6 錯綜する感情
自分を狙う存在がある。
信じられないと言うよりはあまりにも突飛すぎて実感が湧かないと言う方が正しい。しかし確かに狙われていると考える方がよほど自然に思えた。
「太一、お前それが誰なのか知っているのか?」
「……」
勇気が尋ねると太一は少し黙り込んだ。
喉を湿らせるようにコーヒーを口にする。
「……もしも、明弥がそんな性格じゃなかったら俺はこんなに迷わなかったよ」
ドキリとする。
それはかつて彼に言われたことがある。あの時は携帯をもらった驚きと動揺ですっかりと頭から抜けていたが、改めて聞くとそれが重要だった事を思い知った。
勇気が頷き躊躇うことなく言う。
「南条斎か」
「そうだ」
「え……斎さんが……僕を?」
明弥は瞬いた。
あの優しそうな人が人を殺そうとするだろうか。弟が大切なのだと言ったあの人が、自分の不利益に繋がるかも知れないのに明弥に協力をしてくれたあの人が、誰かを殺そうとする所など想像が付かなかった。
「確証はある訳じゃない。だから話すのも迷っていたし、何よりさっきも言ったが明弥でなければ俺は迷い無くイッキの味方をしていた。話は………話は、鈴華が産まれた時に間で遡る」
太一はまるで深呼吸でもするかのように深く息を吸った。
「鈴華が産まれたのは十二年前。俺はそれまで事情があって日本にいなかった。戻ってきた時イッキのすぐ近くに古武玲香という女がいた」
「コタケレイカ」
「その文書に名前でもあったか? ‘Ain’の研究を行っていた女だ。イッキは彼女と……それに明弥の父親と一緒にその研究をしていた。もっとも俺が戻った時には研究員の中に久住有信の姿はなかったけどな」
明弥は頷く。
十二年前というと有信が失踪した後の話だ。
「イッキは少なからず彼女に好意を持っているのが分かった。そして彼女の腹の中に子供がいることも分かった。だから俺は彼女の腹の中の子がイッキの子であると疑わなかった。でも違った……違ったんだ」
彼は頭を抱え込む。
辛い話なのだろう。
髪を掴むように握られた手に強く力が掛かっているのがわかった。
「父親は?」
「分からない。彼女の口から、聞くことは出来なかったし、イッキは知らないと言った。……俺にはあれ以上あんなイッキを問いただすこと何て出来なかったんだ」
「何があったんだ?」
「古武玲香が突然倒れたんだ。そのまま、呼吸が止まった」
息を飲む。
それはつまり死んだと言うことだ。
「腹の中にまだ子供がいた。だからイッキは……死んだ彼女の腹を……」
それ以上は聞けなかった。
太一もそれ以上続けられなかった。
斎は、古武玲香に好意を抱いていた。けれどその腹の中にいたのは別の誰かとの子供。その上、彼女が倒れ息を引き取った。その状況で斎が子供を助けるために彼女を切開した。
母親が死んでしまえばお腹の子供も助からない可能性が高い。だから彼は急いで、せめて子供だけでも助けるために好きな人の死体を切り開いたのだ。
「産まれた子供にあいつは鈴華と名付けた。正直狂ったと思ったよ。文字こそ違うけれど、寄りにもよって死んだ母親と同じ名前をつけたんだ。自分を見失っている、そう思った。でも、あんな顔をしているイッキを見たことは無かった。俺には、止めることも、諫めることも出来なかった」
鈴華は古武玲香の子供として戸籍を得なかった。どうやったのかは太一にも分からないと言うが、父親の妾腹として彼女は南条の家の子供となった。
そのため鈴華は自分が斎とは腹違いの兄妹だと思いこんでいるという。
「南条斎は彼女を古武玲香の身代わりにするつもりだったのか?」
「いや、それは違うんだ。あいつは自分を諫めるためにレイカという名前を付けたんだ。後で分かったよ。あいつは同一視をしてしまわないために、別の人生を歩ませるために同じ音を持つ名前を付けたんだ。だから、身代わりにする為じゃないんだと思っている」
ペットを飼っていた人がペットが亡くなった後、同じ種類のよく似たペットを飼い同じ名前を付ける事は良くある話だ。それは亡くなった事に絶えきれず代わりにするために付けるのだろう。
明弥なら同じ名前を付けることは出来ないが、そうしたくなる気持ちも少し分かる。
けれどそんな理由で同じ名前を付けるのは分からなかった。斎は、鈴華の名前を呼ぶ時にどんな気持ちで呼んでいたのだろう。
「あいつは本当に大切に鈴華を育てていた。もうその頃は親父もあまり動ける状態じゃなかったから、あいつが父親みたいなものだった。そのうち鈴華に病気があることが分かった」
「そう言えば鈴華ちゃんは身体が弱くて入退院繰り返しているって言ってたよね」
「ああ。鈴華は遺伝子に問題があるんだ。鈴華は……その‘Ain’で産まれた子供だ。原因はおそらくそれにある」
太一はテーブルの上の文書を指差す。
人為的に超常能力者を生み出す。その計画で産まれたのが鈴華。だとするなら、鈴華は産まれる前に遺伝子をいじられていたことにならないだろうか。そんな勝手な事をされたせいで、彼女は病気で苦しんでいる。遺伝の問題は今の医学でも難しい問題だろう。おそらく、彼女の身体が悪い原因も分からない医者だって多い。
急に怒りが湧いた。
本人が望んだ訳でもないのに勝手にいじられて、産まれて、そのせいで今苦しむのは鈴華本人。そんな理不尽な事があっていいのだろうか。
「俺にはよく分からない事だが、イッキはその狂った遺伝子を元に戻すためにはインパクトの能力というのが有効だと考えていた」
「ショック療法みたいなものなのか? それとも、誰かの超常能力をたたき起こして治癒させるためか?」
「イッキが何をしようとしていたのか俺には分からない。でも、手伝える事はあった。俺はインパクトを持っている可能性がある連中を片っ端から見て回った。意図的に力が使える位に安定した人間がいれば鈴華が救えるかもしれない。中でも一番の可能性を持っていたのが明弥だった」
太一はじっと明弥の瞳を見て逸らさなかった。
明弥もそれを見返す。
目線を逸らしてはいけない気がした。
「お前が暴走しないように、というのもあった。だが実際の所俺はお前の能力が目覚めてくれる事を祈っていた。多分イッキも同じだろう。そしてイッキは知っていたはずなんだ。能力者と言う者は極限の状態で目覚めやすいと言うことを」
「死に直面した時、か。それでお前はこいつの周りの不審な出来事を南条斎と繋げて考えた。本気で殺すつもりでないにしても、危険な目に遭わせることで目覚める可能性を考えて明弥を襲わせた、と」
「そう、だから明弥のインパクトの兆候が見え始めた時から、明弥の周りの事件がより危険なものになっていった。極めつけは俺だ」
彼はそう言い自分を指差す。
「イッキはあの時、俺が暴走する可能性を知りながらここを離れた。重要な仕事だと言っていたが、普段のあいつの慎重さを考えればとても考えられない事だ。だからお前を狙ったの、全てじゃなくてもあいつなんだって思う」
目の奥が痛い。
哀しかった。
必ずしもそうではないと分かっていても、そんな可能性を知ってしまったら嫌でも斎を疑ってしまう。いや、太一がこれだけ言うのだから、おそらく本当にそうなのだろう。少なくとも他に手出ししていなかったにしても、太一の暴走を考慮しながらも敢えて離れたのは斎の意思だ。
(でも)
責められない。
斎の優しそうな顔を知っている。誰かを想って哀しそうな顔をする彼を知っている。だから、多分明弥を危険にするという選択をした時だって酷く悩んだはずだ。
そう信じたい。
「太一」
責めるのも、悩むのも後でいい。
「斎さんに、会えるかな。会って直接聞きたいことがあるんだ」