13 地に落ちるまで
測定器から自宅のパソコン上に転送されてきたデーターを見て斎は愕然とした。
一日前のデーターに比べ、それは確実に頻度が増え基本となる数値を表すラインに限りなく近付いてきているのが目に見えて分かった。
元々二つの情報は近かったのだ。
遺伝学の観点でも、更に言えば生命活動における呼吸・心拍数そう言ったものまで非常に似ていたのだ。
それがここ数日の間にまるで同じ人物のデーターを見ているかのように近付いている。それは昼間よりも夜の方が似てくる。つまり、眠っている時のデーターの方が酷似しているのだ。
基本となる最初のデーターには「RK」新しいデーターには「RN」の文字が記されていた。
「……」
斎は眼鏡を外し手で目元を覆った。
目元が熱いのは目を酷使する作業を続けていたからだろう。
そう言い聞かせて斎は奥の歯を噛みしめる。
分かっていたことだ。その覚悟もしてきたはずだ。
しかしそれに実際に直面すると、覚悟をしていたのではなくしたふりをして何も見ずにいたことが分かる。
恐ろしいことから、おぞましいことから視線を逸らすように。
「お疲れのようですね」
デスクの上にコーヒーカップを置きながら坂上は心配そうに斎を見た。
「差し出がましいようですが、少しお休みになったらいかがですか? あまり根を詰められますと見えるものも見えなくなってしまいますよ」
「……そうですね。けれど、これはあまりにも」
言って彼は言葉を切る。
ドアの向こうに人の気配を感じたのだ。
斎は息を吸ってゆっくり吐き出す。
「どうぞ、入って良いですよ」
呼びかけるとドアが開く。
鈴華が少し驚いたように目を瞬かせていた。ノックする前に声をかけられたことに驚いたようだ。
斎は微笑んで問いかける。
「どうかしたんですか?」
「あ……ううん、あの、斎兄さん久しぶりに早かったから……その」
「そうですか。なら少しお話をしましょうか」
笑って斎はソファを示す。
くすり、と鈴華が笑った。
「そういう顔、久しぶりに見たわ。誤魔化そうとして失敗した感じ」
「……!」
斎は鈴華を見る。
涼やかな微笑みを浮かべ彼女はソファに腰を下ろした。
指先が震える。
コーヒーカップが掴めず、触れると中のコーヒーが波紋を描いた。
彼の異変に気が付いた坂上が少し慌てたように声をかける。
「斎さ……」
「すみませんが少し外してもらえますか?」
「ですが」
「大丈夫です。私は、大丈夫ですから」
少し、坂上は窺うように斎を見ていた。
何かを窺い見るようにしていたがやがて表情を引き締めたまま彼は一礼をして部屋を出て行った。
斎は熱いコーヒーを一気に飲み干す。
喉元が熱を帯びた。
「あなたは……レイカさんですね?」
彼女はちらりと笑う。
「私は、初めからレイカよ」
「妹では無いんですね、と聞いているんです!」
珍しく声を荒げる斎に対し、彼女の方は涼しい顔をしていた。小学生の女の子がするとは思えない顔だ。表面だけ笑い、中はちっとも笑っていない。
「そんなことを言って良いの? 私に言うと言うことは彼女に言っているのと同異議よ」
「どういう意味ですか?」
「私はレイカであり、鈴華でもあると言うこと。ただ、私が忘れていたことを思いだし始めただけのこと。二重人格とも、憑依とも違うわ。私は初めからどちらでもあるのよ」
「鈴華は、あなたとは違います!」
叩き付けるように叫ぶ。
蓄積してきたものが一気に吹き出すような激しい怒りを覚えた。それが誰に対して向けられるべきか自分にもよく分かっている。
けれど斎はそれから逃げるように彼女にぶつけた。
そうしなければ心が折れてしまいそうだった。
「あの子は優しい子です。あなたのように非情な人間ではありません」
「非情? あなたの定義ならあなたも同じね」
「言われなくても分かっています。でも、鈴華は違うんです。あなたとも私とも」
彼女は表情を消す。
怒ったわけではない。
これが彼女の「普通」なのだ。
「人の感情なんて、本人にしか分からないことだわ。理解することは出来ても分かることは出来ない。あなたに彼女の何が分かるというの」
それは一種拒絶とも取れるような言葉だったが、彼女自身はただ事実を述べただけだった。
こういう人なのだ。
出会った時から何も変わらない。
こちらがいくら怒っても、何に対して怒っているのかが理解出来ない。頭が悪いのではない。良すぎて、感情が追いついていないのだ。人が何で傷つくのか分からない。だから冷たい言葉でも平気で言える。
鈴華とは違う。
「あの子は私の妹です。家族として一緒に暮らしてきました。あなたよりよほど理解出来るはずです」
「随分と大切にしているのね」
「私は彼女の為ならば何でも出来ます。何を犠牲にしても、誰に………悪魔と罵られようともです」
「‘Ain’を否定したあなたが‘Ain’で産まれた子供を護ろうとするのね」
「そうです。それも‘Ain’を使って」
斎はきっぱりと言い放つ。
「皮肉にも止めるにはそれしか方法がないんです。禁忌に触れた私はいずれ地獄に堕ちるでしょう。私にはその覚悟が出来ています。ですが、まだその時ではありません」
斎は彼女を睨み付ける。
強い光を浴びれば金にも見えるほどの色素の薄い瞳が激情を孕む。
「あなたに鈴華は渡しません。絶対に」
それだけを言い放ち斎は部屋を出る。
それ以上あの部屋にいれば自分でも何をするか分からなかった。
怒りが収まらず吐き気がした。
口元を押さえるとそっとハンカチが差し出された。
見ずとも坂上であることがわかる。
斎はハンカチを受け取った。
「……どんなことがあってもお供します、斎様」
囁かれるように言われた言葉に、斎は言葉を返すことはできなかった。
ただ緩んだ涙腺から零れる涙を止めることに必死だった。