5 兄と従弟
「ビックリしたよね」
百貨店の雑貨屋に並ぶマグカップを手に取りながらトモミは言う。
「学校も急に半ドンになっちゃうし、まー、私としてはアキちゃんとデート出来る時間が出来て嬉しいんだけどー」
「トモちゃんのクラスだったんだよね? 実験室使ってたの」
うん、と彼女は頷く。
「でも、あんな風に爆発するようなもの使ってなかったから、先生も混乱してたみたい」
あの爆発事故で何人か軽い怪我をしたが、幸い死者も重傷者も無かった。窓ガラスを吹き飛ばす勢いだっただけに、軽い火傷や壊れた蛍光灯で切る程度の怪我人しか無かったのは奇跡だった。
トモミの隣で実験をしていたグループが、実験結果が出るまで時間が掛かるために少し席を離れた時に爆発を起こした。実験中、一番近くにいたのは自分なのかも知れない、と彼女は屈託のない顔で笑った。
その一番近くにいた彼女に怪我は無かった。
(トモちゃんは、無傷だった)
「ねぇ、トモちゃん」
「えー? なに?」
「あの時、僕のこと、呼んだ?」
トモミの瞳が少し驚いたように見開かれた。
知っている。
図星を突かれた時の目だ。
「……呼んでないよ? どうして?」
嘘を付いていると分かる。
明弥はそれに気が付かないフリをした。
「ううん、何となくそう思っただけ」
「変なの。ねぇ、これと、これ、どっちがいいと思う?」
トモミは言って二つのマグカップを上げた。
「……何で二つともブタなの?」
「え? 可愛いから」
「可愛い……のかなぁ?」
その辺の趣味はよく分からない。
明弥は苦笑する。
女の子はどうしてこう変なモノを好むのだろうか。
「……兄ちゃん?」
「あれ? マサ君」
呼びかけられて振り向いた先には政志の姿があった。同い年くらいの男女が弟の周辺にいるのが見えた。
政志はトモミをちらりと見て、少し不服そうに唇を尖らせた。
「学校、どうしたんだよ」
「帰ったら話すよ。それよりマサはどうして?」
「グループ研究」
ああ、と明弥は頷く。
社会科学習で企業見学とかをした覚えがある。班に分かれて色々な事を調べて発表するというものだ。週休二日になって授業数が減ったためにこういうイベントめいたものはやらなくなっていたと思っていたが、政志の学校はまだやっているようだ。
「頑張ってるね」
「当たり前だろ? どっかの誰かみたいに学校サボってデートしているヤツと一緒にすんなって」
これはヤキモチだろうか。
トモミを振り返ると、トモミは笑いを堪えるような表情をした。
「サボっている訳じゃあ……」
「久住君、みんなとはぐれ……あれ? 明弥さん?」
はぐれるといけないからと呼びに来た政志のクラスメートを見て明弥は目を瞬かせた。彼女も同じように驚いた表情をした。
「鈴華ちゃん」
「お久しぶりです。前はありがとうございました」
「いや、僕の方こそありがとう。マサのクラスメートだったんだ?」
「な、何? 南条、兄ちゃ……兄貴のこと、しってんの?」
「え、え? アキちゃん、こんな可愛い子とどこで知り合ったの?」
同時に同じようなことを隣から質問され、明弥と鈴華は顔を見合わせて笑う。
「前に話したよね。太一の、妹」
「明弥さんは私のお兄ちゃんの友達なの。久住君のお兄さんだったのね」
トモミは納得したように頷き、政志は酷く嫌そうな顔をした。
持ちっぱなしになっていたマグカップを棚に戻しトモミはにこりと笑った。
「本当に大人っぽい子なんだね。私、川上ともみ。よろしくね」
「あ、はい。ええっと……」
いきなり自己紹介をされて少し驚いた風にしながらもちゃんと挨拶を返そうと、鈴華は差しのばされた手を握り替えそうと手を伸ばした。
その行動を阻むかのように、ばちん、と鋭い音がする。政志が持っていたファイルを床に叩き付けた。
周囲の客が驚いたように注目する。
「……で」
「マサ?」
「何で、トモ姉は知ってるんだよっ」
「政志、それは……」
「どうせ兄ちゃんは俺よりトモ姉の方が大切なんだよな、あー、そうだよな‘従弟’の俺より‘本当の妹’の方が大切だよな!」
「マサ!」
「兄ちゃんなんかもう知るか! 家に帰ってくんなっ!」
「うわっ!」
どん、と足下を蹴られ、明弥はぐらつき転倒する。
そのまま逃げるように走り出した政志は一瞬転んだ明弥を見て酷く後悔をしているような表情を浮かべた。その目はもう零れそうになっていた。
クラスメートや、明弥が呼び止める声を無視して、政志はエスカレータを飛び降りる勢いで下の階へと下っていった。
しまった、という風にトモミが額を抑える。
「……ごめん、アキちゃん」
「トモちゃんが謝ることじゃないよ。政志にちゃんと話さなかった僕が悪いんだ」
このところ心配を掛けるような事ばかりだった。
巻き込みたくなくて、黙っていたのが徒になってしまった。
政志にしてみれば、自分だけ知らされていなかった事に疎外感を感じてしまったのだろう。
明弥は立ち上がりズボンの埃を払った。
周囲を見渡すと、野次馬になっていた人達がそろりと視線を外していく。
「ゴメンね、何か変なところ見せちゃって」
「いえ……あの、久住……政志君は」
「あ、私が見てくるよ」
「トモちゃんが?」
「元凶は私だけど、こう言う時は明弥が行くより私の方が適任でしょ? だから、ちょっと待ってて」
「……ごめん」
「私も、マー君の気持ち、少し分かるから」
トモミは笑って政志の走り去った方向に向かって走っていく。
こうやって政志が機嫌を損ねた時、明弥が行くと逆効果になる。最近は三人が同時に顔を合わせること自体少なかったから無かったが、昔はよくトモミが宥めていた。
なんだかんだ言っても、政志はトモミのことが嫌いというわけではないのだ。
それが救いだ。
救いようのない家庭環境でも、政志が自分の事を好いてくれること、トモミの事も嫌いではないと言うこと、それが、明弥にとって救いだった。