日常、終焉。
終わりとはいつだって唐突に訪れるものだ。
それまでの環境や関係、日常の全て壊し奪い去っていく。その変化を新たな始まりと呼ぶ者もいるだろう。だが俺は認められない。幸せな日常を手放すことに意味はあるのだろうか。その先に今よりも幸福な時間が待っているのだろうか。
今の俺には何もわからない。
来訪者は突然訪れた。その日は朝からやけに左眼が疼き何か嫌な予感がしたのだ。嫌な予感というものは大抵当たってしまう。俺が今まで生きてきて、培ってしまった嫌な経験則だ。なるべく気にせず過ごそうと昼までの子供たちへの稽古を終え、優雅に昼食をいただきながら、ソーニャとの会話を楽しんでいると家の外が騒がしくなる。何事だと外を確認しようとした次の瞬間、
「突然の訪問失礼する! アイルラン・ノーディラス卿はいらっしゃるか!」
と全身を鈍い銀色の鎧に包み、物々しい雰囲気でいかにも兵士然とした佇まいの集団が扉を思い切り開けてドカドカと現われた。が扉壊れてたら弁償してくれるんでしょうかねぇ……。
ホトホト呆れつつも、胸に王国の紋章掲げる兵士達に問いかける。
「まずは自分達の所属、名を名乗るのがマナーじゃないですか? トーマス・カーマイン隊長殿?」
「これは失礼した、ノーディラス卿。セントメイス王国近衛隊隊長トーマス・カーマイン、王の勅命により「隻眼の勇者」アイルラン・ノーディラス卿を急ぎ王宮にお連れするため、訪問いたした所存」
いちいち大きなジェスチャーを入れて仰々しく語る彼は王国随一の兵士長である。頭は剃り上げらており、立派な髭を生やしている。鎧の隙間から見える鍛え上げられた隆々たる筋肉はまさに屈強な戦士のそれだ。彼が現われたということ、いつも紳士だった彼が無遠慮に乗り込んでくる様子、それに何より俺のことを「隻眼の勇者」と呼んだことから、これはどうにも逃れることの出来ないものだと理解しながら、俺はせめてもの抵抗を始めるため口を開けた。が、
「アイルラン・ノーディラス卿なんて騎士様はこの集落にはいないわ! ここにいるのは子供達に剣の稽古をすることくらいしか能がないただのアイルよ!」
いつの間に移動していたのかソーニャが俺とトーマス隊長の間に入り主張する。呆気に取られ口を開けて時間を止める俺とトーマス隊長。しかしソーニャの激昂は止まらない。
「アイルは平和に暮らすべきなの! 厄介ごとに巻き込まないで。私達の日常を壊さないで!」
その美しい碧眼を湿らせて必死に自分の想いを告げる少女にトーマス隊長達兵士隊は何も言い返せない。
我に返った俺は今にも泣きじゃくりそうなソーニャに優しく諭す様に声をかける。
「ソーニャ、もういい、俺が話すよ」
「でも!」
まだ何か言いたそうに涙で濡れた声を震わせる彼女を遮り前に出る。悲壮な少女の姿を見せられトーマスはどこか居心地が悪そうにしている。かの兵士長は実直な人間なのだ少女の涙など苦手そのものだろう。そんな彼の姿に俺は苦笑をしつつ口を開く。
「騎士勲章は辞退したはずですよ。俺はただのアイルです。目下の者に敬称をつける必要はありませんよ、隊長殿」
「それは貴君が勝手に主張しているだけであって陛下は勲章を取り下げてはいませんぞ。勇者殿」
トーマス隊長は俺の戯言に対して、極めて真面目に事務的に返す。「あんの狸が、認めてなかったのかよ」と俺は心の中でここにはいない最高権力者に悪態をつきつつトーマス隊長が放った最後の単語に反応する。
「それに俺のことを勇者と呼ぶのはやめて欲しいと前に頼んだはずですよね」
少し声が苛立つのを抑えられない。と同時に過去を全然振り切れていない自分を自覚し愕然とする。
「そうでしたな……、とにかく急ぎ王宮に向かう準備をしていただきたい。申し訳なく思いますが、これは勅命なのです。これを拒むということがどういうことか聡明な貴君ならわかるはずです」
その言葉は自分の王に対する絶対的な信頼を表すかのように重みをもって俺に届く。
「…………アイル」
心配そうに投げかけられる少女の言葉。彼女の視線を背中に受けながら自分の誓いを思い出す。俺は微動だにしないトーマス隊長に向けて言葉を発した。
「わかりました。今すぐ立ちましょう。面倒事は早めに済ますに限りますから」
俺の返答にトーマス隊長は意外そうな顔を隠さず訊ねる。
「よろしいのですか」
「ああ、そちらの準備は出来ているんでしょう?だったら何も問題はありません、俺はただのアイルですからね。正装なども持っていないしするつもりも最初からありませんから」
「こちらとしても早いほうが助かります。が……」
なにやら言葉を濁している。その視線が向いている方、俺の後方に目を向けると真っ赤になりプルプルと震える少女の膨れツラと目が合った。弁解をしようとする前に彼女の叫びが家中にこだまする。
「アイルのバカぁぁぁあ! もう知らない!」
泣き顔も彼女に似ているなぁとどうでもいいことが頭によぎるが、その間に銀の髪を振り乱しながら部屋を出て行ってしまう。
「よろしいのですか」
トーマス隊長は先程と一言一句違わない言葉を心配するように俺にかける。
「いいんですよ。あいつは俺を恨むかもしれませんが、俺はすでにあいつに恨まれて当然のことをしているんです。今更恨み事の一つ二つ増えても構いません。俺はただ、あいつが幸せに暮らしてくれればそれだけでいいんですよ」
俺の言葉をトーマス隊長は黙って聞いている。
「それに王宮の用事なんてすぐに終わらせて帰ってきますから」
情けなく笑う俺に対してトーマス隊長は静かに頷き、兵士達に向けて巨体を震わせ大声で命令をする。
「すぐに王宮に帰還するぞ! 馬車の用意を急げ!」
俺が馬車へ向かおうとした直後だった、
ドクンッ
「アッ、ガァァアアア!!」
左眼が一つ大きな鼓動を打った瞬間、激痛が身体中を襲う。声を抑えられない。痛みが意識にまで侵食し神経の一つ一つを焼き切っていく感覚、精神が混濁していく。ヤバい。ヤバいヤバいヤバい。
俺が俺でなくなる。
俺の意識が奪われる……そう感じた刹那、彼女の姿がフラッシュバックした。
お、俺は、まだ、大丈夫。
ソーニャを、一人にするわけには、いかない!
沈む意識を無理やり引き上げもとの俺へと、少しずつ少しずつ回帰していく。感覚が完全に自分のものに戻ったとき、俺の喉はカラカラに乾き、全身が汗に濡れ、身体が嫌なダルさと気持ち悪さに包まれていた。
「ノーディラス卿!」
トーマス隊長があわてて俺の体を支える。
「大丈夫です、いつもの発作ですから少しすれば落ち着きます」
ニヤリと笑おうとするが、引きつった笑みしか出ていない自覚がある。
ドタドタと家の中から慌てる足跡が聞こえてくる。はぁ気付かれたか、声を抑えられなかった自分を殴ってやりたい。
奥の部屋から飛び出してきたソーニャは大男に支えられた俺の姿を見るなり、いきなり抱き付いてくる。
「アイル! 大丈夫なの? 封印は!?」
先程までの怒りはどこにいったのか、ただひたすらに俺を心配する姿に、心がとても暖かくなるのと同時に申し訳なさも生まれてきてしまう。心配させたくなかった……
「大丈夫さ、いつものことだろ? 封印も必要ないよ」
努めて笑顔に徹する。今度は上手くいっただろうか。
これ以上言っても無駄だと悟ったのだろうソーニャは矛先をトーマスに向ける。
「アイルはやっぱりここにずっと居るべきだわ! 王宮へ向かう必要なんてない!」
それが我儘だということはソーニャは百も承知だろう。それでも俺の身を案じ、言わずにはいられなかったのだ。
俺は情けないな……いつもソーニャに心配をかけてしまう。
「大丈夫だよ俺は大丈夫。それにさっきは言えなかったけど王宮の用事なんてさっさと片付けて戻ってくるさ俺は優秀なんだぜ」
少し茶化して言う。自分のことで空気が重いのはなかなかに辛いものがある。
「そうですぞ、ソーニャ殿。ノーディラス卿はとても優秀なお方。どんな命令でもあっという間に終わらせてしまいましょうぞ」
俺の冗談を真面目に受け取りトーマスは鷹揚に頷く。冗談を真に取られてしまった……
ソーニャは少し考えるように俯くと意を決したように顔を上げ口を開いた。
「だったら私も一緒に王都へ行くわ。すぐに終わる用事なら私がついていっても問題ないでしょ」
「いや、それはっ」
思わず口を挟もうとする俺だったが、大きな笑い声が遮った。
「これは一本取られましたなノーディラス卿。すぐ終わる用事ならソーニャ殿が付いていっても問題ないでしょう。優秀な貴君が守ってあげれば良いのです。それに我々、近衛隊も同行します。ソーニャ殿の安全は約束しますぞ」
俺を試すように覗き込む偉丈夫の顔と必死に俺を見つめる少女の瞳に俺は頷くしかなかった。
嫌な予感はやはり当たってしまうのだ……




