王女様ですのよ!?
フィクションです。現実に存在する地名や店名、それに似たものが登場しますがすべて架空のものです。
現実に打ちのめされるがいい。
超大陸パンゲアも今や昔、日本列島に王国がある2082年の話だ。
ヤポネスク王国の王女マキは超ワガママ。侍従をパシらせて紅茶を淹れさせたなら温度の具合が悪いとか言うし、こぼれた紅茶で濡れた服を着替えてきたらもっと可憐な服はないのとか言い出すし、履き慣れた靴に飽きたと言って新しいのを仕立てさせては完璧に測ってないからとやり直しを命じる。そんな彼女を咎める者はいない。なぜなら、王と妃はマキにデレデレだからだ。弟はまだ幼くて文句を言えない。国民はそんなことは知らないから可愛い王女様としか言わない。困っているのは仕えている侍従だけだ。この場所にいるくらいだからかなり優秀で、熱心な研究家でもある彼らは、密かに王女を矯正する方法を実行した。それは王城の端に仕組まれた巨大な転送装置であり、座標を指定すればそこだけを異界に飛ばすという大仰なものである。ストレスが限界だった侍従はこうするしかなかったのだ。マキは文句を言うために立ち上がったときに突然いなくなり、異界に飛ばされた。王国は騒然となって捜索が行われたが、真実を知る者は一人笑みを隠した。
マキが転移した先は2020年の日本。ヤポネスクの基礎がいくつか残ってはいるものの、王女を困惑させるには十分な退化だった。世界を閉ざさんばかりに屹立する高層ビル、目抜き通りの先のバスターミナル。背中側を見ればどこまでも続く街道。立ち上がって初めて見えた交差する二つの赤いアーチ。その根元の花壇には人々の集い。スマホを弄って仲間を待つ。マキは白いドレスについた砂埃を払って移動を開始した。まずは赤い法被を着たメガネの男の呼び込み。格安スマホが云々、他の男はエアコンの設置料金が云々、今の彼女には非常に耳障りだ。知りたいのはそんなことではなく、ここがどこなのかということだ。ポケットはないし、財布もないし、侍従もいない。あの侍従、いつもワガママに付き合ってくれるからけっこう好きだった。邪気のない笑顔がムカつくくらい眩しくて、思い出すと赤面してしまう。マキはエスカレーターに乗ってデッキの二階部分に至り、コンタクトレンズ屋の配るポケットティッシュを手に入れた。これで鼻をかみたくなっても大丈夫だ。人が流れる先にあるのは大きな建物で、入り口には立川駅と大きく示されている。そんな駅名、聞いたことがない。人待ちに並んで座っていると、警察官が声をかけてきた。格好は自分の知る警官と変わらない。
「お嬢ちゃん一人でどうしたの、お友達待ってるの」
「違うわ。知らないところに来ちゃっただけ。どうせだから見て回ろうと思ったけど、この靴じゃ疲れるわ。あなた、運動靴を持ってきてちょうだい」
警察官は笑って断った。その代わり、自分の情報をいろいろと訊いてきた。
「ちょっと失礼じゃなくて!?わたくしは王女様ですのよ!?そもそも一人にするってどういうことよ!アダムはどこなの!」
「落ち着いて、ね?パパかママの連絡先とかある?」
「そんなものないわ!だっていつもアダムが何もかもやるもの!」
「アダムって人が重要人物っぽいな…とりあえず建物の中入ろうか。寒いでしょ?」
そう、今は十二月で風が吹かなくても寒い。ドレスなんて胸元が開いているのだから、寒気が好き勝手に肌を蹂躙している。駅ビルに埋め込まれた交番に入ったマキの事情を聞き終えてもなかなか解決策を見いだせないから、マキは機嫌を悪くして紅茶を要求した。
「寒いんだから温かい紅茶を出すのは当然でしょ!?気が利かないわね!」
「ごめんごめん、紅茶はないけど緑茶ならあるよ、ティーバッグ」
「楽しようとしてんじゃないわよ!」
ギャーギャー騒ぐ子供に付き合っている大人は立派だと思う。緑茶に添えられた井勢屋の菓子を一口、驚きの美味さ。
「あら、これはいいじゃない」
「立川通り沿いにあるよ」
「へぇ、ちょっと連れて行きなさいよ」
「今はできない」
「ダメダメね」
少し態度が柔和になったか、マキは落ち着いて今後に繋がることを考えた。
「まずはアダムを探すわ。そうすれば何もかも解決するから」
「アダムってことは君は外国の子?そうは見えないけど」
「ヤポネスクの王女様よ!」
「どこだい、そこは」
警察官がスマホで検索するが、アマチュアの書いた小説にしかあたらない。困ってしまった警察官は福祉施設に連絡してマキをそこに預けようとした。
「嫌よ、私は金の装飾に満ちた王城にしか住まないわ!」
福祉施設の職員が来ても駄々をこねるので困ってしまったのだが、そこへ一人の男が駆け込んできた。
「財布をなくしましたぁ!」
髪の毛がボサボサで、安っぽいパーカーとジョガーパンツ、ワンショルダーバッグの男が息を切らしている。
「くっさいわね」
「あ、ゴメン…僕の財布、届いてないですか?バスを降りるときにないことに気づいて」
「バスの代金はどうしたの」
「ICで払いました。これはポッケに入ってたので」
「うんじゃあバス会社のほうに連絡したほうが良いかもね。他に落としたとしたらどこ?」
いろいろやりとりをしている中で、警察官はあらゆることに対応しなければならず大変なんだと思ったマキ。警察なんて権力を使って抵抗する人をしょっぴくだけの楽な仕事だし、拳銃を与えたのだから面倒なら射殺するものだと思っていた。しかしどうだこの対応、くだらないことで駆け込んできた男に対してこの厚遇である。男が落ち着きを取り戻して髪をかきあげたとき、マキは世界が変わる思いをした。
「…アダム!?」
アダムの面影が見えた。しかし男は違う名前を名乗った。それでも別人に見えなくなったことでこの男に解決を託す決意が固まった。
「ちょっとあんた、私に王城を提供しなさいよ」
「王城?俺の王城でよければ」
このアダム似の臭い男は冗談を言っている。馬鹿にされたような気がしたが、一旦下手に出て自分の有利を導こうという考えが起きた。
「いいからよこしなさい。そのIC、まだ残高あるでしょ」
「俺、これから大学行くんだけど」
「中止よ。単位なんて私の権力で好きなだけくれてやるわ…この場をどうにかしてくれるなら」
「じゃあ喜んで。IC代もいいや。俺が払うよ」
「あんた、言葉遣いが不敬よ。私はヤポネスクの王女様、マキよ!」
「マキちゃんか。可愛い服着てるね…ああ、なんでもない。王城に向かおう」
まったくの無視だったのでマキは男の尻を蹴った。ハイヒールの爪先は硬い。
「バスって初めて乗るわ。人がごちゃごちゃしてるって聞いたけど、あんたがちゃんと私の場所を確保しなさいよ」
「先に座られてたらダメだよ」
「じゃああんたが椅子になりなさい」
そんな横暴な、と男は思った。立川駅始発のバスだから待ち行列の先頭にいれば確実に座れる。幸いにも前の便が出たばかりで、列の先頭に立つことができた。しかし次の便が来るのは五分後のことで、その待ち時間ですら退屈したくないマキは男に命じた。
「あんたが楽しませるのよ」
「じゃあスマホゲーでもやっててください」
「あら、この私にスマホゲーをやらせるのね。庶民の遊びに触れろってか」
スマホはマキも持っていたが、連絡のためにしか使わなかった。そもそも連絡役としてアダムがいたのだから、殆ど使っていないのだが。
「あら、意外と楽しいじゃないの」
バスが到着すると二人がけの椅子に座ってプレイを続け、王城の最寄りに到着してもまだやっていたので男が取り上げた。
「なにするのよ!」
「歩きスマホはダメです。知らない人とぶつかって傷つけちゃうかもしれないから」
「アダム似のくせに生意気ね。ってかあんた誰?」
「僕は祖家征です」
「クソ奴隷ね」
「征です」
「なんでもいいわ。はやく王城を譲り渡しなさい」
「これが俺の王城です」
案内されたのは古いアパートだ。建物の名前を示す看板すらないし、ゴミ捨て場はネットで囲まれただけだ。そもそもバスから下りた時点で王城は見えなかったし、駅からも見えなかった。
「ふざけんじゃないわよ!これが王城なんて口が裂けても言うなぁ!」
「ワガママ言わんとぉ。これでも住めるんだから」
鍵を開けて入ると狭い台所があり、その先狭い和室があった。脱いだ靴を征の靴の上に置いて家に入ると、ドレスが床に並んだ空き瓶に擦れた。
「汚いわね、掃除なさい」
「ゴミ捨てはするか。溜まってたしな。ってかその服可愛いけど動きにくくない?」
「もう動かないからいいのよ。それよりさっさとゴミを捨てて来なさい。テレビでも見てくつろぐから」
王城の数百分の一の面積の家にある安物の座椅子に凭れたマキはテレビをつけて仰天した。来年がおかしい。戻ってきた征に尋ねると、むしろこちらが異常のような扱いを受けた。
「私、過去に来ちゃった!?」
「そういうことか。なかなか面白いね…でも不安よな。俺がいろいろやったるわ。ってかさぁ、財布なくしたこと忘れるくらいのインパクトを与えるのやめてくれない?」
「うるさいわね。私は好きでこうしているんじゃないの。頑張ってようやくあんたに助けを借りるところまできたんだから」
互いに大変な状況なら、わかり合えることの一つや二つあるはずだ。しかし王女様は助けられてもワガママを続けるようだ。運良く紅茶はあったのでそれを飲んだが、ティーバッグにケトルの湯を注いだだけのものに満足できるはずがない。
「そういう店はないの?」
「俺は疎くてね。カフェにでも行く?ってか俺早めに大学行って学食で食う予定だったから狂ったわ。家には何も食い物ねぇし、買いにい…財布ねぇんだった」
「使えないわね!!」
マキは立ち上がって征を蹴った。しかし征はフットサルで鍛えた脚でブロックした。
「俺がやらんといかんことはいろいろあるんだ。君を住まわせるってなったら管理会社に連絡しなきゃいかんし、役所に届を…」
「まずは飯を出せ!お腹がペコペコなのよ」
「しょうがないなぁ」
征は単独で保管していたクレジットカードを持ってマキを招いた。家の近くにあるコンビニに入って好きなものを選べと言うと、後ろから声がかかった。
「祖家くん、その子誰?」
「彼女です」
人生最大の嘘をついた。その嘘は先輩にすぐにバレて妹ということになり、事情を聞いた先輩に昼食代を払ってもらうことになった。
「あんたには奉仕の精神があるのね!感心したわ!昇給を命じて…どこに命じればいいんだろ?」
「店長じゃないですかね。ってか今のあんたにそんな権利はねぇよ。いいかい、あんたはもう王女様じゃなくて普通の女の子だ」
「!!」
その言葉を聞いたマキは温めてもらった弁当を手放して店から出て行ってしまった。首を傾げる先輩をよそに、征は弁当を拾ってゆっくり店を出た。
「どこいったんだあいつ」
先に家に帰っていると思っていたが家の前にも裏の駐車場にもいなかった。頭を抱えた征は部屋に弁当を置いてからマキを探し始めた。立川通りの南北一キロを探したが、目立つ場所にはいないようだ。どこか穴場のラーメン屋にでも入って権力を振りかざしているのかと思ったが、あの言葉が響いているということは、それを理解しているということで、もうそのような振る舞いはしないだろう。さほど反省はしないが、彼女は自分の後悔以上に傷ついているはずだ。緩んでいる靴紐を気にせず走り回ると、三丁目の名店の前に立っているマキを見つけた。
「いなくなんなし…」
「あんた、私が王女様じゃないって言ったわね。これ、最大の侮辱よ。私は王女様」
「ああ、それでいい。俺が間違えた。だからこれ以上走らせるな」
「あんたが命令するな!私が王女様だぞ!」
マキは激高しながらも征に近寄り、見上げながら右を指した。
「なんか美味しそうな匂いがするからここに入るわよ!」
「ラーメン屋じゃん…さっき弁当買ったじゃん」
「いいから!」
幸いにもここはキャッシュレスを勧めていてクレジットカードで払える。カウンター席に座った二人は並盛り醤油ラーメンを食べ、弁当の待つ家に帰ってきた。王女様はラーメンでは腹が満たされなかったようで弁当も食べた。
「お手洗いはどこ?」
「洗濯機の左のドア」
マキがトイレに入ってしばらくしてから洗浄機がついていないことに文句を言ったので自分が貧乏人だと伝えると、話が違うとして家から出て行こうとした。そのとき、マキが何かを蹴った。
「あ、財布あったんだ」
征が家に忘れていただけだったことが判明した。安心した征と不信感を募らせるマキ。二人の仲が破断するかに思われたが、開いた財布がそれを繋ぎ止めた。大量の万札、大量の万札、金のクレジットカード。王女様の目がハートになった。
「もうすこしここにいてやるわ!」
居候を決め込んだ王女様だが、彼女はこの時代の生きづらさを知らない。次々と襲い来る軍勢が征を苦しめる!
住民税、年金、光熱費、保険料、交通費…六十年前は地獄だったと思い知れ、マキ!