11 愛していると言うこと
バイトを終え、その足でトモミの元へ向かった。
川上の叔母の家は居心地の良い場所だ。
叔父も叔母も気のいい人で、トモミもいる。だからこの家にいると時々自分が「久住」であることを忘れそうになる。子供の頃ほど頻繁に訪れなくなったのもそのせいだ。
叔母が留守の為に勝手に二階に上がり、トモミの部屋のドアをノックする。
「入るよ、トモちゃん」
部屋から返事はない。
入ってもいいか、部屋にいないかのどちらかだ。ドアノブを回すと鍵は掛かっていなかった。
ゆっくりと明弥は扉を開く。
薄暗い部屋の中で毛布をかぶってトモミが固まっていた。
青白い顔でこちらを見上げる。
「……あーちゃん」
明弥はくすりと笑う。
「だいじょうぶ、なの?」
「何て顔してるの、トモちゃん」
彼女はのろのろと明弥に近付き、心配そうに声を掛ける。
まるで死んだ人を見たような表情を浮かべている。
明弥よりも彼女の方がよっぽど病人のようだ。
「僕は大丈夫だよ。怪我もしてない」
「でも、刺されたのに」
「見る? ほら、傷なんてどこにもないよ」
明弥は自分のシャツをまくって腹部を見せる。
そこには傷どころか跡すらもない。
自分でも奇妙だと思う。激しい痛みも大量の出血もあったのに傷が無かったのだ。念のために検査もしたが貧血の症状があるだけで何もなかった。
勇気の能力のことを知らなければ夢でも見たのだろうと思ったかもしれない。
トモミはゆっくりと明弥の腹部に触れる。
「……」
「え? 何?」
「……私のせいだね」
明弥は目を丸くした。
「何が?」
「アキちゃんが不幸なの、私のせいなんだよ」
「違うよ、どうしてそんな風になるの?」
「だって! 同じ双子なのに、いつも怪我したり、何かに巻き込まれるの、アキちゃんのほうだし! 私ばっかりいつもいい思いしてるっ! 私が……私がアキちゃんの幸せ吸い取っちゃってるんだよっ!」
ボロボロと彼女は涙をこぼす。
明弥は一度目を閉じ深呼吸をした。
彼女が悪い訳じゃない。泣かせてしまう自分に腹を立てるのも多分間違っている。
だから、せめて気持ちだけでも伝えたい。
「ねぇ、幸せ吸い取っているなら、何で今トモちゃん泣いているの?」
「……え」
「幸せなはずなのに、どうして辛そうなの?」
「だって……だってアキちゃん」
「僕は幸せだよ」
明弥は彼女の頬を伝う涙を指先で拭う。
「僕の為に泣いてくれる人いるんだもん。幸せだよ。トモちゃんが不幸なら、逆だよ。僕がトモちゃんの幸せ吸い取っちゃった」
確かに、事件に巻き込まれたり、母親の名前すら知らなかったりと、他から見れば不幸な事かも知れないけど、それでも自分の為に泣いてくれる彼女がいる。甘えてくる弟もいる。怒ってくれる親友もいる。
それのどこが不幸だというのだろうか。
それよりもトモミが自分を責めて追いつめてしまうのが嫌だった。
「人にはね、誰かを不幸にする力なんてないんだって。誰かが不幸になるのは誰かが行動した結果に起こることだって……ねぇ、トモちゃん、一度でも僕が不幸になればいいと思って行動したことある?」
「無いよ! あるわけないよ! だって、アキちゃんは私の……」
明弥はトモミを抱きしめる。
大切な人が幸せになって欲しいと思うのは当たり前の事だ。不幸になれなんて願う人がいるとしたら、どこか壊れている人だろう。
笑っていると嬉しい。
幸せでいてくれると嬉しい。
それは言葉じゃ表しきれないほど暖かい感情。
「大好きだよ。トモミが幸せなら僕も嬉しい。トモちゃんは違う?」
「違わない! でも……」
「こう考えられない? 僕が今まで色んな事件に巻き込まれても結局無事だったのって、トモちゃんが護ってくれていたからって」
トモミが面を喰らったようにこっちを見つめる。
そして、ようやく笑った。
困ったような、呆れたような笑いでもそれがやっぱりトモミの笑顔だ。
「……何か凄いこじつけ」
「駄目?」
「駄目じゃない。……そう思って良いのかな」
「いいよ。他の誰が否定しても僕だけは一生肯定し続けるから」
「……うん。ありがとう」
今度は逆に彼女が抱きついてきた。
まだ彼女は泣いている。でも、その涙は暖かい涙だった。
それが嬉しくて明弥はぎゅっと彼女を抱きしめた。
小さい頃は良くこうしていたことも会ったけど、大きくなってからは距離を置いていた。だから少し照れくさかった。
赤面しそうになって、明弥は話題を変えた。
「あ、そうだ」
「うん?」
「今日ね、バイト先にタケおじさんが来たんだ」
「え? 本当?」
彼女の顔色が少し良くなる。
トモミも古武のおじさんのことが好きなのだ。
明弥は預かったコインロッカーの鍵を出す。
「入学祝いだって。一緒に行こう?」
「うん、行く! すぐ行こう!」
彼女は身を乗り出して言った。
明弥は微笑んだ。
「良かった。……実はこの後勇気と約束あるんだけど、トモちゃんどうする?」
「え? これから? 何で?」
「お父さんのこと本気で捜そうと思うんだ」
「……私も行って良いの?」
「実はね、もう一緒に行くって言っちゃったんだ」
トモミなら一緒に行ってくれるだろうと思ってもう、約束をしてしまってある。
そう言うと彼女の顔が赤くなった。
「す、すぐに準備するから、待ってて。顔洗ってくる」
「あんまり急がなくても大丈夫だよ」
「うん、すぐだから!」
彼女は言って洗面所まで降りていく。
ようやくいつもの彼女らしい姿になった。明るい笑顔と明るい声。彼女がそうして笑っているから、自分も辛いと思った時頑張れる。
明弥はぴしゃりと自分の頬を叩いた。
「……僕も、頑張らないと」