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夢観の八葉

廃都にて

作者: 穹向 水透

12作目です。他の作品と少し毛色が違うものとなります。



「平和」という単語がミーム汚染を引き起こしている。それは最近始まったことではないが、ここ数年で顕著になったように思える。事実、この国の今が、その汚染の結果なのだ。

 トマス・モアは「ユートピア」を語った。現実には存在しない、何処にもない国。それが世界の過去だ。今は「ディストピア」と言えばいいだろうか。世界中の文明レベルは著しい低下を示し、いくつかの国で内乱が勃発している。アメリカやイギリスなどの大国では、いくつもの勢力が入り乱れた所為で、最早、国の形などなく、州が国として独立をし始めた。何処の国でもアナーキストが大きな声を出して、権力の打倒を人々に語っている。

 この国だって同じだ。既に権力は解体されたも同然で、実質的な権力はアナーキズムの指導者たちが保持している。無政府主義者が政府の真似事をするという本末転倒な事態に陥っているのだ。ただ、彼らが人々の大きな信頼を得ていることは確かで、先日の「九月七日クーデター」は人々の協力がなければ成し得ることはなかっただろう。

 この国の再興の余地を考えるならば、まだ武器として言葉のみが使われていることだろうか。平和ボケしていた分、具体的な武器を手にすることには抵抗があるようだ。

 世界がこうなってしまったのは、アジアの某国の宣戦布告によるものだ。宣言だけなら良かったものを、攻撃を加えてしまった。当然、報復が開始され、アメリカやイギリスは同盟を組んで、某国を包囲し圧倒した。本来ならこれで終わりなのだが、この戦いの間隙を縫って現れたのがアナーキストたちで、政治体制に不満を募らせていた民衆を味方にした彼らが猛威を振るったのだ。最終的には、内と外のあらゆる場所で争いが起きてしまった。この醜悪な戦争、俗に準三次世界大戦などと呼称される戦争の唯一の良心は、核兵器が用いられなかったことだろう。互いが牽制しあったため、結局、何処もスイッチを押さなかった。

 某国は再起不能なほどに破壊され、世界規模の村八分状態になった。アメリカ、イギリスは先述のようにアナーキストたちが権力を握った。小国は同盟を組み、ガラ空きの大国に攻め込もうとした。

 そして、この国は。戦争をしない、の言葉通り、基本的に不干渉だったが、いつの間にか介入していた。某国の包囲にも参加しているという具合である。この国の崩壊の端緒はそれだ。戦争をしないという約束が、知らずのうちに破棄されていたことに起因している。アナーキストや民衆を率いたのは、芹河(せりかわ)という男で、現在の権力は彼が独占していると言っても過言ではない。

 この芹河という男は、某県の某町の出身で、元々は五人の仲間とともに反乱を企てた。しかし、政府を倒すと、仲間たちを次々と追放し、自身がトップに君臨した。彼の君臨は、猛獣の解放を伴うもので、この国の最大の都は一瞬でディストピアと化した。そして、この国もまた、再起は厳しいだろう。



 僕は今、歩いている。

 不安定な地盤を。いつ崩れてもおかしくないような国の道を。かつては高速道路であったこの道も、今は車など一台も通らない。車は港の海底に大量に沈んでいる。

 僕は高速道路から飛び降りた。約二メートル下には積み重なった瓦礫がある。そして、川沿いを歩く。少し前まではジョギングをする人や昼寝をする人がいたこの場所も、今は瓦礫が点在し、ろくでもない人々が闊歩している。僕もそのうちのひとりだ。

 少し歩くと、川から二メートルほど離れた位置の黄色いベンチに座る老人がいた。白い髪に、白い髭。その髭は、サンタクロースとして働いていたのかと訊きたくなるようなボリュームで、老人はそれを断続的に態とらしく撫でている。

 僕は何となく、その老人の横に座った。

 彼は大きな欠伸をした。外見の割には、随分と歯が残っているようだった。口を閉じ、老人は眼を遠くして、声を発した。

「おれの横に座るなんて物好きだな」

「何故?」

「そりゃ、おれを見ればわかるだろう。聖職者か何かに見えるか?」

「サンタクロースには見える」

「生憎、プレゼントできるものは何ひとつないのさ。精々、使い古しの臓器ぐらいか?」

「そもそも、このご時世にサンタクロースもプレゼントも、ただただ胡散臭いだけだ」

「可哀想にな」

 彼は膝の上に乗せていた紙袋から、不透明な瓶を取り出し、それの中身を飲み始めた。漂ってくるのはアルコールの臭い。

「お前、名前は?」

神旗(みき)、神旗束紗(つかさ)だ。あんたは?」

「おれか、そうだな……ゼウスとでも名乗っておこうか」

「は?」

「ギリシャ神話は嫌いか? ならば、オーディンはどうだ? 或いは、ヤハウェなんてのもいいな」

「アンラ・マンユはどうだ?」

「せめて、アフラ・マズダにしてくれ」

 老人は口の端を僅かに上げた。

「じゃあ、妥協してゼウスと呼ぼう」

「そうしてくれ。ええと、何と言ったか?」

「神旗だ。全能神を騙るなら、それくらいは憶えてくれ」

「年齢には全能など敵わん」

 彼は声を上げて笑い出した。その力強さに僕は圧倒された。

「仮に本物の神とて、今の世界を救うことは無理だろう。|機械仕掛けの神《  デウス=エクス=マキナ》も匙を投げてしまいそうだ。知ってるか? 終末時計の針は振り切ったそうだぞ」

「今更、終末時計なんて無意味だ」

「夢がないな。おれが若い頃は、そんな物騒なものがあるのかとワクワクしたものだがな」

「夢なんてのは言葉だけだ。今では、眠っている時に見るもの、としか説明されない」

「たった数ヶ月で認識は変わるもんだ。人間を変えるなんて容易いことで、子供は先生が正しいと言えば正しいと信じてしまう」

「そういうものか?」

「あぁ、お前は見たところは例外だな。まともな学生がこんなところに来るわけがない。それに、外に出るなって言われてないか?」

「そんな話は聞いたことがないな」

「お前は先生の話を聞かないタイプだな。そもそも、何故、お前は制服を着ているんだ?」

「……」

「わかったぞ。さては、話を聞いていなかったために、今日も学校があると思った、だろ? 図星だろう?」

 ゼウスが手を叩いて笑う。確かに彼の言うことは合っているので、言うことは何もない。

「ゼウス、あんたはここで何をしてるんだ?」

「おれはなぁ……、何だろうな、酒でも飲みに来てんのかね? 別にこの場所に思い入れがあるわけでもないしな。お前こそ、どうして、こんなところに来たんだ?」

「単純に、この場所が好きだからだ」

「変わってんな」

「そう言われても仕方がないけど、僕はこの風景を、今の荒廃した世界における稀有なせせらぎを眼に灼き付けたい。ここだって、埋め立てられるかもしれない。景色は千変万化するが、人工的な、一部にしかメリットが存在しないような変化を受け入れたくはない」

「わからないでもないがね。時々、自然の風景ってのは恋しくなるものさ。酒を呷りつつ、森羅万象の詩を作る……、陶淵明のような人生に憧れることだってある」

「理想郷か。ここは真逆だな」

「そうだな。そういえば、知ってるか? 歴史学者たちは、今現在の時代のことを『紀元後二十一世紀のカタストロフ』って呼んでるらしいぞ」

「確かに滅んでいる国は多い。アジア島嶼部や中南米のいくつかの国は文明レベルが原点にまで戻ったとも揶揄されるくらいだからな」

「隠れアナーキストが世界にはバカみたいにいたってことだな」

「それは僕もあんたもだろう?」

 ゼウスが意外そうな顔をする。

「何故、そう思う?」

「僕は僕の価値観に基づいた話だから偽りはない。僕は世界なんてぶっ壊れちまえばいい、なんて考えだ」

「まぁ、お前、見るからにそんな感じがするもんな」

 彼は酒を喉に流した後、豪快に笑った。

「それじゃあ、おれがアナーキストだと思った根拠は?」

「さぁ? 風貌と、こんな場所で酒を飲んでるような輩だからね。それだけで充分、怪しいと思う」

「おいおい、この国の未来を憂いて、残された美しき自然の景観を眺めているだけかもしれないだろう?」

「さぁ? どうだろう?」

 ゼウスが立ち上がって、僕に言った。

「散歩に行かないか? どうせ、暇してるんだろ?」

 僕は立ち上がった。ゼウスの体躯は意外に大きかった。恐らく一九◯センチくらいはあるだろう。

「散歩って言ったって、何処へ? 高速道路か?」

「そうだな……、お前が眼に灼き付けたいって言う、この川に沿って歩こうじゃないか」

「目的地はあるのか?」

「進んでいけば、海に出る。そこにおれの住んでる場所がある。いいぜ、久々の客人だ。おれの料理を振る舞ってやろう」

 ゼウスが歩き出す。彼の歩行速度は思ったより速い。どうやら足が長く、僕よりも一歩の歩幅が大きいからのようだ。

 彼の擦り切れた革靴が一定のテンポで上下する。僕は右手に持った鞄を揺らしながら歩いた。鞄の中身は、携帯ゲーム機に財布、それと申し訳程度の参考書類。

「この川の水は綺麗に見えるが、飲まない方がいいし、浸かることもお勧めしない」

「何故?」

「上流から毒性の物質が流れてきているからだ」

「毒性の物質?」

「なんだ、知らないのか。アナーキスト連中の中でも過激なバカどもが上流の製薬工場を制圧して、化学物質を垂れ流したのさ」

「そんなことをして、何のメリットがある?」

「さぁな。芹河のやつを困らせるためだろう」

「芹河を?」

「まぁな」

 ゼウスは歩みを緩めない。僕は彼に並ぶように歩くことに必死だった。彼は僕を見ると、にやりと笑い、少し速度を緩めた。

「必死だな。そもそも、おれについてくること自体が正常な判断とは言い難いんだがな。悪い人にはついていくなって教わっただろう?」

「悪い人、にはな。少なくとも、僕の認識上、あんたはまだ悪い人ではない。心配するな。僕の判断で僕は動いているんだ」

「そうか、そりゃ立派だ。ひとつの運動を率いることができるくらいには聡明だと思うよ」

「自分がそういった運動に参加していたような口振りだな」

「このご時世だ。誰しも運動に参加したことくらいはあるさ」

 ゼウスは再び速度を上げ、僕を引き離す。僕も鞄を振り子のように揺らしながら神の背中を追う。

 次第に川幅が大きくなった。既に汽水域に入っているだろう。川原には何人かが寝そべっているが、どれも顔色が悪く、動きが酷く緩慢で、端から見たら死んでるかもしれないと思える。恐らく、川の水を飲んだのだろう。長い距離を経て、毒物が弱まっていたとしても人体には危険なことに変わりはない。

 やがて、川が一気に広がり、海になった。陸地の惨状に干渉しないという態度のように凪いでいた。

 ゼウスは階段で砂浜に下り、そこで止まった。僕のことを待っているようだった。

「疲れたか?」とゼウスは笑う。

「多少はね。……それで、あんたの住みかってのは? まさか、この砂浜の地下にあるだなんて言うなよ」

「惜しいな」

 ゼウスが顎髭を撫でながら言い、「あそこを見てみろ」と砂浜の端を指差した。そこには、ハッチが付いたパイプがあった。

「入り口か?」

「そうだ。面白いだろう? 来てみろ」

 ゼウスがハッチの中央の鍵穴を指差した後、懐から大きな銀色の鍵を取り出して、穴に挿し込んで回した。カチリと音がした後、彼はハッチを開けてみせた。

「どうだ? テンションが上がるだろう?」

「少年心を擽るじゃないか」

「ディストピアと化したこの国には、こういった子供の眼が煌めくようなものが必要なのさ」

 ゼウスが穴に入ったので、僕も続いた。穴の深さは約十五メートルはあるだろうか。

「普段もこんなところを使ってるのか?」

「そんなわけあるか。これはお前のためのパフォーマンスだ。普段は少し離れたところのドアから入ってる」

 下っている間、穴の底がどうなっているかを想像していたが、いざ下り立つと、そこには予想していなかった光景が広がっていた。

「予想できなかっただろう?」

 ゼウスがそう言えるのも頷ける光景だ。床は大理石、壁には漆喰。天井からは煌めくシャンデリア。地下だとは思えない光溢れる空間だった。

「驚いているなら進め。まだ序の口だからな」

 ゼウスは先程とは異なるゆっくりとした歩みで進む。彼が言うには、ここは廊下らしく、リビングルームは奥にあるとのことだった。

「ここは地下だよな?」

「あぁ、そうさ。どうした? 驚き過ぎて区別もつかなくなったか」

 廊下の果てには重厚感のある扉があり、ゼウスは装飾の凝ったドアノッカーを鳴らした。それはガウディの作品のように、虫の彫刻を叩くというものだった。彼は「これもパフォーマンス」と言いながら、ドアを押した。その先に広がっていたのは、学校の教室か、それ以上の広さの部屋だった。床は廊下と同じ大理石で、壁はアクリルガラスとなっている。

「海?」

「あぁ、長い廊下で、若干の坂道になってるからな。お前が気付かない間に浅瀬の海底に到達してたのさ」

 僕は部屋の中を歩き回った。いかにも高価な調度品がいくつも置かれている。有名な絵や彫刻もあり、レプリカかと訊ねると、「本物に決まっているだろう」と返ってきた。

「ゼウス、あんたは浮浪者ではないのか?」

「浮浪者と言えば浮浪者だがな。これはおれの稼いだ金でできた場所じゃない。天からの思し召しとしておこうか?」

「天はあんただろう?」

「あぁ、そうだな。おれより上はいなかったな」

 彼はキッチンに立ち、冷蔵庫を覗いていた。

「なぁ、お前、嫌いな食べ物は?」

「僕にとって不味いもの」

「OKだ。腕は確かだから任せてくれ」

 冷蔵庫からバターやら鶏肉やらトマトやらを取り出して、大理石のワークトップに置いた。そして、棚から銀色に輝くフライパンなどの調理器具を取り出した。

「これらも天からの思し召しか?」

「そうだな。おれの金じゃない」

 彼は手際よくトマトを使って、ソースを作り出した。鶏肉はバターを溶かしたフライパンで熱を加えられている。途端に香ばしい匂いが僕の鼻に届いた。

 最終的に、ゼウスは料理に二十分ほどの時間をかけた。

「さぁ、お待たせ。チキンソテーだ。パンは適当に食ってくれ。ワインはどうする?」

「僕は未成年だが」

「無政府状態の今、法律なんてあってないようなものさ。抜け目どころか、ぽっかり空洞が空いていて、どうぞ、お通りくださいって頭を下げているようなものだ。それに、こんな海底で飲んだワインが、お前の人生にどんな影響を与えると思う?」

「自己嫌悪」

「ふむ。間違っちゃいないかもしれん。これはおれの負けだ。ワインではなく、天然水を用意しよう。天然水も今は貴重だぞ」

「大概が汚染されているからな」

 ゼウスが席に着くように促したので、僕は近くの椅子に腰を下ろした。座り心地の良い椅子だった。

 ゼウスが装飾の付いたナイフとフォーク、それに天然水が注がれた装飾付きのグラスを持ってきた。

「壊したら高くつきそうだな」

「いや、おれが買ったものじゃないし、壊れたら新しいものが支給されるから問題ない。それじゃ、先に食っててくれ」

「ん? あんたは食わないのか?」

「おれは着替えてくる。このスタイルは散歩用でね」

 そう言って、キッチン横の扉から出ていった。この部屋には扉がふたつあり、ひとつは廊下に通ずる扉。ふたつめはキッチン横の扉だ。

 僕はチキンソテーにナイフを入れる。肉は適度に柔らかく、容易く切れた。そして、切った肉を、持つのに少し難儀なフォークで口に運ぶ。正直に言って絶品だった。素材の質なのか、ゼウスの腕なのかは判別できないが、それにしても美味であった。肉単体でも良いが、ソースの味が肉のレベルを格上げしているように思える。パンと天然水は至って普通のものだが、それでも、一般的なものに勝っていた。

 ゼウスが扉から出て来た。彼の服装はタキシードに変わっており、髭も整えられていた。

「それじゃあ、改めて歓迎しよう、神旗束紗くん。ここがおれの城。名前は……特に考えていないが、そうだな、ルルイエとでもしとくか」

「ご馳走になって悪いな」

 僕は口をナプキンで拭きながら言った。

「美味いだろ? こう見えて、若い頃は料理人を目指していたのさ。だから、腕には多少の自信はある。それに、素材がバカみたいに良いものばかりだからな。下手なやつがやっても食えるものは出来る筈だ」

「少なくとも、僕の人生で食ったものの中ならトップクラスだ」

「ほう、随分と持ち上げてくれるな。嬉しいぜ」

 ゼウスも席に着き、グラスにワインを注いだ。

「結局なところ、あんたは何者だ?」

 僕は訊ねた。

「おれか? 浮浪者と変わらない。ちょいとばかし、贅沢な暮らしをしてるがね。あとは、働いてもいないから、ニートとも言える」

「素性がわからない。僕はあんたをアナーキストだと思っていると言ったな。根拠こそないが、確信に近いものを得たように思う」

「ほう」

「まず、ゼウス。あんたの本名を教えてくれ」

「だから、ゼウスさ。お前の好きなように呼んでくれ。アンラ・マンユでも『忌まわしい三日月(クロウ・クルワッハ)』でも構わない」

「……」

「睨まないでくれよ。怖いな、お前は」

 彼は小さく息を吐き、ワインを飲み干して言った。

能神丞護(のがみ じょうご)。ああ、もうネタバレだ」

「なるほどな」

「もう少し、引っ張るつもりでいたが……」

「恐らく、その名前を知らないのは余程の無知だろう。生きていたんだな。てっきり、殺されていたものかと思った」

「世間的には死者扱いの方が楽なんだがな」

「他の仲間は?」

「さぁな? 追放されて以来、会っていないからな」

「芹河公而(こうじ)はあんたの古い友人だと聞いている」

「まぁ、そうだな。芹河との付き合いが一番長いのはおれだな。高校で出会ったのを憶えているよ」

「他のメンバーは?」

瀧本(たきもと)も高校からだが、時期が遅い。湯河原(ゆがわら)六山(むつやま)沖林(おきばやし)は大学からだ。今の芹河を作ったのはおれたちだ」

「作った?」

「ああ。芹河という男は、元々は酷く内気なやつで、おれと瀧本で育て上げ、高校の生徒会長を務めるまでにしたのさ。そして、大学のサークルで出会った湯河原と六山に誘われて、いくつかの社会運動に積極的に参加し、その時点で、芹河の名前は一部の界隈で広く知られたものになっていた。沖林はそこで出会ったやつで、ある社会運動グループのリーダーをしていた。おれたちはふたつのグループを併合し、芹河の生徒会長やなんやらの経験で培った演説力を重視して、あいつをリーダーにした。おれたちは芹河を裏から操作する、いわば傀儡師だったのさ」

「傀儡師ね……」

「あいつの演説は常人にはない何かがあった。どんな穏健派もあいつの言葉で、運動に傾倒した。どんどんグループの勢力は大きくなり、芹河の態度も大きくなっていった。それがもう二十年も前のことだ」

「それじゃ、あんたらは二十年間も何をしていたんだ? 芹河が国をひっくり返したのは先日のことだ」

「まぁ、簡単に言うと、チャンスを狙ってたんだ。例の国の宣戦布告は予想外のことだったが、この期を逃すわけにはいかない、と実行した。国の力は大きいが、二十年間で培ったアナーキストたちの力はそれを上回っていた。圧倒的だったよ」

「それにはあんたの力も大きいだろう? 『全能の参謀』と呼ばれてたもんな。アナーキストたちの活動経歴を調べると、あんたの名前が必ず出てくる。いくつもの運動を影から指示してきたってのは有名な話だ」

「まぁ、間違ってはないな。確かにおれは参謀として動いていたよ。実際のところ、芹河の演説の内容だっておれが書いていた」

 能神はチキンを口に運んだ。

「先日の『九月七日クーデター』は大成功だった。だが、あれはおれは関与していない。実は瀧本も湯河原も六山も沖林も関わっていない」

「どういうことだ?」

「クーデターを計画したのは、芹河自身で、最初からおれたちを排除しようとしてたのさ」

「それは、あんたらに権力を持たせないためか?」

「だろうな。おれたちなら、芹河を引き摺り下ろすことなど容易かった。先手を打たれちまったよ」

「その結果が追放か」

「まぁな。長年の付き合いだ。流石に殺すのは気が引けたんだろう。五人は住む場所と毎月の生活用品を与えられた。しかし、おれは生きているが、他の連中がどうなったかは知らん。恨みを持った奴なんて山程いる。殺されてる可能性はいくらでもあるのさ」

「あんた自身の考えはどうだったんだ?」

「考え?」

「運動は惰性か?」

「そうだな……。最初から目的なんてなかった。何のために国をひっくり返したかなんてわからない。おれたちに中身なんてなかった」

「僕は世界なんてぶっ壊れてしまえばいいって考えだって言ったよな」

「ああ」

「でも、壊れた後を考えていなかった。あんたらと同じだ。実際、今の芹河は迷走している」

「そうだな。芹河は世界の流れに逆らっている。崩壊した国同士での連携するという流れにな」

「それはきっと、あんたらの所為だ」

「おれたちの?」

「あんたらが芹河を育て過ぎたんだ。内気だった芹河のパーソナリティにあんたらが色々なものを付加させた」

「……」

「芹河が今からやることがわかるか?」

「……さぁな?」

「僕が芹河なら……、この国に核兵器を配備する。そして、崩壊した国に追い討ちをかける。支配欲が膨れ上がった芹河は、世界を手中に入れようとする」

「そんなバカな……」

「芹河の下にいるのは奴の信者だ。中身などない」

「……」

「それは既に予想されている話で、少なからず抑制しようとする勢力も生まれている」

「それで、お前はおれにどうしろと?」

「どうしろってわけじゃないさ」

 能神が大きく口を開けて笑った。

「それはどうにかしろって言ってんのと同じだぞ」

「実は、僕があの川を訪れたのは偶然ではなく、あんたを探しにやって来たんだ」

「何だって?」

「ネットってのは色々な情報が落ちている。マスコミが廃れて、主な情報源はネット上にしかなくなった。そこで拾ったんだ。あんたがこの付近にいるって情報を」

「誰がそんなことを言い出したんだ……。ネットって怖いな」

「勿論、信憑性は低く、信じている人も少ない情報だった。だけど、僕は試してみた。本当にいるとは思ってなかったけどな」

「それで? おれを見つけてどうしようってんだ?」

「この国の再構築だ」

 能神が唖然とした顔になる。

「反対勢力を配下にする策ならある。それに、裏切られた元仲間の存在は絶大な効果を生むと考えている」

「お前、二代目芹河にでもなろうってのか?」

「目的が違う。僕の第一の計画は僕の関知しないところで勝手に終わってくれた」

「世界の崩壊か」

「そう。世界は見事に崩壊し、高い文明レベルの国ほど惨状となっている。この国では、芹河が権力を握り、支配を目指している。だけど、僕は支配はしない」

「どういう意味だ?」

「世界の再構築、崩壊した国々を再興させて、僕は神となる。そうしたら、支配なんてどうでもいい。実権はあんたらに渡す」

「再構築した世界が再び崩壊したら?」

「どうでもいい」

「お前は、機械仕掛けの神となり、終末時計の針を少し戻す、それがしたいだけなのか」

「そうだ。そのために、あんたの力が必要だ」

「……ひとつ、聞きたい」

「何だ?」

「川に毒を流したのはお前らか?」

「……確かに、僕と関わりのある反対勢力がやった。上流には芹河の故郷があるからね」

「下衆だな、お前は」

「それは褒め言葉として受け取ろう。さて、ゼウスこと能神丞護。あんたは僕についてくるんだ」

 僕は彼に手を伸ばした。能神が手を握るという確信があった。

 能神はグラスを片手に笑った。

「遠慮しよう」

「何故?」

「おれは今、快適な暮らしをしているんだ。芹河が倒れたら、誰がおれの生活を養う?」

「あんたが実権を握れば、あんたの自由だ。好きに金は動かせる」

「お前は再構築だけが目的なんだろう? おれはもう働きたくはない。このアクアリウムのような部屋で余生を過ごしたいのさ」

「……そうか。別に強制をするつもりはない。だが、この先のあんたの身は保証できない」

「構わん」

 僕と彼は残りの料理を平らげた。彼は葉巻を取り出して、吸い始めた。煙が部屋に満ちていく。

「さてと、邪魔したな。良い経験になったよ」

「それは結構だ。幸運を祈るぜ」

 最後に見た彼の顔は、少し憂いに歪んでいたように見えた。

 僕が外へ出ると、海の中から鈍い音がして、波の動きが変わった。

「また逢おう、ゼウス。あんたの料理は美味かったよ」

 川沿いを歩き、高速道路へと戻った。

 何処からか、重いスイッチを押す音が聞こえたような気がした。

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