14 抑えきれない怒り
「……くそったれ」
太一が毒づいてバイクを走らせた。
明弥の父親は、逃げ出すように背を向けた。別に走り出すでもなくただ太一の大型バイクでは入ることが出来ないような細い道の方へ早足で向かっていた。
追って、引き止めるつもりならば簡単に出来ただろう。
だが、太一は彼を追わなかった。ヘルメットをかぶることも忘れたまま、太一のバイクは猛スピードで走っていく。勇気は振り落とされないようにしっかりと彼の腰にしがみついた。
頼む、と言った有信の声は、覚悟とも懇願ともとれる微妙な質をしていた。
少なくとも、男は太一を良く思っていない。太一自身も有信のことを良く思っていない。明弥に対して好意的と言うことを知っていたとしても、彼に託すか否かの葛藤は並大抵のものではないだろう。
自分の息子を監視していたことや、近くにいながら名乗ることもしなかったことを考えると、この場を逃れるために口をついて出たともとれる。
だが、勇気には彼が本気で子供を心配しているように思えた。
ほんの僅か。
本当に僅かなのだが「明弥」と口にした瞬間、彼の周りの鋭い気配が優しくなったのだ。
やがて目的の場所へとたどり着く。
企業の倉庫のような場所だった。初めは救急車が見えなかったため、やはり有信が逃げるためだけに嘘を付いたのだと一瞬疑った。
だが、その場に満ちた気配でそうでないと悟る。
インパクトの微弱な力は先刻よりも濃く感じられる。
「っ!」
太一が口元を押さえて顔をしかめた。
「……血の、匂いだ」
「明弥のか?」
「だろう。……探すぞ」
そう言って太一はバイクから降りる。
勇気も頷きその後に続いた。
まるで血が落ちているように転々と妙に淀んだ気配を感じる。おそらく有信がこの場所を歩いたのだろう。残り香のような暗い気配は倉庫の方へと転々と続いていた。
口元を押さえ、辺りを睥睨する太一を追い抜き、勇気はその気配を辿って進んだ。
あまりにも迷い無い行動に一瞬太一は驚いたように口を開きかけたが、すぐに勇気の後へと続いた。
ちょうど死角になるような建物と建物の間の微妙な隙間。救急車はまるで填め込んだかのように綺麗におさまっていた。
その後部は少し開き、赤黒い気配は薄くなりながらもその中へと続いていた。否、ここから始まったのだろう。おそらく、この場で何かあったのだ。
「明弥!」
救急車を見つけた瞬間、太一が走った。
勇気をすり抜け、半開きの救急車の戸を全開に開く。
「明……」
再び、名を呼びかけた時、太一が硬直したのがわかった。
覗き込んで勇気も驚く。
そしてみるみる表情が強ばっていくのを感じた。
「……」
後部に寝かされているのは、確かに明弥だった。ぐったりした様子で寝台に寝かされている。その意識はないものの、胸部の動きで息をしているのが分かった。
治療をするためにはさみで切られた制服は夥しい血液で汚れ最早元の色が分からないほどに汚れていた。
だが、晒された身体のどこにも傷跡は見つからなかった。
刺されたのは腹部のはずだ。
勇気は明弥の腹部に触れて確認をする。
血で汚れていたものの、やはり傷跡は確認ができなかった。
ほんの僅か、明弥の腹部からねっとりとした気配を感じる。嫌悪感を覚えるほどでもなかったが、何か特殊な力が使われたのが分かった。
「鈴華っ」
呼び声を聞いて勇気は視線を移す。
救急車の中には鈴華の姿があった。明弥と同じようにぐったりとして意識を失っている。顔や手が血で汚れているものの、それは本人の血では無さそうだった。
勇気は周囲を確かめる。
救急隊員も意識は無かった。
意識はないものの命の危険があるという風ではない。何かの衝撃、あるいは催眠のようなもので眠らされているという感じがした。
勇気は再び明弥に視線を移す。
状況から刺されたのは事実だ。この血液の量を証明出来るものが他にない。
(治癒能力……?)
そう言った能力がここで使われたのだろう。
では何故、救急車が行方不明になる必要があったのだろう。
何故、こんな場所に放置されていたのだろう。
(久住有信か?)
分からない。
ここにいたのは確かだ。
だが治療したのは別の人物。
「鈴華、おい、聞こえるか?」
呼びかけている太一を見て気が付く。
鈴華の手元に僅かな気配を感じる。
勇気は彼女の手を取った。
怪訝そうに太一が見返す。
「……ユーキ?」
「彼女は異能者か?」
「そんなはずは……」
ない、と言いかけて彼の顔から血の気が引いたのが分かった。
「まさか、明弥の?」
「可能性はある」
刺された衝撃で明弥のインパクトが暴走し、それが鈴華の能力を目覚めさせた。単純な話だが、そう考える方が一番しっくりくる。
だがやはりそれでも分からない。
何故、救急車が行方不明になりこんな人目の付かない場所に放置されていたのか。
鈴華が治療しただけなら、こんな場所へと移動する必要なんかどこにもないのだ。増して全員が意識を失う必要はない。
勇気は奥歯を噛みしめた。
「……」
腹が立った。
明弥の周りで何かが起こっている。
持って生まれた「他人に影響を与える」という能力のせいか、明弥の父親が抱える因縁のせいかもしれない。ただ、それは本人の全く知らないところで勝手に動き、彼が巻き込まれ、彼の周囲の人も巻き込まれる。
そんな事実を知れば、明弥はどんなに傷つくだろう。太一が暴走した時だって、彼は自分が最も危険な目に遭いながらも太一や勇気のことを心配して心を痛めた。
腹が立つ。
特別な能力を持って生まれるのは、容姿や体質と同じで本人が望んだところで簡単に変わる問題ではない。運動や勉強のように本気で努力すればある程度まで改善出来るというような問題でもない。
能力を使うことに関しては本人の責任だが、持って生まれることは本人には決められない。
そんな勝手なことで苦しめられる。
親の因縁だとしたら余計に腹立たしい。
(俺は)
勇気は拳を握りしめる。
明弥のため。
そんなつもりは更々無い。
だが、もうこれ以上明弥を苦しめるものがあるとしたら、全力でそれを阻止する。
自分が嫌なのだ。明弥が自分自身の責任ではなく、能力や、誰かのせいで傷つき苦しんでいる姿を見るのは嫌だった。
手の平に食い込んだ爪の痛みが感覚を鋭く冴えさせた。