6 惑わされるように
「先輩、あの人」
運転しながら植松が道ばたに蹲る女性を見つけ指を差した。
中信の目的地にほど近い場所だった。駅前というのに人通りはまばらで閑散とした印象を受ける場所だった。
人通りの多い場所ならば既に誰かが声をかけているだろうが、殆ど人がいない上に死角になっているために彼女の姿は他の人に見つけ難くなっているようだった。蹲っている彼女の側には誰もおらず、危険な状況に見えた。
伊東は植松に止まるように指示をした。
「大丈夫ですか?」
車から降りて声を掛けると、女が顔を上げた。
四十代半ばくらいだろうか。癖のある茶色の髪を束ね、横に垂らしている。学校の教員を思わせる厳しい視線。中肉中背、蹲っているために正確には分からないが女性の割に長身のように見えた。
「……ちょうど良かった、あんた、煙草持っているだろう? 一本分けてくれないかい?」
「え? た、煙草……ですか?」
要求された物に伊東は面を喰らう。
「そうだよ。懐の方のじゃなく、右ポケットのヤツだ」
女に指を差され伊東はぎくりとした。
懐の方には伊東自身が愛飲している煙草が入っている。だが、ポケットの中には南条が渡してきた煙草が入っている。懐に手を入れる素振りも、ポケットを触る仕草もしていないはずだ。何故彼女はそこに煙草があると分かったのだろう。
無意識に南条の煙草を取り出すと、女は奪うようにそれを取り一本に火を付けた。
「なっ……」
あまりにも傍若無人な振る舞いに植松が声を上げる。
「あー、やっと落ち着いた。これがないとどうにも活動出来なくてねぇ」
女は男性的に笑って煙草の煙を吐き出した。
メンソールのキツイ匂いがした。
「おや、よく見たら、なかなかいい男じゃないか」
言いながら彼女は立ち上がり伊東の背を強かに叩いた。伊東は背に痛みを感じながらも表情を変えずに立ち上がった。
何て人だ、と植松が呆れたように呟く。
女は楽しそうに二人を見つめ、突然伊東の頬に手の甲を触れさせた。一瞬、その目の奥が鋭くなったのを伊東は見逃さなかった。
「へぇ、あんたら、警察か」
「何故そう思うんですか?」
「思うんじゃない。分かるんだよ。向こうからわざわざ長野まで来るなんて随分厄介なヤマ抱えているようだね。しかもそれが本命って訳ではない、もう一つ気になる所も調べたいと思っているのか」
伊東は目を瞬かせた。
「な……んで?」
植松が明らかに動揺したような声を上げる。
まるで、心の中を読まれているような気分になった。
女は煙草を吹かしながらにっと笑いを浮かべる。
「煙草の礼だ。少し協力しよう。あんたらの探している人物は……おや、これは奇遇だねぇ」
「それは、どういう意味ですか?」
女は煙草を口に付けて吸い込む。
鋭い瞳がますます鋭さを増したように輝いた。一瞬、光彩が微かに青白い光を帯びていると錯覚をするほどに。
「水守小夜子を捜しに来たのだろう? それとも占い師の方をかい? どっちにしても同じ事ではあるけれどね」
言動に伊東は納得して彼女を見つめる。
「では貴女が」
「そう、水守小夜子は私の事だ」
想像していた人物像と大きく異なる雰囲気に伊東は少し驚いたが、本物だ、と感じる。
「そうだね、コーヒー二杯分くらいの時間なら付き合ってやっても構わない。どうする?」
そう言われれば「お願いします」というより他になかった。
軽く挨拶だけを済ませ、彼女を車内に招き入れた。
正直、こんなにも早く水守小夜子に出会えるとは思っていなかった。地方警察に挨拶をし、役所で調べて目的の場所を探し当てるのに少なくとも二日か三日は時間を潰すのを覚悟していた。それがたまたま道に蹲っていた女性に声を掛けたことでこんなにもあっさりと進んでいく。何か因縁めいたものを感じざるを得ない。伊東同様に植松もこんなに早い展開に困惑している様子だった。
水守はミラー越しにじっと植松の顔を見て、くすりと笑った。
「精神感応能力っていうんだ。テレパシーと言った方が分かりやすいかい?」
「え?」
「あんた、ずっと気にしていただろう。何で自分たちの事がわかったのかって。波長の問題もあるが、感情の表面はある程度読める。まぁ、あんたは比較的分かりやすい顔をしているけどね。あとは経験と、推理だ」
「あなたは占い師ではないのですか?」
「そうだよ。でも、どうせ得る情報なら、占いなんて曖昧なものではなく正確なものがいいだろう? もっとも、表面しか読めないから、あんたらが私に会いにきた事くらいしか分からなかったけどね」
藤岡に変わり者だと言われた事を思い出す。
なるほど、彼女は一筋縄ではいきそうにない人物だ。だが非協力的でないのだからまだやりやすい人物だろう。
アクの強い仲間と一緒にいるせいだろうか。
彼女はまだ常識的な人物に思えてならなかった。
※ ※ ※ ※
鈴華からの連絡を受けて、太一はすぐさま彼女の元に向かった。
伊東達に会ってからすぐに高速を降りてこちらに戻ってきた。実のところ、秘密裏に調べておきたいことがあったのだ。
そう、あの火事の時の男。
集中をすれば雑踏の中でもただ一人の匂いを嗅ぎ分けることが出来る。あの時、強い煙の匂いが立ちこめる中、太一の鼻が僅かに感知したのは煙草の匂いだった。特定の煙草を愛飲している人はその人本人の匂いに混じって髪や肌にも少し匂いが残る。あの匂いは独特なもの。
だから同じ匂いを感じたことを覚えていた。
明弥をつけ回していた男から、移り香のようにしていた僅かな香り。それと同じ匂いがしたのだ。それ以外で、太一があの煙草の匂いを気にしたことはない。
おそらくコンビニや自動販売機で気軽に入手出来る種類ではない。
そう思った太一がようやく見つけ出したのが伊東に渡したあの煙草。
賭だ。
伊東がこちら側の意図に気が付き、乗ってくるか。それによって彼らがどちらを優先させるか。それが大きな賭だった。
辿り着くかもしれない、あの男に。
「……?」
公園にたどり着き、脇にバイクを駐輪した時、嗅いだことのある匂いに顔をしかめた。
あの煙草の匂い。
だが薄い。少し前にここにいた、そう言う感じの匂いだった。
「まさか……鈴華っ!」
慌てて公園の中に入っていくと、ベンチの上に腰掛ける鈴華の姿を見つける。鈴華の柔らかな匂い。間違うはずがない。
ほっとして太一は息を吐く。
だが、次の瞬間、心音が高く鳴った。
少女が振り向く。
だがそれは鈴華ではない。
(……誰、だ?)
こちらを見つめる鈴華は確かに鈴華なのに、何故か別人にしか見えなかった。
表情の作り方が、鈴華のそれとは大きく異なったのだ。
「太一くん? どうしたの?」
「え? ああ」
呼びかけられて太一ははっとする。
心配そうにこちらを見上げる素振り。
いつもの彼女だった。
気のせいだったのだろうか。太一は平静を装って鈴華の頭を撫でる。
「いや、何でもない。それより誰か一緒だったのか?」
「どうして? ずっと、一人だったけど……」
「いや、そのハンカチ」
太一は鈴華が握っているハンカチを指差した。缶ジュースを巻いているハンカチは鈴華のものではない。男物で、僅かにあの匂いがする。
指差すと鈴華は自分でも驚いたような表情を浮かべた。
「え? あれ? これ、誰の?」
「覚えていないのか?」
うん、と鈴華は頷く。
嘘を言っている様子はなかった。
嫌な感じがした。
腹の辺りで何かが渦を巻いているような錯覚。自分の知らないところで彼女が危険にさらされている。
それがたまらなく恐ろしかった。
「太一くん?」
「あ、何でもない。帰ろうか、鈴華」
太一は嫌な予感を払拭しようと笑みを浮かべた。
ちゃんと微笑めた自信が、ない。