11 異能者の末路
井辻はそのまま昏倒した。
薬の影響なのかそれとも力を使いすぎたためなのかは分からない。太一が彼を背に乗せ神社の下へと降りていった。下には斎が「車を回している」のだと太一は言った。
そのうち救急車も来るだろう。
自身で足の怪我の応急処置をした勇気はそう言った。
「大丈夫?」
勇気の側に腰を下ろし、明弥は尋ねる。
「ああ……俺は怪我が治るの早いんだ」
「それって神様の力?」
そう、と勇気は頷く。
「凄いんだ……うわっ?」
脇腹に何か感触を覚え明弥は声を上げた。
白い狼がじゃれつくように明弥にすり寄っている。狼の頬や目の周りには隈取りをするように赤い色で紋様のようなものが描かれている。
人懐っこい中型犬のようだった。
勇気はくすりと笑った。
「褒めてやってくれ。どうやらお前の事、気に入ったみたいだ」
「名前、なんて言うの?」
「シロガネ、白の銀って書いてシロガネって読む」
「ありがとう、白銀。おかげで助かったよ」
声を掛けて撫でると白銀は嬉しそうに尻尾を振った。
ふわふわした毛が暖かかった。
それがとたん姿を消す。後には白い紙切れが残り、それもすぐに青白い炎に包まれて消えた。
「え……? 消えた?」
「シロは式神だよ。本来の霊体に戻っただけだ」
「でも今確かに……」
触っていたはずだ。その感触はまだ手に残っている。だが触っていたはずの毛並みはそこにはもう無くなっていた。
何か奇妙な感じがした。
「……岩崎君は、いつもああやって戦うの?」
「勇気でいい。さっきそう呼んだだろ?」
「あれは何か夢中で……」
「あの声のおかげで正気に戻ったんだ」
勇気は穏やかそうに笑っていた。
「俺は物心付いた頃から人には見えないもの見えていたんだ。見えない人がいるのが不思議なくらいに当たり前だった。元々岩崎の家系は何代かに一人そう言う力を強く持って生まれてくる子供がいるらしい。だから俺はこの神社で‘霊’と戦う術を学んだ」
彼がこんな話を自分からするのは初めてだ。
明弥が目を瞬かせると、勇気は苦笑して言う。
「救急車来るまで気を紛らわせたいんだ。聞いてくれ」
「……うん。俺も勇気のこと、聞きたかった」
勇気は笑む。
優しい顔だ。
痛みに苦しむような苦悶の表情は浮かんでいない。
「俺の父親も、そう言う力持っていたんだ。親子二代で力を持ってるのは稀だったから、爺さんが酷く心配していた。……その心配は現実になった」
「心配って……?」
不意に勇気を守っていた守護霊の人のことを思い出した。
細い目をしていて優しい笑みを浮かべる、何処か勇気に似た人。
「父さんは巫覡になる道を選ばず警官になった。事件を追っている途中で殉職した。父さんが若くして亡くなることを知っていたから、俺が必要だったのか、俺が生まれたから父さんがいらなくなったのか知らない。でも、俺は父さんが死んだ時この岩崎神社には巫覡が二人も要らないんだって、そう思った」
だから神は片方を見捨てた、と勇気は呟くように言う。
「そうやって沢山否定したんだ。神の存在も、巫覡の力のことも、人には見えないものが見える力のことも片っ端から否定し続けた。でも、どんなに否定してもこの力は無くならなかった」
独白するように言う勇気の姿にはいつものような大人びた印象はなく、初めて同じ年齢になったように見えた。
多分これが本来の勇気。
ようやく誰かにさらけ出す、彼の弱い部分。
無理をしていることを心の何処かで明弥は気が付いていたのだ。だから彼一人に任せているのが嫌だった。
「そのうち、怖くなった。当たり前の力が無くなったらどうするのか、俺も父さんみたいに必要ないからと捨てられるじゃないか……それがなくても、井辻のように自分の持っている力に溺れてしまうんじゃないかって怖かったんだ」
だから巫覡の力は使いたくなかった、と勇気は言う。
「正直井辻がこんな事になったのには堪えたよ。俺の行く末を見ている気分になった」
「勇気は、絶対に力に溺れたりしないよ」
「何でお前が言い切るんだ?」
「僕が、止めるから」
明弥はきっぱりと言う。
「自分の力の強さを理解している勇気が簡単に力に溺れるとは思えないよ。でも、もしそう言うことがあったなら、勇気が助けてくれたみたいに今度は僕が助けるから。溺れそうになったら殴ってでも止めるから。だから、安心して良いよ」
勇気は目を見開き、そして深く閉じるように瞑った。
「お前は……どうしてそう……」
彼の言葉が途切れる。
深く閉じられた目の端から、何か光るものが零れて落ちた。
明弥は見ないフリをして勇気と背中合わせになるように座り直した。
「僕は、何も出来ないから。力じゃ足手まといにしかなれないから、だからせめて、支えになりたい。こうやって言われるの、迷惑?」
いや、と彼の声が聞こえる。
「もう助けられているよ」
「え?」
明弥は問い返す。
「お前が……明弥が名前を呼ばなかったら俺は井辻を殺していたかもしれない。お前の声じゃなきゃ駄目だった。他の誰かじゃ届かなかったんだ。俺が俺であることを思い出せなかった。明弥は、足手まといじゃない」
とん、と勇気が背に体重を掛けてくる。
それは信頼の証のように思えた。
これが勇気の重み。
ありのままの彼。
重みを感じながら明弥は小さく笑った。
「助けになったなら嬉しいよ」
結局、と彼は言う。
「どんなに否定しても、肯定しても俺が神の声を聞けるのは事実だ。俺が俺であるように、一生声を聞き続けるんだろうなって思う。でも聞けなくなっても俺は俺だ。お前といると俺はそれを思い出せる」
「僕は何もしてないって思うけど……」
勇気は微かに笑いを漏らした。
「明弥は俺がどんな形でも否定しないよな」
「うん?」
「俺にとってそれが一番必要だったんだよ」
彼はふうと息を吐いた。
「……ありがとう、明弥」