4 変化
「危うい感じがするな」
少し身体を引きずるように歩きながら、安藤は廊下のソファに座っている勇気のとなりに腰を下ろした。
明弥は二晩で退院することになった。本当はもう暫く入院するという話もあったが、愛が無理を言って退院させたのだ。
実際彼の体調は良かった。
失血による貧血はあるものの、それ以外彼に悪いところは見られなかった。
むしろ消耗が激しかったのはトモミの方だった。
明弥が刺されたのを目撃したために一時恐慌状態となり、明弥の無事を知っても一瞬分からない程混乱をしていた。安定剤を打ちようやく落ち着きを取り戻したものの、暫く学校を休み通院することとなった。
逆に弟の方は冷静だった。明弥が刺された瞬間、ちょうど死角に入っていたために直接みていないのと、トモミがパニックを起こしたために、逆に冷静になったのだ。だがやはりPTSD等の心配もあるために、週に何度かはカウンセリングを受けることとなった。
当の本人は、まるで何事も無かったかのように普段と変わらない様子で、退院した足で安藤の見舞いに行くと花を買った。
安藤はまだ多少の問題はあるものの、そろそろ退院出来るほどにまで回復をしていた。
それを聞くと明弥は嬉しそうに笑い、花を生けてくると病室を後にした。
「……危うい?」
「久住だよ。何だか少し感じが変わった気がする」
「そう、見えるか?」
勇気は確かめるように安藤を見る。
明弥は普段と変わった様子はない。むしろ不自然なほどに変わらない。だから、そういう風を装っている事はすぐに分かった。笑いもどこか空虚にさえ見える。そんな風に見えてしまうのは彼が落ち込むだろうと最初から想定していた勇気だから感じているのかもしれないとさえも思っていた。実際明弥は精神的にタフな方だと思う。落ち込むことがあっても自分で考えて自分で解決出来るだけの強さを持っている。だから今回の彼の変化も、心配に及ばないと思っていた。だが、事情をまだ知らない安藤が指摘するとなれば少々話が変わってくる。
「……何かあったのか?」
勇気はにこりともせずに答える。
「あった、としか言えないな」
明弥の事はマスコミに伏せてある。刺されたはずの少年の怪我が完治していたとはさすがに公表はできない。そういったことをもみ消すために、ゼロ班というのはあるのだ。あること無いことでっちあげて、世間が納得するような話を作り上げる。
そうでもしなければ、明弥一人の人生なんか簡単に潰されてしまう。
おもしろおかしく書くのがマスコミの仕事。
人が飽きればすぐに別の話題に替わるものの、その間に受けた当人の傷はなかなかいやせるものでもない。
明弥のことをどこかで漏らせば、すぐに噂は広まるだろう。
それは避けるべき事だ。
訝るようにはしたものの、伏せられたことをあまり気にした風もなく安藤は言う。
「ふぅん。別にいいけどな。……あいつの目、ちょっと危ないぜ」
「どんな風に?」
「なんつーかなぁ、ああいう目をした奴知ってるんだ。そいつの場合もっと分かりやすくトゲトゲしてたが」
安藤は壁にもたれる。
「別に特別ケンカが強いって訳でもねーのに誰も勝てねーの。殺す気でケンカしている感じだったな。入院中暇だから色んな事考えてたら昔のこと色々思い出してなぁ。ああ、あの時あいつは誰かを殺したい訳じゃなくて、自分を殺して欲しかったんだなって」
まるで経験があるという風な言い方だ。
「そいつの目に似ている、と?」
「つらつら考えてたらあいつが来て、あんな目して、嫌でも感じるだろ」
ふぅ、と安藤は溜息をつく。
「……俺等みたいなのの中には多いんだよ、ああいうの。結論で自分を消し去るしかねぇってどっかで分かってんのに、怖くて実行できねぇんだよ。だから、相手に憎悪向けて、帰ってくる何かで自分を殺して欲しいって」
「……経験談か?」
率直に聞くと、安藤は吹き出すように笑った。
自嘲している風でもあり、どこか吹っ切った風な清々しさもあった。
「俺に、そんな大層な理由なんかねーよ」
「どんなことで悩むかなんて人それぞれだ。他人にしてみれば大したことがないことでも、本人にしてみれば重大な問題になることもある」
自分自身でも悩むのが馬鹿馬鹿しくなることだって、時に真剣に悩む。
行動の理由が理解出来ても、相手の言動に傷つくこともある。人間の心なんて厄介なもので、自分でもどうして傷つくのか分からないことでも傷つき迷う。増して他人の事など分からない。勇気が簡単に踏み越えられる事でも安藤にとっては大きな山に成り得る。逆もまた然りだ。
「代議士の息子なんてのは、贅沢な悩みだろう」
「だからこそだ。贅沢な悩みは誰も同情しない」
だからどんどんと追いつめられる。それが一番残酷な事とは気が付かずに羨ましいという。理解したフリをして頑張れと言う。
安藤は笑って頭を掻く。
どこか「参った」とでも言いたげな表情だった。
「お前も、どっか感じが変わったよな」
「そうか?」
「良い意味でな。前はスキを作らないっていうか、張り詰めている感じだったけど、顔が少し柔らかくなってる」
「カウンセラーみたいな事を言う」
「一人でゆっくり考えてたら、今まで見えなかった事が見えるようになっただけだよ。……俺、もう肩肘張って生きるのも止める。何か色々、馬鹿馬鹿しくなった」
「そうか」
勇気が変わったというのは事実だろう。
ずっと隠していた感情を明弥に話したことで楽になった。そして、安藤も変わった。井辻との一件のこともあるだろうが、事件後度々見舞いにやって来ていたトモミや明弥の影響もあるだろう。
彼らは自覚無しで多くの人を助けている。
だが、当人達はどうだろうか。
「……ともかく、久住の事、注意していたほうがいいな。言われなくても、って顔をしているが」
「ああ、だけど、お前に悟られる位だからよほどだと実感した」
揶揄するような笑い。
安藤も苦笑するように返す。
「ったく、人がせっかく心配してやりゃ……」
「でも、ありがとう」
ぽかん、と彼は口を開けた。
ストレートに礼を言われるとは思っていなかったのだろう。虚を突かれたというような表情をしていたが、やがて顔が紅潮した。
「お、お前、不意打ちは卑怯だっ」
勇気は微かに懐から白い封筒を取り出す。
「それと、これ」
受け取って安藤が首を傾げる。
「井辻の新しい住所。本当はいけないことだけど、お前に位伝えておきたかったんだ。そのまま見ないで捨ててもいい。判断はお前に任す」
「……ああ」
彼はじっと封書を眺める。
色々複雑な所もあるだろう。
その横顔は何とも言い難い表情だった。かつての仲間であり、友人であり、そして加害者でもある。ずっと庇っていたとはいえ、やはりどこかに恐怖があるはずだ。
しかし、彼の口から出た言葉は少し意外だった。
「………あいつ元気なのか?」
「記憶障害があると聞いているが、身体機能に関しては問題ないそうだ」
「なら、いい」
「必要なかったか?」
尋ねると何か考え込むように目を閉じた。
「いや……会いに行ってみるよ。俺の怪我が治って、もう少し、時間が経って笑って話せるようになったら、きっと」