく彼女に、ラセツはとりあえず聞いてみる。
「もしここで俺がお前さんを見逃したらどうする? 西の大陸に逃げ帰るのか?」
すると彼女は上目づかいでこちらを見て、首を横に振った。
「……もし私を見逃すのなら、貴様は後悔することになる」
「ほー。どんな風に?」
あえて挑発するように言ってみると、ヴィランはギッ! と視線を強くして胸元で左手を握りしめた。
「見逃せば、私は修行を積む。今は敵わんかもしれんが、やがて絶対に強くなり、この地を支配する大魔王を倒す」
だから、国を失う後悔したくなければ今のうちに殺せ、と。
覚悟を決めている様子のヴィランに、ラセツは小指で耳の中を掻いた。
ーーーなるほどなぁ。
正直、ノブナガと彼女が戦おうがどーしようが、特に興味はない。
だが、最初の印象よりもはるかに骨がありそうなヴィランをますます気に入った。
ーーーそして何より、コイツは俺と同じだ。
嬉しさが湧き上がってくるのを抑えきれず、ふっ、と小指の先を吹いたラセツはふたたび笑みを浮かべる。
「なぁヴィラン」
「……なんだ」
「俺はお前さんと同じように、幼い頃に故郷の村を焼かれたことがある」
「ーーー!?」
ヴィランの顔が驚きに染まるのに、ラセツは片目を閉じた。
「そこで鬼の両親に助けられてな。拾ってもらったんだよ」
「魔族が……人を拾ったというのか。村を焼いたのに……?」
「俺の故郷を焼いたのは、人間だよ」
その言葉に、彼女は息を呑んだ。
あの日のことは未だに鮮明に覚えている。
まだ幼かったラセツの瞳に、強く焼き付いた絶望の光景。
炎の中から自力で脱出した後に見た、焼ける村と、ともに過ごした者たちの断末魔と、嗤う男どもの声。
その時に負った火傷の痛みまで思い出せる。
その時に間一髪、自分が殺される前に助けてくれた両親の横顔も。
「まさか……」
「相手が人か人じゃねーかは、重要なことじゃねーよ」
ラセツは、ヴィランと同じように自分の胸に手を当てた。
自分を助けてくれた両親のようになりたい、と、ラセツは思った。
だから、誰よりも強くなるために修行を積んだのだ。
「大事なのは、種族よりも心の在りようだ。そうだろ?」
「貴様の言い分は分かった……だが、一つ疑問がある」
「なんだ?」
話を聞いていたヴィランは、スッと目を逸らし、ためらいがちに問いかけてくる。
「その、なぜいきなり求婚なんだ……? 出会ったばかりで、どう考えてもおかしいだろう」
「別におかしかねーと思うが」
「わ、私の知る限りではおかしいのだ!」
ヴィランは、どうも恥ずかしがっているようだ。
もしかしたらこの手の話に慣れていないのかもしれないな、と思いながら、ラセツは答えた。
「理由の一つは、お前さんが俺好みのめんこい顔立ちをしてたからだよ」
「メンコイ……というのは、どういう意味だ?」
どうも伝わらなかったようで、ヴィランがきょとん、とこちらを見て首をかしげる。
「好みの顔立ちだってことだ」
「この……ッ!? まま、魔族はそういうことを面と向かって言うのか!?」
「だから、魔族じゃねーって。それに今は、性格も気に入った。お前さんはいい女だ」
「そそ、そんな世辞を言ってもなびかんぞ!?」
「世辞じゃねーよ。俺は嘘なんかつかねーからな」
ボン! と今度は耳まで真っ赤に染まったヴィランが強い口調で言うのに、ラセツは少し楽しくなった。
が、その気持ちをグッと抑えて、少し声を落とす。
「お前さんが気に入ったから声をかけたのは事実だが、ま、それ以外にも理由が一つある」
「ほ、ほう?」
まだ少し顔が赤いヴィランだったが、ラセツが真剣な様子になったのを察したのか少し表情を引き締めた。
そんな彼女に、ラセツは淡々と告げる。
「ーーー俺は、今のまんまじゃ、やがて世界を滅ぼすらしくてな」
「……なんの話だ?」
唐突に話題が変わったように感じたのだろう、ヴィランが首をかしげる。
「ま、順を追って話すと、だいぶ前に、予言が出来る仲間が俺のところに来てな」
深刻な顔でそいつが、まずい話がある、と告げたのが事の始まりだった。
「実感も何も湧かなかったが、仲間も両親も苦い顔しててなぁ」
両親のように、弱い者を守れるようになるために。
自分のような思いをする者がいなくなるように、血の滲むような努力をしてせっかく得た力だったのだが。
「なんか知らねーが、俺は魔王以上に厄介になる可能性があるんだそーだ」
「……」
「もちろん、今は世界を滅ぼす気なんかさらさらないが、俺は、俺の気がいつ変わるのかを知らねぇ」
それはもしかしたら今日明日のことなのかもしれないし、はるか先のことなのかもしれない。
「が、連中の話にゃ続きがあった。破滅を回避したきゃ嫁を見つけろ、とな」
それは予言にしては、ずいぶんと曖昧な話だった。
相手が誰でもいいのか、それとも特定の誰かのことなのか、それすら分からないのだと。
しかし予言者がその打開策を口にすると、彼らはラセツに旅に出るように言った。
ーーーお前を殺したくない、と。
だから嫁を見つけてこい、と。
「俺だって、世界を滅ぼしたくはねーからな」
一度何もかも失って、それでも両親のおかげで新たな仲間を得て、今まで楽しく生きることができたのだ。
が、気に染まない相手と添い遂げるのも何か違う、と思いながらラセツは今日まで過ごしてきた。
「そして俺は、お前さんと出会った」
彼女の話を聞く前に、一目で気に入って求婚したのは間違いではなかったのだ。
気骨があり。
自分と同じ失う痛みを知り。
そして、同じように弱い者を守りたいという想いを抱いている、この女がそうなのだろう、とラセツは思った。
ヴィランが強くなれば。
もし運命の相手とやらが、彼女ではなかったとしても。
もし予言の時が来たとしても、仲間とともに自分を止めてくれるだろう、と。
ラセツは彼女の話を聞いて、そう思ったのだ。
「だからヴィラン。ーーー俺の、嫁になれよ」