7 見つめる先に見えるもの
時計と日付を確認し有信は息を吐く。
結局あれからタケは戻らなかった。
水守祐里子という女の言葉、そして彼女の言う「占いの結果」を信じるならば彼女はタケの娘という可能性が高い。だがそれはあくまで彼女の言葉が真実ならばと言う話だ。真実なら自分自身に危険が迫っている可能性がある。
(……さて、どうしたものか)
有信は火傷の跡が残る右手を見つめた。
十年以上も前の古い傷だ。
見つめると嫌でも思い出す。
十四年前のあの日のこと。あの日、自分は初めてパイロキネシスの恐ろしさを目の当たりにした。彼女の遺体を消してしまうのはほんの一瞬だった。
一瞬で人の身体が灰となり、その灰すらも炎に飲まれて消失をした。
有信の力は他に類を見ないほど強かった。それまでは素養があること、ほんの僅か火を熾せることは知っていた。だが、まさか人の身体を消失させるほどの力を持っているとは思っていなかった。
あの日、初めて爆発的な力を使った日、その気になれば誰にも気付かれないように人を殺せることを知った。そして自分の力が恐ろしく安定を欠いてしまった事にも気が付いた。
日本から姿を消したのは力を学ぶためだった。
自分の、そして子供の。
「思っていたよりもずっと綺麗な顔しているわ」
祐里子は有信の顔を見つめながら言う。
マスクをしていない事に気が付いたが、今更だ。
有信は彼女に向き直り煙草を銜えた。
「化け物のような顔をしていると思ったか?」
「いいえ。ただ、もう少し狂気を秘めている気がしたの」
「狂気?」
「だってあなた、誰かを殺そうとしているように見えたから」
「……」
有信はライターで煙草に火を付けた。
随分と直接的に者を言う娘だ。
煙草の煙を吐き出して有信は笑いもせずに彼女に言う。
「俺の心でも占ってみたか?」
「いいえ」
「殺そうとしている、そう言ったら止めるか?」
「いいえ」
「父親でない男が犯罪者になろうと構わないということか」
「違うわ。あなたはとても冷静な人に見える」
ぴくり、と有信の眉が跳ね上がる。
「あなたは深く考えている人。それでもその誰かを殺さなければいけない理由があるとすればあなたにとって譲れないものの為なんでしょう? 止めて、と言うのは簡単だけれど、あなたが出した答えよりも良い答えを見つけなければどうしようもないもの」
脳裏に、ある女性の姿がよぎった。
彼女もかつて自分に同じようなことを言った。あなたの選択よりいい選択が見つからなければそうするしかない、と。
状況が違う。
祐里子は当事者ではない。
それなのに彼女と同じ事を言ったのだ。
もうこの世にはいない。有信と、二人の子供を残してこの世を去った明香と同じ事を言ったのだ。
容姿が随分と違う。性格も彼女はこんなにも積極的な性格ではなかった。それなのに、何故だか彼女と重なって見える。
有信は眩しいものを見るように目を細めた。
「随分と俺を高く評価する」
「あなたのこと、初めて出会った気がしないわ」
有信は小さく笑う。
「俺は君の父親ではない」
「それは多分、そうだと思うけれど……ああ、そうね、私高橋さんに似ている人を知っているんだわ。どこか重なって見えるの」
見上げるように祐里子が有信の目を見つめた。
奇妙な感じがした。お互いに見つめ合っているのに、お互いの中に違う人を見ている。祐里子はまだ有信の本名すら知らないのに、奇しくも有信の心情を言い当てた。
「ねぇ、高橋さん」
彼女が言いかけた時、有信は片手を上げて遮る。
遠くで何かの物音が聞こえた。いつもと少し違う、誰かの足音。タケのものではない。訓練された者の足音だ。
その足音はこちらに向かってきていた。その音は三つほど。足音から動きが読みとれた。自分もこの十年ほど日本ではないところでそう言った経験を積んできたから分かる。確実にこの建物にいる誰かを捕獲するために近付いている。
「上へ」
有信は殆ど声を出さずにそう伝える。
出入り口は一つ。
そこに人の気配があった。
自分一人なら逃げ切れる自信はある。だが、彼女を背に守りながら行くのは少し不利だった。
(守りながら……)
有信は苦笑する。
彼女に向かってお前の身を守る気はない、そう言ったのは自分だ。彼女を見捨てる選択もあるだろう。でも、それは出来なかった。やれば後悔するのを確信しているからだ。
出来るだけ物音を立てないように有信は階段を伝って上に上がっていく。
元々物置になっていたような場所だ。階段は急で上がった先も二階といえるような所ではない。隠れる為ではない。窓から逃げるためだ。
有信は窓からそっと外を確認する。
目視出来るところに人影はない。
普通の二階より高いが、一人なら飛び降りる事ができるだろう。だが、彼女を抱えて降りるのも、下で抱き留めるのも不可能だ。
ちらりと目線を走らせると祐里子は何があったのか問うこともなく悟りきった瞳で見つめていた。
「君のか?」
「ごめんなさい、分からないわ」
否定はしていない。状況もおそらく分かっている。
慣れているのか、それとも得意の占いとやらでこういう自体を予測していたのか。
有信は再び外に視線を向ける。
「大丈夫、出来るわ」
「何?」
「私を抱えて、飛び降りても怪我をしない。本当よ」
彼女と視線が交わる。
普通に考えれば一人だって飛び降りれる高さではない。下が土ならともかくアスファルトだ。
だが、出来る気がした。
有信は煙草を捨ててつま先でもみ消す。
抱えて飛び出すには小さな窓。でも通れないこともない。
有信は極力音を立てないように窓を開いた。
一瞬躊躇う。
かつん、と焦ったように‘彼ら’が立てた物音に後がないことを知った。
今、この時に、こんなところで問題を起こして身動きが取れなくなってはいけないのだ。
有信は彼女の身体を肩に担ぐように持ち上げる。
見た目から細い女だったが見た目以上に軽い体だった。
そのまま彼はその窓から身を乗り出すようにして飛び降りた。
落下速度が上がっていく途中、ふわり、と何かに持ち上げられたように身体が軽くなった。
無論有信が何かしたわけではない。彼女だ、と本能的に悟る。理性が彼女が超常能力を持っていると理解するのは後からだった。
見えない力に助けられ、一人で降りることを考えた時に想定した衝撃よりもずっと軽い感覚でアスファルトの上に降りた。
安堵も束の間、有信は少女を下ろそうとして彼女が意識なくぐったりとしている事に気が付く。
「君は……」
背後でどんと音がした。
躊躇う暇など無かった。
有信は祐里子の身体を抱えたまま走り出す。
日本語か、英語か、それともドイツ語だっただろうか。聞き覚えのある言語で誰かが叫んだのが聞こえた。
内容まで巧く聞き取ることは出来なかった。