1 嫉妬心
「いーわーくん」
呼びかけられて勇気は溜息をつく。
振り返らずとも声の調子で誰なのかが分かる。
「あ、ちょっと、無視した挙げ句盛大な溜息って女の子に対してどうよ? モテモテのくせして」
勇気は振り返ってトモミの方を見た。
陸上部のジャージ姿の彼女は口元に手をあてて、揶揄するかのようにくすくすと笑っている。
「見てたのか?」
「相変わらずもてるよね、つい最近、不穏な噂流れたってのに。っていうか、こんな朴念仁の何処がいいんだか」
「朴……、………川上、覗きは好かれないぞ」
言い返そうとして言葉が見つからず、勇気は話をすり替えた。
「私はアキちゃんさえいればいーの」
「ホントお前ら相思相愛だな」
からかうように言うと彼女は少し頬を膨らませた。
「最近二人だって相思相愛でしょ。おホモ達なんて私が認めないからね」
「気色悪いこと言うな。大体おホモ達って何だよ」
うんざりした気分で言うと彼女は妙に身体をくねらせて言う。
「まー、いやぁね、カマトトぶっちゃってぇー」
「どこのオバサンだ」
「ってか、本当は覗くつもりなんかなかったんだけどさ、ほら陸上部の機材ってこっちにあるでしょ。正直、どのタイミングで出るか迷ったんだけど」
「ああ、それは悪かったな」
勇気はそう言って微かに笑う。
確かに陸上部の機材はここにあった。その前で勇気が告白されていたためになかなか出てこれなかったのだろう。
一応彼女なりに気を遣ったらしい。
「さっきの先輩? 一年では見ない顔だったけど」
「ああ、二年の」
「‘弓道に専念したいから’って……あはは。相変わらずだねぇ」
声真似をされて勇気はむすっとする。
好きな子がいる、という断り方よりも、その方がずっとマシなのだ。中学の頃からそう言う断り方をしてきた。クラスメートであり、比較的仲良くしていた川上の耳にはどうしてもそう言う噂が入ってしまうのだ。今までを知っている川上にしてみれば全く同じ言い回しでは笑いの種にしかならないのだろう。
相手を傷つけないために苦心しながら断った勇気にしてみればからかわれて気持ちいい訳がない。
「本当に岩くんは硬派だよね。誰が告白しても、ぜーんぜん。ずっと一人でいる気かとも思ったけど、最近じゃアキちゃんにべったりだもんね。少しヤキモチ」
「べったりって……止めろよ、いちいちそっちの方面に繋げるの」
「あーあ、私も男に生まれたかったなー……なーんて」
冗談、と言いたげにトモミは舌を出した。
そして不意に哀しげな表情を浮かべる。
落ち込んでいる風だった。
「ねぇ、アキちゃんからお父さんの事、聞いてるよね?」
「ああ」
「正直、私ずっと生きているって思っていたんだ」
聞くべきかどうか迷った。
だが、彼女は聞いて欲しそうな顔をしていた。
「何でだ?」
「私の一番古い記憶はね、火の中にいるの。アキちゃんとふたりで。そこに、男の人が手に火傷を負いながら助けに来てくれるの。……あの人が、そうだって気が付いたのは随分後になってのことだけど、死んでいないって思った……ううん、多分死んいて欲しくないって思っていたんだと思う」
例え、あの人が自分で火を放ったとしても、とトモミは小さく付け加える。
彼女に取って記憶の中で助けてくれた男は間違いなく英雄なのだろう。だから死んだなんて思いたくなかったのだ。
物心ついて、分かるようになって、彼女が気が付いた時には、彼は戸籍上では死んだ人物になってしまっていた。だが、失踪届から変化した死亡では納得がいくわけがない。
生きていると信じるには少し足りないけれど、死んでしまったと考えるには及ばないのだ。だから半信半疑でも生きていると信じていた。
そして、今になってようやくその存在が見えてきた。
彼女も明弥も、会って聞きたいことは山ほどあるのだろう。それは勇気が父親に会って話したいのとは少し事情が違う。彼らは父親が生きていたという確信が出来たことを無条件に喜べないのだ。
「岩くん、探せないの? 警察じゃなくて、その……力でさ」
最後の部分だけは少し言いにくそうだった。
信じていないと言うよりは、勇気がその力を嫌っていると言うことを知っているからだろう。彼女は多少無神経に踏みこんでくる事はあるが、相手が本当に触れて欲しくないところには絶対立ち入らない。そういう人だ。
その彼女が口にしたのだから気持ち的に余裕がないのだろう。
勇気は髪を少し掻き上げた。
「難しいだろうな」
「そっか」
「神道の力は悪いものを浄化するって意味合いが強い。人捜しとなればもっと効率良く探せる人がいるだろう」
「それって探偵とか?」
勇気は頷いた。
「それか、占い師」
「占い師……かぁ。駅前の占いの館でも行って来ようかなぁー。うーん、でも高いよねぇ。どっかで知り合えればいいんだけど」
占い師、と考えて、勇気の中に一人思い浮かぶ。
彼女は明弥の知人のはずだ。
「明弥はミモリユリコと連絡を取れないのか?」
「え? 誰それ」
きょとんとして見つめられ、逆に勇気も首を傾げた。
「? 川上と一緒だったって聞いているが………バレンタインの時の事故の」
「あの人? 占い師なの?」
「正確にそうかは知らないが、多分、そう言う才能のある人物だとは思うな」
「そう……なんだ。じゃあ、聞いてみようかな」
少し、気落ちしたような様子の彼女に少し狼狽する。今にも泣き出しそうなきがしたのだ。
「川上?」
少し慌てて声を掛けると川上はきっと勇気を睨み付けてきた。
「岩くんっ!」
「え? はい」
勢いにつられ、つい改まった口調になる。川上は今にも襟首を掴んできそうな勢いで勇気に顔を近づけて来る。いやむしろキスが出来そうなほど近いと言った方がいいだろうか。
彼女とここまで接近しているのは奇妙な感じがした。
「もし、私が男だったら、岩くんと親友だった?」
「……何だか仮定が間違っている気がするが」
「いーの。ね、私男だったら、岩くんとアキちゃんみたいに何でも話せるような関係になっていた?」
勇気は少し吹き出す。
何を真剣に言い出すのかと思えばこれだ。言いたいことをはっきりと口にして、時々憎まれ口を叩く彼女だったが、川上のこういうところは可愛いと感じてしまう。
「お前、どっちに嫉妬しているんだ?」
「う……わかんない」
「バカか。明弥にとってお前が一番なのは分かっているだろう? もし嫉妬するなら俺の方だ」
「でも、アキちゃん、私に話さないこと、岩くんに話すし、岩くんだって」
「それはタイミングの問題だ。それに俺の場合、最初あいつを疑っていたから色々調べて知っているだけだよ」
少なくとも今は彼が意図的にインパクトを起こしている訳ではないことを知っている。調べたことこそ後悔していないが、疑ったことは彼に悪いことをしたと思っている。
「ま、少なくとも俺は川上が女で良かったと思うよ」
「……へ?」
勇気は少し嫌味を込めて笑う。
「男だったらこの距離は勘弁して欲しいな」
「……あっ!!」
ようやく自分の不自然な接近に気が付いたのか彼女は声を上げ、勇気から離れた。その顔は真っ赤だった。
「い、岩くん、冷静すぎっ!」
「慣れているから」
相手は酔っぱらった母親か藤岡だけど。
完全に誤解した様子のトモミは赤い顔のまま、いーっと歯をむき出しにした。
「………女ったらしっ!」
「言ってろ。……ところで、手伝うか?」
「ん?」
「機材運ぶの。どうせ一人じゃ運べない量なんだろう? 時間取らせたし、途中までなら手伝う」
言うとトモミは何とも言い難い表情で目元を隠した。
彼女は誤解を受けやすいのか、女の教師や女の先輩との相性が悪いのを知っている。特に会ったばかりならなおさらだ。だから今回もそうなのだと思ったが、どうやら図星だったようだ。
「……岩くんの女ったらし」
「言ってろ」
勇気は笑って、彼女の頭を軽く叩いた。