7 願い
涙が止まらなかった。
そして同時に笑いも止まらない。
勇気と一橋に付き添われて保健室に向かう間も明弥は壊れたように笑いながら泣いていた。
呆れたように勇気が言う。
「お前、笑うか泣くかどっちかにしろよ」
「ごめん……でも、何か、おかしくて……」
本気で悩んでいた。
まだ、自分のせいで人を不幸にしてしまったとか、能力のせいで人が死んでしまったらと考えると苦しくなる。
それでも、勇気の言葉一つでどうでも良くなった。
いや、どうでもいいと言う言葉は適当じゃない。
何と説明して良いのか判らない。
だけど、そう、救われたのだ。
落ちて抜け出せないと思った場所から、勇気はあっさりと引っ張り上げてしまった。
それが自分でもおかしい。
「確かに岩崎が仲裁の為に演説するとは、ちょっと……いてっ」
勇気の手刀が一橋の頭部に直撃する。
「いてー、ぼーりょく反対!」
「どこが暴力だ」
「叩いている時点で暴力だってーのっ! だけどまぁ、感動的だったぜ‘誰かを責めるのも、自分を責めるのも……’ってご高説」
「……恥ずかしいから止めてくれ」
勇気は顔を赤くしながら溜息をつく。
けらけらと一橋は笑った。
「何だよ、褒めてるんだぜ。最初はスカした嫌な奴だと思ってたけど、良い奴だよな、岩崎って。……なぁ、久住、悪かったな」
「何で一橋君が謝るの?」
一橋は少し困ったように頭を掻く。
「あー、ほら、お前を目撃したっての何人かいたけど、そのうちの一人、俺なんだわ」
「え?」
「時間つぶしにあの店にいたんだよ。背格好とか、お前に良く似てたから、てっきりそうだと思って、お前が元気そうに学校来ているの見て、つい人に聞いたんだよな」
刺されたのあいつじゃなかったのか、と。
一橋が口にしたのは、見間違いか否かを確認する程度のものだった。無論噂を広めるつもりなどなかった。だが、聞かれた側の方は違った。誰かに話し、連鎖するように誰かに話す。明弥に‘よく似た人’を見ていた人は、他の目撃者の話を聞くことで半信半疑が確信に代わり、更に尾鰭背鰭を付ける。
勇気の一件もあり、明弥は特に注目されている存在だった。
そこから急に出てきた悪い噂。自分たちのよく知っている場所で起こった事件に対する不安。それは化学反応を起こすように急激に校内を駆けめぐった。
そして、ついには吊し上げが始まった。
「きっかけは俺だったかも知れない。……その、悪かったな、嫌な思いをさせて」
「何で、謝るかな」
明弥は笑う。
まだ涙が乾かない。
でも、それは哀しい涙ではない。
「責めないのか?」
「責めるわけないよ。……だって、僕、今嬉しかった」
一橋はむしろ明弥を庇っていた。
黙っていれば明弥は知らなかった事をわざわざ告白して、その上で謝った。勇気の時だってそうだ。変な噂が流れて嫌な空気になっても、庇うわけでも同情する訳でもなく普通だった。
そんな人を責められるはずがない。
一橋はにい、と笑って明弥の背を叩く。
「やっぱ、いいよ、お前ら」
「いたた……いい、って?」
「羨ましいってコト……あー、センセ留守か。多分職員室かどっかだよなー、連れてくるから待ってな」
言い残して彼は廊下を駆けていく。
誰もいない保健室に入り、明弥はソファに腰を下ろした。
そう言えば、勇気と最初に合った日もここにきていた。あれからまだ二ヶ月も経っていないと言うのに、もっと前のことのようにも思えた。
勇気は保健室の冷蔵庫を開くと勝手に冷却ジェルを取り出し明弥の方に投げる。
「……ひょっとして怒ってる?」
おずおずと聞くと久しぶりに冷えた目で睨まれた。
「当たり前だ、バカ」
「う……久しぶりにバカって言われた」
「それでどうして嬉しそうなんだよ」
「だって、怒っているって、僕のこと考えてくれているってことだから」
明弥は受け取った冷却ジェルを頬に当てる。
染みるように冷たかった。
勇気は息を吐いてソファの向かい側にある治療用のベッドの上に座った。少し笑ったような表情で明弥を見つめた。
「俺を助けると言った奴がこれじゃあ頼りがいがないな」
「ご、ごめん」
「でも、だから助けられてる」
「うん?」
「明弥が周りの人をどれだけ助けているか分かるか? お人好しで、脳天気で、頼りなくて……それでもお前はいつも真剣に周りの事を考えている」
さりげなく貶された気がするが、本当の事で反論が出来ない。
明弥は苦笑いを浮かべる。
「それでいいんだ。例えお前が誰かを不幸にしていると思っていても、お前の周りに人が集まってくる以上、お前は誰かを幸せにしている」
何で自分の悩んでいる所をすぐ言い当ててしまうのだろう。
さっきもそうだった。
勇気は一番悩んでいたところを、言って欲しかったことを言ってくれた。
また泣き出しそうになって明弥は目元をごしごしと擦った。
泣き出す前に話さなければいけないことがある。
本当は迷っていた。
これ以上彼に迷惑を掛けたくない。でも、他の誰にも話さなくても、彼にだけは話さなければならない気がしていた。
「僕の父親は……ウィッチクラフトだと思う」
勇気の目が引き寄せられるように見開かれる。
「それは……本当の父親……久住有信の方か?」
うん、と明弥は頷いた。
「父さんは、何て呼ぶか知らないけど、炎を使う超能力者なんだ」
パイロキネシス、と勇気が呟く。
「それ、本当なのか?」
「分からないけど、多分そうだと思う。……僕を刺した犯人が炎上したなら父さんがやった可能性が高い」
言って、自分の心臓が高鳴ったのが分かった。
父親は異能者で、そして人を殺そうとした可能性が高い。今親友である彼にそう告白をしているのだ。
勇気と出会って、科学で証明出来ない力があることを知って、ようやく確信したことだけれど、自分の本当の父親が何か特別な力を持っていることは薄々感づいていた。古い記憶の中にある父親の周りには「生きているような炎」が付きまとっていた。だから、自分もトモミも、炎に対して敏感だった。
自分たちの周りに沸き起こる炎。
それが父親が生きているという証拠のように思えたから。
「お願いがあるんだ、勇気」
彼の父親に言われた事を思い出す。明弥の父親のしようとしていることを止めた方が良い。
もしかすると、と思うと嫌な感じがする。
でも目を背けることはできない。
これ以上「自分たちのために」誰かを傷つけたくはなかった。
「僕は父さんを止めたい……父さんはきっと何か悪いことをしようとしている」
うぬぼれかもしれない。
ただそうであって欲しいと願っているだけかも知れない。
だから、多分だ。
多分、父親のしようとしていること、それは明弥たちのためだ。
「だから、お願い……力を貸して」