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乞う恋

作者: 一

朝、目覚まし時計が鳴り響く。

近所迷惑になるんじゃないかと思えるほど馬鹿でかい音が響いた。


布団の中から手を出し、その音を止める。


一転、静かになった室内で布団にくるまりながらぼんやりとする。

すぐにでも二度寝をしてしまいそうになりながら、覚醒と睡眠の間を右往左往しながら、起きねば起きねばと心の中で念仏のように繰り返しながら意識は闇にのまれていく。


……。


「兄ちゃーん! 起きてるー? 起きてよねー!」


あともう少しで夢の世界に旅立てそうなところで突然、ノックもなしに部屋に入ってきた奴がいる。妹だ。


「うわ、くらっ……」


俺の部屋の有様に文句を言ってずかずかと上がり込み、カーテンを開け、ついでに窓を開ける。

朝日が差し込み、心地よい風が吹き込んでくる。まだ5月だから少しばかり肌寒いが、今はその寒さのおかげで目が冴えた。


「はーい、起きた起きた」


「……起きてるよ」


手をパンパン叩きながら仁王立ちする妹を見て、億劫に言葉を絞り出す。


「あっそ。じゃあ朝ごはん出来てるから。さっさと食べないと片付けられるよ」


「……ああ」


それは嫌だな。

朝食なしで午前の授業を乗り越えられる気がしない。

布団から出て、欠伸をしながら伸びをする。ボキボキと背骨が鳴った。


「欠伸してないで早くしてよね。晃さんとの待ち合わせ遅れたくないし」


「置いてけばいいだろ」


「いや、私としてはそれでもいいんだけどさ。晃さん絶対兄ちゃんのこと心配するじゃん?

 それは私としても面白くないしー? やっぱ私のことを見てほしいっていうかー?」


相変わらずうぜえな、と思いながらはいはいと聞き流す。

リビングには味噌汁の食欲そそる香りが充満していた。あー、もう。これだけで腹が鳴る。


「先に顔洗ってきな」


「へーい」


ばしゃばしゃと冷たい水で顔を洗う。

これで完全に目が覚めた。


席に着くと、すでにご飯が盛られた茶碗が置かれていた。ありがたやありがたや。


「いただきます」


誰に言うでもなく、呟く。

対面ではすでに妹がぱくぱくと食べ始めていた。


それを視界の外に追いやり、まずは味噌汁からいただく。

あ、うめえ。


しばらく粗食音と食器の音だけが場を支配した。

別に食事中に喋ってはいけないという行儀のよい決まりが我が家にあるわけではないが、母さんと俺は自分から話す性格ではないし、唯一うるさい妹は食事に夢中だ。

さっきからやけに急いで食べ進めている。どれほど晃に会いたいんだ……。


やがて、


「ほら、あんたも早く食べ終わりなさいよ!」


「うっせえな。朝飯ぐらいゆっくり食べさせろよ」


「もたもたしてたら晃さんに迷惑掛かっちゃうでしょ! はやく!」


はいはいと適当に聞き流しつつ、ゆっくりと箸を進める。

妹は俺のそんな調子に段々とイライラして来たのか、腕を組んで貧乏ゆすりを始めた。

それは段々と激しくなり、やがて爆発する。


「あんたさあ! 私がさっき言ったことちゃんと聞いてた!? 聞いてたなら復唱!」


怒り乍らそんなことを言ってくるが、俺としてはわざわざ復唱するつもりはなく、黙殺した。

それによって、さらに怒りのボルテージを上げた妹は再度口撃をしかけようとしてくるが、母の一言に断念した。


「食事中は静かに」


特段、大きくもなく、何らかの感情が籠っている訳でもないその一言に、妹は容易く降伏する。

昔から、我が家では母が絶対王者として君臨しているため、母の言葉は絶対なのだ。それを破るとどうなるか、身をもって実感しつくしている妹は、母には逆らえない。


うぐっ、と口をつぐみ俺を睨んできた妹は、口パクで「早くしてよね」と精一杯のメッセージを送り、自室へと引き上げる。


一転、静かになったリビングに、再び食事の音だけが響く。

やがて母さんが箸を置き、ご馳走様、と食事を終える。


「あんたも早く食べちゃいな」


言って、食器を流しに置き、リビングを出ていく。


「……」


返事をする間もなくさっさと行動するそのせっかちな性格は、俺が子供のころから何も変わりはしない。

人間、年を取れば多少変わるものだと言うが、それはあの人には当てはまらないらしい。


「……わかったよ」


ため息交じりに誰に聞かせるわけでもなく、ただ独り言として言ったその言葉は、静かなリビングに染みわたり、どこへともなく消えていった。














「遅い!」


朝食を食べ終わり、登校しようと玄関のドアを開けて、開口一番に投げかけられたのはその文句だった。


「何分経ってると思ってんの!? ばっかじゃないの!!」


どうやら玄関でずっと待っていたらしい妹は、先ほどの鬱憤も交えてか、かなり口汚く罵ってきた。


「15分」


下手な抗弁は余計機嫌を損ねるだけだと、素直に聞かれたことについて答える。


「そんなこと聞いてんじゃない!」


「じゃあ何だよ」


「私早くしてって言ったよね? 聞こえなかった?」


「いや、聞こえてた」


「じゃあ、なんで15分も時間かかってんのよ!?」


15分待たされたことがよほど腹に据えかねたらしい。

俺にとっては急ぎに急いだ15分だが、こいつにとっては遅すぎる15分だったようだ。


これは俺は謝罪を述べるべきなのだろうか。


別に約束したわけではないし、わざわざ守る必要もない、一方的な押し売りのような主張だが、俺がこいつの兄であると言う点を鑑みて、これ以上この問題をややこしくしないためにも、信念やらプライドやらはゴミのごとく捨ててしまうのが最善手であると言えないこともない。

ならば、ここで適当に「悪かった、俺が悪かったよ」とでも言うのが大人って奴だろう。


だがしかし、俺にはこいつのために捨てられる程度のプライドも、大人としての矜持も持ち合わせてはいなかった。

結果、


「知るか」


「はあ!?」


こうなる。


「大体、俺は先に行けと言ったはずだぞ」


「嫌だって私言ったよね?」


「そんなこと、俺の知ったことじゃない」


「はあああ!?」


先ほどより数段大きい声が響き、周りの視線を釘つけにする。


「信じらんない! どんだけ自分勝手なの!?」


「俺のセリフだ」


時間もないし目立つので歩きながら話す。


「あんたってばいっつもうそう! そうやって人のこと考えずに自分の事ばっかり考えてさ。だから、」


「おい、べつに何だっていいが盛大なブーメランだぞ、それ」


お互いに自分の事ばっかり考えている兄妹だが、それを自覚している分俺の方が多少ましだろう。

いつまでもネチネチと煩わしい妹を、適当にやり過ごしつつ、いつもの集合場所へ到着する。


「やあ」


そこでは見た目イケメン優男と、


「おそい……」


クールな感じのチビ女が待っていた。


「悪いな」


「晃さん、聞いてくださいよ! こいつったら」


「メグちゃん。お兄ちゃんをこいつ呼ばわりはいけないよ」


「いや、でも」


「僕はお兄ちゃんにそんな口きくメグちゃん嫌いだな」


「はい! わかりました! すいません!」


その二人のやりとりを尻目に、


「ほんとに遅い……」


「悪かったな」


「心が籠っていない」


「俺としては気を利かせたつもりなんだが」


「いらないお節介」


「そうか。それは悪かったな」


「以後気をつけるように」


下から見上げている癖に随分と尊大な言葉に苦笑を浮かべる。

その苦笑に少しむっとしたようだが、それ以上は何も言われなかった。


「柊、紗、行こう。いい加減遅刻しちゃう」


晃の言葉に時計を見る。

8時10分。結構ギリギリだ。


「急がねえと」


「誰のせいなのか」


無視して一人で走り始める。

後ろから慌てたような三人の足音が聞こえるから、あいつらもちゃんと走ってはいるようだ。


「ちょっ、涼!? 少し待って!」


晃の叫びに近い声が聞こえたが、それすら無視して走る。

だんだんと三人の足音は遠ざかり、いつしか聞こえなくなった。


もういい加減、歩いても大丈夫な距離まで走ったが、止まらずに走り続ける。

学校が近づくにつれて、他の生徒たちもちらほら見え始めたが、それでも走る。


学校についたのは8時20分。30分までに教室の自分の席に座っていれば良いので、かなり余裕をもってついたことになる。


そのことにほっと一息ついて、ようやく立ち止まる。

呼吸を整えて、ゆっくりと学校へと入っていく。


校門をくぐる際、後ろを振り返ったが、三人の姿は見えなかった。











妹はもちろんのこと、俺と晃、紗はクラスが違う。

俺は二組。あいつらは一組。だから、学校内で顔を合わすのは体育の時ぐらいなもんだ。

それは煩わしさがない分、俺にとって幸運であった。


クラスに入り、自分の席に向かう。

俺の席には名前も知らない女子が座り、前の席の子とお喋りに興じていたが、俺が近づくと「あ、ごめん」と言って、席を退いてくれた。


席にカバンを置き、椅子に座る。

カバンの中から筆記用具を取り出し、机の上へ。教科書類は机の中へしまう。

最後に、持ってきた参考書とノートを広げ、洋楽を聞きながら勉強を始める。

内容は一年後、受けようと思っている大学の過去問題。いわゆる、赤本と呼ばれるものだ。


高校二年生の6月。進級して二か月余り。

受験勉強を始めるのはまだ早いと思われるかもしれないが、高校生になり、すでに一年が経過したことを考えると、今から始めて早すぎると言う事はないだろう。


そんなわけで周りの雑音を音楽でシャットアウト。ペンを走らせる。

先生が来るまでの10分程度。解ける問題は一、二問ほどだが、何もやらないよりはましだろう。


そうして、数学の問題を解いているとチャイムが鳴り、慌ただしく数人の生徒が教室に入ってきた。

ギリギリに登校してきた者や他クラスの友人と喋っていた奴らだが、どれもこれも先生がまだ来ていないことを知ると、ほっとしたように自分の席に座った。


それから5分ほどして、ようやく教師が姿を見せる。

この担任が遅れること自体はそう珍しくはない。この教師は時折、時間に遅れる。元々、その辺にルーズなのだろう。

ただ、今回は何か事情があったようで、少しばかり顔がやつれて見えた。


「悪いな。少しばかり手間取って」


教室に入るやいなや早口にまくし立てるその様子は、何か隠しごとがあるのではないかとあらぬ想像を掻き立てさせる。

有体に言えば、怪しすぎた。


「起立。礼」


日直が号令する間も、担任はハンカチで額を拭っている。よく見てみれば、かなり汗をかいていることが分かる。

素直に見れば遅れた分走ってきたから。穿った目線で見れば、何か慌てるようなことがあった。

さて、どっちだろう?


「今日は休んでるやつはいるか? あー、川端か……」


「先生! なんか随分様子変ですけど何かあったんですか?」


お調子者のクラスメイトがニヤニヤとしながら声を上げる。


「んー? いや、まあな……」


意外と、否定はしなかった。やはり何かあったのだろう。何があったのかまでは詮索しないが、少し気になる。

担任は、小さく溜息を吐いて、次の句を述べる。


「お前達、特に男子だな。喜べ」


少々声のトーンを落としながら、そんなことを言ってくる。


「転校生だ」


え? と皆が固まる。

次の瞬間には再起動し、クラスは歓声に包まれた。


「えーい! やかましい! 静かに!」


担任の怒声で少々音量は治まったが、それでもそわそわと落ち着きのない雰囲気は隠しきれていない。


「もう結構待たせてしまっているからな。さっさと呼ぶぞ」


言って、担任はドアを開け、向こうにいるだろう転校生に呼びかけた。


「おい、いいぞ」


担任の呼び声に応じて現れたのは、女の子だった。

黒い長髪に白い肌。美女とカテゴリされる部類の女の子。

担任が喜べと言っていたのはこのことだったのかと納得する。


転校生は黒板前中央まで歩き、生徒たちの方を向いて立ち止まる。

ぐるりとその視線が教室を一巡りする。

その間、聞こえるのは一部の女子のひそひそ声だけで、それ以外の生徒達は皆、転校生をぽかんと見つめている。


やがて、観察を終えたのか、彼女は口を開いた。


「桜木 彩夢です。どうぞよろしくお願いします」


見た目とは裏腹に、随分と弱弱しい声音だった。

しかし、そのギャップがもろに入った男子が数人いたようで、変な声が複数聞こえた。


「席は七瀬の横に一つ置いておいたからそこに座ってくれ」


「七瀬……?」


初めて来たやつに名前がわかる訳がない。しかも、今日は一人休んでいて席は二つ空いている。

これは判断に迷うだろう。


「ああ、すまん。七瀬って言うのは、」


担任の指が俺を捉える。


「あそこで知らんぷりして勉強してるやつのことだ」


横に視線を向けると、一つ席が置いてあった。

昨日まであったかなかったか、残念ながら記憶にない。


転校生はそのまま無言でこっちまで歩いてくる。

そして机の上にカバンを置くとこちらを一瞥して、


「よろしく」


無感情にただそれだけを言った。

俺は返事は返さず、ただ頷くだけにとどめる。

それに対し何も思わなかったのか、すぐに視線は逸らされ、真っ直ぐに前を向く。

俺も倣えと問題集に視線を戻した。


周りの視線が転校生に注がれていることに、目を上げずに気づける程度には緊張感が漂っていた。

随分と人気者の転校生だなと言うのが、俺の彼女に対する第一印象だった。


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