14 笑顔の下に
明日また来ると伝えて部屋を後にした明弥達を見送って、太一は斎の方を見た。
いつも通り穏やかな表情を浮かべている彼は、真実を話したことをどう思っているのだろうか。笑顔の下にある本音はなかなか読みとれなかった。
「一緒に行かないんですか?」
「………の前に、お前に確認したいことがあるんだ」
「確認、ですか」
斎はゆっくりとメガネを外しテーブルの上に置いた。
太一は無言でそれを見守った。
「何でしょうか」
「わざと、だろう?」
「何がです?」
煙に巻こうとしているような笑み。
太一は鋭く舌打ちをする。
「分かっている癖に聞くなよ」
「そうですね。ならばあなたもわざわざ確認する必要は無いでしょう。私はあなたが彼らに私のことを伝えるように仕向けました。あなたならば黙って見ていることは無いと思ったんです」
「何でそんなことした?」
彼の行動には初めから違和感があった。それでも太一は鈴華のために、斎の為にと見ぬふりをしてきた。おそらく明弥とこれほど親しくならなければ未だに斎の研究に協力していただろう。
研究対象に人を使うのは倫理的にも人道的にも間違っている。
そうと分かっていても明弥一人を犠牲にして他が助かるならば最善の道だと思っていた。何より太一にとって鈴華は大切であった。
それでも明弥と関わった時から迷いが生まれた。
明弥は危険な目に遭っても太一のせいではないと笑ったのだ。自分の能力のせいで暴走するのが怖いのならばいいけれど、勝手に関係を断ち切って欲しくないと怒ったのだ。
彼は優しい人間だった。
人狼として今まで生きてきて、正体を知られた時多くの人間が怯え化け物と罵った。
だから恐怖を感じても、大丈夫だと笑う明弥の存在がどれほど貴重でどれほど救いになるか、斎にもわかることだろう。
勇気のように初めから人狼の存在を知っているのと訳が違う。
明弥だけなのだ。
何も知らない状況で変化を見せつけられても笑って受け入れてくれた人間は、彼だけだった。
そんな彼を大切に想わない訳がない。
斎はおそらくそうなるだろうと見当をつけていた。
だからわざと太一が違和感を覚えるような行動をとったのだ。
「止めて、欲しかったのかも知れません」
斎は微笑んで言う。
「明弥君に本当の事を知って欲しかっただけなのかもしれません。それでも私は‘Ain’の全てに決着を付けなければいけないと思っています。……あの子達の側にいてあげて下さい」
「イッキ……」
「私はもう大人です。自分のしたことの責任をきちんと取らなければならない年齢です。でもあの子達は被害者で、まだ護られて然るべき年齢です」
大人びて見えていても鈴華はまだ十二歳の子供。そして明弥もまだ高校生になったばかりの不安定な年齢だ。
「悪かったと思ってるよ」
「太一?」
「お前が一番迷っている時期に一緒にいてやれなくて。‘Ain’は間違いだって言ってやれなくて、悪かったと思っている。こんな事になった責任の一端は俺にもある。支えるべき時に支えてやれなくて悪かった」
「それはあなたの責任ではないでしょう。私は分別が付く年になってもやはりまだ迷いながら研究を続けていましたから」
「大人の方が諫める人間が必要なときだってある。支える人間が必要なときだってある。俺はお前にずっと助けられてきた」
人狼と人間とでは寿命が明らかに違う。戸籍では太一の方が年下だが、生きてきた年月を数えれば太一の方がずっと年上になる。
その自分ですら何かに支えられなければ生きて来れなかった。
「辛かったら叫べよ。迷ったら誰かに相談しろ。俺はお前みたいに智恵はないが、一緒に悩んでやるくらいは出来る」
年齢を重ねる事に辛い、苦しいと叫べなくなる。
だからこそ、大人の方が支えが必要な時があるのだ。
斎を甘やかすことが出来るのは太一だけだろう。
「ただ一つだけ聞きたい」
「何ですか?」
「お前何で明弥を襲わせたかどうかちゃんと否定しなかったんだ?」
襲っていない、そう聞こえるような言葉を言ったが、自分の指図ではないと最後まで言わなかった。
ちゃんとした否定の言葉は彼の口からは出てこなかったのだ。
斎はにこりと笑う。
「………明弥君の側にいてあげて下さい」
答えにならない答え。
それが全てなのだと太一は悟った。
「それで、いいんだな?」
「はい。それが私の甘えです」
太一は暫く彼の瞳を見つめた。
彼の瞳は他の日本人よりも色素が薄い。僅かながら左右の目の色も違う。光彩異色症という病気なのだ。
この目には邪眼と呼ばれる力が宿っている。
光彩異色症という病気がそうしたのか、邪眼の力が強すぎて光彩異色症になったのかは知らない。
その眼には人に暗示をかける能力がある。彼が力を使い命じたならば意志の弱い人間は簡単に操られてしまうだろう。
能力を持ちながらも彼はその力を簡単に振るったりはしない。
力の恐ろしさを知っているからだ。
だから一度も太一に対してその能力を使ったことがなかった。そして、これからも使うことはないだろう。
それが、なによりの信頼。
「分かった」
太一は頷く。
「鈴華の見舞いに行ってくる。何かあったら呼べよ」
「はい、ありがとうございます」
笑顔での言葉を聞いて太一は明弥達を追いかけるためにエレベータに乗った。
あの笑顔の下にまだどれだけのものを隠しているのだろう。
太一は息を吐いて自分の頬を叩いた。
大切なものが多すぎて、何を一番に護りたいのかが分からない。
今は斎の言うように明弥の側にいる方がいいのだろう。
深い溜息が自然とこぼれ落ちた。
迷いを断ち切るように、再び頬を強く叩く。
ぱしん、と小気味のいい音がエレベーターの中に響いた。