ー序章ー
幾千年も時を遡れば、まだ人間だった頃の記憶が蘇る。
周りと比べて、『何かが違う』とは思っていた。
異端な容姿、莫大な知能、何においても発揮する才能。だがあの頃の『自分』が、こうなるとは思わなかっただろう。
永い時が過ぎても、これが夢だったなら__なんて思ってしまうのだから。
華やかな街並みに、豪奢な城。賑わう人々と売られる商品。此処は神の血を引くという九龍_くりゅう_一族が皇帝として治めている。他一族を淘汰し、その領地を奪って広げた土地は以前とは見違える程だ。__以前、とは約6年前の事である。現皇帝となっている九龍一族の長には正室との間に長女、長男がおり、側室との間には子がいなかった。しかし11年前、側室が双子を産んだ。
一族の者が青髪であるのに、黒髪と白髪の異様な双子。あまりにも気持ちが悪く、皆が売ろうとしたが、そうする度に何かに妨害される。『捨てれば禍が降りかかるかもしれない』と言ったのは誰からだっただろうか。そうして双子は心の奥で不気味に思われながらも丹念に育てられた。そして6年前、双子の姉である黒髪の少女が、ある力を手に入れた。
九龍一族の先祖とされている龍神の力である。水を、雷を、天候をも操った。新たな戦力として5歳という幼さで戦の前線に出、刀の使い方もわからぬまま、人の殺し方を覚えさせられ、聡明な少女は『これが自分の存在意義だ』と悟ってしまった。
また、妹である白髪の少女は、人の心の動きを生まれながらにして知っており、交渉の場で一族が優位に立てるようにする事が得意だった。
この双子の功績により、一族は発展し、他一族を吸収して領地が広がっていった。今や世界は九龍の手中。逆らう者などいない。戦などないこの平和の中で、死ぬと解っていて刃向かう勇気のある者がいるわけがない。
下町は活気溢れ、平和であるが、城内はそんな事は一日もない。
「姫様!お待ち下さいませ、巫世姫様!」
バタバタと長い廊下を走りまわるのは、黒に近い紺色の服を着た女の従者。追いかける先には白髪の少女。
「イヤだね!」
勉強嫌いの巫世は逃げ続ける。服の裾を抱え、裸足で。姫としてあるまじき行為なのは自覚があるのだろうか。赤い絨毯が引かれた廊下の先には人影。それは、止まろうとして転んだ巫世を難なく抱擁する。
「兄様っ!」
兄と呼ばれた男は齢15ほど。まだ少年の面影が残った顔とは裏腹に、袖のない着物から覗く腕は筋肉で引き締められている。大丈夫かと紡がれる声は心地よく、巫世はそれにはいと元気よく返した。
其処へ一つの影が近づいてくる。長い黒髪で隠された右目と、合間から覗く黒曜石のような左目。彼女こそ巫世の姉であり、他一族を壊滅に追いやった少女。悟りきった表情と、輝きのない瞳は彼女が死線を乗り越えた成果なのか、代償なのか。死んでいるのではと疑ってしまうような色白の肌に印象強くアクセントを与えている紅色の唇。ゆっくりと開き、言葉を紡ぐ。
「幸丸兄上、修練の途中で・・・」
幸丸と呼ばれた男は振り返ったほんの一瞬だけ、心底嫌そうな顔をしたが、すぐに笑顔になって巫世にこう述べた。『必ず守ってあげるから』と。何から守るのか、黒髪の少女__神那は解っていた。
巫世は一度も神那と話した事が無い。双子であり、共に一族、いや世界に革命を起こした。それなのに。
巫世と神那は根本的に違った。巫世は心に優しく呼び掛け、自分の思い道理に人を動かす。時には寄り添い、時には背中を押す。そんな巫世は当然社交的で、一族だけでなく、国の民衆にも好かれている。持ち合わせた愛嬌と、細部に至るまでの心遣い、お茶目で和みやすい雰囲気。その全てが拍車をかけているのだ。
しかし神那は強大な力に物を言わせているようにしか周りには見えないのである。その強大な力が例え先祖の龍神の力であったとしても、人々は恐怖しか感じないのだ。周りからの印象は冷徹で、慈悲などなく、ただただ殺戮快楽者。
それは城内も例外でなく、従者も、幸丸も、母も、父である皇帝でさえも。
そんな人間の形をした化け物が、皆の光に触れる事は出来ない。
「早く行きましょう、兄上。」
ほんの少しだけ、諦めたような声色でそう告げ、黒髪を靡かせながらもといた場所へと踵を返した。