第三話
昨日の"ゆう"くんの料理は相変わらずとてもおいしかった。
そんなに手の込んだ料理は作らない。焼きそばだとか炒飯だとかオムライスだとか……ジャンルの統一性はないのだけれど、どれもこれもシンプルな食べ物ばかりだ。だけど、そのシンプルさの中においしさがいっぱい詰まっていて、何回食べても飽きないし、なんだかほっと心の暖まる料理だったりする。
あんな辺鄙な海辺の店なんかではなく、もっとどこかの駅前とかの人通りの多い場所に店を構えたらきっと行列の出来るお店になるんじゃないだろうか。
とはいっても本人にはまったくその気はなく、ただ「僕はこの場所が好きだし、ここで細々とやってるほうが良いことだってあるんだよ」とあんなに幸せそうに語られては何も言えない。
そうして何気ない世間話をしたり、さくらの彼氏とは久しぶりに会ったりと楽しいひと時を過ごした。
(彼といるさくら、ほんとに可愛かったなぁ……)
ただでさえ可愛い子なのに、それ以上に幸せそうな表情を見せるさくらは可愛い。同じ女としてでも惚れてしまいそうなくらいだよ。
そんなことを思いながら、今日はいつも通り図書館へと足を向けていた。
一日ケンくんと会えないだけでなんだか物足りなく感じてしまう。
恋かどうかなんてのはわからないけれど、少なくとも今のわたしはケンくんと一緒にいるのが楽しいと思ってる。だからというわけではないけれど、2日ぶりに会うと思うと少し足取りが軽いわたしだった。
図書館のいつもの席、そこにはすでにケンくんが座っていた。
そこに向かっていく途中に、ふと顔をあげたケンくんと視線が合う。
その表情は一瞬笑顔になり、その後すぐに顔をそらせてしまった。
「こんにちは、ケンくん」
あまり気にせずにわたしはいつも通り元気よく挨拶をして……
「……こんにちは」
あれ? なんか機嫌悪い?
声がとても低い。っていうか、顔まですごい仏頂面。
見知らぬ頃ならきっと見落としてた変化だけど、今のわたしにははっきりとわかる。
「えと……ケンくん、なんか怒ってる?」
おそるおそる聞いてみる。
「別に怒ってません」
怒ってる。絶対に怒ってる。
怒ってないっていうような声も顔もしてないよケンくん……
でも、なんでだろう?
わたし、何かやっちゃったかな……
「そ、そっか……」
なんと声をかけていいかわからず、わたしは大人しくいつも通り読書をすることにした。
今日読むつもりだった本を取り出して、ゆっくりとページを開く。
重々しい沈黙。
ただ二人が本のページをめくる音だけが小さく響く。
読書なのだから静かなのは当たり前だし、発せられる音はいつもと変わらないはずなのに、今までは全然違う空気の重さ。
とても息苦しい。
「ね、ねぇ、ケンくん……」
結局わたしは三分ともたずギブアップして、話しかけてしまった。
ケンくんはわたしの呼びかけにも応じず、視線をあげようとしない。
わざとなのか天然なのか判断の難しいところだけど、今のわたしにはわざとに思えてとても不安だった。
「わたし、何か怒らせちゃったかな……?」
わたしは本気でわからなかったし、心配になったから、ストレートにそう尋ねてみた。
原因がわたしにあるのなら知っておきたい。
「何かやっちゃったかな……わたし?」
不安もあってどうしても弱々しい声になってしまう。
やっぱり聞こえないふりをしていたのか、そんなわたしの様子に下を向いていた顔をやっとあげて、そしてケンくんは今度はうろたえ出した。
「いや、その……」
怒った雰囲気から一転して困ったような表情になる。
まるで予想外の出来事がおこったような、そんな顔。
「わたしが悪いんなら、はっきり言って欲しいな……ケンくんが機嫌悪いのは好きじゃないし、またケンくんを怒らせたりしたくないし……」
「ア、アキさんが悪いんじゃないです!」
慌ててわたしの言葉を遮る。
そのまま観念したように息を吐くケンくん。
「はぁ……ほんと、アキさんのせいじゃなくてですね」
「うん?」
「その、あの……昨日アキさん、ここに来なかったから。何かあったのかな、って心配だっただけです……」
「えぇ!?」
真っ赤になって最後のほうは消え入りそうな声で言う。
考えもしなかった意外な返答にわたしはわたしで驚きが隠せずに戸惑ってしまう。
そんなわたしの様子に、さらに顔を赤くしてうつむくケンくん。
わたしもつられて少し赤くなる。
「えと、心配して……くれたんだ?」
「そりゃ!!」
がばっと顔をあげ、ほてった頬をおさえながら。
「毎日来てたのに、いきなり来なくなると心配しちゃいますよ……」
すごく照れてる。普段見れないようなあたふたした彼がいる。
あぁ、なんて可愛いんだろう。
こういうのが素敵な弟を持った姉の気持ちなのかな?
母性本能がくすぐられる。
それ以上に、純粋に嬉しい気持ちがわたしの心に満ちていた。
「ありがとう、ケンくん」
にっこり笑って。
「昨日は友達と一緒にちょっと遠くまで出かけることになってね。ここに寄れなかったんだ。ケンくんに一言言おうかと思ったけど、時間もあまりなかったからね……ごめんね」
「いえ、俺が勝手に心配しただけですから……」
「ううん、今度からちゃんと一声かけるよ。心配してくれてありがとうね。すごく嬉しい」
「そんな……」
そう呟いて、逃げるように手元の本へと目を落として、そのまま本を持ち上げて顔を隠してしまった。
だけどわたしの目にはくっきり焼きついてしまった。とても可愛く照れるケンくんの姿が。
「……ふふ」
それを見ながら、わたしはしばらく頬の緩みがなおらなかった。
なんだかとても楽しい気分で、そしていつも通りの二人が戻ったことに気付いた。
さっきと一転して、和やかな空気がその場を支配していたんだ。
あとはいつものように、本を読んだりお話をして、その図書館の時間を楽しんだのだった。
その日はおわびにと夜ご飯をおごってあげたりなんかした。もちろん、いつもの食堂の安いA定食だったりするのだけれど。
何度も断るケンくんだったけど、わたしも折れずに結局押し切った形だ。これでも一応わたしは先輩なんだよ? たまにはいいじゃないか。
そうやって過ごすケンくんとの時間はとても楽しかったんだ。
「アキちゃん、ほんと最近楽しそうだね」
講義終了後。
さくらは研究室へ。わたしは図書館へと道すがら。
開口一番さくらが嬉しそうに言った。
「そうかな?」
ケンくんの話であることは言われなくてもわかる。
「うん、前よりも増して楽しそうだし嬉しそうだよ」
うふふ、とそういうさくらのほうがよっぽど楽しそうだ。
「まぁ、実際に楽しいことは否定しないけれど……」
「良かったね、アキちゃん」
「う~ん……」
どうもさくらは勘違いしてる気がしてならない。
形は違えど、わたしとケンくんをくっつけようとしているのはよっちゃんと変わらないかもしれない。さくらの場合は純粋な善意からなんだろうけれど……
ちなみに今はよっちゃんはいない。何だか用事があるとか言って講義が終わると同時に一目散に教室から出ていった。気にはなるが、よっちゃんのことだから気にしても仕方ないような気がする。
そんなことを考えるわたしにお構いなくさくらが喋る。
「前のアキちゃんはね、もっとそういうことに無頓着だったよ。決して悪い意味じゃなくて、他のことを楽しむ余裕がある感じ。まわりを良く見てて、自分を良く見てる。私が悩んでたときとか、困ってたときに真っ先に助けてくれたのもアキちゃんだったから。本当に感謝してるんだよ。だから今度はアキちゃんに幸せになってもらいたいなって」
「だからそんなんじゃないってば……」
「そんなんじゃなくても、だよっ!」
少しだけ強い口調とともに、口を尖らせるさくら。
「例えそんなんじゃなくても、前よりもずっと幸せそうにしているアキちゃんがいるのが嬉しいの。ケンくんだっけ? 私も感謝しないとね。私の大切な大切な親友をこんなに楽しそうにさせてくれてるんだもん」
そんなセリフを満面の笑顔のまま言うさくら。
(わたし、やっぱりこの子には敵わないなぁ)
まっすぐなさくらがとても眩しい。わたしは一生この子のような綺麗な人間にはなれないと思うと同時に、自分の持ってないものを持っているさくらと共に居れることを誇りに思う。
「ありがとう、さくら。あんたの親友でほんとに良かったよ」
「えへへ」
わたしの言葉に顔を真っ赤にして照れる。
あんな恥ずかしいセリフを言うときは欠片もそんな表情見せないくせに。
「私は今すごく幸せ。アキちゃんも幸せになって、ついでによっちゃんも幸せになれたら、これ以上のことはないなぁ」
「ついでって言ったらよっちゃん怒っちゃうよ」
「あっ……えへへ」
「ま、あれでいて、よっちゃんはちゃんと幸せ見つけてきそうだけどね~」
いつも猪突猛進で前向きだけどおバカさんな態度で振る舞うここにいないもう一人の親友。普段はあんなんだけど、きっとよっちゃんはよっちゃんで、何かあるんだろうなぁって思ってる。そんなこと絶対口にはしてやんないけど。
「さくらは苦労したんだもん。その分、幸せになって当たり前なんだよ」
「うにゃぁ」
わしゃわしゃとさくらの髪の毛をかき回す。
詳しく語ることはしないけれど、一年前くらいのさくらは本当に元気がなかった。ちょっとした逆恨みから悪い噂を立てられて、真に受けた人たちに中傷されて、さらに自分の気持ちに気付いてしまってそれでも動けない自分にとても苦しんでいて……
その時にわたしがしてあげられたのは、ただ親友としてそばにいてあげただけだったけれど……
それでも幸せをつかんだこの子は強い子だ。
「さくらみたいになりたいなぁ、わたし」
「アキちゃんはアキちゃんだよ! すごくかっこよくて、かわいい女の子だよ!」
「そういうことを平気で言えるさくらが羨ましいんだってば」
「うにゃにゃぁ」
さらにはげしく髪の毛をかき回してやる。おもしろい。
わたしは自分を幸せじゃないなんて思ってない。さくらがいてよっちゃんがいて、今までも十分幸せだと思ってた。
だけど、今さらにケンくんが居てくれるおかげで、わたしはもっともっと幸せになってるらしい。
確かに幸せと直結しているのかどうかはわからないけど、とても楽しんでいる。幸せってのは楽しみの積み重ねだって思ってるから、ケンくんという新しい楽しみによって、わたしはますます幸せになれているんだろう。
「アキちゃん」
「ん?」
さくらが最初と同じにっこり笑顔で下からわたしを覗き込んで。
「良かったね」
「ん……うん」
わたしははっきりと頷いた。
それは自分の中でのケンくんの大きさを認めることだと気付いていてなお、確かに認めたんだ。
「そうだね」
よっちゃんみたいに大きく笑うことはしない。
さくらみたいに可愛い笑い方なんかできない。
わたしはわたしで、少し口と頬を緩めて、柔らかく笑う笑い方しかできないけれど。
そんな精一杯の笑顔をさくらに向けて放った。
それに答えるように、ニッと口を歪めて、生意気にもさくらは言うんだ。
「幸せになってね、アキちゃん」
「うん、もちろん」
「うにゃー」
言われなくてもと、再度さくらの髪をくしゃくしゃかき回したら、また猫みたいな声を出して嬉しそうに照れるさくら。
(わたしは幸せだよ)
もう一度心の中で繰り返しながら、さくらと二人、赤く暮れる太陽に長い影を伸ばしながら、大学の道を歩いたのだった。
恋かどうかなんてことは考えてないけれど、それでもあの照れる姿がとても可愛かったわたしと同じくらい本好きの後輩のことを想いながら。




