誰でも透視ができる簡単な方法。
全ての壁を透視することはできる。ちょっとしたアイデアで、一キロの塩化ビニルとトリハロメタン結晶、アンモニアをちょいと合成させれば良い。
これで出来上がるレンズは、私の意思を読み取って千里眼のように彼方を見渡し、どんな壁も貫通できるのだ。
この方法を発表すれば、私は富も名声も地位も得られるだろうが、今の私は欠片ほどの安堵のために放棄した。
私は“ある可能性”に賭け、今日も心の中で、継続的かつ衝動的な自殺への訴求に抗っていた。
それは二か月前、実験と称して私は喜々として他者のプライバシーを看破し楽しでいた頃だった
裸体や性癖はもちろん、政治経済に携わるスキャンダル、芸能プロダクションの清濁、公人に私人と隔たり無く、である。
他者の秘密を暴くということは、その人間の強所と弱所を見極めるということに他ならない。
その人間が美しくとも醜くとも、賢くとも愚かでも、私の前では等しく晒される。
本質を探り、他者の全てを知ったような充足。上位に立った浮遊感と快感。
そんな中、私は興味半分にとある大学の研究室へと目を向けたとき、“それ”は起きた。
その大学に居たみすぼらしい学生風の男は、私のものとそっくりなレンズを目に装着し、そしてなんということだろう、透視しているはずの私としっかり“目が合った”のだ。
レンズ越しに見えたその目は、怯えを含んだような半笑いだった。
――ここに至り、私は事実に気が付いた。
このレンズによる透視は、実は既に多くの人間が気が付いてはいるが、公表できていないことだったのだ。
発見した者は、私と同じように断念しているのだ。ひとりの例外も無く。
この方法では透視することはできても透視を防ぐことはできない、つまり、自分がいつ何時、透視され、人間性を看過され、見下されているのかという恐れを払拭することはできくなる。
悪寒の中、私を覗くものを探した。
狂ったように何日もレンズを覗き、そしてあのみすぼらしい学生のような学者を何人かを見付けることができた。
だが、見付けて目が合ったとしても、それでも自分が覗かれていることを防ぐことはできない。ただ、相手を覗くことで自分と相手を同じステージに乗せるだけ。
私のプライバシーは守られない。ただ、相手のプライバシーを侵害することで、精神衛生の一線を辛うじて保つだけだ。
そして二か月。
私は今も怯えている。どこからともなく覗かれ、自分の人格が根拠ある否定によって蔑まれているのではないか。
私と同等のアイデアを持つ科学者に、私の性癖や趣味や長所や愛だと思っているものの本質を見極められてしまっているのではあるまいか。
眠るとき、目をつぶるときですら、私は覗かれているという恐怖に強迫される。やめろ、私はただ眠っているだけなのだ、眠るだけなのだ、最初から無防備で弱い私を、これ以上覗いて貶めるのをやめてくれ!
今、私はこの発明が妄想の産物であるというたったひとつの希望にすがっている。
これを発表してしまえば検証され、実証されてしまう。
そんなことになれば、私のプライバシーが瓦解していたことが立証されてしまう。
今日もまた、私は世界を透視する。
そして、多くの科学者があのときのみすぼらしい学生と同じ表情をするのだ。
相手が自分と同じ地獄に落ちることを確認し、そのプライバシーが瓦解した瞬間だけが、相手の絶望を予想する瞬間、狂気によってのみ私自身の絶望は希されるのだから。