1 鏡は映し合う
愛が持つ権限で久住明弥を保護しなければ、彼への事情聴取は朝まで続いただろう。
度重なる事件は全て彼に繋がると言わんばかりに、彼は事件に関わりすぎていた。彼を不審に思う刑事も多く。繰り返し入院する彼に病院関係者もまた彼を訝しんでいる様子も見せる。
監視カメラは暗く、はっきり映っていなかったが、彼は確かに刺されているように見えた。現場に流れた血液の量も多く、衣服に染みこんだ血液の型は彼のものと一致する。彼自身も失血による酷い貧血に見舞われており、彼が刺されたと思って間違いのない状況だった。
だが、彼の身体のどこを探しても傷はなく、状況を知らない人が見れば刺されていないと判断するだろう。
不自然すぎる状況。
傷のこともさることながら、発火した男も不自然だった。
男には精神科への通院歴があった。調べた限りでは明弥や鈴華とは接点のない男だった。だが、二人どちらから話を聞いても、男は初め鈴華を狙っており、状況を変えるために明弥が名乗ると、男は明弥も知っているという素振りを見せたという。
単純に考えれば南条斎に関わっている。
だが、鈴華を迎えに来た彼に問えば知らないと応えた。
「記憶力には自信がある方ですが……さすがに一度二度話した人まで覚えている訳ではないので、正直分かりかねます」
もっともな答えだ。
それに隠すつもりがあったとしても無かったとしても、答え方が完璧で万が一にも接点が発見されたとしても言い逃れの出来る答え方だと思った。
隣の刑事がメモを残しているのを確認しながら、愛は質問を続けた。
病院で事情聴取をしたいと言うと、南条斎は思いの外あっさりと応じた。どっちにしても、南条鈴華の診察はもう少し続くのだ。その間だけならばと彼は素直に応じる。
「誰かに恨みを買う覚えは?」
彼は少し肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
「その質問に全くないと答えられる人にお会いしたいです」
「では、心当たりが?」
いいえ、と南条は首を振る。
「人間どんなことで誰の恨みを買っているかわからないでしょう。それに、私は昔少しやんちゃをした時期がありましたから、そのせいで誰かが私を憎んでいることは十分あるでしょう」
「やんちゃ?」
愛は表情を変えずに問う。
実際調べているから知っていた。南条斎は中学高校の一時期酷く荒れていた時期があったという。ケンカや飲酒、喫煙などで補導されることが何度もあったが、それは父親がもみ消した為にそれほど大事にはなっていなかったが、当時南条家で働いていた者やクラスメートなどの話を聞くと手が付けられない状況も度々あったという。
彼は「知っているでしょう」とでも言いたげに笑って見せた。
「もう時効ですから話してしまいますが、ケンカや暴走行為をしていた時期があったんですよ。親に反発をしたかっただけです。今では恥ずかしいだけなんですが」
「今はもうそう言うことはしないんですか」
南条は苦笑して肩を竦めた。
「暴力は嫌いです。あの頃は何も考えていませんでしたが、今は命の尊さを知っています。あの時に戻り同じ事をしろと言われても私には出来ないでしょう」
「倫理的に? 物理的に?」
「いいえ、精神的にです」
確かに今の温厚そうな南条斎を見る分にケンカをしていたりする姿は想像出来ない。もっともそう言う人間に限って影ではどんな事をしているか分からないというのが警官としての意見だ。だが、少なくとも暴力的という風には見えない。
「立ち直ったきっかけは?」
「太一に……弟に叱られたんですよ。渡航記録を見れば分かると思いますが、弟は事情があって海外に行かなければなりませんでした。私があの状態では気が気ではなかったんでしょう。叱られて、大げんかになりました」
それで、と彼は少し恥ずかしそうに言う。
「生まれて初めてボコボコにされました。それまで絶対に敵わない相手に会ったことはありませんでしたからね、正直ショックでしたよ」
「まぁ、人狼ですからね」
愛が言うと、横の刑事がビックリしたように愛の顔を見たのが分かった。
南条はくすくすと声を立てて笑う。
「腕力の違いを思い知りました。……約束もしましたし彼を見返したいというのもあって、せめて頭の方は勝てるようにと沢山勉強をしました」
「確か医師免許をお持ちでしたね?」
「はい。医師免許に関して言えば、太一が人として暮らすために医療行為が必要になる可能性も考えて免許を取ったんですが、他の免許に関しては殆ど見栄ですね。弟より優れていると見せつけたかっただけです」
本気かそれとも冗談か。
南条は朗らかに笑った。
真意の読みにくい相手。挑発してもなかなか乗ってこないことも以前の会話で分かっている。頭がいいために、こちらの意図が見透かされる。味方にいればとても心強い相手だが、被疑者としては厄介な相手だ。
(被疑もなにも、何にも掴めていないのだけど)
愛は苦笑する。
南条はその苦笑が自分に向けられたと思ったのか一瞬怪訝そうな表情を浮かべた。
「正直、仕事でもなければあなたに向き合いたくはありません」
「それは……随分な告白ですね。ええっと、理由を聞いてもよろしいですか?」
突然言われた事に少し動揺しながらも、南条は大人の返答を返す。逆にメモを取っていた刑事の方がハラハラとした様子でその成り行きを見守った。
「あなたを見ていると、鏡を見ている気分になります」
「鏡?」
「昔、私にこういう事を言った人がいます。環境が人を犯罪者にすると」
「性善説ですか」
「いいえ。死刑執行のボタンを押した人間が犯罪者かどうかという話です」
「ああ、なるほど。でも、それが鏡とどう関係があるのですか?」
今度は愛が、分かっているでしょう、と問うように笑ってみせる。
「似た環境で育った人は思考や犯罪傾向も似てくる、と言う話です」
「……同族嫌悪、というところですか?」
「ええ」
南条は笑顔を崩さなかった。
彼女の言いようで似ていると言われて気持ちの良い人間などそうはいないだろう。その上嫌悪感を示されればいい気分にはなれないだろう。
それでも南条はただ笑ったまま愛の方を見つめる。
互いに言葉は必要ない。
愛は必ずあなたを追いつめると宣戦布告をし、南条はやれるものならばどうぞと受けた。
本当に白であるから出た余裕か、黒であっても愛に追いつめられない自信があるのか、あるいは余裕があるという風に見せているだけなのか。判断は難しいところだ。だが少なくとも、一撃目は踏みこんだ。
愛はそう判断をする。
「そう言えばこの間は、うちの息子を助けて下さってありがとうございました」
彼は相好を崩す。
今し方まで蝋で出来たような笑みを浮かべていた男とはまるで別人に見えた。
「いいえ、私は少し手助けをしただけですからお礼を言われるほどのことでもありあません。それに勇気くんに助けられているのは太一の方ですからね、お互い様です」
「そう言っていただけると、こちらもほっとします」
「先刻、挨拶くらいしか出来ませんでしたが、勇気くんはお元気ですか」
「ええ、おかげさまで。弟さんとも親しく連絡を取り合っているようですね」
携帯電話の番号を教えあっているというのは知らなかったのだろうか。
「太一がですか?」
南条は少し意外そうな顔をしてから、すぐに優しく微笑んだ。
「……そうですか。あの子は人が好きですからね」