12 禍の根には
「ホント、心臓止まるかと思いましたよ」
植松は車のエンジンをかけながら言う。
伊東は包帯でぐるぐる巻きにされている左腕を少し挙げて答えた。
「割と軽くて助かったな」
蔵から焼けた木材が落ちてきた。
それを受ける形になった伊東だったが、幸いにも左腕以外に怪我はなかった。その左腕骨には異常がなく、軽い打撲と、もう少し酷ければ皮膚移植が必要になったかもしれない程度の火傷だった。あの木材の大きさを考えれば命を落とした可能性もある。そう考えるとこの程度で済んだのは幸いだっただろう。
愛に気を付けるように言われていなければ多分危なかっただろう。
彼女に言われていたから、あの時少し冷静に移動が出来たのだ。
「それもあるんですけど、あの岩崎警部が泣いたのにも心臓止まるかと思いましたよ……」
駐車場を出て、植松は道路を走らせ始める。
伊東は苦笑いを浮かべて答えた。
「俺は心臓が口から出るかと思ったよ」
勤務中の怪我は上司に報告する必要がある。
電話で報告をすると怒鳴り怒られ、そして泣かれた。
無事で良かったと。
側で電話の内容を聞いていた植松は「岩崎警部」が泣くとは思ってもいなかったらしくビックリしたようだった。
伊東も驚いた。
人前で泣くことを知らない人だ。その人が取り乱してしかも自分の無事を喜んで泣くなど考えてもみなかった。
少し、悪いことをしてしまったと思う。
正直負った怪我よりも泣かしてしまったことの方がこたえた。
長野から戻ったら愛よりも周囲に散々に言われることだろう。
「なんかいいっすねぇ」
「俺は気が重いな」
「あはは、贅沢な悩みじゃないですか。……それにしても、あの庭師、ふざけた事を言いますよね、何も覚えていないなんて」
灯油の入ったポリタンクは古武の家で使われていたものだ。古武家で使われている風呂は灯油で沸かすタイプのもののため、夏でも灯油が使われる。ポリタンクは給油の時に使われるものだった。そのタンクからは普段それを管理するものの指紋と、触れる機会が亡かったはずの庭師の指紋があった。
状況を考えて、あの庭師が倉に火を付けたのは明らかだ。
しかし彼はまるで覚えていなかった。
酷く混乱をしているために取り調べにはもう暫く様子を見る必要がありそうだったが、庭師は自分のしたことも口走った事も忘れていた。それどころか伊東達が訪れた事自体を覚えていないと言う。
こういうケースは初めてではない。
ゼロ班にいなければ単に白を切っていると思っただろうが、おそらく何か暗示のようなものにかけられていたのだろう。条件付きで効果が現れ、暗示にかけられた通りに行動し、そして最終的に自分のしたことを忘れる。そういうものだろう。
「暗示ですか?」
「前に催眠術をかけられ殺人を犯しそうになったというケースがあったんだ」
では誰がそんな暗示をかけ、条件は何だったのか。
考えると伊東の脳裏には嫌な可能性が渦を巻く。
「林明香という人物がおそらく久住明弥、川上ともみの母親だ」
「父親は久住有信ですね」
伊東は頷く。
「愛さんの情報によると、その久住有信はパイロキネシスと推測出来る」
「パイロ……炎を操る特殊能力者っすよね。はぁ、この数日で随分詳しくなっちゃいましたよ」
「信じられないか?」
彼は苦笑して答える。
「正直言うと」
「俺もだ」
ゼロ班にいなければ、ゼロ班でそうとしか説明の付かない者に出会うまでは絶対に信じなかったことだ。今だって本物か否か半信半疑でかかっている。ゼロ班が関わってきた者たちでさえ半数以上が偽物だった。
「もしも、暗示の発動条件が林明香に関する事だとしたら、一番怪しいのは久住有信だ」
火事と言って真っ先に連想するのもパイロキネシスを持った彼だろう。
だが、
「おかしいですよ。あの燃え方なら俺たちが林明香の情報を聞く前に火の手が上がったはずです。灯油のせいだとしても灯油をまくまでに時間が掛かりすぎる」
「そうだ。それに庭師が‘悪魔が蘇る’と言っている。俺たちが今まで聞いた‘悪魔’は林明香ではなく古武玲香の方だ。話を聞く分にも林明香がそう呼ばれるとは考えにくい」
つまり「林明香」が条件ではないのだ。
そもそも林明香の残した手紙を処分するつもりならば、家に入り込んで処分する方が早い。むしろこれは警告に近いのではないだろうか。
立ち入るな、と。
そしておそらくそれの根底にあるのは古武玲香。
暗示の発動条件がその名前と言うことも考えられる。
「古武宣の話によると、あの庭師は古武玲香のいた時からの使用人。だが、古武玲香の事を話しても覚えていないと言った」
「忘れる、という暗示ですか? そんなこと簡単に出来るものですか?」
「簡単には出来ない。ただ、訓練した催眠師が暗示に掛かりやすい人間にかけたとしたらそう言ったことも十分考えられる」
犯人の可能性として最も濃厚なのは古武玲香本人だ。
本人が生前に暗示をかけ、自分を追わないように警告している。水守小夜子の言うように他に実験で作られた子供がいるとしたら、それが安全に成長を遂げるまでの時間稼ぎにもなるのだろう。
少ない話で出てきた彼女の像はそう言うことを平気でしそうな人物だった。
「あーっと、先輩いいですか?」
「何だ?」
「このところそう言った事件が増えましたよね。その、超能力の類の」
「ああ。ゼロ班でも本物に遭遇する確立が高くなっている」
「それって、何だかまだ古武玲香が生きているか、その意思を継いでいる人物がありそうな気がしません?」
伊東は頷く。
「気がするな」
「先輩、俺すっごく嫌な可能性を思い付いてしまったんですけど……」
「多分、同じ事を考えているな」
伊東は額を抑える。
「結論を出すのはもう少し後にしよう」
それ以上口にしてしまえば現実になる気がしたのだ。
植松も頷いて言葉を飲み込む。
今得ている情報を詰めて考えていくと一つの可能性に行き着く。
それは彼が、高校生という年齢の彼が知るには少し残酷な現実だろう。
まだ可能性。
だが、それは確実に真実に近い所にあることを伊東は確信していた。
(……くそ)
心の中で小さく毒づいてみたが、気分が晴れることはなかった。