2 むかしのはなし
「愛」
病院の自動販売機で爽健美茶を買っていると横から声がかかる。
独特な声音を聞く前から誰なのかが分かっていたため確認をする事もせずに愛は答える。
「……灰色」
酷く喉が渇いているせいで、水分補給をするまで出来るだけ話したくなかった。単語で返され、相手が軽く肩を竦めたのが分かった。
愛はペットボトルの蓋を開ける。
「お疲れ様。随分と消耗しているみたいね。成果が上がらなかったから余計に、かしら。それとも伊東君が心配?」
「……」
お茶を飲みながら愛は横目で藤岡を睨む。
藤岡はスーツのネクタイを蝶々結びしながら科を作って見せた。
スーツが女物のパンツスタイルであるのも、こうしてリボンで可愛さを演出するのもせめてもの抵抗らしい。中津がいれば嫌味を言われる上、角刈りにされかねないのを分かっているのだろう。この程度なら見つかっても溜息だけで済む。
オカマの刑事も大変なのよ、と藤岡はいつも笑っている。
「愛って可愛いわよねぇー、分かりやすくて」
「上司が部下を心配して何が悪いの」
「悪くないわよ。あなたが、伊東君個人を心配してもね。……ねぇ、愛。正義さん亡くなってもう随分と経つわよ」
「……」
ペットボトルが空になった。
リサイクルボックスの中に空のペットボトルを入れ、今度は紙コップで暖かい紅茶を買う。機械が動く音がして紅茶が出来上がった。
それを藤岡に渡し、もう一杯購入する。
「ありがとう。……ずっと一人の人を想い続けるのはロマンチックだけどさ、気になる人がいて、相手もまんざらじゃ無さそうなのに保留は正義さんにも失礼よ」
藤岡は自販機に寄りかかり紅茶に口を付ける。
愛もそれに並んだ。
夜の病院は酷く静かだ。非常灯の明かりだけが廊下を照らし、どこからか一定のリズムで鳴る機械の音が響いている。
病院の音は好きじゃない。
嫌でも夫が亡くなった日のことを思い出す。こんな時に、こんな話をする藤岡は少し意地が悪い。
「伊東くんとはそう言う話になったことはないわ」
「あら、自分の感情に関しては否定しないの?」
愛は苦笑いを浮かべる。
まだ彼が生活安全部の方にいた頃、勘の鋭い警官がいると聞いて何度か様子を見に行った。目の細いところ以外は外見で似通った所はない。その目の細さでさえ正義は笑った風に見え、彼は厳しく睨んでいるように見える。口調も立ち居振る舞いもまるで違う。なのにどことなく似ていた。纏った独特の雰囲気が。
だから引き抜く時に酷く迷ったのだ。
嫌でも思い出す。
気にならないわけがない。
いざ引き抜けばやっぱり似ていると実感した。そして、同時に全く別人だと言うことも確かに感じる。
自分では気が付かないフリをしている。でも周りに指摘をされれば言葉に詰まるほど彼のことが気にかかる。部下として、同じ刑事として、そんな誤魔化しの言葉はいずれ通用しなくなるだろう。
分かっているだけに、怖いのだ。
「時々」
「うん?」
「自分がゼロ班にいるの、嫌になるわ」
藤岡は愛を見返す。
ゼロ班は異能者の可能性のある人を集めている。かつて正義が班長になっていたのも、彼が巫覡として確かな力を持っていたからだ。そうでなければ超常現象を扱うという特殊班で冷静な判断が出来るはずもないのだ。
類に漏れず、愛もまた異能の力を持つ。
それは「予知夢」という曖昧な力だ。意識して使えるものでもないし、見る夢をコントロール出来るわけでもない。
そしてそれは予測能力とは違い、確定した未来だけを映す。どんなに頑張ったところで、彼女の見た夢の行く末を変えることはできない。そんな能力など、無駄なものでしかないのだ。
だからかつて彼女は超常能力に対して否定的で、肯定的な態度を取る中津といつも衝突をしていた。その立場が逆転したのは正義が二階級特進をし、愛がゼロ班の班長になってからだ。
「……ゼロ班じゃなければ、この力が無ければと思うわ。そうすれば私も臆病にもならなかった」
「あなた、何か‘見た’の?」
いいえ、と愛は首を振る。
まだ見たわけではない。見たのは伊東が火災現場に居合わせるというシーンだけ。結末も、どれほどの被害があるか、それがいつのことなのかも分からない。だから見ていないのと同じだ。
「見たところで何も変えられない。確定してしまったら、本人に知らせたところで何も変わらないのよ。だから、私は臆病になったのよ、眠ることにも、失うことにも」
「……あなた、まさか!」
藤岡が驚いたように愛を見返す。
肯定するように愛は目を閉じた。
かつて、見たのだ。
かの人が殉職する夢を。
そしてそれは夢で見たままの光景そのままで、再現された。
愛の目の前で。
本人に伝えたところで何も変わらなかった。あるいは伝えなければ別の運命だったのではと何度も考えた。あの時こうしていれば、ああしていれば。
考えるたびに自分を責める。
大切な人を失ってしまうことを知りながら何一つ出来なかった自分。憎むべきは犯人で、自分自身ではないと分かっていても、責めずにはいられなかった。
そしてもう一度同じ事が繰り返されてしまったら、自分は自分自身に耐えられなくなる。
だから怖い。
踏み出して特別になることが。
結局、夫は事件を追っている間の過労死と処理された。真実を知る者は警察内部の中でも少ない。
「割り切るには、もう少し時間がかかるわ」
「割り切れるの?」
「さぁ。伊東君が誰かを見つける方が早いかも知れないわ」
むしろ藤岡の方が泣き出しそうな顔をしていた。
隠すように、愛の額をぺちんと叩く。
「…………やっぱりあなた、あの男と違うわよ」
「あの男?」
「南条斎。似ているって話をしていたでしょう?」
愛は藤岡を睨む。
「近くにいたのなら、会話に加わっても良かったのよ。あの役立たずの代わりに」
「あはは、毒舌ねぇ。……まぁ、かえっていい荷物になったでしょう? でなければあなたもっと暴走していたじゃない。私が割り込む必要があるくらいに」
「……そうね」
藤岡は飲み終わった紙コップをゴミ箱に投げる。放物線を描きながら、紙コップはゴミ箱の中に収まった。
「さて、私はこれから現場検証に行ってくるわ。あなたは少し休みなさい……大丈夫、起きる頃には側にいてあげるから」
「あなたって、どうして男じゃないのかしら」
肉体的ではなう、精神的に。
この気配りがあればさぞ女性にも好かれた事だろう。現に今少し嬉しかった。女装していても、彼が好きでも好きになってしまいそうなくらいに。
藤岡は苦そうに笑う。
「女じゃなければこんな風に話も出来ないでしょう? そもそもどうして私が性別間違って生まれたか何て、こっちが聞きたいくらいよ」
「それも、そうね」
愛はにこりと笑った。
気分が少し軽くなった。