マニュアル最強神話
その爆発は、世界を変えた。
2230年。
一人の研究者が言った。
私は時間旅行の理論を確立した、と。
その証明実験を行うといい、そこにはたくさんのカメラが設置され、五万人もの観客が詰めかけた。
2230年の人々にとって最大の不運は、その研究者の嘘を見抜くことができなかったことだろう。研究者は確かに時間旅行の成功を確信していたが、その引き換えに強大な爆発が起きることも予期していた。
しかし彼は非常に性格がねじ曲がっていたので、それを伏せ、自分の研究成果を、より多くの観衆に見てもらおうと考えたのだった。
その結果悲劇は起こった。
2230年、未来科学研究所大爆発事件である。
五万人もの観客は、一斉に吹き飛んだ。すさまじい爆発によって、カメラは当然ながらバラバラになって燃え尽きて、研究者自身もまた死んだ。
しかし研究者はある意味では正しかった。
この爆発によって、五万人の観客のうち、何人かは、時間旅行に成功した。それも、全員、同じ時間に着陸したのだった。
【一人目の話~車の運転~】
僕は、ありふれた学生だった。大学一年生の夏に合宿で車の免許を取った。
実家通いで、家が田舎にあったため、駅までは車で通学。そこから電車で一時間かけて、家よりは都市部に近い大学に行く。
サークルのメンバーで花火大会やスキーに行ったこともある。三年まではサークルとバイトを中心に生活サイクルが回り、三年秋になってくると、そろそろ将来のことについて考えようかなと思う程度。
そう、つまりどこにでもいそうなありふれた学生。彼女はいない。
そんな僕は、ある研究者が行った公開実験を見学に行った。
これが僕の運命を変えるとは知らずに。
その実験とは、時間旅行が可能であることを証明するというもの。月へ行けるようになってから早くも五十年。ようやく、人類は宇宙だけでなく、時間という壁も超えられるようになったらしい。
ちょうど、僕が通っていた大学のある都市で行われた実験だったので、友達と一緒に見に行ったのだ。
会場は、中心に何もないステージがあり、それを円状に囲むようになっていた。チケットの番号を見ながら進むと、僕は後ろの方の座席だった。客席には眼鏡が置いてあり、僕は席に座ってそれをかける。そして眼鏡のつるの部分にあるつまみを回すと、中央にいる人にピントを合わせた。
僕にはそれが件の研究者だとすぐにわかった。いや、もちろん僕じゃなくてもわかっただろう。男は白衣を着ていたし、次々に埋まっていく席を満足そうに眺めていたのだから。
眼鏡のピントを合わせると、僕はそれを一度外した。そしてそれを見つめながら、昔の人の苦労を思う。
曾祖父の話によれば、昔は遠くを見るときは双眼鏡という道具を使ったようだ。その道具のナンセンスなところは、両手がふさがることである。眼鏡は存在していたようだが、それはあくまでも、視力を矯正するためのものだったようだ。
昔は医療が発達していなかったため、視力がおちると眼鏡か、小型眼鏡というものを使って視力を矯正していたのだとか。その小型眼鏡というのは、直接目に装着するのだそうだ。
今はたった五分の手術で、しかもレーザー治療で視力が回復するのでそんな煩わしいことはしない。そもそも目に異物を入れるなんて、恐ろしい。不健康だ。昔の人っていうのは、随分勇敢で、でも、非効率だったんだなあと僕は思う。
今は眼鏡はもっぱら望遠機能を搭載しているか、単なるファッションとして、ガラスがはめこまれたものが売られている。
さて、それから友人たちとともに研究者の実験を見たのだが、僕は正直言ってあまり詳細を覚えていない。
気が付いた時は、目の前が真っ白になって、真っ黒になって、なぜか屋外にいた。
え、ここどこ?
僕はまずそう思った。
「どこから来たの? 北の大陸? それとも南? それとも未来?」
きょろきょろとあたりを見回していると、一人の女の子が話しかけてきた。うん、可愛い。
「未来? え、どういう意味?」
「どういう意味って、空間旅行? それとも時間旅行?って意味だけど……」
「あ……そっか」
そういえば、僕は時間旅行の実験を見ていたんだった。まさか観客が時間旅行するとは思わなかったけど、きっとすぐに戻れるんだろう。
「時間旅行だよ」
「なるほどね。まあ、よくある話よね」
どうやら僕は未来の世界に来たようだ。なにせ時間旅行が当たり前の世界なのだから。
それにしては、なんというか、あまり変わり映えがしない街並みだ。ここは公園のようだが、僕の時代とはさして変わりはしない。もしかすると、さして未来じゃないのかも。
しかし僕のそんな予想は、そのあとの女の子の言葉で裏切られることになる。
「君、名前は?」
「私はエリザベス」
女の子は普通に名前を名乗ったけど、僕は驚いた。何せ女の子は黒髪に黒目で、なんていうか可愛いけど、見るからに日本人といった雰囲気だったからだ。それにそもそも日本語が通じている時点で、彼女は日本人だと思ったんだけど。
「え、日本人じゃないの?」
だから僕は問い返した。そしたらエリザベスからびっくりする答えが返ってきた。
「日本人だよ? 最近の流行りは、有名人の名前なの。女王って書いて、女王」
「そ、それって……もしかして同じ字をかいて、いろんな名前があるの?」
「うん。もちろん。女王とか、女王とかね。もちろんちょっとひねって、英国女王みたいなのもあるよ」
「いや、ひねってるっていうかそのまま……そもそもエリザベスも英国女王だし」
どうやら近未来ではなさそうだ。いくらなんでも、有名人の名前、それも海外の名前ばかり付ける流行は十年くらいではこないだろう。
「あなたの名前はなんていうの?」
「僕は炎皇斗だよ」
「カオス? へえ……聞いたことのない単語」
どうやらエリザベスは英語が得意でないらしい。英国女王の名前を冠しておきながら、それは名前負けも甚だしいと思うけど。
「カオスだよ、Chaos」
「あ、混沌のことね!」
と思ったら、どうやらエリザベスは和製英語では意味が分からなかったようだ。
「私の自動翻訳機が壊れちゃったのかと思ったわ」
エリザベスはそういいながら、耳にしているピアスに手をやった。
「オート、トラダクター? 何語?」
「何語? うーん。自動翻訳機がいつも訳してくれるから……あ、でもそういえば、たぶんフランス語だわ。これの発明はフランスが最初だったから」
「それ……全言語に対応してるの?」
「うん。時々、OSのバージョンアップが必要なのよね。言葉って増えるし変わるから。でもけっこう便利よ。ほとんど困らないし」
どうやら彼女に和製英語が通じなかったのは、カオスという言葉が自動翻訳機に反応してくれなかったからのようだ。
「じゃあもしかして、英語の勉強とか……しないの?」
「しないしない。だって、意味ないじゃない。会話に困らないのに」
「僕の時代では大問題だったのに、この時代ではそれが解決されてるなんて……」
「カオス君は、けっこう違う時代からやってきたのね。でもそれはそれで興味深いわ。ねえ、よかったら、ちょっとお茶でも行かない?」
僕は速攻でうなずいた。
こんなに可愛い子と未来でお茶できるなんて、僕、ついてる。
「じゃあ、行きましょうか」
エリザベスはそういうと、公園の外に向かった。
僕もそれについていく。
公園から出ても、街並みはさして変わった様子はない。車がたくさん走っているし、高いビルが連なっているのも同じ。
しいていうならば、空の青色がちょっと違和感があるけど、そういう天気なのだろう。
どこまで歩くのかなと思ったら、道路の脇で足を止めたエリザベスは片手を上げた。
すると、一台の車がすっと目の前に留まる。
タクシーとは書いていないけれど、たぶんタクシーなのだろう。
僕はお金をたくさんは持っていないので、できれば割安な電車の方がよかったけれど、エリザベスはもう自動にあいた扉から車に入ろうとしていた。
「え、助手席にのるの?」
「うん。カオス君は、運転席ね。あ、だから先に乗って」
「運転席? 後部座席じゃなくって?」
「なんで後ろ? 景色が見えないじゃない」
僕とエリザベスの会話は全くかみ合わない。タクシーに乗るのに運転席に乗るなんて、と思いながらも僕は車に乗り込んだ。すると、なんと運転席は空だった。助手席の方から乗った僕は、よくわからないままに運転席に乗り込んだ。
「さて、これでよし、と」
エリザベスが助手席に乗り込むと、扉が勝手に閉じた。
これって、僕が運転するってことなのか。僕はそう思って、車を見た。
僕の時代とさして変わらない仕組みなので、運転できそうだ。
僕はブレーキペダルを踏みながら、サイドブレーキをおろして、ギアをドライブに変えようとした。
「何してるの?」
「何って、僕が運転するんじゃないの?」
「え、カオス君、運転できるの!?」
エリザベスは僕の言葉に目をキラキラさせて身を乗り出した。近い近い。
標準男子の僕としては、こんなにかわいい子に顔を近づけられると、緊張で変な汗をかいてしまう。
「運転できるよ。免許も持ってるし……」
「え! すごーい!! 運転できるなんて天才!」
僕はぱちぱちと瞬きをした。どうして僕はこんなに褒められているんだろう。
「これ、運転しないならどうするつもりだったの?」
「どうするって、だってそんなの全部車が勝手にやってくれるよ。目的地さえ入れればね。でも運転してくれるなら、任せちゃおうかな」
エリザベスはそういうと、一つのボタンを押した。僕にとっては変化がわからなかったけれど、たぶん、自動から手動に切り替えたのだと思う。
「じゃあ、運転お願いします!」
エリザベスがものすごく楽し気に言うので、僕はとりあえずブレーキペダルを踏んで、サイドブレーキをおろして、ギアをドライブに入れた。そして方向指示器を右に出すと、ミラーを確認して発信する。
車はそれなりにいるけれど、そこまで多くはない。それに運転が自動だからなのか、速度がぴったり一定で、案外、運転しやすいことに気が付いた。
「すごいすごい!」
なんだか隣にいるエリザベスはすごい興奮している。
運転できるだけでこんなに喜ばれるなんて、なんだか得した気分だ。
僕はそんなことを考えながら、得意げに運転を続けたのだった。
【二人目の話 ~料理~】
私は2230年において、ごく普通の高校生だった。
しいていうなら、私は料理部に所属していて、料理ができる。
インスタント食品が主流のこの時代、自分で一から料理するというのは珍しいことだけど、日本の伝統技能を滅ぼすのはもったいない、ということで、むしろ最近は料理部が流行っていたりする。
私はそういう普通の流行にのって、高校で料理部を選んだ。
家で包丁なんてものを見たこともなかったけど、自分で食材を切りそろえるのって案外楽しい。お湯を継ぐだけで味噌汁ができるのに、具材をわざわざ切って入れて、みそを解くなんてナンセンスだとお母さんは言うけど、そうでもない気もする。
そんな私は、やっぱり友達に誘われて、ある研究者の公開実験を見に行った。
私は実験の会場について、あんまり覚えていない。
気が付いた時は、目の前が真っ白になって、真っ黒になって、そして私はなぜか学校の屋上にいた。
「ん? あんた、誰?」
目の前にいる男の子は、わ、ちょっとなんか怖そう。
「えっと……その……」
私って今、どういう状況なんだろう? 時間旅行の実験中に意識を失ったってことは……まさか、時間旅行中なのかな。
「もしかして時間旅行で来たわけ?」
「そう! それです!」
「へえ。最近おおいな」
なるほど、どうやらここは、私のいた2230年よりも未来みたい。だって時間旅行が当たり前の世界なんだから。
「名前は?」
「愛梨です」
「ラブリー? うわ……なんか古い名前だな」
「え……」
私は結構ショックを受けた。私にとって古い名前っていうのは、愛とか、優香とか、そんな感じの名前のことだ。古典喜劇とかなら、花子とか、君子とか、そんなのもあるけど、さすがにそれはおばあちゃんの名前でもない。
愛梨なんてかなり普通の名前で、最先端でもないけど、古臭くもなかった。
「名前はなんていうの?」
「俺? 俺は発明家」
「エジソン? ん……ここって日本じゃないのかな? 日本人に見えたけど……」
男の子は金髪だけど根っこは黒だし、顔だちは思いっきり日本人だ。
「日本だよ。最近の名前のはやりさ。歴史上の有名人の名前を付けるんだ。発明家って書いて、発明家」
「げ……それって、新しいのか、古いのか……」
「そうか? はやりなんてそんなものさ」
「ま、まあ……そうだね」
ちょっとだけ、おばあちゃんたちの気持ちがわかる気がする。
おばあちゃんも、よく私の名前を見ては、こんな読みにくいみっともない名前を付けてとかなんとか言ってたけど、この時代の名前は読みにくいったらないよね。だって、発明家なんて何人いるんだか。
「それで、ラブリーは普段何をしてるわけ?」
「私? うーん。料理は趣味だけど……」
「料理? 料理できるのか?」
「え、そりゃ、うん」
「お前すごいな!」
「え? でもまあしない人は多いけど、おばあちゃんとかみんなできるじゃない」
「できねえよ。そっか時代が違うんだな。今の食事と言えばこれさ」
エジソンはそういうと、ポケットから筒状の何かを取り出した。包み紙につつまれた小さな粒を手に乗せると、私にそれをくれた。
「食べてみろよ」
「え、うん」
私はそれを食べる。
すると、なんだかよくわからないけど、すごくおなかにたまっていくのがわかった。
「それを一日三粒食べる。食事といえばそれだけさ。料理なんて、コンテストぐらいでしか作らないよ」
「コンテスト?」
「ああ。ほら、絵を目の前で書くようなのってあるだろ? ないのかな?」
「あるある」
「それと一緒。ようするに芸術。作るだけ作って、もちろん食べない。もとの目的は忘れ去られてるけど、俺はそういうテレビ番組好きなんだよな」
なるほど、インスタント食品の究極系はこの錠剤のようだ。
ただ、満腹感はあるのだけれど、何かが物足りない。
別に作らなくたっていいけれど、やっぱり料理は見た目の美しさも大事だと思うのだ。でもこの時代の人は、そんな当たり前の楽しみも奪われているらしい。
「よかったら、私、料理するけど?」
「え?」
「だって、見るの好きなんでしょう?」
私がそういうと、エジソンは飛び跳ねんばかりに喜んだ。怖いと思ったけど、なんか可愛い。
「すっげ! じゃあ、そういう器具がある場所にいかないとだな! そうと決まったら行こうぜ!」
エジソンは私の腕をつかんで走り出した。
結局そのあと、私は料理の腕を披露して、エジソンにすごく喜ばれた。それだけでなく、素晴らしい料理の腕だと絶賛されて、なんとテレビデビューも果たしたのだった。
料理部に入っててよかった!
私は心からそう思った。
【三人目の話 ~美容師~】
2230年の私は、ただのしがない一美容師だった。
美容室にやとわれて、技術者として腕を磨く日々。指名してくれるお客さんもいるけれど、カリスマとつくほどのこともなかった。
ところが、いま、私はまぶしいほどのスポットライトを浴びている。
「おお……! 天使さんの素晴らしいハサミさばき! 見てください! あの速さ! 人間の手は、ここまで進化できるのか!」
いや、あなたたちが退化してるんだと思うわよ。
私は心の中で突っ込んだ。
私は2230年においては、非常に平均的な速さで髪をカットしていた。特にすごい早いわけでも、すごい技を使っているわけでもない。
しかしこの時代の人々は、すごい驚きようだ。
「人間の手によると、こんなふうにカットの途中が見ることができるんですね」
「機械で五秒というのもいいですが、こういうのは、なんだかむしろ新しい!」
私は2230年で時間旅行の理論を確立したと発表した研究者の、公開実験を見に行った。するとなぜだか客の私が時間旅行していたのだ。
この時代は私のいた時代より未来のようで、食事は毎日の三粒の栄養価万点びっくり錠剤。車はすべて全自動かつ、高い税金によって、誰でも乗り放題。おかげで電車というものはすでにすべて廃線。
ちょっとお高いが空間移動もできるらしく、旅客機ももちろんすべて廃便。
そんなとんでも時代にやってきた。
ところがこの時代の人々は、あまりに機械化しすぎた代償なのか、私たちが普通にできることが全然できない。
そのうちこの人たち、歩けなくなるんじゃないかな。そんな不安がよぎるくらいだ。
「まず、ハサミを使えるというのが素晴らしいですよね! すべてがカットされたこの時代、そういう古い器具を使いこなせるというのは一つのステータスとも言えます」
いや、すべてがカットされてるなんて便利でいいと思うけど。
そもそも、機械を頭にかぶせて、なりたい髪型を想像するだけで、機械が勝手にカットしてくれるなんてすばらしい。しかも所要時間五秒。
美容師という職種が絶滅するわけよね。
私はちょっと上の空になりながらカットを終えた。
なんだか観客も実況中継の人もすごく喜んでくれている。
うん、気分はいい。
でも……私たちの将来がこんな風になるのは、ちょっとやだな。
私はそんなことを考えながら、ため息をついた。
【四人目の話 ~手縫い~】
あたしはいたって普通のどこにでもいる大学生。
手先はわりと器用だけど、でもそれだけ。
裁縫の授業なんて2230年では時代遅れすぎてないけど、案外おばあちゃんっ子な私は、そういうものを教わっていて、結構得意だった。
だから私は今、どうやら私と一緒で迷子っぽい小さな子のぬいぐるみを縫ってあげている。
ソーイングセットを常に持ち歩ていてよかった。
「うわあ……お姉ちゃん、すごいね!」
愛くるしいかわいい男の子は、そうやってあたしをほめる。そうだろうそうだろうすごいだろう。
私は手際よく縫っていくと、くまの綿がでた腹をきれいになおしてあげた。
「ほら、できた」
「すごい! お姉ちゃん!」
「でしょう? ところで、名前は?」
「僕は思想家だよ」
「ルソー? あだ名?」
「ううん。本名」
「それって、あのルソーみたいだね」
世界史で習った人物に似ているけど、でもまあ、そういう名前を付けたい人もいるのか。
「お姉ちゃんは?」
私はこの質問が一番嫌いだった。
何せ、私の名前は時代遅れなのだ。
「……美由紀」
「みゆき? へえ……! そういう名前の人がいるんだね!」
こんな小さな子にも時代遅れだと思われているらしい。
でも冷静に考えたら、あたしって存在自体が時代遅れなのかも。爆発したあと、どうなったのかよくわかんないし。
「思想家!」
するとお母さんがやってきた。ルソーはお母さんに近寄ると、すぐにぬいぐるみをお母さんに見せた。
「見てみて! お姉ちゃんが直してくれた!」
「え、直す……?」
お母さんはなぜかすごいびっくりして、あたしを見た。そして、あたしの手にあるソーイングセットを見て、だっと走ってあたしに近づいてきた。
「あなた! 裁縫ができるの!」
「え……あ、はい。できますけど」
そんなにできなそうな見た目かな。あたしはちょっと不満に思ったけど、まあたしかに裁縫ができる若い子は少ないからしょうがないか。
「すごい! すごいのね! 天才だわ!」
「え?」
ちょっとオーバーすぎでしょこの人。
あたりが内心でドン引いていたら、その人はぐっと私の両手を包み込んで言った。
「ぜひ、私の研究を手伝ってちょうだい!」
「え?」
「申し遅れました。私は推理作家。言われなくてもわかると思うけど、推理作家と書いて推理作家ね」
いや、言われないと作家っていう字だってわかんない。ていうか、クリスティって日本人の名前じゃない。
「私は民俗学の研究をしているの。その中でも古代の被服に興味があってね! 裁縫ができるって素晴らしいわ! 裁縫の専門書には”うんしん”とか”ゆびぬき”とか、”まちばり”とか意味の分からない単語がたくさんで!」
え、あたしって古代人?
裁縫できるだけで?
この時代っていつなわけ?
あたしはいろんな疑問を持ちながら、なんだかよくわからないけど、この人の研究の手伝いをすることになった。
【五人目の話~時間旅行~】
2230年、僕は確かに時間旅行の公開実験を見ていたはずだった。
でもなんだか気が付くと、研究所のような場所にいた。
「お、君はどこの時代の人? それともどこの国、かな? 空間旅行? 時間旅行?」
目の前にいるのは、ちょっとホストみたいな顔と髪型をした、でも白衣を着ている男だった。
「えっと……ここでは、時間旅行は普通の時代?」
「なーるほど。ようするに、まだ時間旅行が主流じゃない時代から来たんだな」
「要するに……未来に来てしまったようですね」
「いや、それはどうだろうな?」
「え?」
「ここは過去かもしれないぞ?」
「何を言ってるんですか」
まったくもって意味が分からない。
時間旅行がまだ主流じゃない時代から来たのだから、この時代は未来であるはずだ。
「発展した時代が未来とは限らない。何せ、世界は3000年のサイクルで滅びて、また復活するんだからさ」
「え? どういうことですか?」
古い時代に流行ったノストラダムスの大予言じゃあるまいし、3000年で滅びるというのはどういうことだろうか。
「3000年で世界は発展しきってしまって、滅亡するのさ。それでゼロからまた文明が始まる。火打石とか、そんなのから」
「つまり……僕はこの世界が滅亡したあとの未来が、それなりに発達した時代から来た可能性があると?」
自分で言っていて頭がこんがらがってきた。
「そういうこと」
「ちなみに……僕は元の時代に戻れますかね?」
「うーん。技術的には可能だけど……何せどの時代かわからないからね」
「いや、2230年です!」
僕は自信たっぷりにそう言った。
「2230年は、もう七回は繰り返していることが確認されているんだよ」
しかしあっさりとそういわれてしまった。
七分の一のどれかは……世界が繰り返していることすら知らなかった僕にわかるはずがない。
「この時代は、どんな時代なんですか?」
「どんな時代? そうだね。かなり発展して、あと百年ほどで終焉を迎える時代だよ」
「百年……」
「たとえば食事は……この錠剤をのむだけ」
彼は小さな粒を見せてくれた。
「近場にいくには、全自動自動車だし、遠出なら空間旅行だ」
「全自動自動車に……空間旅行」
「あと、髪をきるなら五秒で切れる。機械がやってくれる。他国の人間と話すには自動翻訳機があるし、体も、超微粒子洗剤がいたるところにあるから、まあ、普通に生活していれば清潔だ。そもそも、空膜があるから、病原菌なんて発生しないし……」
「ヴェール?」
「ああ、空を覆ってるんだよ。窓から見てごらん」
僕は言われて窓の外を見た。言われてみると、空がある。青い。でもなんだか、ちょっと違和感があるような気もする。
「空膜は世界すべてを覆っていて、強い空気の浄化作用があるんだ。それに宇宙旅行のロケット位では、破れないようになっている。おかげで、病気なんてめったにかからない」
「めったにってことは、ゼロではないんですね」
「ああ。たまに空膜が不調を起こすからね。免疫がないから、五億人ぐらいが一気に病気になる」
僕は言葉を失うしかなかった。
便利といえば聞こえがいいが、それってつまり、非常に人間が退化しているってことなんじゃないだろうか。
「さて……君はこれを進化と呼ぶ? 退化と呼ぶ?」
「退化でしょう。人間の体の構造上は」
「でも、技術は進化している。最終形態は、人間が歩けなくなるぐらいまで、機械化が進む」
僕はそれを想像して、ぞっとした。
自分で歩けなくなるなんて、僕はそんなに勤勉じゃないけど、でも嫌だ。
それは怠惰を超えている。
「君は何ができる? 運転はできるのか?」
「運転? 自動車も自転車もできますよ」
「自転車! 自動車はともかく、自転車なんてものに乗れるなんて、そりゃあ見世物隊の人間ぐらいしか無理な芸当だね」
「ええ? でも普通のことですよ?」
「普通じゃないない。じゃあ聞くけど、ハサミは使えるかい? 文字は書けるかい?」
「馬鹿にしているんですか? できますよ」
「いいや。この時代の人間は、書けない人間が多い。何せ音声を認識して、勝手に書いてくれるペンがある。自動翻訳付きのものは、言語もすきなものに変えられるんだ」
そ、それは便利だ。
僕は思った。
英語に苦戦している僕としては、ぜひそのペンがほしい。
「君はきっと、この時代で英雄になれる」
彼が言った言葉は、現実となった。
当たり前のことができるだけで称賛される世界。
これってつまり、マニュアルが最強ってことなのかな。
僕は、最初に抱いていた過度な発展への危機感を、都合よくすっぱり忘れてしまったのだった。