13 理不尽を責めるよりも
少し休息を入れましょう。
その申し出を受け入れたのは多分自分自身で整頓をしたかったからだ。
明日また来ると斎達と別れてエレベータの中に入ると自然と深い溜息が出てきた。
「疲れたか?」
聞かれて明弥は首を振った。
「色々大変だって、思って」
「他人事のような言い方だな」
「何だか妙に冷静になっちゃって」
逃避しているわけではない。話が突飛過ぎるからと言って理解できないわけでも、信じられないわけでも無かった。斎が話した事は明弥が聞きたかったことの全てが詰まっている気がした。
記憶の中に残る母親が時折怯えたような素振りを見せたのは、古武玲香に居所を知られ、明弥とトモミが研究所に連れてかれるのを恐れたからだ。有信が信子叔母の所に明弥達を連れてきた時に戸籍が無かったのもそれで分かった。有信の子供であると知られても、明香の子供であることは知られてはいけなかったのだ。だから戸籍を用意することが出来なかった。
父と母は二人を連れてどこかへ逃げる計画を立てていたのではないだろうか。
それを明香の死という事態が狂わせた。
どういう理由で亡くなったのかは分からない。明香が亡くなったことで古武玲香から子供を隠す必要はなくなったのは事実だ。少なくとも有信が失踪し、彼に子供がいたと知っても古武玲香はあまり興味を示さなかったという。
その時は誰もその子供が明香の子供であるとは気付かなかったのだ。
後で冷静になれば分かった事だろう。
だがその当時「Ain」は別の局面を迎えていたために有信が失踪したことでさえも過剰反応する者は無かったそうだ。元々そう言う傾向がある研究所だった。特に明香がいなくなってからの研究所は何か歯車が狂ったかのような奇妙な雰囲気があったそうだ。
明香が明弥とトモミを身ごもったことで全てが変わったのだろう。
それは理解した。
「理不尽だと思うんだ」
「そうだな」
「生まれる前のことでも生まれてからの事でも、自分じゃどうしようもない事情で、誰かが苦しむのは何かおかしいと思う」
「ああ」
「だけど、だからといって斎さん責めるのも間違っていると思う。原因の一端は斎さんにあったとしても、全部あの人の責任じゃないし、どうにかしようとしてずっと頑張ってきた人なんだ」
エレベータのドアが開いて明弥達は一階のホールへ出る。
こんな場所に出入りするには若すぎる二人に一瞬好奇の目が注がれたが誰かが声をかけてくることは無かった。
二人は建物の外へと出る。
家まで送るという申し出を断ったのは明弥だった。少し頭を冷やしたかったのと、少しだけまだ家に帰りたくなかったのだ。
明弥は研究所というよりはどこかの大会社という風情の建物を見上げてふうと、息を吐いた。
生まれた環境も、能力も自分では決めることができない。小さい子供だって嫌だと意思表示をしてもどうしようもならないことだってある。でももう明弥は自分で決めることが出来る。
「明弥、お前まさか南条斎の研究に手を貸したいとか言い出すんじゃないだろうな」
低く尋ねる勇気に明弥は真っ直ぐ見返して言う。
「言い出すよ。決めたんだ。って言っても、父さん捜す方が先だけど」
「それがどういう事か分かっているのか? 前の母親はそうさせないためにお前達を連れて逃げたんだ。おそらくお前の父親だってそうだ」
「うん、分かってる。……あのね、勇気、僕は多分選択肢をもらったんだと思うんだ」
「……」
「まだ子供だけど、それでもあの頃より物事がわかるようになった。自分の力で誰かが救えるかもしれないんだ。だから今見て見ぬふりなんか出来ない。インパクトという能力誰かの為に役立てられるなら、役立てたいんだ」
この力のせいで誰かを苦しめてきたかもしれない。
太一も、井辻も明弥の力の干渉があって苦しんだ。安藤も馬場も間接的にではあっても被害者だった。
そのことで自分を責めるのは正しくないと勇気が教えてくれた。だから自分を責めて貶めたい訳じゃない。
ただ、目の前に救えるかもしれない人がいて自分が救える力を持っていたとして、見ないふりをしていることはできなかった。
「誰かを責めても自分を責めても何の解決にもならないって、そう言ったの勇気だよね。僕は斎さんを責めるより、理不尽を誰かのせいにするより、自分で出来ることをしたいんだ。僕は選択出来る状況を母さんからもらったんだと思う………呆れた?」
明弥は大きく息を吐く勇気の方を向いて問う。
彼は微かに笑って首を振った。
「いいや、そう言い出すと思っていた。半端な気持ちなら止めようと思っていたが、大丈夫そうだな。でも……」
「でも?」
「俺も立ち会うからな」
明弥は肩を竦める。
「……言うと思ったよ。勇気は斎さんのこと何も信用していないんだね」
「当たり前だ」
「そう……だよね」
あっさりと頷いた明弥に勇気は意外そうな視線を向ける。
「お前、気が付いていたのか?」
何を、と問う代わりに笑ってみせる。
あの時、多分斎は嘘を言わなかったのだと思う。話してくれた事は全て真実であったのだろう。
だからといって、いや、だからこそ信用出来ないと言っているのだ。
勇気の言いたいことが分かっただけに、明弥も勇気を責めることは出来なかった。
勇気が呆れた、と息を吐いた。
「つくづくお人好しの馬鹿だな」
「勇気がいてくれるから安心してお人好しが出来るのかも」
「お人好しは俺のせいか?」
「ええっと……」
「悩むなよ」
「ご、ごめん」
謝ったものの、勇気が本気で責める気が無いのが分かって口元が緩んだ。笑いをかみ殺すつもりが失敗して複雑に笑ってしまった。
軽く睨まれて明弥は肩を竦める。
不意に、おおい、と呼ぶ声と足音が聞こえた。
振り返った瞬間首元に大きな腕が巻き付いた。
「おい、ちょっと待てよ、俺を置いていくことないだろ?」
彼は人懐っこい笑みを浮かべて明弥の頭部を掴んで髪をかき混ぜた。
「太一? え、置いていくって……」
「ユーキのトコに俺のバイク置き去りにしてきただろ。あんな邪魔なモンそのへんに置いておくわけにいかねぇ」
「あ、そうか」
「つーわけで、俺も一緒に連れて行け。……というか、お前等、まだ暇あるか?」
勇気が腕組みをして答える。
「何か用あるのか?」
「何だ、その言い方、可愛くねぇなぁ」
明弥の首元に腕を巻き付けたまま太一が背筋を伸ばしたためにつり上げられる状態になった明弥は慌てて太一の腕を叩く。
「別に可愛いと思われたくない。……明弥を放してくれ、窒息する」
「あっ! 悪い、大丈夫か?」
太一の腕から解放されて明弥は呼吸を整える。
「う………なんとか。でも、暇って何かあるの?」
「ああ」
太一はにっ、と笑いを浮かべる。
「鈴華の見舞い。良かったら付き合ってくれねぇか?」