3 パイロの素養
「ふざけるなっ!」
叫ぶと同時に有信は壁際に押しやられた。
襟首を捕まれ強い力で押しのけられたため、呼吸が苦しくなった。
反撃しようと思えば出来るだろう。
敢えてそれをしないのは今回は自分に非があるからだった。
「お前の生存を知られていない。それはこっちにとって重要な手札だ! それを……よりにもよって南条の飼い犬に知られただと? ふざけるのも大概にしろ!」
殴られるように突き飛ばされて、有信はサイドボードに突っ込んだ。
ようやく息が出来るようになり咳き込む。苦しいのを通り越して吐き気がしそうだった。
タケが烈火の如く怒りを露わにするのも当然のことだ。全ての計画を無駄にするどころか、下手をすれば自分たちの命すら危うくなる事なのだ。それでも、有信は動かずにはいられなかった。息子が刺される瞬間を見てしまった。その上、息子を乗せて病院に向かうはずの救急車が突然進む方向を変えてどこかへ向かったのだ。追いかけずにいられるはずがない。
「しかも派手にやりやがって……お前は偉そうな事言いながら自分の力の管理もできねぇのかよ」
「……俺じゃない」
「何?」
「男を焼いたのは、俺じゃない」
タケは訝るように睨んだ。
信じられない。
そう言っているような目つきだ。
有信は軽く咳払いをして続ける。締め付けられたせいか、喉に軽い違和感があった。
「前にも言ったが、俺がやるなら灰すら残さない。一瞬で息の根を止める」
「随分と自信があるな。息子が刺されて動揺したんじゃねぇのかよ」
確かにその可能性も十分に考えた。
有信の能力はパイロキネシスと呼ばれる。日本語で言えば念動発火能力。その能力は他の能力とは違い、無自覚であることが少ない。何かの弾みで暴走することはあっても、殆どの場合は本人が意識的に能力を使う。自分すら危険に晒す可能性のある能力のために、自然にコントロールしようとする意識が働くのだろう。さらに有信は特種な環境で訓練を積んでいる。
ある日を境に目覚めたパイロキネシスを、自分の思うように操れるようになるために繰り返し訓練を行った。使うほどに強くなる火力。そして、使うほどに自分の炎かそれとも別の炎かが区別が付くようになった。
明弥を刺した犯人を覆った炎は自分のものではなかった。
他のことは曖昧でも、それだけははっきりと違うと言える。
炎だけは分かる。
「なら、誰がやったんてぇんだ」
「分かっていればとっくに対処している」
有信は言い切る。
本当は、ほんの僅か心当たりがある。能力が遺伝する可能性。かつて、自分が研究していた事柄。あのまま研究を放りだしてしまったが、その仮説を信じるのならばあの状況で炎を使った可能性のあるのは四人。
自分の娘と息子、同じ久住の家の血を引く政志、そして南条鈴華。
中でも一番可能性が高いのは誰か。
それを分からない古武ではないはずだ。
「ふん、まぁいい。今更うだうだ言っても状況が変わるわけでもねぇ。今ほどではないにせよ、お前にパイロの素養があったのは‘Ain’に関わった連中の殆どが知ってる。この状況だ。あいつもお前の生存の可能性を信じ始めただろうな」
「……」
十四年前、行方をくらます際、敢えて痕跡を残した。特に有信がパイロキネシスである事を信じる人が見れば、自殺をしたのではないかと疑われるような痕跡を。
ある地点を境にぷっつりと途絶えるように自分の歩く道の全てを消した。それ以降は何も残していない。知り合いと家族とも連絡を絶ち、名を変えて全く別人として生き始めた。
初めから疑っていたタケはともかく他の人間はおそらく信じていた。実際、古武玲香の話を聞くために会いに行った柴田はまるで死人を見たような顔をした。十年以上も音沙汰が無かった男だ。死んでいた方が都合の良いことも山ほどあったのだろう。
だから多くの人間が有信の死を信じた。
信じずに探したところで、日本国内にいなかった有信を見つけるのは難しかっただろう。それこそ、千里眼のような特殊能力でもない限り探せなかったはずだ。いや千里眼があったとしてもおそらく難しかった。そう言う方法を選んだのだから。
何年も連絡をとらなかった。死んだ風に見えるように細工までして行方をくらました。だから、生存を知られれば警戒される。可能性でも、それが脳裏に浮かんだ時点で警戒をされる。
危険なことだ。
「しかし、そうなると計画を練り直す必要がありそうだな」
タケはソファに座って煙草をくわえた。
有信は口元を拭って腕組みをしてタケを見下ろす。
口の中が僅かに鉄臭い。
「俺を使って陽動するはずだったな」
「お前じゃない。お前の能力……そうか、その方法もあるのか」
何かに気が付いたように彼は動きを止める。
古武は勉強に関しては頭の良い方ではなかったが、こういう事に関しては智慧が回る。
「何だ?」
「お前が………いや、もう少し作戦を練り上げてから話す。どこで漏れるとも限らないからな」
まるで信頼していない、とでも言いたげに口の端をつり上げると火のついていない煙草を箱の中に戻し、懐へとしまう。
彼の態度は当然だ。
元々信頼関係などない。目的が似通っているために協力しているだけのこと。その上、今回勝手に行動し、面倒なことを起こしたのだ。辛うじて会った協力関係という名の信頼も崩れてしまっても可笑しくない。
だがやはり昔から少しむっとする男だ。
「いいか、有信。お前は暫くここを出るな。当面は暮らせるだけの物はある。部屋は好きに使え」
「お前、どこかへ行くつもりなのか?」
頷いてタケは立ち上がり、携帯や財布と言ったものをポケットに詰め込む。遠出をするというよりはコンビニへ行くという位の軽装だ。
「下準備をする。お前はここで待て」
「古武」
「誰かが尋ねてきたら居留守を使え。どうしても出る必要があるならなるべく目立たないようにしろ。……まぁ、お前のその長身は嫌でも目立つだろうが」
皮肉っぽく古武は笑う。
「まぁ、何にせよ悪いようにはしない。お前の事は嫌いだが、兄弟みてぇなお前を死なせたいとは思ってないからな。俺は人情深い男なんだよ」
「……」
本気とも、冗談とも掴めない表情。
ぞっとした。
彼は何を考えているのだろう。何を隠し、何の目的で動いているのだろう。何を思い付き、今度は自分に何をさせようとしている?
口にすること全てが嘘だとは思えないが信じるにはあまりにも相手が悪すぎる。
一瞬。
何かが、脳裏を掠めた。
「何を笑っている?」
「笑っているのか、俺は」
指摘されて、自分が笑っていることに気が付いた。
何故と問われたが自分でも分からなかった。ただ皮肉でも戦慄でもなく自分は笑っていた。嬉しくも可笑しくも無いはずなのに。
「お前も、大概壊れた人間だな」
「お前に言われたくはない」
「ああ………そうだろうな」
「?」
当然「違いない」といつもの調子で返されると思っていた有信は、少し憂いるような彼の表情に首を傾げた。
その表情の意味と、自分が笑った理由を、有信が気付くのはそれから随分と先の話だった。