6 それは美しくあるほど
「斎様、太一様がお見えになって……」
「面倒なことはいい。入るぞ、イッキ」
坂上の言葉を遮るように太一は部屋の中に入ってくる。
窘めるように坂上が声を上げた。
「太一様」
「構いませんよ。弟と自由に会わない兄などいません。……それにしても検査の日でもないのにここに来るのは珍しい。しかも女性を連れて来るのは初めてではないですか?」
斎は揶揄するように笑う。
太一は妙にニヤニヤしながら連れの女性の肩を叩いた。
彼の傍らに立つ小柄な女性。太一自身が大柄であるために小柄に見えると言うのもあるだろうが、華奢な体格の彼女はまだ十代くらいの少女だろう。鍔の広い帽子を目深に被り恥ずかしそうにうつむいていた。顔は影でよく見えなかったが口元から可愛らしい少女であることが見て取れた。
「ちょっと相談事があってな。坂上サン、お茶とかどうでもいいから悪いが他の連中近付かせないでくれ」
坂上は意見を求めるように斎の顔を見る。
頷くと坂上は承知したといわんばかりに頭を下げた。
「承知いたしました」
ばたん、とドアが閉じられ、太一は少女を座るように促しながら自分もソファに腰を下ろした。
斎もまたその向かい側へと座る。
「何か意味ありげですね。どうしました?」
「話はこいつから聞いてくれ」
太一はぞんざいに少女の帽子をはぎ取る。あ、と少女が僅かに声を上げ、次いで恥ずかしそうに顔を覆った。
「!」
斎は覚えず息を飲む。
手の平の隙間から見える顔。それは、見覚えのある顔だった。
いやその面差しに覚えがあると言った方が正しい。
「さすがに今の状況でお前に会わせるのは気が引けたが、警察を巻けば問題ないと思ってな。一応この辺には警察の気配はなかったな。……って、お前驚きすぎだろう」
「あ………………はい、すみません。一瞬誰なのか分からなくて」
斎は少女の格好をした彼の方を見る。
明弥は申し訳なさそうに肩を竦めた。
メガネをかけていないせいもあるだろうが、今の彼はまるで印象が違う。つけ毛をして軽く化粧をした顔は久住明弥だと分かっていても女性にしか見えなかった。
「警察を巻くために変装、ですか。私の為にお手数をおかけしました」
「いえ、僕が会いたくて頼んだんです。斎さんなら何かわかるかと思って」
そう言って彼はインパクトで超能力に目覚めた少年の事を話し始めた。
彼は名前だけ伏せていたが見た能力に関しては事細かに話した。人を持ち上げる程の強いPKはいないと言うわけではないがそれほど多く聞く事例ではない。本来‘彼’がそれだけの資質を備えていたのか、あるいはインパクトの影響か。
放っておいても良いような問題では無さそうだった。
「久住君」
「はい」
どこから話すべきだろうか。
彼は何も知らない。何も知らない相手に一朝一夕では理解し難いことを話して何処まで理解されるだろう。出来ることなら彼がもう少し大人になってから話したかった。いや、大人になっていれば余計に理解は難しかったかもしれない。
「予知や念力と言う普通の人が持たない能力を誰かが持てば利にも害にもなります。我々はその中でも特に害になりそうな程明確で強い能力をウィッチクラフトと呼んでいます」
彼は真剣な表情で頷いた。
「ウィッチクラフトは個人で能力の差があり、また、一生において使える量も違います。そして一部の例外を除いて無尽蔵に使える訳ではありません」
「一部の例外?」
これには太一が答える。
「俺の場合は獣と人間が混じっているのが本来の姿だ。男か女かのレベルと一緒だな。だから意識さえはっきりしていれば俺が……いわゆる‘変身’の能力を失うことはない。それが例外だ」
斎は頷く。
「そうです。それともう一つ、話を聞く分に岩崎君は巫覡……世間一般で神と呼ばれる者と交渉し力を得る人です。彼が神の声を聞けなくなるか、あるいは神と呼ばれる存在が消滅しない限り彼は無限に力を使えるでしょう」
「……身体に負担はかからないんですか?」
「普通のウィッチクラフトは本人の中の力を中心に使います。ですから中にある力が空になれば使えないし、無理な運動をすれば身体を壊すのと同じで負担がかかります。巫覡は私自身それほど詳しく無いので分かりませんが精神面で大きな負担がかかると言われています」
日本は超常能力に関して後進的な国だが、先進的な国ではウィッチクラフトに関しての研究も進んでいる。ただ、神の概念に関しては諸説あるために、シャーマン、巫女という類に関しての研究はあまり進んでいない。
巫覡の知識は斎よりむしろ岩崎本人の方があるだろう。
「神という力は強大です。故にそれを使えるだけの安定した精神が無ければすぐにでも暴走するでしょう。神道などでの修行はそのためにあります。不安定な状況で力を使えば自分自身すら傷つけることもあるでしょうね。その意味で負担はかかるでしょう」
明弥は一瞬後ろ暗いことがあるかのように表情に影を落とした。
彼は岩崎の能力を見ているはずだ。おそらく思い当たるところがあって、自分自身を責めているのだろう。
本当に可哀想なほど優しい子だ。
「目覚めた彼は自分の中の力を使っているのでしょう。そんな能力の使い方をしていれば身体に相当負担がかかっているはず。自分の中の能力を全て使い切る前に、生命の方に危険が生じる可能性の方が高いですね」
「やっぱり、そうなんですか」
「説得出来るならまだしも、出来ないのなら彼と深く関わらずにいるのが賢明です」
「だけど」
太一は片手を上げて彼の言葉を遮る。
「それが出来ないからお前はここに来たんだろう? イッキも分かっているよ」
その通りです、と頷いて見せる。
彼は転がり落ちそうになっている人を見て放っておける人ではない。巻き込まれ自分も一緒に落ちる可能性を考えても手を差し伸べる性格だ。
それが例え自分に害を与えた人間でも、分け隔てなく手を差し出す。片手じゃ間に合わなければ両手も出す。
それが彼の長所であり短所でもあるところ。
「彼と話し合おうと思っても能力のせいで近付くのを拒まれます。ならば、一時的にも能力を強制的に眠らせましょう」
「出来るんですか?」
斎は太一をちらりと見る。
なるほど、と納得したように彼は頷く。
「お前、俺が最初にお前を襲った時、こいつがどうしたか覚えているか?」
「えっとなんか赤いインクみたいな麻酔を水鉄砲みたいなもので打ち込んでいたっていう記憶があるんだけど……」
「あれは俺用の強力なやつだが、能力を制御するための薬だ。効果を落とした薬をそいつに打ち込めば一時的に能力が混乱して意識的に使えなくなる。多少荒っぽいが、話し合うためにはそうするのが一番だろう」
同意の意味を込めて斎も頷く。
「その方の、命に関わる問題ですからね。それが一番良い方法でしょう」
良い方法と言ったけれど、方法はそれしかないというのが現状だ。もしもそれほどの力を使っていなければもう少し方法は選べただろうが、本気で助けたいと願うならば迷ってなどはいられないのだ。
斎は安心させるように微笑む。
「あなたには太一が世話になりましたからね。あなたが望むのなら協力はしましょう。ただ、あなたにもその彼にも危険な事になりますよ」
「でも、何も出来ないよりずっといいです。このまま放っておくよりも彼が無事でいる確立は高いんですよね?」
斎は瞠目する。
彼の瞳には嘘偽り無い。自分のことなど二の次で相手のことばかり気に掛けている。
「……、それは、保障しましょう」
斎が言い切ると、彼は納得したように頷き居住まいを正した。
「協力してください。お願いします」