7 白い悪魔
水守の指示に従って車で5分ほどの喫茶店へと移動する。
個人経営の店らしく、地元の常連客で無ければ入りにくいような雰囲気のある少し薄暗い雰囲気の店だった。
顔見知りらしい店の店員から水守は煙草を受け取ると、案内される前に自分から店の一番奥の席へと移動した。店員も何も言わなかったところをみると、どうやらそこが彼女の指定席になっているらしい。
彼女は新しい煙草に火を付けて一服すると灰を落とす。
「さて、何を知りたい?」
問われて伊東は背筋を伸ばした。
「まずはこれを」
「?」
伊東は彼女に論文の写しを差し出す。彼女は怪訝そうにそれを受け取ると、表面の文字を見てあからさまに顔をしかめた。
連名で記された名前を信じるのであれば彼女が書いたものだ。覚えがあって当然だろう。嫌そうな顔を見るにどうやら思い出したくない類のものらしい。
「なるほど、コタケレイカを調べに来たのか。それにしても随分と懐かしいものを持ち出したな。全て処分したはずだったが、読み違えたな。これだから占いは当てにならない」
「処分ですか? あなたは、この論文を処分しようとしたんですね? それは何故ですか?」
「決まっている。名前を残したくなかったんだよ」
注文もしていないのにコーヒーが運ばれてきた。
「名前を残したくないとはどういう意味ですか?」
「コタケレイカとこれ以上関わりたく無かったんだ。名前を残せば関わる事になりかねない。事情があってあの時どうしても論文を完成させたかったから連名にしたんだ。業界じゃ私の方が有名人だったからね」
「貴女は彼女をご存じなんですか?」
うん、と彼女は頷く。
「知ってるさ。だが、論文発表のためにせいぜい数回会っただけだ。あの時はあまり興味も無かったから年齢までは聞かなかったが、十代半ばくらいの子供だったね」
論文発表は二十数年前。
生きているとすると現在は四十前後といったところか。
「どんな人物ですか?」
植松が聞く。
水守は少し考え込むようにして煙草を置くと、コーヒーに口をつけた。
霊媒師や超常能力者を名乗る人間には偽物が多い。ただ、本物も確かにいることを伊東は経験から知っている。恐らく彼女は本物の能力者だ。
彼女の能力は占いで未来が読めるというものではない。その才能もあるだろうが、一番は人に触れる事でその人の内面を読みとる能力なのだ。恐らく彼女が占い師として有名なのはそう言った能力を使って一種のカウンセリングを行っているのだろう。誰にも話せない事を言い当てれば相手も驚き信頼する。そうして彼女は名前を知らしめて来た。メディアで顔を出さないために誰もが知っている程ではないが、この業界の中では有名人と言われているのは彼女が本物だからだろう。
彼女がコタケレイカに会ったとしたら、彼女の能力でコタケレイカの中を読んでいるかもしれない。そうなれば、どんな人物であるか、垣間見える。
彼女は考え込み、暫くして口にする。
「白い、悪魔だね」
「悪魔?」
「悪魔なのに白?」
伊東が反応したのは柴田が死ぬ間際に口にした「悪魔から逃げられない」という言葉のせいだったが、植松はたとえられた色に反応を示した。
水守は少しだけ面白そうに口の端を上げた。
「私は後にも先にもあんなに波長の合わない人物に会ったことはないよ。だから私自身の感想になるが、彼女は理想論者だ。己の理想が何より正しいと信じそのためなら人を殺そうとも構わない」
「それで、白なんですか」
伊東は納得したように頷く。
「え? どういう意味ですか?」
「罪だとも思わないんだ。自分自身の中ではそれが正しく罪とも思わない。……ですね?」
最後の下りだけ水守に質問する。彼女は満足そうに頷いた。
「聡明だね。そう、彼女はいい意味でも悪い意味でも無垢だった。だから人から非難されるような行動を取っても彼女自身それが正しいと信じているから、咎められても何故咎められているか分からない。どうして怒るのかと首をかしげるだけなんだ。残酷で、悪魔みたいな精神を持っていた」
伊東は刑事部に入るまでは少年課の方にいた。非行に走る少年少女の多くは家庭環境や友人関係の寂しさを紛らわせるために軽い気持ちで万引きなどに手を出す。一瞬の達成感や満足感が得られるために繰り返し行い、それでは飽きたらず暴力的な行為に走る子供も多い。そんな子供の多くは本当はやってはいけないことを知っている。罪悪感もある。だから、ちゃんと話し合う事が出来れば更生する子供も多い。
けれど、本当にごく稀に倫理観が完全に欠如している子もいた。
例え殺人を犯して捕まっても、人を殺すことが何故いけないのかが分からないという。それが法律として犯罪になると言うことは理解しても道徳や倫理的な理由が理解出来ないのだ。両親や大切な人が殺されたら、あるいは自分が殺されたらと説いても理解が出来ない。お気に入りのマグカップが割れた時の方がよほど心を動かされるというのだ。
恐らくコタケレイカという女性はそう言う類の人だ。
「理想論者と言いましたね」
「ああ」
「それは具体的にどんな理想だったんですか?」
「詳しくは聞いたことはない。ただ気持ちが悪くて理解をしたいともおもえわなかったからね。ただ、彼女が生まれながらにして超常能力を持つ子供を作ろうとしていたのは確かだよ。奴に取って論文などは二の次で、私の遺伝情報を手に入れることの方が重要だった」
「遺伝情報……!」
彼女は冷静な表情でコーヒーを口に運ぶ。
「察したね、そっちの彼も」
植松が酷く動揺した風に青ざめた。
「……えっと、取り敢えず俺は超常能力とかあんまり信じてないし良く分かんないっすけど、そういうのって、遺伝とかするんですか?」
「すると思うよ。環境の問題もあると思うけれど、特定の家に同じような能力をもって生まれるというケースは多い。私の場合、叔母が私と同じような力を持っていたね」
伊東も頷く。
「自分も親子二代で特殊能力を持って生まれたケースを知っています」
伊東は勇気の事を思い出しながら口にする。
彼は特殊能力を遺伝により引き継いだ可能性がある。彼の場合、神社という特殊な環境も関係しているのかも知れないが、彼は神社でずっと生活をしていたわけではない。むしろそう言った能力に対して否定的な考え方を持っていた。その場合環境によって自己暗示がかかり能力が目覚めたと考えるよりも遺伝的な問題の方が大きい気がする。
彼の父親も母親も、特殊な能力を持っている側の人間なのだ。
「えーっと、待って下さい、そう言う話を始めたって事は、ひょっとしてひょっとします?」
水守はくすくすと笑う。
「この話を誰かにするのは初めてだよ。本当は墓場まで持っていくつもりだったんだが、まぁ、これも運命だろうね。……彼女は作ったんだよ、私の遺伝子を使って」
「水守さんが生んだんですか? それとも……」
「それとも、の方だよ。誰が生んだのか私は知らないし、興味もない」
きっぱりと言い放つ。
どこか怒っているようにも聞こえた。
「その子は残念ながら彼女の求めた力を持っていなかった。だからすぐに興味を失って私に返してきた。……でも、失敗ではなかった」
「目覚めたんですか?」
水守は頷く。
一敗目のコーヒーが空になった。
「それからは悪魔から子供を隠すために逃げ回っていた。腐っても私の子。どうしても守り通したかった。幸い私には占いの才能があったからね。危険を察知すればすぐに逃げられた」
「論文を処分したのもそのためですね。誰かがあなた達の関係を暴くのを恐れ、唯一の接点に成り得るものを消した」
「でも、あんたらは私の所まで辿り着いた。こう言うのを巡り合わせ………いや、因果か。悪魔に関わった人間は誰も悪魔から逃げられないってことだ」
伊東はその言葉にぎくりとする。
悪魔から逃げられない。
柴田が言った言葉。
やはり繋がっているという予感がする。
コタケレイカと柴田。
では、南条斎は?
「お子さんは今どちらに?」
「捜し物をしに出かけている。……場所が場所だから、運が味方をすれば出会っているかもしれないね。名前は祐里子という」
ミモリユリコ。
久住明弥に関わった女。久住明弥と接点を持つ南条斎。
僅かに繋がる。
だが、まだ接点と位置づけるにはパーツが足りない。
「あの後、コタケレイカと会っていないから分からないが、祐里子と同じように、彼女の手によって作られた存在があるかもしれない」
「誰かの遺伝子を使って作られた存在……ですか」
「一度二度の失敗で揺るぐようには見えなかったから、必ずと言ってもいいだろうね」
「……不躾な質問ですみませんが、祐里子さんはクローン体ですか?」
「それだけはない。祐里子は違う。ただ、私の遺伝子、あるいは誰かの遺伝子でクローンを作った可能性は否定出来ない」
「父親にあたる遺伝子の提供者には心当たりは?」
彼女は少し息を吐いて、煙草を揉み消した。
「彼女自身、能力者だとして、超常能力が遺伝すると信じるなら、身近なところでいるだろ?」
少し考えて伊東は答えを出す。
「親か……兄弟?」
うん、と彼女は頷く。
「当時服役中の兄がいると少し聞いた覚えがある。可能性はなくhさない」
「服役中の兄?」
「そうだよ」
「どんな名前ですか?」
「だからソウだよ。古武宗。調べる価値はあるんじゃないかい?」
水守は新しい煙草に火を付けながら笑った。