盲目
ヒカリは眼が見えない。
周囲に広がる音やにおいは、まるで敵であるかのように彼女を責め立てる。 彼女を囲うすべての環境は、彼女自身にっとって恐怖の対象にしかなりえず、受け入れることなど出来はしなかった。
はじめは小さな違和感だった。
二年前の夏の中盤、まだ正午も過ぎていないのに辺りがほの暗くなっていることに気づいた。最初は雨雲でもかかっているのかと思った。天気予報が外れたのだと結論付けた。
隣にいた友人に雨が降りそうだねと言うと、不思議な顔をされた。こんなに晴れてるのに降るわけないじゃんといわれた。そして初めて、天気がおかしいのではなく、自分がおかしいのだと気付いた。
五か月が医者の告げたヒカリの眼の寿命だった。まるで流れ作業のようにそういった医者に、弱くはない憤りを覚えた。
病院から家に帰るまでの道は遠回りをした。これから見えなくなるであろう物を記憶の奥底にとどめておこうと思ったのだ。
強い日差しも、地面に色濃くこびり付いた影さえも、今自分の網膜でとらえている像の全てが、消えてなくなってしまうと思うと、自然と目から涙が零れてきた。アスファルトの上に落ちた涙の粒が、滲んで見えた。それがヒカリが最後に見た自分の涙だった。
それ以来、ヒカリは泣かなくなった。自分が泣けば、周囲の人たちに迷惑をかけてしまう。自分が最後に見る、友人や家族の顔が、困った顔であるのがたまらなく嫌だった。
視力は、予定より二週間ほど早く失った。
ヒカリは今、一人暮らしをしている。視力を失う前から、視力を失った今でも。
目が光を受け入れなくなったとき、母から戻ってこないかと言われたが、それは断った。母は案の定ごねたが、「ここを離れたら視力だけではなく友人までも失ってしまう。向こうにも友人はいるが、こっちの友人ほど仲良くはない。」と言ったら、渋々頷いてくれた。父はヒカリに任せると言ってくれた。
ヒカリは母に二つ嘘をついた。
一つ目。
今ここには、ヒカリの友人はいない。
ヒカリの視力が無くなってしまうと知ったとたん、みんな離れていってしまった。盲目の友人に背負わされる厄介ごとが嫌だったのだろう。あのとき帰り道でした決心は何だったのかと思う。結局のところ、友人など一人もいなかったのだ。
二つ目。
向こうにも友人などいやしない。
ヒカリは、小中高と大人しい娘だった。読書と絵を見ることが好きで、それ以外のことはさして好きではない大人しめの地味な娘だった。だから、大学に入って雰囲気を変えるまでは友人などは、一人としてできたためしがなかった。
光を失って初めての暗闇は、ヒカリを完全に飲み込んでしまった。それは、まるで狭い空間の電気を消してしまったようで、大きな閉塞感と小さな安心感を有していた。