11 救急患者
「あら、心配で駆けつけるなんて、いつの間にそんなに仲良くなっちゃったの?」
息を切らしながら救急患者の搬入口に駆け込んできた勇気を見て、藤岡は揶揄するように笑った。
明弥が刺されたという連絡はすぐに藤岡に届き、そこから勇気にまで伝えられた。本来家族でもない勇気に伝えられることではないが、この一件に関しては真っ先に彼の方に連絡がいった。状況が悪いのだ。
勇気は藤岡を睨んだ。
「明弥にはインパクトがある。それがどんな危険になるか、眞由美さんも分かっているだろう?」
「友達より暴走が心配?」
「これ以上何かあったら……」
言いかけて言葉を飲み込んだが藤岡はニヤニヤと笑う。
「へぇ、なるほどねぇ」
勇気は赤面しそうになって口元を押さえた。
藤岡はそう言うところに聡くて困る。
慌てて話題を切り替える。
「そ、それより、刺した犯人が発火したって?」
その言葉にニヤニヤ笑っていた藤岡の顔から笑みが消える。
彼は腕を組んで言う。
「そう、久住くんが倒れた後、突然犯人が燃え上がったそうよ。今、愛と中津刑事が向かっているけど……状況から考えて久住君の能力の影響で、誰かが能力に目覚めて人体発火を起こしたと考えるのがセオリーね」
「では、燃えたのは犯人だけと」
「ええ。油かぶって火を付けたにしては燃え方が変。今、意識不明の重体。さっき運び込まれたそうよ」
「……? 明弥は?」
勇気は眉をひそめる。
犯人が運び込まれたと言うことは、同じ場所にいた明弥も運び込まれていても可笑しくない。救急車が複数台出たとしても、緊急を要することだ。同じ病院に運び込まれるのなら少し遅れたとしても同時に入っていておかしくない。
「犯人が運ばれたのは別の病院よ」
「そういうことか」
ヴンと音を立てて自動ドアが開いた。
救急車が来たのかと思い視線を向けると入ってきたのは大柄の赤毛の男だった。手にはバイクのヘルメットが握られている。
藤岡の顔が一瞬険しくなる。
「明弥は?」
「どうしてここに?」
声を上げるのは二人同時だった。
南条太一は説明を求めるように勇気の方を見る。その視線を追うように藤岡が勇気の方を見た。
「俺が彼の携帯に連絡したんだ。南条鈴華が救急車に同乗したから」
そう、居合わせたはずの弟や川上ではなく、同乗したのは鈴華の方だ。川上の方は動揺するあまり、彼女の方が逆に救急車が必要なほど混乱したらしく過呼吸に陥った。そのため、彼の近くにいた鈴華が救急車に乗せられたのだ。
「それで、明弥と鈴華は?」
「ちょちょ、何で携帯番号知っているのよ?」
問われてようやく明弥の携帯の一件を話していないことに気が付く。
話すべきか否かを迷った事だが、前後、事件が多くあったためにすっかり話すことを忘れていた。どちらにしてもこのところ愛も事件にかかり切りだったために、話す機会もあまりなく、唯一勇気と話す時間が多かった伊東も長野に行っている。
勇気は藤岡に明弥経由で番号を知ったのだと話すと、少し怪訝そうにしながらも彼はそれ以上突っ込んで聞いてくることは無かった。
「ふぅん、それにしても太一くんってば背が高いのねぇ。私より目線が上の人、久しぶりに見たわ」
そう言って藤岡は太一を誘惑するかのように顔を近づけた。
藤岡の身長は180センチほど。どこで手に入れたのか、男性でも入るサイズのハイヒールを履いているために視線は相当高い。同じく体格の良い伊東の身長も同じくらいだが、女装しているぶん、彼の方が目立つ。それ以上に長身で体つきも大きい太一は圧倒するような存在感がある。
彼は藤岡の顔の接近を拒むように片手で押しやった。
「どうでもいいから、あまり近付くな。変な気分になる」
「あらん、それって誘惑成功?」
「アホか。香水の匂いが苦手なだけだ」
「あら、それは失礼」
藤岡はくすくすと笑った。
勇気は小さく吹き出す。
彼なりに気をつかっているのだろう。少なくとも、勇気があれこれ面倒なことを考えないですむように。
藤岡はそう言う人だ。
じろり、と太一が勇気を睨む。
「人狼は鼻が利くんだよ」
「知ってる。獣の形の方がもっと鋭くなるんだろう?」
「ああ、まぁな」
茶化すように藤岡が付け加える。
「さすがイヌ科ねぇー」
「誰が犬だ。……ったく、失礼なオカマだぜ」
「ちょっとー、失礼はどっちよ」
抗議する藤岡を面倒そうにあしらいながら太一はいつ救急車が辿り着いてもいいようにと壁際に寄った。
勇気が人の形の彼に会ってきちんと会話を交わすのは初めてなのだが、思いの外優しい印象を受ける。おそらく、彼の周りの気配が優しいからなのだろう。獣の形をしている時には気が付かなかったが、その鋭い目の奥にある色は優しい。
昔なら、少し前の勇気なら、いくら彼が澄んだ目をしていても、警戒して疑っていた。敵愾心を剥き出しにしてトゲのある言葉しか吐き出せなかった。
(毒されたんだろうな、あいつに)
勇気はきつく目を瞑る。
油断をすると涙がこぼれそうだった。
刺されたと聞いた時、一瞬頭の中が真っ白になった。彼が運ばれてきて、治療が終わり、言葉を交わせるまで回復しないと、失ってしまうかも知れないという得体の知れない恐怖に苛まれる。
明弥は大丈夫だ。
直感がそう囁く。
けれど、やはり、実際に声を聞くまでは不安。
「おい」
呼びかけられてはっとする。
太一がこちらを見下ろしていた。
「肩の力抜いておけ」
「……何」
「神経張り詰め過ぎるといざというときの感覚が鈍る。……って、俺自分に言ってんだけどな」
に、と太一は笑って見せる。
勇気は笑みを返した。
息を吐く。
そう、考えすぎたら駄目だ。
「……え? 行方不明?」
突然、驚いたような藤岡の声を聞いて勇気は視線を上げる。
彼は搬送されてくるのを待って待機していた病院関係者と何か話している。
「それって、どういう事?」
次の言葉を聞いて、冷静でいられる自信は正直、無かった。