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ウィッチクラフト Ain Suph Aur  作者: みえさん。
第五章 占星 Astrology
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4 獣と煙草



「仲が良いんですね、岩崎警部と」

 植松に言われ伊東は唇をへの字に曲げた。

 彼の言葉には揶揄する部分も含まれている。上司が女で、しかも名前で呼ぶ間柄だから変に勘ぐられているのがすぐに分かる。実際、彼女の家族とも交流のある伊東の立場的にはそう思われても仕方がないのだが、変に誤解されたままなのは嫌だった。

 そもそも植松は岩崎愛が警部で、彼の上司である中津と仲があまり良くないこと位しか知らない。

「愛さんは、岩崎警部って呼ばれるのが嫌いなんだ。所長すら愛ちゃんって呼ぶこともあるくらいだからな」

「そうなんですか?」

「そう、だから迂闊にそう呼ぶとすぐに不機嫌になる。気を付けた方がいい」

 それは純真な忠告というよりは、後で尻ぬぐいをするハメになりそうな自分に対する予防線だった。

 中津刑事は愛のことを「岩崎警部」か「岩崎さん」と呼ぶ。それはあからさまな嫌味であり、嫌がらせでもあった。中津龍二は元々そんなに嫌味でも、誰かに対して執拗に嫌がらせをするようなねちっこい性格でもない。だから彼女のことが本当に嫌いなのだろうと思っていたが、最近そうで無いことに気が付き始めていた。

 それを愛も承知しているのだが、彼女のあの性格で嫌がらせに対して爆発しないわけがない。中津が彼女に嫌がらせをするたびに、不機嫌になった彼女を宥めるのは伊東か藤岡の役目になっている。何も知らない新人とはいえ中津の直属の部下が「警部」と呼び出せば彼女が不機嫌になるのは目に見えている。

「随分と若いですよね、キャリアですか?」

「キャリアではないよ。それと、彼女ああ見えて高校生の子供いるからね」

「え……? 高校生? てことは、えーっと……ものすっごーく、若く結婚されたんですね」

 植松は一瞬だけ考え込んで現実逃避をしたような答えを返す。

「本当にそう思うか?」

「……う」

 伊東に言われ、植松は呻き声を上げる。

 キャリアではないのに警部、高校生の子供がいる。それだけ考えても彼女が三十を少し越えた程度とは考えにくい。

「ま、女性で、警部って肩書き持っている割には確かに若い人だよ」

「綺麗な人ですよね。うらやましいなぁー」

「中津刑事はいい上司だろう?」

「厳しいっすよ、人使い荒いし。でも、俺ら以上に仕事こなす人だから文句も言えませんけどね。岩崎刑事はどうなんですか?」

 伊東は苦笑した。

 現場に出ていない愛は眠ることが仕事のようなものだ。資料室で仕事をしているフリをしながら眠っていることが多い。それを今の植松に説明しても分からないだろう。納得いくような説明は彼がゼロ班をどんなものか理解した上でないと成り立たない。

「いい上司ではあるな。何処に誰を付ければ能率がいいかとか、よく分かっている。ただ、気むずかしいし、かなり癖のある人だから最初の頃は病院通いだったな」

 とん、と胃袋の辺りを叩く。

 彼女のおかげで胃は丈夫になったと思う。

 植松は羨ましそうに恍惚そうな笑みを浮かべる。

「気の強い女刑事の部下かぁー。何かいいっすよね」

「……?」

 伊東は眉をひそめた。

 何か伊東には理解しがたい特別な意味が含まれている気がした。

 それを問いかけるよりも前に、伊東には気にかかることが出来る。黙ってミラーを睨んだ。

「どうしたんですか?」

 急に伊東が押し黙った事に違和感を覚えた植松が怪訝そうに問う。

 すぐに伊東の視線に気が付いたのか、植松もバックミラーを覗いた。そこには真後ろを走る大型バイクがある。

「バイク?」

 高速をバイクで走ってはいけないという法律はない。むしろ走っているのをよく見かける。ヘルメットを着用しているし、特に違反しているところは見られない。空気抵抗を少なくするために、車の後ろを走ることは良くある話だ。

 だが、伊東達の運転する自動車はパトカーではないものの遅い速度で走行している。あのタイプの大型バイクならば軽く120キロは出るのだ。混雑している訳ではない高速道路でこんな速度の遅い車の後ろに付いているのは奇妙な感じがした。

 その奇妙な感覚を植松も味わったようだ。

 不安そうに伊東の顔色を窺った。

「植松、次のサービスエリアに入ってくれ」

「は、はい。分かりました」

 植松は少し身を強ばらせてハンドルを握り直した。

 サービスエリアに入る斜めの道に入るためにウインカーを付けると後方のバイクも同じように曲がるという合図を示した。

 どうやら自分たちに用があるようだ。

 なるべく目立たない空いた駐車スペースに車を入れると、真横に大型のバイクが入ってくる。バイクが大型ならば載っている人物も大型だった。

「車内で待っていてもいいぞ」

「え? あ、俺も行きます」

 シートベルトを外して外に出ると、バイクのエンジン音が止まる。彼がヘルメットを外すと赤い色がすぐに目に入る。男がバイクから降りた。男は伊東に話があって来たと言う風に近づいてくる。

 何かを狙う獣のような瞳が伊東を見下ろした。

(南条太一)

 伊東は押し返すようにその瞳を見る。

 身長180センチを越える伊東は人から見下ろされる経験はあまり無い。今までであまり覚えのない奇妙な威圧感を覚えた。急に自分が縮んでしまったかのようにさえ思えた。伊東の側にいる人間はいつもこんな威圧感を覚えているのだろうか。

 体格が良い男が二人並んだのを見て、植松が覚えず息を飲んだのが分かった。

「伊東刑事、だったな?」

「こんなところでどうしたんですか、南条さん」

 問いかけると、南条は睨み付けるように伊東を見た。

 彼が警察に保護されて事情聴取などを行ったため南条太一と言葉を交わすのは初めてではない。聴取の際、南条は座っていたためにこれほどの圧迫感は感じなかった。

 首筋を中心にじっとりと汗ばんでくる。

 実のところ、伊東が人狼に会うのは彼が初めてではない。だから人狼が怖い訳ではない。抵抗感がないと言えば嘘になるが、人狼が人の姿でいる時は人より身体能力が高いものの、さして変わらないことも知っている。言葉も通じない訳ではないのだから、怖がる必要はないはずだった。

 けれど伊東は緊張をしていた。南条斎の弟だからだろう。彼には油断してはいけない気がした。

 伊東は彼の一挙手一投足を注意深く観察する。

「……俺はイッキみたいな頭脳戦は得意じゃない」

 彼は伊東を見下ろしたまま言う。

「単刀直入に言うよ。イッキの回りをあまり嗅ぎ回らない方が良い」

「我々は、事件の調査をしているだけですよ」

「刑事らしい答えだ。だがそれじゃ足りないな」

「足りない?」

「覚悟だよ。その程度なら明弥や勇気の方が上だ。例え本気になったとしてもお前程度じゃ無理だ」

 南条はじっくりと観察するように伊東の目を見つめた。

 伊東はそれを見返す。

「残念ですが、やる前から諦めるような性格ではありません」

 言い放つ。

 恐ろしいほど鋭い、射抜くような視線が返る。

 人でも狼でもない、人狼の瞳。

 正直、人ではない生き物を前にして少し足が竦んでいた。歩けと言われても上手く歩けないだろう。震えを押さえて立っているのがやっとだった。

 それでも負けを認める訳にはいかない。

「ふぅん、だったら見せてみろよ」

 南条は笑う。

「俺はあんたでも、あの女刑事でもイッキの相手は荷が勝ちすぎると思うな。それでもやるってなら、やってみろよ」

 挑発するような言葉だった。

 それともいつでも仕留められる獲物で遊ぶ獣で遊ぶような感覚だろうか。

 これではどちらがどちらを追いつめようとしているのか分からなくなる。

 後ろで、植松が息を吸い込んだのが分かった。伊東は片手で動かないように指示をする。新人刑事が勢いだけで噛みつくには少々相手が悪い。

 楽しそうに笑って南条は懐に手を入れた。

 一瞬だけ、伊東は緊張を走らせた。

 南条が懐から取り出したのは、少しぐしゃぐしゃになった煙草の箱だった。メンソールだろう。特徴のある緑の箱だ。

 南条太一が煙草を吸っていた記憶はない。

「南条さんは煙草を吸うのですか?」

「いや、俺は煙草の煙の匂いは好きじゃねぇ。だからお前にやるよ、伊東刑事」

 言って煙草の箱を手の位置目がけて放り投げる。

 伊東はそれを受け取った。数本無くなっているものの、相当な量が入っている。

「開けたばかりでは無いんですか?」

「要らなきゃ捨ててくれ」

 言って、彼はバイクに跨った。

 エンジンが掛かる。

「それじゃあ、くれぐれも気を付けろよ?」

 脅しとも忠告ともとれる言葉を残して南条太一を乗せた大型バイクは駐車場を走り始める。

 先刻愛に同じような事を言われたが、それに含まれる意味も重みも随分と違った。


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