4 ようやく気が付いた
「俺の……せい?」
ぽつりと政志は呟く。
何故一緒に来たのか尋ねると、太一は「拾った」と答えた。
勇気の家の一室を借りて弟と向き合っていると、彼は泣きそうな顔でこちらを見つめた。それほど広くないために台所のテーブルに着いている勇気と太一からこちらの様子が見える形になっていた。
内緒にする話はない。明弥は政志に向かって首を振った。
「そうじゃないよ」
「でも、俺……兄ちゃんに帰って……来るなって……だから……」
声が消え入りそうなほどに小さかった。
確かに明弥は刺される前に政志とケンカをしている。だからといってその言葉を真に受けるほど明弥は幼くない。
「……昨日、兄ちゃん……結局帰らなかった。トモ姉に聞いたら……お父さん、捜しているって……」
「そんなことまで聞いたんだ」
明弥は苦く笑う。
「確かにお父さんの事を捜しているけど、マサのせいじゃないんだよ」
「……兄ちゃん、家、出るんだろう?」
「うん。でもそれは今すぐのことじゃない。高校卒業してからの話だよ」
「……の?」
「うん?」
「本当のお父さんと、トモ姉と暮らすの?」
そこが、引っかかっているのか、と明弥は微笑む。
「僕は別に父さんと暮らしたい訳じゃないよ。ただ、本当の事を知りたいだけ」
会って話がしたい。
どうしてどこかに行ってしまったのか、母親のこと、あの火事の日に何があったのか、自分たちのことをどう思っているのか、どうして今頃になって戻ってきたのか。山ほど聞きたいことがある。
それに、今悪いことをしようとしているなら、それを止めたいという思いもある。
だけど、本当の家族に戻って一緒に暮らしたいかと問われれば言葉に詰まる思いがある。
今、明弥は久住政信の長男として生活している。トモミは信子叔母のところで一人娘として生活をしている。昔は確かにトモミと暮らせれば、そう思ったこともあるけれど、今は不思議とそう思わない。
理想的だと思う。トモミと明弥と有信の三人で暮らせるのは夢のようだと思う。
でも、それが最善かと言えばそうじゃないとも思っている。
だって、
「僕は、父さんも母さんもマサも奈津姉も好きだよ。だから変わりたい訳じゃない」
口にして初めて気が付いた。
うまくいかないところあっても、よそよそしい会話しか出来なくても、十年以上一緒に過ごしてきた家族のことが好きだ。
露骨に何か言われる訳じゃない。童話にある女の子のように酷くいじめられる訳でもない。政志だけが普通に接してくれると思っていたけど、そうじゃない。多分本当の親子、姉弟でないと知って明弥が戸惑ったように母親も姉も戸惑っているだけなんだ。その戸惑いが無くなる前に明弥の方から割り切ってしまった。だから未だにその緊張に似た戸惑いが続いている。
(何だ、よそよそしいの、僕の方じゃないか)
本当の家族じゃないから、せめて迷惑にならないようにとわがままを言わずに良い子でいようとしたのは自分の方だ。
自分から家族と距離を置いていた。
そんな単純なことに気が付かなかった。
「マサは、僕が離れて暮らすようになったらもう家族じゃないって思う?」
政志は酷く驚いた様子で顔を上げた。
「そんなこと、思うわけ無いじゃないか!」
「うん、僕もそんな風に思うわけ無い。マサも僕も結婚して家族を持てばやっぱり一緒に暮らすのは難しくなると思う。それでも、政志は僕の弟だよ」
嘘じゃない。
無理もしていない、気も使っていない。
政志は自分の大切な弟。
「だからね、マサ。ケンカして叫んだっていいんだよ。家族だから言い合える事だってあるんだ」
「でも……俺、酷いこと言って、傷つけた」
「後悔しているんだろう? それに本心でもない」
「……うん」
「だったら、僕から言う事なんて何もないよ。それに、マサだって僕の行動で傷付いて悩んだんだ。だったらおあいこ、それでいいんじゃないかな」
「でも……」
「マサは僕と仲直りしたくないの?」
彼は頭を振る。
「じゃ、仲直りしようよ。喧嘩したまんまより、ずっとその方がいい」
明弥はそっと政志の頭を撫でる。
突然堰を切ったように彼の目から涙がこぼれだした。
弟を抱きしめ、宥めるように撫でる。
ただその涙が止まるまで明弥はずっと弟の頭を撫で続けた。
「俺、行くね」
泣きはらした目、それでもすっきりした顔で政志は言った。
「帰るの?」
「ううん、南条のお見舞い」
「……鈴華ちゃんに何かあったの?」
太一を見上げると太一は複雑そうな表情を浮かべて頷いた。
「昨夜、倒れて入院したんだ。あいつ、弱いから」
彼女が入退院を繰り返している事は知っている。
倒れたと言うことはまた体調が悪化したのだ。
近いうちに自分も見舞いに行こうと思う。
「ねぇ、南条の兄ちゃん」
「うん?」
玄関でつま先を鳴らしながら政志が太一の方を見る。
「あいつ、家で何かあった?」
「何か?」
「最近、何かちょっと雰囲気が変わった気がして……時々別人みたいに見えるんだ」
別人と言われてぎくりとする。
何故そんな風に思ったのか明弥にはよく分からなかった。
ただ嫌な感じがした。
「ああ……上の兄貴と少し揉めたんだよ。そのせいじゃないか?」
「ふぅん、だったら良いんだけど……」
歯切れの悪い風の政志に、太一が逆に問う。
「学校で何かあったのか?」
「うん……クラスの女子と珍しくケンカしてたんだ。何か一方的に南条のこと怒ってたみたいだけど、話聞いたら南条が傷つけるようなこと言ったらしくて、それなのにあいつ、どこが悪かったのか分からないってような顔しててさ、何か南条らしくないなって思って」
その前からも時々彼女らしくない表情を浮かべることもあったそうだ。
今までが今までだっただけに周りも戸惑っているのだと政志は話す。
学校で特別何かあった訳ではないから、あったとしたら家の方なのだろうと考えたらしい。
太一は少し難しそうな顔をして言う。
「薬の影響かもな。飲んでいるの、強い薬だから副作用で情緒不安定になったりするらしいから」
「そうなんだ。じゃあ、薬変えたら大丈夫?」
「まぁ、保障はできねぇが、医者とは相談してみるよ」
太一が言うと政志はホッとしたように頷く。
だが、明弥は何か納得出来ないものがあった。
何かが引っかかる。
それが嫌な予感であることを、明弥はまだ気が付いていなかった。