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8月5日
午前10時30分くらいの出来事だ。
いつも通り、仕事につかれた俺は、帰り道、公園のベンチで座り込んでいた。
とても暑いこの時間帯だが、ベンチは木陰となっており少しばかり快適である。
「おはようございます、お兄さん」
「おはよさん」
今日も普通に少女ちゃんが話しかけてきた。
「お兄さん、暇ですか?」
「暇っちゃあ暇だな」
「そっかー、僕もいつも通り暇だから少しお話ししてよ」
「こんなおじさんと話なんかして楽しいか?」
「まだおじさんって歳でもないでしょ」
「話すったって話題が無いだろ」
「なんでもいいよー。せいじの話とかでもいいよ」
「そんな話俺は出来んぞ」
「ははは、僕もだよ」
「だったら意味ないじゃないか」
「ならさ、バター猫のパラドックスについて話そうよ」
「今日は哲学もどきのジョークの話か」
少女ちゃんはきちんとしたやり取りをやり切ったから満足した表情をしている。
「はい、あのバターを塗ったトーストを落とすと必ずバターを塗った面が下に落ちるって法則と猫を落とすと必ず足から落ちるって法則を足した場合どうなるかって話です」
「永久機関が成立するって話のあれだな」
「そうです」
「少女ちゃん的にはどういう説を押す?」
「僕はですね、その場で落ちずにくるくる―って説を押します」
「ほう、今日はなかなかお茶目な感じで行くんだな」
「少しはっちゃけた気分の日なのです。お兄さんはどうしますか?」
これはジョークなのであって、バターを塗ってない面が落ちることは普通に存在するなどと言う答えは多分求められていない。
ならば返す答えは……。
「くるくる回って回りすぎて最終的にバターになる自説を押す」
「自説ですか、お兄さんもなかなかやりますね」
「パクリだけどな」
「元の絵本は多分僕も読んだことがあります」
「世界的に有名な本だもんな」
「はい。なんとなくこれ以上話を広げるのは難しそうですね。少し話を変えて、お兄さんは他のパラドックスとか知ってます?」
「パラドックスか……。難しいことを言ってくれるな」
「お兄さん、結構詳しそうですよね」
「調べた方が早いぞ」
「それは無しで行きましょう」
「そうか。ならタイムパラドックスの話でもするか」
「おー、ファンタジーあふれた話になりそうですね」
「少女ちゃんこっち方面の話強そうだからな」
「僕は哲学、ファンタジー、思想、宗教観、一通りたしなんでますよ」
「それはすごいな。なら大丈夫そうだ。まず軽いジャブから行くか」
「ばっちこーいです」
「少女ちゃんの人生に、大きな分岐点があったとする。そうだな、少女ちゃんは5分遅れて出たばっかに事故にあい足が動かなくなってしまったとする。もしも、過去に戻れるとしたらどうする?」
「それは僕がその時、つまり過去の僕として存在するのですか? それとも現在の僕が過去に行ってその時間軸に僕が二人いることになるのですか?」
「リバ○バルかタイムマシンかってことか」
「はい」
「じゃあ、タイムマシンの方から考えようぜ」
「了解です。目の前にいきなり自分が現れたら人は混乱しますよね」
「そりゃするわな」
「なので事故が起こらない様に工作をしようと思います」
「それで少女ちゃん自体は事故回避で半身不随回避か」
「はい」
「で、その過去に戻った少女ちゃんの存在はどうなる?」
「足が動くようになるんですかね?」
「どの時点から?」
「最初から?」
「それじゃ足が動かない少女ちゃんの存在はなくなるよな」
「多分」
「足が動くんだったら過去に行く必要もなくて事故を防ぐこともできなくなって結局また事故が起こって足が動かない少女ちゃんが生まれるよな。これがタイムパラドックスだ。所詮タイムトラベルとか物語でしかないが世界設定はその物語の作者それぞれだ。少女ちゃんだったらどういう説明をつける?」
「やっぱり並行世界がどんどんできてくる……ってのが一番楽ですね。それか結果がどれも最終的に収束するって設定もよく見ますよね」
「並行世界の問題は球を集める物語ででてきたな。過去を変えたところで戻る自分の世界は変わっていない。パンツの名前の子が頑張ってたな」
「あれはパンツのお兄さんが最終的に何とかしましたけどよく考えると自分は基本的に報われないですよねえ」
「自分のためにやってるわけでもないし問題が無いといえば無いかもしれん」
「僕は自己犠牲よりも全員救われるって話の方が好きですね」
「じゃあリバ○バルの方の話か?」
「あれは確か一回現世にも戻ってきたけど基本的に戻った場所からやり直しでしたよね」
「すまん、それからタイムパラドックス説明することは俺には無理っぽい」
「どっちかって言うと事変の書き換えや因果律の関係ですもんね」
「流石少女ちゃん、難しい言い回し知ってるね」
「えへへ、ありがとです」
「よし、また少し話の方向性を変えよう。少女ちゃんは戻って変えたかった出来事ってある?」
「どの範囲ですか? 生まれてからの話ですか?」
「どっちがいい? なんなら両方言ってくれてもいいぞ」
「両方ですか。がんばります」
「楽しみにしてるわ」
「なら生まれる前の話から行きますかね。とりあえず今の体で行けるとしたらとある人の恋愛を邪魔するかもです」
「お、珍しく趣味の悪い答えを返してきたな」
「女は時として非情にならなければならない時があるのです」
「なんか理由はあるのか?」
「それは秘密です」
「生まれる前の因果律を弄りたいってなかなかな出来事だと思うのに秘密なのか」
「はい、女には秘密がつきものなのです。某探偵漫画でも出てきたじゃないですか。A secret makes a woman woman.、です。」
「はぁ」
「次は生まれた後に戻って変えたい出来事です。まぁ、これから起こる出来事なんですけどね」
そういうと同時に少女ちゃんは人差し指をつきたて下を指さした。
「今ここが分岐点です」
「そうなのか」
「ええ」
真剣そうに少女ちゃんは俺を見つめている。
「お兄さん、実は僕――」
少女ちゃんは狙って言ったのか、それともただ単に奇跡が起きただけなのか、少女ちゃんの言葉は全て通りかかった違法改造マフラーをつけているバイクの音にかき消されてしまった。
「―――――の――――――きです」
かろうじて少しばかりは口の動きもあわせて分かったが正直なところ、何を言っているのか全然わからなかった。
それでいて、ただただ言葉はわからなくても真っ赤で少し泣きそうな少女ちゃんの表情が目に焼き付いた。
「なーんちゃって」
「は?」
「今言ったことは全部冗談です。忘れてください」
少女ちゃんはまくしたてるように帰りますといって帰っていった。
何が何だかさっぱりだ。