8 手紙
「警察の方ですね。お待ちしておりました」
古武玲香、宗の家を訪ねると一度目はすぐに帰れと門前払いをくらった。それでもねじ込むように連絡先を渡すと、その日の夜になって電話が入り日を改めて来て欲しいと言われた。
指定された訪ねると最初に対応してきた人物とは別の男が門前で待っていた。
庭師のような服装をした老人は慇懃に頭を垂れると伊東と植松を家の中に招き入れた。
古い邸宅だった。
この辺りには古く大きい民家は多かったが、古武の家は目だって大きい。調べた所によるとかつてはこの辺り一帯を仕切っていたのが古武の家らしい。昭和平成と年代を重ね、今はそれほど影響力を無くしたものの、未だに年寄りは何かあると古武に伺いを立てるそうだ。
それほどの家にもかかわらず人影が無かった。
庭や家は綺麗に手入れされているというのに、出迎えた男以外に姿を見なかった。家政婦がいてもおかしく無さそうなのに、奇妙な感じがした。
案内された先は本邸ではなく離れの方だった。
近付くと縁側に腰を下ろした和装の男がゆっくりと立ち上がり軽く頭を下げた。
伊東は警察手帳を見せながら男を観察した。
「刑事部の伊東と言います」
「あ、植松です」
はっとしたように植松も伊東に倣い警察手帳を取り出した。
「古武セン」と彼は名乗った。宣と書いてそのままセンと読むらしい。宗の弟に当たるらしいが同様に珍しい名前だ。
古武宣は小柄であったがひかがみの伸びた立派な人物だった。
四十代半ばという話だったが、世捨て人のような風情からもう少し上のようにも見えた。
彼は案内した老人にもういいと伝えると二人を離れの中に招き、不慣れな手つきで手ずから茶を淹れて出した。
「あまり美味しくないでしょうが、よろしければどうぞ。あの庭師以外には暇を取らせたので何のおかまいも出来ずに申し訳ない」
「いえ、お構いなく」
言いながらも伊東は視線を鋭くさせた。
「わざわざ日を改めてまで人払いをなさったのですか?」
「あなた方は玲香を調べに来たのでしょう」
「我々は別件の捜査線上に玲香さんの名を聞きまして、何かあればと訪ねて来ただけです」
宣は声を立てて笑った。
「同じ事でしょう。今うちにいる者はあの子の事を知らぬ者が多い。知れば何か巻き込まれるかも知れない」
「巻き込まれる?」
「あの子は悪魔ですよ。関わった多くの人間が命を落としている」
言い切って突然咳き込んだ。
肺を悪くしているような咳き込み方だった。
「大丈夫ですか」
「……失礼しました。いつもの事ですのでお気になさらず」
「古武さん、どこかお体が?」
「ええ……兄と同じ病です」
「兄?」
「長兄です。とうの昔に他界していますが」
宣は気にする様子もなく答えた。
伊東は頭の中で兄弟関係をもう一度整えた。
古武の兄弟は男ばかりで三人。長男はジツ、実と書いてそう読む。亡くなって久しく、聞き込みをしたところ、若い人達からはよく知らないと言う答えが返ってきた。次男は宗、服役経験があり、水守小夜子から聞いた名前がそれだ。三男が宣、今目の前にいる人物。彼が現在の古武の当主である。レイカの名前は戸籍には存在しなかった。
「うちの家系にはよくあるのですよ、私が病気を自覚したのは数年前の事ですが」
「ええっと、じゃあ宗さんも病気を?」
植松が聞くと、宣は静かに首を振る。
「ないと思います。……いいえ、知らないと言う方が正しいですね。兄が玲香と明香と一緒に家を出てから殆ど顔を見ませんでしたから」
「アスカ……さん?」
聞き覚えのない名前に伊東は瞬く。
ああ、と宣が頷いた。
「一時期うちで預かっていた子ですよ。林明香、私とは何の繋がりもありませんが、玲香にとっては父親の違う妹です」
「ではレイカさんは」
「ええ、恥ずかしながら父の妾腹の子です」
宣の話によると、父親は三兄弟を産んだ母親の他に妾があり、その間にレイカが産まれ、数年揉めた後、レイカは古武に引き取られる形になった。そして子供を奪い取られた母親はいくらか金を握らされて屋敷を出る。その数年後出会った男との間に明香が産まれた。
それで万事収まるはずが、明香の父母が事故で亡くなり「姉」という縁を頼って古武の家に来たそうだ。血の繋がらない妹を預かったのは当時当主だった実。
明香はレイカによく懐き、レイカも異常な程に可愛がっていたそうだ。
大学に行くというレイカに付いて付属の中学高校に通うために明香も家を出た。宗やレイカと違い真面目で忠実な性格だった明香は度々手紙を出していたが、それがある時を境にぷっつりと途絶えた。連絡も付かなくなった。
レイカや宗に訪ねると、行方不明になったという言葉が返ってきたという。
一瞬はっとして伊東はプリントアウトした件の写真を机の上に出した。
「ひょっとして、明香さんとは、この方ですか?」
伊東は久住有信と供に映った女性を示す。
「……ああ、そうです。玲香まで映っていると言うことは、この写真は宗兄が撮ったようですね。あの子は写真に撮られるのを嫌っていましたから。兄に撮られる時だけはしぶしぶ了承していました」
伊東は若い南条斎を示す。
「こちらの人物に覚えはありませんか?」
「いえ」
「では南条斎という名に覚えはありませんか?」
「南条? ああ……覚えています。明香が手紙に書いてきたことがありましたから。珍しく玲香が興味を持った人物だと」
「興味?」
「詳しいことは忘れてしまいましたね。……捨てていませんから、蔵の方に行けば手紙が残っていると思います」
「見せて頂けないでしょうか」
「……」
彼は一瞬怪訝そうにしたが、やがて納得したように頷いて見せた。
「そうですね、必要ならばお見せしましょう」
「お願いします」
「では蔵の鍵をもちましょう」
宣が立ち上がり部屋を後にしようとした時だった。
植松が眉根を寄せて外を見る。
「……何か、焦げ臭くないですか?」
「!」
言われて伊東は表を見る。
最近幾度となく嗅いだ経験のある匂いがした。何かが燃え焼け焦げる匂い。
どこから、と探して伊東の目に飛び込んできたのは煙を上げる一つの蔵。
反射的に飛び出した。
「119番!」
「は、はいっ」
植松に向かって叫び、伊東は火の手が上がった蔵の方へと向かった。嫌な予感がする。蔵に残る手紙の話をしていた矢先、蔵に火の手があがった。
まるで、何かに阻まれたかのように。
入り組んだ植え込みを抜け、蔵の方にまで辿り着く。
燃えさかる蔵の前に先刻伊東たちを案内した老人がへたり込んでいた。
「大丈夫ですか!」
「……が……」
老人は焦点の定まらない視線でぶつぶつと何かを呟いている。その脇にはポリタンクが転がっている。
灯油のような匂いがした。
「悪魔が……悪魔が蘇る……」
「………蘇る……?」
ばたばたと慌てたような足音が響く。
「上!」
叫び声を聞いてはっと上をみあげた。
軋むような音を立てて蔵の屋根を支える柱がこちらへと倒れてきそうなのが見えた。一人ならばあるいは逃げられたかもしれない。
だが、伊東のすぐ隣には、動くことも出来ない老人がいた。
がらり、と柱が崩れる。
咄嗟に伊東は老人を真横に突き飛ばす。
先輩、と植松の悲鳴が聞こえた。